19世紀にも、ミステリの魅力に誘惑された文豪もいた。この度、その文豪の作品、帯に「前人未踏の大トリック」とある小説が復刊された。

■アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』


 チェーホフは、いうまでもなく、19世紀ロシアの大作家で、44年の短い生涯に『かもめ』など四大戯曲のほか数多くの作品を遺した。彼がミステリにも関心を寄せていたことは、『世界推理短編傑作集1』(創元推理文庫) に「安全マッチ」が収録されていることでも了解できるが、乱歩が「二つの大きな探偵小説トリックが使われている」と書いた長編『狩場の悲劇』は、『世界推理小説大系5 チェホフ/ドゥーセ』やちくま文庫の全集に収録されているにしても、今日では手軽に読むことはできなかった。本書は、主に「大系」の原卓也訳を底本として、原注・編注に『チェーホフ全集3』を参照したもの。
 それにしても、1884-1885にかけて、チェーホフが書いた小説が明確な探偵小説の構造をもっていることは驚きだ。さらに、当時のガボリオ流のミステリへの異議申立てないしパロディの意識をもって書いていることは、作中人物の編集長に、読者はガボリオなどに「飽きあきしちまっている」といわせていることからも明らかだ。
 本作は、その構造に際立った特色をもっている。
 雑誌の編集長のところに、元予審判事を名乗る男が自作の小説を持ち込んでくるところから小説は始まる。多くの原稿を抱える編集長は、読むことにすら難色を示すが、男は、すべて自分の目の前で起こったことを書いたという小説を置いていく。編集長は直ちにこの小説を読み、読者へも一読を勧める。
 そこで、挟み込まれるのが作中作である「狩場の悲劇」だ。この作中作の部分が全体の9割を占め、小説が終わると、編集長と小説を書いた男の対話が再びある。こうした二重構造をもつ小説だが、さらにいえば、小説に対する注釈というものが、その外枠にある。A.Чの署名があるから、注釈は作者のチェーホフによるものに違いない。作者自身がテクストに介入していく三重の構造を本書はもっているのである。こうした建て付けは、現代小説のメタフィクションの仕掛けを思わせなくもない。
 さて、小説のほうは、若い予審判事の手記の体裁で、わたしを主人公に、判事の友人の酔っ払い貴族、美少女オリガ、わたしの元恋人ナジェージダらの間で、二重、三重の恋愛ドラマが繰り広げられる。さすがに、20代の若書きではあっても、後の文豪の腕は確かで、男女の像はいずれもくっきりと立ち、色彩感豊かな四季の中で、わたしの恋愛の喜びと苦渋に、読者も翻弄される(赤いワンピースのオリガと遭遇する場面、彼女の匂い立つような美しさはどうだ) 。
複雑な男女の関係が進行し、殺人事件が起こるのは、3分の2をすぎてから。わたし自身が捜査に当たることになり、犯人を指摘して作中作は終わる。その後に、真の探偵役を演じる存在も興味深いし、その推理も委曲を尽くしたものだ。
 本書の「大トリック」、勘のいい読者であれば、場合によっては、物語から始まる前から、想像がつくに違いない。
 しかし、ここで注目したいのは、時代に先駆けたトリックが、後の作例よりも、その二重構造により、うまく機能している点だ。後の作例では、なぜそのようなテクストが存在するのかが、最大の難問となるが、本書の形式は、その点をうまくくぐり抜けている(逆にいうと、二重構造をとらなかったことが、後の作例が読者に衝撃を与えた所以なのだが) 。
 それにしても、作者自身による注釈が、せっかくの趣向を明かすほうに機能しているのはいぶかしい。それをいうと、小説を直ちに読み、思わせぶりのことを書く編集長もいぶかしい。さらにいえば、どのページにも解決の鍵はあるから真相に気づかないのは、「血のめぐりの悪い人間」だけといわんばかりの元予審判事の態度は一層あやしい。
 この小説は、小説内の作者も、編集者 (小説の最初の読者)も、外枠の作家自身も、テクストのあらゆるレベルで、よってたかって、真相を明かすほうにふるまうという探偵小説史上類をみない奇妙なテクストなのだ。小説内小説の作者も、外枠の作者も、真相はご想像のとおりですと、読者と共犯関係を結びながら、犯罪の進行を見守るというのが、この小説の本質なのだろうか。そうだとすれば、チェーホフは、ガボリオ流への反骨精神からはじまって、時代を超えた、とんでもないミステリを書いたことになる。
 作中の編集長がいうように、「独創的であり、きわめて個性的であり、いわゆる独自の持味」がある小説なのは、間違いないところだ。

■リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク『突然の奈落』


 昨年刊行され好評を博したレヴィンソン&リンクのオリジナル作品集『皮肉な終幕』に続く一巻。刑事コロンボのほか数々の推理ドラマの脚本・プロデュースで名声を博したコンビが、ヒッチコック・マガジン等の目次を彩る短編を20編ほど残していたというのは意外な事実だったが、『皮肉な終幕』掲載短編の出来栄えも、ヘンリー・スレッサーら一流の書き手の作品に劣らないものだった。その全作からあまり間をおかず、本作品集が出て、この名コンビの短編が集成されたのは喜ばしい。昨年、米国では、レヴィンソン&リンクの短編集が出たが、収録総数は17編で、日本オリジナル編集の『皮肉な終幕』と本書の収録数の計20編のほうが上回っているという。本書には、全10作を収録。これらの作品、いずれも意外なオチだけに寄りかかった作品ではない。
 「ミセス・ケンプが見ていた」妻殺しの瞬間を上の階の住人ミセス・ケンプに目撃されていた男は、彼女の脅迫という窮地からいかに逃れるか。オチともども、悪意と悪意の対決の構図も面白い。
 「生き残り作戦」ドイツ駐在の軍隊を舞台にした異色編。「安全第一さん」と呼ばれる二級軍曹が同僚の犯罪の事実を疑い…。窮地に陥る軍曹の心理が生々しく、いったん緊張を解いた後の逆転が効果的。
 「鳥の巣の百ドル」巣作りに励むコマドリが百ドル札をくわえているのを見た老医師が思いついた犯罪。スマートな着地。
 「最後のギャンブル」舞台はラスヴェガス。若い妻をブラックジャックのディーラーに寝取られそうになった富豪は、最後の賭けに出る。廃車のナンバープレートに1万ドルを出すという不思議な冒頭が結末に見事に対応している。
 「記憶力ゲーム」抜群の記憶力を誇る男にもちかけられた妻殺しの誘惑。こちらも、意外な逆転が生じるが、そこからの皮肉な結末が秀逸。
 「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」交通事故で記憶を失った男は、ある医師の住所を書きつけた紙片を持っていて。抜群の導入がありふれた素材を輝かせている。
 「ちょっとした事故」大学の学内雑誌に投稿した非ミステリだが、いじめ事件からの事故、そこから生じた切ないまでの友情を描いて印象深い。
 「歴史の一区切り」長年勤務の後、退職した男がたくらんだ大犯罪の顛末。強烈な皮肉。
 「最高の水族館」守衛の男がふとしたことから犯罪に手を染めていく顛末と意外な展開を描く。罰の象徴としてタイトルの水族館のインパクト大。
 「ロビーにいた男」連続殺人事件の容疑者に瓜二つの男。取り調べにも無関心の態度をみせるのはなぜなのか。意外であり、かつ納得のいく結末。
 いずれも、前作と同様、軽妙、洒脱な短編で切れ味のいいオチもついたクライム・ストーリー。それに加えて、コマドリのくわえた百ドル札、記憶力抜群の男、交通事故ですべての記憶力を失った男、廃車のナンバープレートを探す男といった具合に意外な導入から始まり、意外な展開に移行していく巧みさが際立っている。オチが命の平凡なクライム・ストーリーと異なるところだ。犯罪に手を染めていく主人公の心理、計画に齟齬が生じて味わうサスペンスも非常に説得的だ。「鳥の巣の百ドル」「最後のギャンブル」「最高の水族館」「ロビーにいた男」といった作品は、意外な導入、意外な展開、意外な結末、意外な人間心理が巧みに響き合った佳編となっている。

