・Les dossiers de l’Agence O, Gallimard, 1943(1943/3/31)(1938/6執筆)[原題:O探偵事務所の事件簿] ・『名探偵エミールの冒険1 ドーヴィルの花売り娘』長島良三訳、読売新聞社、1998*[1, 2, 7, 8] ・『名探偵エミールの冒険2 老婦人クラブ』長島良三訳、読売新聞社、1998*[13, 9, 12] ・『名探偵エミールの冒険3 丸裸の男』長島良三訳、読売新聞社、1998*[3, 5, 6, 4] ・『名探偵エミールの冒険4 O探偵事務所の恐喝』長島良三訳、読売新聞社、1998*[10, 11, 14] 以上、邦訳全4冊 ・デザインとイラストレーション=Sacha Gepner, Les dossiers de l’Agence O: Le ticket de métro, Hatier, 1994[9] ・イラスト=サッシャ・ジュプネル『メトロチケット O探偵事務所事件簿 くらしっくみすてりー1』榊原晃三訳、パロル舎、1996*[9] ・Tout Simenon t.24, 2003 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014 *書誌詳細については第92回参照 |
2. エミールが豪華ホテルのボーイから教義を学び、一方で哀れなトランスが彼なりに折り合いをつけること
3. エミールとトランスがまるで指先で水を挟んで摑もうとしたかのような不快な印象を受けること、また新たなボーイであるムッシュー・ジョンがこの状況をより露骨に翻訳すること
4. 結局、エミールはどうやら豪華ホテルの名誉ある、しかし難しい職業に就きたがっているようだということ
5. エミールが、ある我慢のならない人物にいささか無邪気な罠をしかけ、その結果が思いがけないものになること
(引き続き瀬名の試訳、以下特記なき場合は同様)
《O探偵事務所》のトランスから救援の報を受けて、赤毛のエミールは秘書のマルト嬢を南仏に残しドーヴィル[ノルマンディー地方の港町、カジノで有名]へと向かった。トランスはアメリカの大富豪、老オズワルド・デイヴィッドスンの依頼で、親子ほども歳の離れた23歳の若妻ノーマの監視を請け負っており、その仕事はさほど難しくはないはずだが、エミールを出迎えたトランスは憔悴しきっていた。
話を聞くと、ノーマ・デイヴィッドスン夫人に絡んでふたつの殺人事件が起こったのだという。夫人は連夜カジノに入り浸っているのだが、夜になれば《ロワイヤル・ホテル》の自室に戻り、宝石類を金庫に入れて床につく。若い夫人にジゴロのような変な虫がつかないよう監視し、かつ宝石が毎日きちんとしまわれるのを見届けるのがトランスの仕事である。ところがいつものルーティンを無事に済ませたはずの翌朝、すなわち一昨日水曜の朝、カジノの階段のところで花を売っている26歳の娘ルルが、その場に射殺体となって倒れているのがカジノの朝帰りの客によって発見された。カジノで遊ぶ前に入口のルルに触れるとツキが回ってくるとの迷信が客の間で古くから広まっており、そのため彼女はこれまで花売りだけで生活していたのだ。死体のそばにはノーマ・デイヴィッドスン夫人の銃が落ちており、弾がひとつ発射されていた。まさに夫人の銃と遺体の弾丸の口径と線条痕は一致する。
たちまち夫人は殺人事件の容疑者となったわけだが、その夜彼女がピストルを持って部屋から出て行ったりなどしなかったことはトランス自身がよく知っている。だがもうひとつの事件が発覚した。《ロワイヤル・ホテル》で長いこと主任ドアマンを務めているムッシュー・アンリが、その日に限って自室から降りてこない。ボーイが屋根裏へ見に行くと、彼は従業員用の自室でやはり銃で撃たれて死んでいたのである。こちらは夫人の銃で撃たれたものではない。だが、ここにも夫人にとって極めて不利な証拠品が残っていた。被害者は夫人が前夜カジノで身につけていたスカーフをきつく握りしめていたのである。トランスは夫人の身の潔白を証明するとともにふたつの殺人事件も解明しなくてはならなくなった。さて、この難事件に、エミールはどう推理を働かせるか? まずエミールが目をつけたのは、亡くなったムッシュー・アンリの後を継いでドアマンの任務に就いたムッシュー・ジョンである。まるでドアマンに転職するかの如くに、エミールは仕事の内容を根掘り葉掘り聞き出してゆくのだが……。
本作から物語構造の特徴が変化し始める。端的にいえば、狭義のミステリーの枠内に収まるような、つまり読者も充分注意して読んでいれば謎が解けるような、きちんとした伏線や手がかりを、このあたりから作者シムノンは提示しなくなってゆくのである。ミステリー読者ならこれを作者の怠慢であるとか、作品の退行などと見なすかもしれない。だが娯楽小説としての読み心地は決して悪くなく、むしろいきいきと筆が躍って、いっそう《O探偵事務所》の連作に生命力が満ち溢れるようになってきたとも感じられる。このあたり、あくまで本作を狭義のミステリー小説として評価し、フェアではないとして退けるか、あるいはそうした軛など狭い価値観だとひとまず忘れて作家シムノンの筆遣いそのものを堪能し、その躍動を以て評価軸とするのか、読者によって意見は分かれるだろう。
前作「入り江の三艘の船」(第92回参照)で唐突に読者へ提示されたエミールと秘書ベルト嬢との淡い恋の予感は、しかし本作ではまったく触れられない。なにしろエミールはベルト嬢を南仏へ置いてきてしまうのだから仕方がない。一気に舞台もフランスの南端から北端へと移り変わるが、華やかなカジノ・ホテルとそこで交差する人間模様がいっそう立体的に描かれ、前述のようにミステリーとしての厳密さは後退するものの、連作読みものとしての《O探偵事務所》らしさは増してきたように思われる。
ドーヴィルまでやって来てカジノに興じる金持ちと、そのカジノやホテルで働くドアマンやホテルマン、マッチ売りの少女よろしく賭博場の入口に立ち、しかし験担ぎだと奉られたがゆえに中途半端に金儲けができ、地道な職に就くことなく26歳まで花売りを続けてきた女、こうした階級の異なる人物が交差する人間模様は、アマチュア探偵エミールの冒険譚であるからこそうまく描き出せたのだといえる。とくに本作ではドアマンの仕事のディテールがたくさん披露されるのが楽しい。ドアマンたちは互いを姓ではなく名に「ムッシュー」をつけて呼び合う。その仕事柄、大勢のホテル客と出会い、顔見知りになるが、それは同時にいくつもの外国語を習得することでもある。またホテル業界は広いようで狭く、カジノ・ホテルで働く者ならばたいていそれ以前にも同レベルのどこかの豪華ホテルで働いているはずで、そこで見た顧客といまの勤務先で再会することも珍しくない。金持ちが利用するホテルはおおむね決まっているからだ。エミールといっしょに私たちもなるほどと頷きながらこうした蘊蓄を確認してゆくわけだが、これが最終的に事件解決の手がかりとなるのはいうまでもない。だが作者シムノンはさらにひねりを加えて、格差社会の縮図であるカジノ・リゾートの地に、こちらの不意を衝くような因縁話を盛り込んでくる。よくできた作品だと個人的には感じた。
