■ヘンリー・ウェイド『ヨーク公階段の謎』


 今回は真田啓介氏の解説の話から。
 本書の解説の中で、クラシックミステリファンなら1度は耳にしたことのある「ROM」という雑誌を創刊、主宰していた加瀬義男氏 (2013年逝去) がヘンリー・ウェイド作品に傾倒していたことに触れられている。
 ROMの「ウェイド特集」での加瀬氏のレビューの文章から一部孫引きさせていただく。

「しかしこれらすぐれた新しい作家達が現在どれほどすぐれたミステリを書き続けているとしても、ヘンリー・ウエイドをしのぐ作家は一人としていない。世の中に異変か焚書がおきて二度と新しいミステリが書かれなくなったとしても、彼の二十幾作かの作品だけが残ってさえいるならば、それでいい、いいどころかその方がいいとさえ思う」

 元の文書はもっと長いが、この部分だけでも、氏のウェイドへの思い入れは十分伝わってくる。真田氏は「これはもうレビューというより-恋文ではないか」と書いているが、ウェイドの前には他のミステリは滅びてもいいという内容は「檄文」とでも呼びたい文章だと思う。熱気あふれる『推定相続人』の加瀬氏の解説を思い起こす方もいるだろう。
 筆者としては、半倒叙の『塩沢地の霧』(1933)にしても、『推定相続人』(1935)にしても、重厚さやプロットの面白さは感じても、その醍醐味を感得するまではいかなかった。
 海外のクラシックミステリを渉猟した加瀬氏がここまで心酔した作家ウェイドの魅力とは何なのか。本書を読むことは、それを探る行為でもある。 

 久しぶりの邦訳のため、ヘンリー・ウェイドの経歴を簡単に。
 ウェイドは、英国のミステリ作家。オックスフォード大学卒業後、20年以上近衛歩兵第一連隊に所属、従軍した一次大戦では殊勲賞等を贈られる。除隊後は、治安判事等の要職を歴任。1937年に六代目准男爵となる。ミステリ長編を書き出したのは、1926年、1957年『リトモア誘拐事件』まで長編20冊を書き続けた。
 まさに英国エスタブリッシュメントの一員であり、作品にも経歴を反映した様々な要素が窺える。

 さて、マーティン・エドワーズの『The Story of Classic Crime in 100 Books』にも選定されている『ヨーク公階段の謎』(1929) の冒頭は、こんな具合。
 ロンドンの金融街シティの大立者ガース・フラットン卿は、同窓会で再会した旧友に誘われ、金融会社の重役に加わるよう頼まれる。友人の銀行家ヘッセルは、健康不安があるのだからと止めるが、卿の決意は固い。家庭生活では、気立てはいいが素行の良くない息子に頭を悩ませている。ある日、フラットン卿とヘッセルが、セント・ジェイムズ公園のヨーク公階段という幅広の階段を歩いていると、一人の男が、よろけて卿にぶつかる。その時はなんともなかったが、数分歩いたのち卿は倒れ、そのまま死に至る。医師は、動脈瘤破裂の自然死と診断する。
 なんの変哲もない死と扱われたが、ロンドン警視庁の総監補が、卿の娘イネズの新聞への投書-ヨーク公階段における事故で父に接触した男からの連絡を待つ-を読んだことから、事態は動き出す。果たして、フラットン卿は本当に自然死なのか。 
 捜査に当たるのは、ジョン・プール警部。プールは、オックスフォード大卒で法廷弁護士の資格を得た後、警察に就職した異才で、若くして警部に抜擢された。プールが、法曹の資格をとったのは、最初から捜査者として最高の地位、ロンドン警視庁犯罪捜査部 (CID)のトップを目指したから。かつて、ここまで純粋な野心を燃やし、それに向けて努力を重ねている警察官がいただろうか。作中では、このプールの緻密な捜査に加えて、エリートでありながら、美女の前ではうろたえ、上司に叱られ落ち込む人間臭さも描かれている。小説の中の天才探偵たち(ホームズやポアロ、アノー警部) を引き合いに出し、フレンチ警部では現実的すぎるという批評もするが、自身の捜査は、フレンチ警部の如くコツコツ型である。平日はくたくたになるまで働く彼だが、休日は専用の狩猟場まで用意されている田舎の叔母の家で優雅に過ごす。
 