■アメリア・レイノルズ・ロング『ウィンストン・フラッグの幽霊』


『ウィンストン・フラッグの幽霊』(1941) で、アメリカンB級ミステリの女王、ロングも、まさかの翻訳4冊目となった。
 本書は、『〈羽根ペン〉倶楽部の奇妙な事件』に続く、犯罪学者トリローニーと若手女流ミステリ作家ピーターのコンビ第2作。全4作のうち、『誰もがポオを読んでいた』を含め3冊が訳出されたことになる。本書の主要人物の一部には、物書きたちの集まり〈羽根ペン〉倶楽部のメンバーが引き続き出演している。
 通称ピーター(キャサリン・バイパー)は、ハロウィーンに、友人夫妻から二人の住む「幽霊の館」に招待される。ピーターは友人のアルーシアと二人で向かうものの、車は大雨で立ち往生。別の車に拾ってもらうが、車を運転する女から、アルーシアの義姉として、屋敷にもぐりこませてほしいという依頼を受ける、という不穏な出だし。屋敷は、一年前に殺人事件の惨劇が起きていたが、泊まったその晩から、幽霊らしき存在が現れる。続いて、ピーターは近隣の霊廟で見知らぬ男の死体を発見するが、警察が到着すると死体は消失していた。
 といった進行が、テンポよく語られる。書きようによっては、おどろおどろしい怪奇ミステリになる筋だが、ピーターの一人称で綴られる語り口はあくまでライト。
 1年前の殺人事件の真相が今回の事件に大きく関わってくるが、物語の中盤で被害者の墓を掘り返して現われた死体の正体が証言者によって二転、三転するところは秀逸。過去の殺人に秘密があったことによることが説明されるが、むしろこちらを本編の謎解きの中軸に据えた方が良かったのかもしれない。
 本書のもう一つの殺人事件は、後のほうで起こるが、多くの目撃者がいる中、壁にかけられた決闘用の銃が周囲に人がいないのにもかかわらず、発砲するという不可能犯罪。シチュエーションは素晴らしいが、謎解きはあっけないもの。犯人の動機もいまひとつ釈然としない。
 謎解きファンを喜ばせる趣向がいくつも盛られているものの、細部の詰めがやや甘いのが惜しまれる。前作同様に、トリローニーが探偵役を務めるが、本書では彼よりもピーターが新聞記者になりすまして情報収集をしたり、発砲のトリックに気づいたりと活躍する。
 トリローニー&ピーター物も、未訳はあと1冊。ここまできたら、もう1冊となりますか。

■フランク・グルーバー『ケンカ鶏の秘密』


 本書『ケンカ鶏の秘密』(1948)は、本欄でもおなじみ、ジョニー&サム物第11弾。今回の舞台は、シカゴ。
 このシリーズは、本当に各種のギャンブルが出てくる比率が高いが、本書で凸凹コンビが挑むのは珍しい闘鶏の世界。一昨年邦訳されたチャールズ・ウィルフォード『コックファイター』でよく知ることができた闘鶏の世界だが、シカゴのあるイリノイ州では、この当時、非合法になっているらしい。クライマックスでは、白熱した闘鶏の15番勝負が描かれる。
 今日も今日とて、朝飯代にも事欠いているジョニーとサムは、ミシガン湖に飛び込む娘を目撃。サムは、冷たい水に飛び込み、自殺しようとしていた娘の命を救う。娘は、何者かに脅迫されているらしい。
 稼ぎが大事と、サムとジョニーは、中西部養鶏場展示会が開かれている鶏まみれの公会堂で、本業の筋力自慢の実演による本の販売に精を出していると、例によって闘鶏家の殺人事件に遭遇してしまう。命を助けた娘の脅迫も何らかの意味で闘鶏に関わっているらしい。
 ここからは、闘鶏を飼育する富豪、闘鶏雑誌の編集長、床屋を営みながら闘鶏の飼育をする男、大物ギャンブラー等、闘鶏の世界に関わる面々が絡み合い、最後の非合法の闘鶏勝負にもつれこんでいく。
 ジョニーとサムが忍び込んだ非合法の闘鶏勝負はさすがに迫力がある。ジャングル・ショールとホワイトハックルという種の対抗戦。脚には鉄蹴爪(ギャフ)という2インチの人工の爪がつけられ、敵を切り裂いたり、殺すのに役立てる。たいがいは負けた方が死んでいく血腥い勝負だ。200人の観客たちは、鶏たちの命をかけた勝負に大金を賭け、いやでも興奮は高まっていく。
 おまけに、本編は、部屋に閉じ込められたジョニーと鉄蹴爪をつけた闘鶏との一戦まで用意されている。
 最後のほうは、ページ数がなくなり、殺人や脅迫の謎が解決されるのかと心配させられるが、わずかなぺージで、謎解きのほうにも決着をつける。
 シカゴであっても、ジョニーとサムは、ホテルの支配人と宿代を巡って鞘あてをし、殺人課の警部補と敵対するのはNYと同じ。おなじみの安定感だが、ストーリーを縫って、ジョニーは、ポーカーやジンラミー、クラップスといったギャンブルにも手を出すのでいつも以上にめまぐるしい。それにしても、抜群に頭が切れるジョニーと腕力自慢のサムのこの名コンビ、朝飯代を心配しなくてすむときは来るのだろうか。
 