本格ミステリーとしての手がかり提示が疎かであるにもかかわらずミステリーとして面白く読めるのは、花売りと同時にドアマンという職業にも目をつけたシムノンのセンスゆえだろう。こういう話、前にどこかで見たなと頭を捻り、ジョン・ル・カレ原作のTVドラマ『ナイト・マネジャー』(2016)を思い出した。ホテルマンはあちこち転職しても昔の客の顔を憶えているという特徴を、シムノンも本作で使っているのだ。
なお本作で登場する現地の「機動捜査班の警視」(199ページ)とは、原文ではcommissaire de la Mobile。パリを含め各地方にあった「機動隊brigade mobile」(brigadeは「部」「課」「班」「隊」などのことなので、機動課、機動班などと訳してもよい)は「司法警察局police judiciaire」の初期の名であるが、もとは1907年、当時の内務省「治安局Sûreté générale」の「局長directeur」であったセレスタン・アニオンCélestin Hennion(1862-1915)の助言を受けて、首相兼内務大臣のジョルジュ・クレマンソーGeorges Clemanceau(1841-1929)が設置したものだという。クレマンソーはモーリス・ルブラン《怪盗ルパン》シリーズにおける首相(後に総理大臣)ヴァラングレーのモデルのひとりでもある。そしてアニオンが1913年に「警視総監préfet de police」に就任したことで、機動隊は「司法警察局」となったようだ。
最初期のメグレものでメグレ警視の役職がうまく定まっていないように見受けられるのは、日本において「機動捜査班の警視」というものがよく知られておらず、「パリ警視庁の警部」とごっちゃにされてしまったからではないかと思われる。本作が書かれた後の1941年占領時に機動警察隊は組織改編され、さらにまた戦後数回の改編を受けることになる。
2. パリじゅうが黒人をさがし、ムッシュ・エミールは、まったく偶然に、絵具箱を発見する。
3. ムッシュ・エミールが、見たこともない人物の特徴をいいあてる。だが、意外なおどろきもある。
4. ムッシュ・エミールが、ものいわぬ黒人、長いあいだとまったままの時計、中庭の三輪自転車を同時にさがし出す。
(榊原晃三訳)
霧の煙る、寒いパリの朝。《O探偵事務所》では各々がぼんやりと過ごしていたが、そこへ不意の来客が現れた。ブルジョワ階級らしきその男は、しかしトランス所長の前へ進み出るが様子がおかしい。彼は壁にかかった時計を指差し、「その黒人……」といいかけると倒れ込んだ。男は死んでいた! 事務所の前で誰かに撃たれたのだ。
ベルト嬢は急いで近くの医師を呼び、トランス所長は司法警察局に通報した。朝の事務所はリュカ警視を始めとする司法警察の面々や事件を嗅ぎつけてやってきた記者でごった返すこととなった。有名な《O探偵事務所》で殺人事件が起こったのだからスクープものだ。
死体のポケットに入っていたリボルバーを見ると弾が一発欠けていたが、それは男に撃たれた弾とは一致しない。つまり男は自殺したのではない。だがその弾はどこへ向かって発射されたのか? さらに、オーバーのポケットからサン゠マルタン駅で発券された地下鉄の切符が見つかった。ベルジェール地区にある《O探偵事務所》の最寄り駅はフォーブール・モンマルトル駅だが、そもそもサン゠マルタン門からここへは徒歩でもさほどの距離ではないのだ。さらに上着の内ポケットからは封筒に入った千フラン札50枚が見つかった。財布も残っているので物取りの犯行ではなさそうだ。
男の身元が割れ、サン゠テチエンヌ市の針金工場で副社長を務めるジェラール・デュウールサンという54歳の男だと判明する。翌日に息子の結婚式を控え、贈り物を買うため早めにパリへ上京してきたらしい。男は昨夜の夜行列車でパリに来たようだ。しかし時刻表を見ると、その列車は今朝の7時12分にリヨン駅に着いている。そこからサン゠マルタン門まではかなり遠い。この男は《O探偵事務所》にやってくるまでいったいどこで何をしていたのだろうか?
トランス所長の証言が各紙の夕刊を飾る。《時計と黒人の謎》──司法警察局ではリヨン駅とオペラ並木通りの間にいた黒人を片っ端から引っ張って尋問している。だがエミールは考えた。男はリボルバーを持って家を出ている。ということは自分の命が危ないことを知っていたのだ。それに大金を持っていたのには贈り物を買う以外に重大な理由があったはずだ。エミールはひとり列車に乗って男の邸宅へと赴き、そこで働くエルヴィルというおしゃべりな使用人からデュウールサン氏のことを聞き出した。彼のもとには毎月怪しげな差出人不明の小包が届いており、その中身はいつも同じ絵の具箱であったらしい。デュウールサン氏はまったく絵の趣味などないにもかかわらず、である。エミールはさらに郵便配達人にも話を聞いて裏づけを取った。配達するものなら察しがつくが、あの手の小包は粗悪品を売りつける詐欺商売だというのだ。
事件が発生して5日、なおもパリは朝霧に包まれる日々だ。ついにヴァルミー河岸から死体が上がった。体内の弾丸はデュウールサン氏のリボルバーのものと一致した。しかし死体は両手首が切断されている。エミールは検察医に電話し、死体が川へ投げ込まれたのは24時間後だが、手首の切断は死んで数時間後であった事実を知ると、帽子とオーバーをつかみ、トランスを引き連れて外へと飛び出した。事件は単純だ、みんな黒人という言葉に振り回されているだけだ、とトランスに告げて。
まず、長島訳版では71ページに「リュカ部長刑事」とあるが、ここは他と同じくcommissaire Lucasなので「リュカ警視」が正しい。
モンパルナスの朝霧と、事務所でごうごうと燃えるストーブの対比が強調される。この朝霧があったからこそ午前7時12分にリヨン駅に着いたデュウールサン氏が10時7分に《O探偵事務所》で倒れるまでの挙動が謎となるわけだが、むしろ第2章をまるまる費やして描かれるメイドの長いおしゃべりがさすがに読んでいるこちらにも鬱陶しくて、いささか全体のバランスを欠いているように感じられる。
本作もおそらく普通の読者は、読んだだけでは謎の全容に辿り着くことは不可能だろう。実際、本作ひとつを切り出して売り出したパロル舎版を手に取った読者のなかには、「あまりに展開が急すぎる。この本はかなり原文を縮約しているのではないか?」と訝る人もあったようだ。しかしパロル舎版も全訳であり、もともと読者への情報が決定的に少ないのである。よって本作は謎解き小説というよりも、事件が起こったことをきっかけにあれこれの人間模様が繰り広げられる、そうした展開の過程を楽しむタイプの作品となっている。
「黒人」の正体はちょっと呆気に取られるもので、私はGoogleマップでその場所の写真を検索してみた。いまサン゠マルタン通りはやや閑散とした並木道となっており、小説に書かれている住所を見てもそれらしいものはない。検索して知ったのだが、アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』の「パスキンと、ドームで」という章に、まったく同名の店が出てくる(高見浩訳の新潮文庫版では143ページ)。しかしこちらはレストランであり、しかも住所も異なるようだ。