 さて、本作では、さきの「檄文」効果ではないだろうが、事件が起こる前の冒頭だけでも、ウェイドの良さがよく表れていると感じた。シティの大立者フラットン卿やその友人ヘッセルのリアリティある造型、金融会社経営の内幕、卿の二人の子ども (兄と妹) の生き生きとした描写。すべてが自然なのである。ウェイドが知悉している世界が、飾らない筆致で安定感をもって描いており、いかにも地に足がついている。
 一方で、本作の展開は、地味な冒頭からは想像もつかないようなツイストの連続なのである。
 『パリで一緒に』というオードリー・ヘップバーン主演の劇中劇のような映画で、脚本家を演じたウィリアム・ホールデンは、物語の極意を「ツイスト! ツイスト! ツイスト!」と連呼するが、その場面を思い出したくらい。
 ストーリーは、プール警部の地道な捜査と卿の娘イネズの探索で進むが、多くの章の末尾では、意外な展開が待っている。それも、鬼面人を驚かすような突飛な展開ではなく、それまでの叙述からナチュラルに導きだされるようなものであり、なるほどそう来るかと軽く膝を打ちたくなる。一見、発展性のないような謎を扱っているかのようにみえて、流れるように新しい扉が次々と開いていくような感覚は本書の見逃せない特徴だ。作品世界のリアリティだけではなく、展開の意外性のリアリティ、無理のなさも申し分ない。もちろん、この自然さは、真相に至る情報をどこでどのように読者に開示するかということを考え抜いた作者のプロットづくりの巧みさによっている。
 犯人の見通しが立ったあとで、終幕にくるサプライズも心憎い。解き明かされてみれば、読みながら抱いていた漠然とした疑問にも決着がつき、「腑に落ちる」という表現がぴったりだ。
 本書には、一次大戦に従軍した軍人出身者が多く描かれているが、その辺りはウェイドの勝手知る世界であり、大戦の影響が社会のすみずみまで残る「戦後」を描いた本書のリアリティにも大きく貢献している。
 金融界や警察活動など英国の社会各般に通じたリアリティと腰の据わった叙述の一方で、あくまでミステリ特有の意外な展開と謎解きの醍醐味を探求している本編は、我が国でのウェイド再評価につながる一編といえるだろう。

■ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』

 
 帯に海外名作発掘HIDDEN MASTER PIECESとある新潮文庫の3冊目(1冊目はライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』、2冊目はドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』)。
 ポール・ベンジャミンは、ポール・オースターの別名義。ニューヨーク三部作以前に発表されたハードボイルド作があることは、一部では知られていたが、実際に翻訳にお目に書かれるとは想像していなかった。
 ニューヨーク三部作の第一作『ガラスの街』(『シティ・オヴ・グラス』) (1985) は、私立探偵小説的構成をとった小説で主人公のミステリ作家クィンが謎を追う中、ポール・オースター自身まで登場し、主人公の自我や謎自体も溶暗していくという破格のアンチミステリともいえる作品だった。
 小説の中には、クィンがウィリアム・ウィルソン(もちろん、ポー作品の「引用」だ) 名義で書いた私立探偵マックス・ワークが活躍する『スクイズプレー』という小説を読んでいる女が登場する。
 クィンは、面白いかどうかを女に尋ねる。

「まあね。探偵が迷子になるところなんか、ちょっと怖いわね」
「その探偵、頭はいいかい?」
「うん、頭はいいわよ。でもしゃべりすぎね」
                   『ガラスの街』(柴田元幸訳)