■ジム・トンプスン『テキサスのふたり』

 文遊社の未訳ジム・トンプスン作品もついに10作目。その多彩さから、従来のトンプスン像の更新を迫ること請け合いの作品シリーズだが、キャリアの後期に書かれた『テキサスのふたり』(1965)も、そんな1冊だ。
 この時期、もはや、トンプスンは、犯罪小説の枠組みには拘泥してはおらず、犯罪に類する行為が描かれるとはいっても、本書は、ミステリの範疇に押し込めるべき作品ではない。あえていえば、アウトロー小説というところか。
 主人公ミッチ・コーリーは、クラップス(サイコロ賭博)を生業とするギャンブラー。テキサスの都市を流れ歩いては、カモから金を巻き上げる渡世だ。といっても、イカサマは絶対にやらず、手先の技量だけをたのみにしている。
 恋人は、レッド。容貌も身体も極上の女だ。しかし、コーリーの嘘がばれると本当に殺しかねない激しい気性の持主でもある。
 フォートワースのクラップス勝負で稼いだミッチは、ヒューストン向かい、ホテルの最上階のスイートに宿泊する。レッドは大喜びだが、実は貸金庫に預けているミッチの預金は、3000ドルほどに減っている。ギャンブラーの暮らしを維持し、寄宿舎暮らしの息子の養育費を考えれば、2万ドルほど必要だ。世界中の金が集まるヒューストンで手を打たねばならない。
 現在のストーリーの合間に、父の仕事の関係で旅暮らしだった少年時代、両親との葛藤、元妻との出会いと別れが回想される。この辺は、作家の自伝要素も含んだ真骨頂発揮で、個々のエピソードは苦く、ときに残酷ですらある。妻との別れの理由に至っては、軽い衝撃が走るだろう。一方、レッドとの出会いには、甘やかなときめきがある。
 息子の学校訪問、ヒューストンの大企業経営者との出会い、テキサスの富豪との賭博等のエピソードを挟みながら、金銭的に追い詰められたミッチは、ある「賭け」に出る。
 鉄壁の大企業経営者、身を持ち崩したテキサスの富豪、違法行為に手を染める銀行員、コーリーに恩義を感じているホテル支配人…。例によって、一癖も二癖もある男たちがその場で喋っているように生々しく描かれる。一方で、非情で容赦ないシーンにも事欠かない。中でも、精神的には銀行員を襲う恐怖が、肉体的には双子のチンピラがミッチの妻に与える懲罰のシーンが真に迫っている。
 随所に酷薄なトンプスン調をはさみながら、全体の調子はどうかというと、何やら薄日がさしているような明るさだ。ひとつには、立ち向かう難敵が破格すぎ(「十二枚のコートを重ね着していても、一糸まとわぬ姿に見え」るようなお色気たっぷりの老婆)、ミッチの殺害を仕掛ける方法も突飛すぎて、ファース味すら感じさせること。さらには、ミッチもレッドも、彼らの正義を守り、二人が強い紐帯でつながれていることに疑いがないからだろう。
 2年後に書かれる『天国の南』のテキサスは地獄絵さながらであっても、ほのかな明るさもみえ、清澄の気配すら漂っている作品だったが、本作も後年のトンプスンの至った境地を物語っているようだ
 この小説は至る所に、多くのトンプスン作品の舞台になったテキサスという地への言及が見られる作品でもある。

 ヒューストン。/もっとも黒い土、もっとも善良(ホワイト)な人々。/赤の他人などいない街。
 ダラス。ビッグD。/南西部のニューヨーク。/ここに来れば、かならず見つかりますよ、旦那。お探しのものはなんでもありますよ。/

 本書が、著者一流のひねくれたテキサス哀歌でも、賛歌でもあると思われる所以。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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