残念ながらちょっと調べただけではイラストレーターのサッシャ・ジュプネルが挿絵で描いているような店構えは見つからなかったが、こういうところでシムノンは嘘をつかない作家だから、当時はそこに「黒人」がいたのだろう。古い写真を探してみたい気もする。
2. 映画館の暗闇のなかで、エミールが場違いな行動の男に出会うこと。
3. 懇願されると働きたがらない《O探偵事務所》が、他のことを頼まれると頑固に前の依頼をやり続けようとすること。
4. そこでエミールは、トランスが納得するしかない理屈でもって、カールトンに何度も電話をかけまくること。
5. 税関が役に立つこと、またもしワインの染みがある男がいたら、妙な顔つきを浮かべるであろうこと。
春。エミールとトランスのふたりはブリュッセルのブルケール広場が見渡せるレストランのテラスで飲み食いをしながら、いままで見たこともない赤あざの男が通りかかるのをひたすら待ち続けていた。彼らは小間使いのアンジェールという娘から奇妙な依頼を受けたのである。彼女はダンスホールで赤あざのあるデュードネという自称実業家の男と知り合い、何度も会うようになったが、あるとき奉公先のフクレール夫人が持っているミンクのコートをこっそり持ち出して出かけた。しかしデュードネはそのコートを持ち逃げして行方を眩ましたのである。それだけならたんなる強盗事件だが、アンジェールは2万フランもの大金を謝金として用意していた。聞けば奉公先のフクレール氏が出した資金で、彼は北駅に問い合わせて赤あざの男が夜行列車に乗ったことを突き止めており、《O探偵事務所》の人にブリュッセルまで追ってコートを取り返してほしいというのだった。
赤あざがあるというだけで簡単に男が見つかるとは思えない。しかも相手の提示額はミンクのコート1着を取り戻すのにはあまりに高額だ。何か裏があるのではないかと訝りつつ、ふたりはブリュッセルまでやって来たのである。
この間、パリに残っていたバルベ犬は、フクレール夫妻のことを調査し、電話でふたりに報告していた。フクレール氏は「映画の仕事に携わっている」片眼鏡をかけた御仁で、あちこちに夢のような話を持ちかけているがいささかいかがわしく、借金も嵩んでいるらしい。そんな男が2万フランも出してなぜミンクのコートを取り返そうとするのか? しかも夫人の方はといえば、映画制作会社のエリー・ウェルムスター氏の愛人で、コートも彼が買ったものであるらしい。
4日経って捜査が行き詰まったエミールはふらりと映画館に立ち寄った。すると彼の前列で、女にちょっかいを出そうとしている男がいる。なんと偶然にもそれは赤あざの男だった。しかしエミールが彼を捕まえて問い質してみると、コートはパリの北駅で自分の同棲相手であるリスクという女に預けたが、彼女はコートを持ち逃げしてしまったのだという。
リスクは飛行機で国外逃亡を図ろうとしているらしい。エミールたちはその飛行機を追ったが、奇妙なことに、今度は中継地のアムステルダムにウェルムスター氏がやってきて、もう友人のコートの件はいいから別の仕事でパリに戻ってくれと願い出てきたのだ。フクレール氏とウェルムスター氏はなぜこんなにも早く心変わりをしたのだろうか?
原題は「エミール、ブリュッセルへ行く」。今回は、いうなれば、中休みの回か。展開も緩く、ミンクのコートの謎にもほとんど意外性がなく、つるつると引っかかりなく読めるもののミステリーとしては凡庸である。
むしろ映画制作に関わる怪しげな男女が跋扈するさまが興味深い。これが書かれた当時、シムノンは自作を映画化しようと躍起になって、さまざまな映画関係者と会っていたはずである。そうした過程でいろいろと業界の裏事情にも接し、ときには嫌気が差すこともあっただろう。そんな疲弊の捌け口としてか、本作に登場する映画関係者はみな戯画化されている。一種の内幕ものである。
気になった警察用語を原文と照会しておく。少なくともこの時代のSûreté(公安)を「パリ警視庁」と訳すのは間違いだと私は思う。シムノンを読む際に混乱の原因となるので、こうした部分だけでも統一してほしいものだ。
※38ページ「ベルギー警視庁の長官」→le directeur de la Sûreté belge(ベルギー治安局の局長)
※40ページ「ベルギー警察庁の長官」→le chef de la police de Bruxelles(ブリュッセル警察の本部長)
※43ページ「オランダ警察がパリの警視庁に比肩しうることをしきりに証明したがった」→la police néelandaise pouvait supporter la comparaison avec la Sûreté de Paris.(パリの内務省治安局に)
※47ページ「トランスさんはいま警察署長のところです」→M. Torrence est en ce moment chez le chef de la police.(アムステルダムの警察本部長のところです)
2. トランスは芸術庇護者を演じようとしてか、すっぱだかの日本人のモデルに調子を狂わされる。
3. ムッシュ・エミールはわるい予感がした。しかも、それには根拠があった。O探偵事務所は、やむをえず、思いきった手をうった。
4. ムッシュ・エミールの非難にもかかわらず冷たいまなざしの男は警察の追求に抵抗した。
(榊原晃三訳)
冬の終わり。《O探偵事務所》のもとに救出を求める差出人不明の手紙が届いた。教養ある老人と思われるその文面には、自分は川沿いのどこかに閉じ込められているという。手紙を隙間から落とし、誰かが拾ってポストに入れるのを願って書かれたものだ。その内容からエミールたち《O探偵事務所》の面々はマルヌ川の畔に経つ二階建ての家屋に辿り着き、内部を捜索したが、老人はすでにどこか別のところへ連れ去られてしまったようで人影がない。ただひとつの手がかりは、なぜか老人のものと思われる白い顎髭が鋏で切り取られて落ちていたことだ。
ここ連日の雨で川は増水し、地下室も水浸しである。老人の行方はわからないが、家屋を所持する老婆から何とか話を聞き出し、その家を9年契約で借りているのはボート生活をする画家の男であることを突き止めた。船は現在、パリ西部のサン゠クルーに係留中だという。
エミールとトランスは、近くのレストランの主人に状況を聞いてから、絵画のバイヤーとその秘書を装って画家の男に接触した。男の名はジャン・ダソンヴィル、瞳は冷たい青色である。男はまさに日本人らしき若娘を相手にヌードデッサンをしているところだった。
しかしここで嘘をつき通せないトランスの性格が禍いし、相手に警戒され、追い出されてしまう。トランスは司法警察局の風紀班に協力を仰ぎ、ダソンヴィルが猥褻な絵を売っているというルートから彼の周囲を洗い出そうと努める。だがエミールの関心は違った。エミールはシャベルを持ってあのマルヌ川沿いの家屋へと再び向かったのだ。そして地下室の床を掘り返してゆく。まさにそこからひとつの腐敗死体が見つかった。それは老人のものではない。だがあの画家の男が殺人を犯したことは明白だ!