本書『スクイズ・プレー』の内容は、17の出版社に出版を断られたという『ガラスの街』の成り立ちとシンクロしているものと思しいのだが、実際には、私立探偵を主人公にした作品に与えられるシェイマス賞の候補作にもなった私立探偵小説、正統派ハードボイルド作品だった。

 私立探偵マックス・ワークならぬマックス・クラインは、元大リーガーの名選手チャップマンから、依頼を受ける。殺意を漂わせる脅迫文が送られてきたというのだ。完璧なヒーローだったチャップマンは、キャリアの絶頂時に交通事故で片脚を失い、今は議員候補と目されている。マックスは、チャップマンの関係者を訪ね歩くが、それを暴力で妨害しようとするやくざ者たちが現れ、その行く手には次々と死体が立ちふさがる。
 マックスは、元地方検事補の私立探偵。ユダヤ系。自らの正義を貫き、検察を退職した男。離婚歴があるが、元妻と息子とは週に1度会っている。ウェスト・ブロードウェイの古色蒼然たるビルにあるオフィスにはブリューゲルの「バベルの塔」がかけられている。捜査で大富豪ややくざ者に暴力を示唆されても、ひるまず、ワイズクラックの銃弾を浴びせる。煙草はゴロワーズ。
 どこを切っても堂々たるハードボイルドで、当時流行の探偵の私生活をも活写したライフスタイル私立探偵小説になっている。
 弁護士でマフィアのボスや大学教授、球団オーナー、トラック運転手、駐車場係といった登場人物たちもそれぞれ生彩があるが、なんといっても、チャップマン夫人ジュディがいい。マックスのオフィスに訪ねてきた彼女は、抗しがたい魅力のある顔、深い知性と洗練されたユーモアの持主で黒髪が官能的。彼女のふるまいは謎めいてもいて、マックスと成行きも興味の焦点だ。
 野球を題材にしたミステリだけあって、野球に熱中する9歳の息子を連れて大リーグの試合を観に行くシークエンスが素晴らしい。二人がスタジアムに踏み入れる場面。

が、そのあと傾斜路をあがると、そこにある。それを一度に吸収するのは無理だ。いきなり眼前に現れる空間の広がりに、自分がどこにいるのかも一瞬わからなくなる。何もかもが巨大で、見渡すかぎりグリーンで、完璧に整っている。まさに巨人の城の中に造られた美しい庭。

 謎解きもおろそかにはしていない。球場では、ダブル・スクイズプレーが観られるが、それが事件解決のメタファーになっている構成が巧み。大リーグ時代にチャップマンが握られた弱みは意外なものだし、事件に一応の決着がついた後も、当然のようにもう一段のひねりがある。
 プロット全体を通じて、登場人物たちの孤独さや物悲しさが浮き上がってくるのも、大きな魅力だろう。
 本書の隠し味でもあり、小説に深みを与えているのは、時代やNYという街に対する独自の観察眼、批評眼だ。

 ハトはニューヨーカーの典型で、まさにニューヨークそのものだ。魂のないセックスに暴飲暴食に卑しさに病気。フランスでは手厚く育てられ、ごちそうとして食べられる。フランス人はわれわれより人生のたのしみ方をよく心得ている。

 マックスという名の探偵、NYの暗喩としてのバベルのモチーフ、野球に対する頻繁な言及、依頼人の妻に対する欲望など『ガラスの街』との共通点も散見する。片方は、完璧なハードボイルド作品となり、片方は抽象化が行き届いたアンチミステリとなった。本書を『ガラスの街』とは別の顔をもつ双子の小説として味わう愉しみもあるだろう。

 『スクイズ・プレー』には、作家の手慰み、ないしは心ならずの副業といった感はまったくなく、キャラクター、プロット、会話、文体など随所に先行作品へのリスペクトが感じられる若々しい力のこもった私立探偵小説のお手本のような作品だ。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita



◆【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー◆

◆【毎月更新】書評七福神の今月の一冊【新刊書評】◆

◆【随時更新】訳者自身による新刊紹介◆

◆【毎月更新】金の女子ミス・銀の女子ミス(大矢博子◆)