スペンサーにはホーク、コールにはパイク。探偵役を支える頼もしい相棒役は個性豊かなことがしばしば。今年も『森から来た少年』(田口俊樹訳/小学館文庫)が読めてファンとしてはとても嬉しいハーラン・コーベンにも、そんな相棒が活躍するマイロン・ボライター・シリーズがあり、今回は金髪碧眼冷血王子ウィンが主役のスピンオフ WIN (2021)を紹介します。

 インディアナポリスでNCAA男子バスケの決勝を観戦し、趣味と実益を兼ねた夜を経てニューヨークにもどったウィンは出社し、かつて親友マイロン経営のスポーツ・エージェントが入っていたフロアで昔を懐かしんでいた。しばらく空室のままだったのだが、いまではハラスメントや暴力の被害にあった女性のための法律事務所が入居中だ。代表のセイディはかつてのマイロンと同じく、ウィンのプライベートまわりの弁護士を務めてもいる。そこにFBI捜査官たちがやってきてウィンは同行を求められた。まずい。昨夜なにか足がつくようなヘマをしただろうか。したがう必要はないと渋い顔のセイディを説得し、どんな展開になるのかという好奇心から捜査官たちと外出すると、連れていかれたのは超高級アパートメントのベレスフォードの最上階だった。殺人事件が起きたのだ。ペーパーカンパニーが部屋を購入した記録が残っているだけで被害者の身元は不明。その年配男性の顔に心当たりはないウィンだが、寝室の壁にかけられた1枚の絵画を見た瞬間、呼ばれた理由がわかった。フェルメールの〈ピアノの前の少女〉。ウィンの一族の所有物だ。
 ウィンザー・ホーン・ロックウッド3世という名前を持つウィンは、ミッドタウンの一等地に家業ロックホーン証券会社の入った48階建てのビルを持つ大富豪の跡取り息子で、フィラデルフィアには広大な屋敷があり、普段は超高級アパートメントのダコタで暮らしている。〈ピアノの前の少女〉は100年近く前に曾祖父が購入したもので、20数年前に美術展に貸しだした際、同時に提供したピカソともども盗まれていた。その絵がどういった経緯でここに? 寝室にはさらに意外な品が置かれていた。一族の紋章入りの革のスーツケース、しかも「WHL3」のイニシャル入り。ウィンは捜査官たちに詳しい話をすることを拒む。
 もちろん、あのスーツケースには見覚えがあった。10代だった頃のあるクリスマスに、親戚が一族の男性全員にそれぞれのイニシャル入りをプレゼントしたものだ。けれど、気に入らなかったウィンは、その親戚が女性全員に贈ったバニティ・ケースのほうがいいと思い、すぐに交換していた。従姉妹のパトリシアと。DVシェルターを運営している40代のパトリシアは、世間一般ほど愛着という感情の少ないウィンなりに、身内全員のなかでいちばんのお気に入りだ(ある特別なひとりは除いて)。彼女は18歳のとき、自宅で父親がスキーマスクの2人組に殺害され、自分は誘拐されて命からがら逃げだした過去を持つ。この事件はほかにも誘拐され監禁され殺害にまでいたった9人もの少女がいたことが判明して大事件となっていた。聞けば、スーツケースは誘拐されたときに犯人たちの指示で持ちだしたのだという。犯人たちは常に顔を隠すか、パトリシアに目隠しをするかしていたこともあり、手がかりはなかった――いままでは。
 パトリシアを巻きこみたくないが、かつてウィンがFBIで働いていたときに彼のハンドラーだったいわば師であるP・Tからも強い要請があり、事情を話すしかなくなる。そして今回の殺人事件被害者は、1970年代はじめに爆発物で7名の死者を出すことになった6人組の学生過激派グループの首謀者と判明。このグループと昔、捜査中に因縁を持ったP・Tはすでに引退した身だが手段を選ばず残りのメンバーを発見したいため、非公式にウィンに調査を依頼する。ウィンとしても、パトリシアと叔父の事件の真相を知りたい。聞き込みすべき人数を考えただけでかなりの労力が必要となるものの、フロリダで平和に暮らすマイロンを煩わせるわけにはいかない。

 大学時代からの大親友、陽のマイロンと陰のウィンというコンビを描いた『沈黙のメッセージ』(中津悠訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)で始まる巻きこまれ型素人探偵シリーズのスピンオフ。待ってました、という感じですよ、期待通り面白かった! 大満足。ダークで、ウィンが主役らしい話です。シリーズを支えてきたウィンという独特な存在を丹念に描き、判断の基準は灰色で、はっきり善と悪を区別することはいかにむずかしいか、というテーマを浮かびあがらせる作品です。優男の見た目とは裏腹に武術の達人で倫理観が世間と大きくずれている狂犬ウィンは、更生の見込みのない者に対しては正義の執行などあてにせず、力でとめるべき、という考えの持ち主。本文中には、被害者側にとってもそうした加害者は法律で裁いてこそ意義があると主張するセイディと口論になる場面もあります。ウィンの思想は危険ですが、これを読んでいるとふと考えちゃうんですよ。人がみんなウィンと同じことをしないのは手段がないだけであって、身体的に財力的に時間的に情報的に倫理的に可能だったら? と。そんな彼にも、これは超えてはならない線というのがあるのが興味深い。人から見れば基準がぶれているように思えても。
 コーベンはこれをリズム感のある読みやすい文章でやるのがえらいなあ。普通の地の文を読んでいるだけで、ユーモラスでオモロいんですよね。そりゃ、Netflixでたくさんドラマにもなるわけだ。

 しかし、我らが冷血王子もずいぶんと穏やかになりました。8歳のときから母親と口をきかなかったことについて、人生は短いのに無駄にしてしまったと後悔しています。現実の時間の流れではなくて、シリーズ作品が発表されるたびに少しずつ時間が進んでいる設定のようで、たぶんウィンはアラフィフ? 金髪は白髪まじりになり、アンチエイジング化粧品でお手入れする世代です。人間に大して興味はないけれどセックス大好きなウィンは、現在ではニューヨークのセレブの秘密のワンナイト専用マッチング・アプリを愛用していて、そこで意外な人に出くわすというシリーズのファンへの目配せなんかもあります。シリーズのファンはもちろん、初めてここから読んでもミステリとして楽しめる内容です。マイロンの甥のミッキーを主人公にした Shelter (2011)から始まるYA3部作と、シリーズ最新作 Home (2016)を読んでいると、本書で氷解することがあるのでそちらを読んでおいたほうが少しお得というのはあります。ヤングケアラーが普通の高校生活を送ることになるYA3部作、シリーズ完成形のような Home も秀逸ですよ!

三角和代(みすみ かずよ)
訳書にタートン『名探偵と海の悪魔』、カー『連続自殺事件』、ジョンスン『猫の街から世界を夢見る』、トルーヘン『七人の暗殺者』、リングランド『赤の大地と失われた花』他。ツイッター・アカウントは@kzyfizzy

●三角和代さんによるハーラン・コーベンの巻(その1)はこちら
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