いま老人はどこに閉じ込められているのか? なぜ顎髭は切り取られていたのか? エミールは司法警察局の局長directeur de la P.J.の前で「小説家」の如き推理を披露する。
『メトロ・チケット』に続いて、榊原晃三訳によるサッシャ・ジュプネル挿絵入りパロル舎版の第2弾としても邦訳刊行された1篇。やはり読者に謎解きの手がかりを与えて考えてもらうパズル小説ではないが、展開の楽しさに惹き込まれてぐんぐん読み進めることができるので、読後の満足感は悪くない。
本作を読んでいて既視感があったのだが、自分の連載を読み返してみると、「ソンセット刑事の事件簿」(第24回)の第1作が「ラニの男Le bonhomme de Lagny」というタイトルで、本作と舞台が同じ、さらには家屋のなかで男が閉じ込められているという基本設定も同じだった。もちろん1938年のシムノンは、まだミステリー短篇を書き始めたばかりだった当時のシムノンより断然うまい。エミール、トランス、バルベ犬、ベルト嬢それぞれが持ち前の技量や伝手を発揮するので、チーム捜査の面白みも出ている。ミステリー読者のなかには、第2章でエミールとトランスが覆面捜査で画家の船に乗り込む際、あまりに準備不足なので、これで探偵といえるのか、とリアリティのなさに呆れる人もいるだろうが、このくらいの緩さがシムノンのミステリー読みものにはちょうどよいのである。捜査としては零点だが、ここのやりとりは物語としては楽しい。
最後の畳みかけも爽快である。エミールはまさに画家から「きみは小説家かい?」と皮肉られるが、冷や汗を垂らしているトランスを尻目に快刀乱麻を断つが如きエミールの推理のつるべ打ちは、読者にも有無をいわせないスピードであり、一種の様式美の観さえある。
サッシャ・ジュプネルの挿絵は各キャラクターの特徴をよく捉えており、トランスがとにかく大柄であることや、赤毛で鼈甲縁眼鏡のエミールがときには頭を抱えて脂汗を垂らしたりトランスといっしょに駆け回ったりする人物だという人間味をうまく引き出している。この「推理古典集Les classiques du polar」はシムノンの3冊の他に、コナン・ドイル『ねじれた唇の男』『青い紅玉』『ボスコム渓谷の惨劇』『ボヘミアの醜聞』『赤毛連盟』『オレンジの種五つ』、メイ&ジャック・フットレル『嗤う神像』、エドガー・A・ポー『おまえが犯人だ』、モーリス・ルブラン『赤い絹の肩掛け』が出版されたらしい。またジュプネルにはクロマニヨン人の生活を描いた絵本や著名な人類学者イヴ・コパンとの共著もあり、そちらもなかなか面白そうなので読んでみたい。
2. 世界は狭いということが改めて証明され、またエミールが有名なエウーブの墓地を思い出すこと
3. エミールは闘いに負けたとは思わず、また彼は婦人たちが開けっぴろげに、まるで少女のように楽しんでいると発見すること
4. エミールがますます天使のような忍耐力を見せるにもかかわらず、事件はまるで既成事実であるかのように彼抜きで続いてゆくこと
パシー河岸のアパルトマンに出向いたエミールは、ピットシャール夫人という老婦人から実に奇妙な調査依頼を受けた。彼女は上流階級の女性が集まるごく内輪な《老婦人クラブ》に所属しており、また彼女は毎週末に会員のひとりをパリ西郊トリエルの別荘に招いていっしょに過ごす習慣があるのだという。その順番はアルファベ順なのだが、先週サクラメント夫人を招いたとき、大雨だったので翌日もゆっくり休むよう気遣ったのだが、彼女はどうしても朝6時に出発するといって聞かない。そして翌朝、何とピットシャール夫人は、サクラメント夫人に髭が生えつつあるのを目撃し、その人物が女ではなく男であることを知って驚愕した。なぜその男は何か月も老婦人の振りをしてクラブに通っていたのだろうか。その謎を解いてほしいというのである。
クラブや別荘で何かが盗まれたという形跡はない。ならば相手の目的は窃盗ではないのだろう。クラブは男子禁制で、部屋に入れる使用人も女性だけだという。何かの情報を聞き出すために女装したのか?
エミールは事務所に戻ってトランスと相談し、人名録などを調べてみた。確かにパナマ共和国の大統領だったサクラメント夫人という人物は存在する。夫に先立たれたのでいまは未亡人のはずだ。この夫人は姪のロジータという若娘とあちこちのパーティに足を運んでは新聞の社交欄を賑わせている。だがそんな有名人が性別を偽っていることなどあり得るだろうか?
エミールは海軍兵学校時代にイスタンブールへ留学したことがあるのでスペイン語が話せる。そこでトランスの勧めを受けて、エミールはパナマ人留学生になりすまし、サクラメント夫人のアパルトマンを訪れた。しかし戸口に現れたのは思いもかけない人物だったのである。
《O探偵事務所》の所員たちは、エミールが一度も色恋沙汰を起こしたことがないと断言するだろう。かわいい秘書のマドモアゼル・ベルトはル・ラヴァンドゥーの海水浴場で彼と二人きりで仲良く二日間を過ごすチャンスに恵まれたのだが、何事も起こらなかった。(長島良三訳)
この回も傑作。なんと、忘れかけていたベルト嬢との淡い恋がここで伏線となって効いてくるとは! サクラメント夫人の家でエミールが顔を合わせた相手は、かつて留学先で知り合い恋心を燃やしたドラという娘だった! たちまちにしてエミールは思い出を蘇らせ、この美しい娘にふらふらと手玉に取られてしまった。電話を借りて戻ってくるとどこに部屋にも人影がない。しかもどんどんと扉の叩く音がして、開けると外には制服警官が集まっていた。強盗に侵入されたと通報があったのだという。何とエミールは窃盗容疑で捕まってしまう!
用意周到な逃走ぶりから見て、サクラメント夫人とロジータはすでに準備をしていたのだろう。《O探偵事務所》の他の面々もこの事件にどう対処したらよいか意見がまとまらない。だがそこへ再びピットシャール夫人から電話があって、この問題はクラブ内で解決したからもうこれ以上の調査は不要だといってきたのだ。いったいサクラメント夫人やロジータの狙いは何だったのか?
老婦人クラブのメンバーのひとりが実は男だった、という突拍子もない謎は、まさにシムノンがショートコント時代に腕を磨いてきた読者を惹きつける極上の魔法である。絵柄を想像するだけでも笑えてくるが、今後も書籍広告などで人間心理を追求したシムノンなどといった定型句が繰り返されるだろうと思われるものの、こういうあっと驚く鮮烈な謎を突きつけるシムノンの技巧も忘れてはいけない。島田荘司の小説が好きな人ならば、実はシムノンも楽しんで読めるはずなのである。
作者シムノンはエミールの過去の恋愛をフックにして彼ら登場人物だけでなく私たち読者にも目眩ましをさせ、その隙に手さばきよく見事なオチまで私たちを連れて行ってくれる。終盤には完全に構図が逆転し、だからこそ読者はたとえ作者シムノンがフェアな手がかりを与えているわけではないにもかかわらず、思わず「やられた!」と驚嘆の声を上げることになる。こういうツイストは中短篇でなければ効果がないし、メグレものでは使えない。さあ、終盤へ向けてシリーズは盛り上がってきた!
2. それはエリザベート・ゴロン夫人が確かにどこかで殺されたことを示しているが、どうやって夫人がある場所から別の場所へ運ばれたのかを立証するのは困難であること
3. カルメン・ペドレッティは不穏な告白をするが、そのときジョアンヴィルではエミールが独り言をいっていること
4. エミールが、強力な接着剤には何十もの種類があり、また男の頭も女の頭も接着剤の質次第であると知ること
2週間前、《O探偵事務所》にマリー・ドラマンという若い夫人が訪ねてきて事件調査の依頼があった。おばのエリザベート・ゴロンは夫に先立たれた未亡人だが、最近はボーマルシェ大通りでオフィスを構えるシャルル・モーパン医師のところに通い詰めで、どうも様子が怪しい。どんどん具合が悪くなっており、何か毒でも飲まされているのではないか。そしてここ数日、心配になってジョアンヴィルのおばの家を訪ねてみたが、呼び鈴を押しても返事がない……というのである。
そこで《O探偵事務所》の面々は互いに協力して、モーパン医師をエミールがチェスの勝負で足止めしている間にバルベ犬がジョアンヴィルの一軒家に忍び込んで様子を探ることにしたのである。しかし夫人の家には誰の姿も見つけられなかった。
翌日、エミールたちはトランスも引き連れて再びジョアンヴィルの家へ偵察に行った。今度は裏手の扉が開いている。2階の夫人の寝室に行くと、何と夫人はベッドに死体となって横たわっていたのである。死後2日は経っていると思われるが、確かに前日はエミールがモーパン医師を始終監視してアリバイを確認し、バルベ犬はこの家に死体などなかったことをその目で確かめているのだ。ならば夫人の死体はどこからか運び込まれたに違いないが、いったいどうやって犯人はそれを成し遂げたのか? 司法警察局のリュカ警視(原文commissaire Lucas、長島訳では「部長刑事」)も捜査に乗り出すが、手がかりがないので医師に事情聴取するほか方法がない。
司法警察局に連行されたモーパン医師(隣人からは《むっつり医師》の渾名で呼ばれている)は、当然の如く犯行を否定する。だが亡くなった夫人とは若いころ懇意で、いわば恋人同士であったことは否定しなかった。つまり旧知の仲だったわけである。リュカ警視は医師を重要参考人と見なして厳しく聴取する。もしかするとこれは夫人の遺産目当ての殺人ではないか? 医師は自分にも財産相続権があると見越して夫人に毒を注射したのではないか? だが実際には夫人の財産権は姪のマリー・ドラマンが持つだけなのだ。医師は確かにゴロン夫人に診療中注射をしたという。だがそれは精神に不安を覚える人たちを落ち着かせるため、毒にも薬にもならない海水を打っていたに過ぎないというのだ。決め手が見つからない。
だがそこへ、医師のオフィスと同じ建物に住んでいるカルメン・ペドレッティなる夫人が密かに医師と会っていたこと、ゴロン夫人死亡の当日にふたつの大きな箱を運び出していたことがわかった。ひょっとして《むっつり医師》とペドレッティ夫人は共犯で、ゴロン夫人の死体は箱のなかに詰められて密かに運び出されたのではないだろうか? そして遺産をふたりで山分けする……。リュカ警視はこの推理が正しいと確信して医師を問い詰めるが、次の瞬間、医師の拳が警視ではなく同席していたトランスの顔へと飛んだ! 続いて喚ばれたカルメン・ペドレッティ夫人も犯行を否定する。捜査は完全に暗礁に乗り上げた。しかしエミールはまだ諦めなかった。ゴロン夫人は箱に詰められて運ばれたのではない、とエミールはトランスに断言する。ではいったいどのような魔法で夫人の遺体は移動したのか? エミールの推理が冴える。
今回は何と本格的な謎解きもの。実際、よくできていて、このトリックには思い至らなかった。本作はサッシャ・ジュプネルが挿絵を担当した3作目となる。《むっつり医師》が何とも怪しげな雰囲気でのっそりと注射器を持ってこちらに目を向けている絵がうまくキャラクターを強調していて面白い。どことなくこの絵は手塚治虫にタッチが似ている。
医師の渾名《Tant-Pis》とは「(残念だが)しょうがない、仕方がない」という意味だそうで、発音をカタカナで書くと「トンピ」か「タンピ」になる。「きちがいじゃが仕方がない」はフランス語だと「Tant-Pis」になるのであろうか。ではその前は? 残念ながら『獄門島』の仏語訳は出ていないようだ。英訳するなら「Crazy, but it can’t be helped…」が妥当だろうとの意見がある(Joel Dabney Railback, Translating Gokumonto. 愛知県立大学外国語学部紀要, Vol. 26, pp. 159-178, 1993.)。なお長島訳版では、「ドクター《しょうがない》」だとわかりにくいとの判断のためか、《むっつり医者》で統一されている。
《むっつり医者》とカルメン・ペドレッティ夫人は全4章のうち早くも第2章で連行されるのであまりに真相究明が早すぎる。よってそこからのさらなるひねりが読みどころとなるわけだが、私には本作がジュプネル挿絵の本ではいちばんフランス語が難しく感じられた。本格推理ものを外国語で読むのは難しいということか。
気になった警察関連の訳文はこちら。
※51ページ「パリ警視庁の科学警察研究所の所員三人と、司法警察局の鑑識課の課員たちが、エミールと共に別荘のなかを調べている。」 →Trois spécialistes de l’Identité judiciaire, des gens de laboratoire, fouillaient avec lui la maison(司法警察局鑑識課の専門家、すなわち研究室の室員3人が)
オルフェーヴル河岸を本拠地とする司法警察局にはいくつかの課(brigadeであるから部、班、隊と訳してもよい)があり、そのなかに(メグレや)リュカ警視が所属した刑事課や、風紀課、鑑識課などがあったので、ここではパリ警視庁所属の専門家が来ているわけではないと思う。また「3人の専門家」と「鑑識課の課員」は別々の人ではなく同一人物のことを指していると思う。
※54ページ「一時間後には、エミールはトランスの後について、裁判所の屋根裏にある、司法警察局の鑑識課へ通じる狭い階段を昇っていた。」 →une heure plus tard, Emile, suivi de Torrence, montait l’étroit escalier qui conduit, sous les combles du Palais de Justice, au laboratoire de la Police judiciaire.(パリ司法宮の屋根裏にある司法警察局の研究室へ)
「オルフェーヴル河岸」と呼ばれる司法警察局の本拠地はパリ司法宮の広い建物内の一角にあるので、その屋根裏部屋を鑑識課は研究室として別途使用しているという描写である。実際の課としての鑑識課はリュカ警視たちとおそらく同じか近いフロアにあるが、薬品類を扱う研究室は屋根裏に設けられているということだろう。ジュプネルの挿絵ではいかにも屋根裏らしく傾いた天井と陽射しを取り込む小さな天窓が描き込まれている。
2. 私たちは《O探偵事務所》の面々が〈家族として〉、トランスの言葉を借りれば「生きているうちでもっとも苦しい時間」の生き方を自覚するのを見ること
3. バルベ犬が奇妙な仕事の老人に繋がり、そして捜査線の切っ先に辿り着くが、かえってひどい返り討ちに遭うこと
4. かの善良なトランスが、再び涙を流しながら、まるで優等生の表彰式の司会者であるかのような顔をすること
物語はショッキングな場面から始まる。あるカフェにトランスが呼び出されてひとりの男と差し向かいに座った。トランスは男に文書を手渡し、彼は男から現金の詰まった封筒を受け取る。だが次の瞬間、トランスは司法警察局の刑事たちに取り押さえられていた。あろうことか、その名を轟かす《O探偵事務所》の所長が、恐喝の現行犯で逮捕されたのである。
だが事務所に電話がかかってきたとき、エミールがとっさに機転を利かせたおかげでトランスは司法警察の局長からわずかな情状酌量と時間的猶予を得ることができた。恐喝の嫌疑を晴らすためにはトランスが、そして《O探偵事務所》全員が力を合わせて、罠を仕組んだ真犯人を捕らえなければならない。
トランスがカフェで会った男はもともと2週間前に事務所へやってきた依頼人、彫刻家のT…であった。彼はいくらか複雑な事情をトランスらに語った。T…はイポールから1キロ離れた生まれ故郷の断崖の上に別荘を建てて、そこで18歳になる娘エヴリーヌと暮らしている。妻は10年前に亡くなっており、彼はやもめである。だが数週間前から、いかがわしげなよそ者のエヴィアンという男が姿を見せ、いつの間にか娘を自分のものにしていたことがわかったのである。その現場に出くわした彫刻家は、激情のあまり男を燭台で殴りつけ、相手を殺してしまった。彼は死体を断崖から落として犯罪の痕跡を隠滅したが、むしろ地元警察に自供したいと思っていたのだという。しかし経緯を告白すれば、可愛い娘が「殺人者の娘」として世間から辱めを受けることになってしまう。
そこで《O探偵事務所》を訪れたT…は、トランス所長に懇願してその場で自白書を書いてもらい、金庫で預かっておいてほしいと頼んだ。トランスはその通りにしたのだが、なぜかそれから4日後、T…は《O探偵事務所》の名前が入った便箋を受け取り、「いま事務所は財政状態が悪いので2万フランを要求する」と落ち合い場所を指定されたのである。探偵事務所が依頼人の秘密事項をネタに恐喝を働いたことになる。
T…は仕方なく、指定の場所で見知らぬ男に金を払った。しかし間を置かずまたしても同様の恐喝文書が《O探偵事務所》から届き、さすがに彼は司法警察局に連絡して対応を要請したのである。その結果、のこのことやってきたトランスが捕まったというわけだった。
《O探偵事務所》のトランス、エミール、バルベ犬、そして秘書のベルト嬢の4名はみなこの依頼事案を知っていた。だが互いに語り合ったことは一度もなく、ましてや他人に軽々しく話すはずもない。なのに恐喝者は明らかにT…の依頼内容を正確に知っていたことになる。《O探偵事務所》のなかに裏切り者がいるのか? エミールを始め《O探偵事務所》の全員は分裂の危機に陥った。
エミールはこの恐喝が、かつてトランスの功績によって刑務所へ送られた者が復讐のために仕組んだものだと推測し、寝る間も惜しんで懸命に事務所内の古い書類を当たる。バルベ犬は街へ飛び出し必死で手がかりを求め歩く。エミールの書類調査だけでは候補者を絞り込めない。やがてバルベ犬の活躍で敵の正体に近づくことができたが、バルベ犬は襲撃を受けてしまう。時間は刻々と過ぎてゆく。焦るエミールは事務所を飛び出すが、その直後、秘書のマルト嬢は深手を負ってソファに横たわるバルベ犬に拳銃はないかと突然いった。そして銃を手に取ると駆け出していったのである! はたして《O探偵事務所》の名誉は回復するのか?
まさに最終回にふさわしく、読者のページをめくる手を決して休ませない秀作である。《O探偵事務所》の4名がみなそれぞれの特技を駆使してトランスの無実の罪を晴らそうと奔走するさまはどれも魅力に溢れているが、とくに作者シムノンから提示されるカギは164ページ、事務所の書類を一心に調べて夜を明かしたエミールに、出勤してきたベルト嬢が優しく「ひげぐらいは剃りに行ったほうがいいわ……(中略)アドルフを呼んであげましょうか?」と気遣いの声をかけるシーンである。アドルフとは《O探偵事務所》が入っているビルの1階で店を開けている理髪店の主人の名前だから、何とここで第1作「エミールの小さなオフィス」冒頭で書かれた事柄が事件解明の伏線として起ち上がることになる! これが効果的なので、最終的に示される真相はまず読者が絶対に推測できない類いのものだが実に見事だと感じられるし、加えて物語の終盤、ベルト嬢が見せるその果敢な勇気と行動力には素直に感動できるのだ。エミールとベルト嬢の淡い恋物語もここで大団円を迎える。「普通に面白い」とは実は極上の褒め言葉であるが、これほどこの言葉が似合うシムノン作品もなかなかない。
《O探偵事務所》全員の署名のついた、この夜の食事のメニューはどこかにまだ残っている。(長島良三訳)
こんな名文がさらりとラスト近くに現れるのが、「ああ、シムノンを読んだな」という充足感そのものなのである。本連作はまだメグレもロマン・デュールも読んだことがないという読書家にこそお薦めできる、うってつけのシムノン入門編といえるだろう。
*
さて、ここで注意を促しておくべきことがある。本連作は長島良三訳で読売新聞社から全4冊で刊行され、そのうち第2巻と第4巻の巻末には長島氏による「エッセー」「訳者あとがき」が付されており、また各巻の帯にもこの長島氏の解説に基づいた惹句が採用されているのだが、どうかこれらの解説文の内容は信用しないでいただきたい、ということだ。
これまで何度も述べてきた通り、長島氏は《ハヤカワ・ミステリマガジン》の編集長を務めた人物であり、その後もシムノンの小説を多数翻訳紹介して、日本にシムノンを普及させた最大の功労者であるといってよい。そして私が読んで感じる限り、フランス語の翻訳の技量も悪くはない。いまもシムノン作品の多くが古さを感じさせずに日本語で読めるのは長島氏のおかげであるといってよいほどだ。
しかし、どうかご注意いただきたいのだが、長島氏はシムノンの評論家ないし研究家としては決して優秀とはいえなかった。フランス語の文献でちょっと見てきた情報を裏取りもせず安直に雑誌や本のあとがきに書いて紹介し、結果的にかなり多くの誤情報を日本に定着させてしまったという負の側面があったからである。いまハヤカワ・ミステリ文庫でメグレものの新訳版が刊行中だが、その第1弾『メグレと若い女の死』の巻末解説を担当したフランス文学者の中条省平氏ですら、長島氏が過去に悪意なく書き残した誤情報に躍らされて間違いや勘違いを記してしまっている。大学教授ならフランス語の原典に直接当たって確認すればよいものを、その手間を惜しんだがゆえに何十年も前に解決したはずの誤情報がまた蘇ってしまっている。
日本でよく語られがちな誤った〝シムノン伝説〟を改めて列挙しておこう。
※映画『十字路の夜』があまりにもわけのわからない内容なのは、どこか途中のフィルムが1巻抜けているからである。 →現在日本で流通しているヴァージョンで完全版。蓮實重彦氏らが冗談で語ったことが事実として拡散してしまった例。
※シムノンは日本のTVドラマ《東京メグレシリーズ》に出演した市原悦子が、メグレ夫人を演じた女優の中では最高だと語った。 →メグレ生誕記念としてシムノンが地元紙に寄稿した短いエッセイにこの話が出てくる。曰く、メグレは世界各国でドラマ化されており、最近は日本でも放送されているほどだ。日本のメグレ夫人はとてもチャーミングなので日本のメグレの俳優が羨ましい、といった主旨のものだが、シムノンの文章内に女優の名前は明記されていない。おそらくシムノンは目暮警視役の愛川欽也と、バーのマダム役でレギュラー出演した佐藤友美のツーショット写真を見て、佐藤友美をメグレ夫人役だと勘違いしたのだと思われる。その証拠写真はメグレ愛好家スティーヴン・トラッセルのウェブサイトに掲げられている。「with Sato Tomomi in the role of Madame Maigret」という雑誌のキャプション部分に注目のこと(https://www.trussel.com/maig/gauteure.htm)。『運河の家 人殺し』の巻末解説も参照。
※メグレの役職は「警部、後に警視」。 →日本では「警視、後に警視長」と訳すのがよいと思われる。
とくに最後の「メグレは警部か警視か」問題についてはこれまで日本で明快な回答が示されておらず、読者も訳者も評論家も非常に混乱した状況が続いてきた。たんに訳語の選択の問題だ、どっちでもいいのだ、と軽んじられてきた節も見受けられる。
そのため今回、新訳の『サン゠フォリアン教会の首吊り男』が刊行されるのを機に、限られた時間内ではあったができる限りの調査をして、この問題に一定の回答を与えることができた。詳細は『サン゠フォリアン教会の首吊り男』【註1】の巻末解説をご覧いただきたいが、「commissaire Maigret」はやはり日本語では「メグレ警視」の表記がもっとも適切であると個人的には考えている。その理由を知るにはフランス国家警察の長い歴史経緯を振り返る必要がある。イギリスやドイツなどとは異なるフランス独自の歴史性ゆえにメグレは「警視」なのである、ということを今回は示せたつもりだ。古くは『レ・ミゼラブル』のジャベール警部や、あるいはベル・エポック時代から第一次大戦にかけて活躍した《怪盗ルパン》シリーズのガニマール警部と、シムノンの書いたメグレ警視は、異なる所属の異なる職務に就いていたと考えられるからである。
残念ながら日本には、メグレものが書かれ始めた1920年代から1930年代のフランスの警察機構を専門とする大学研究者がいないらしい(探したが見つからなかった)。またシムノンを専門に研究している現役大学人も日本にはいない。新型コロナで大きな問題となった「専門家とはいったい何か」という問いにも通じるが、ミステリー評論家のいうシムノン論がすべて正しいとは限らないし、フランス文学者の書くシムノン紹介文がすべて正しいとも限らない。彼らは「シムノンの専門家」ではないからである!
フランス国家警察や司法警察の歴史については、まず何よりもフランス内務省が提供している以下の公式ページを読むのがよい。これだけでかなりの疑問が解消できる。現在は自動翻訳ソフトもそれなりに活用できる時代であり、フランス語だからといって敬遠する必要はない。
■フランス国家警察の歴史
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Presentation-generale/Histoire
■フランス司法警察の歴史
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation/Direction-Centrale-de-la-Police-Judiciaire/Histoire-de-la-police-judiciaire
日本のWikipediaの「パリ警視庁」項目(https://ja.wikipedia.org/wiki/パリ警視庁)には、「本庁がある区域名から、(特にパリ地域圏司法警察局が)「オルフェーヴル河岸36番地、あるいは単に「36」(トラント゠シス)と通称される(東京警視庁が「桜田門」、ロンドン警視庁が「スコットランドヤード」と呼ばれるのと同じ)。」と記載されているが、これは間違いなので注意されたい。ここで参考文献として挙がっている書籍、ロベール・ブルッサール『人質交渉人』を実際に見てみると、ブルッサール元警視はパリ司法宮の南側に本拠地を構える司法警察局に勤務していたのであって、パレ通りを挟んでパリ司法宮の前に建つパリ警視庁本庁舎に勤務していたのではない。ブルッサール元警視はあくまで司法警察局を「オルフェーヴル河岸36番地」とか「36」と呼んでいたのであって、ブルッサールの本にはこの通称がパリ警視庁la préfecture de police de Parisを指すとは書かれていない。Wikipedia執筆者の誤認である。ちなみにパリ警視庁の現住所は「1 bis Rue de Lutèce 75004 Paris」。パリ、リュテス通り1-2番地である。リュテス通りとはパリ警視庁本庁舎の北側に面した通りの名前。
フランス国家警察全体の歴史については、私がいくつか集めた限りでは次の本がもっとも参考になる。フランスの警察小説を訳したり論じたりしている人は一冊所持しておいてよいと思う。
■Jean-Marc Berlière et René Lévy : Histoire des polices en France : De l’ancien régime à nos jours, Nouveau Monde, 2013.
シムノンは1933年に当時の司法警察局局長であるグザヴィエ・ギシャールXavier Guichard(1870-1947、翌1934年にスタヴィスキー事件の責任を取って局長の座を降りる)の招きを受けてオルフェーヴル河岸を取材し、そのとき知り合ったマッス警視commissaire Masseと、当時その書記官(秘書)で後に名声を上げるマルセル・ギヨームMarcel Guillaume(1872-1963)警視をモデルとして、それ以降の作品ではメグレの経歴を設定し直した。たとえば、警視になる前は街の警察署長の書記官(秘書)をやっていたという設定は第三期作品の『メグレと若い女の死』でも記されるが、こうした設定はおおむねマルセル・ギヨーム警視の実際の経歴をアレンジして当て嵌めたものである。よってマルセル・ギヨーム警視の回想録も私たちには参考になる。とくに以下の書籍は序文担当者によってパリ司法警察局の歴史もうまく概説されているのでお薦めである。
■Marcel Guillaume: Mes grandes enquêtes criminelles: Mémoires, Équateurs, 2021.(原著2005)
さらにフランス語における官職名をどう訳すかという問題だが、私は次の非売品文書を見つけることができた。ここに官職名の訳語対応一覧表が載っている。人事院発行の公刊物であるから、私は(少なくともフランスでパリ警視庁と内務省警察局が統合された1968年以降の作品は)この訳に従うのが妥当だと考える。この表ではcommissaireは「警視」となっている。【付録93-1】参照。
■人事院給与局研究課『フランスにおける警察官に関する諸規定 (任用給与定年等) 外国資料No. 3』1970年10月付の小冊子
それで本作《O探偵事務所》に付された長島解説の件である。長島氏は第4巻の解説で、次のように本作の書かれた経緯を説明している。
パリが解放され、第二次大戦が終熄すると、シムノンは待ち構えていたかのように、アメリカへ家族そろって移住する。その後十年間、滞在することになるのだが、それを機にアメリカのミステリーを
原文 でつぎつぎと読破していく。もっとも強烈な印象を受けたのがダシール・ハメットである。とくにハメットの簡潔で、鋭利な文体には深い影響を受け、ハメットの名探偵コンチネンタル・オプとサム・スペードのような私立探偵シリーズを自分も書きたいと思いはじめた。十年間の滞在を終えて帰国したシムノンがまず書いたのが、本書のトランス元刑事が「O探偵事務所」の所長をつとめるこのシリーズである。
流れるように滑らかな説明文なのでつい信じてしまうが、まず本連載第92回で示した書誌情報を見ていただきたい。シムノンが本連作を書いたのは1938年6月であり、まだ第二次大戦は本格的に始まってさえいない。読みもの誌に連載されたのは1941年、書籍刊行は1943年であるから、戦時中にはもう公刊されていたことになる。おそらく長島氏はフランスで出ていたシムノンの伝記や記事を拾い読みしてこうした知識を身につけたのだろうが、参照したその伝記や記事の著者が正しいことを書いているとは限らない。だから二重三重に事実確認をしなければならないのだが、長島氏はその作業を怠る悪いクセがあった。しかも晩年になるとまるで自分自身がシムノンと一体であるかのように、シムノンの生涯を語ることさえあった。そして、その間違いを、当時の読者も評論家も編集者も翻訳家仲間も誰も正さなかった(ように見える)のは極めて残念なことである。決して「忖度」ではなかったのだろう、だが私たち日本人は正しい(適切な)シムノン情報を後世に伝えるのに失敗した。
シムノンは確かにハメットを好んで読んでいたらしいが、その時期がいつだったのか、私はまだ詳細に文献を当たっていないので不明である。もし本連作がハメットの影響を受けて書かれたのならシムノンは第二次大戦前にハメットを読んでいなければならない。読売新聞社版の翻訳本では帯にも長島氏の見解を受けて「シムノンのアメリカン・ミステリー研究の成果が見事に結晶した連作短篇集。」(第2巻)と書かれているが、この惹句そのものがおそらくは間違いだということになる。私たちは人工知能ではなく人間なのであるから、自分でちゃんと調べものをしてから文章を書こう。軽々しくTwitterなどに知ったかぶりの誤情報を流すのはやめよう。
長島氏は第2巻の巻末エッセイで、自らのシムノンとの出会いを述懐している。だがここにも実はおかしな記述があるのだ。このエッセイでは初めて手に取ったシムノン作品は『メグレと若い女の死』と『メグレと殺人者たち』であった、と書いているのだが、他にも長島氏が翻訳したシムノンの本をお持ちの方は、氏のあとがきをいくつか当たってみてほしい。別の本には最初に出会ったシムノン本として別の書籍名が挙がっているのである。
人間誰しも間違えることがある。ましてや歳月を重ねると誰しも記憶は曖昧になる。幻の記憶に囚われて、それが事実だと思い込むようにさえなってゆく。シムノンは晩年、手紙をくれた読者に定型の返事を送っていたようだ。そこには「どのようにしてメグレは誕生したのか?」というお決まりの質問に対する答が書かれており、長島氏もその手紙を受け取って訳出紹介している。だが『怪盗レトン』はシムノンが語るようにオランダのデルフゼイルに打ち棄てられていた平底船のなかで書かれたのでは〝ない〟ということが、すでに1989年の論文で指摘されている。作家自身が語ったからといってそれが必ずしも事実とは限らないという一例である。
最後に、メグレに興味のある人は、ぜひ大のシムノン愛好家ふたりが書き下ろした次の書籍を所持しておくことをお薦めしたい。メグレの身長は? メグレは何年から何年まで勤務した? メグレ夫人の姉妹の名は? メグレの好きな食べものや飲みものは? メグレはいつもどんな服を着ている? 部下にはどんな人たちがいる? およそあなたの知りたいトリビアのほぼすべてが、この本を読めば正確にわかる。英語で記述されているのでいくらか読みやすいのも私たち日本人にはありがたい。もちろん今後シムノンの作品を評したり論じたり訳したり編集したりする予定のある人も、この本を持っていて損はない。
■Murielle Wenger and Stephen Trussel: Maigret’s World: A Reader’s Companion to Simenon’s Famous Detective, McFarland, 2017.
【註1】
今回の新訳版では「
▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ 同名、マルク・シムノンMarc Simenon他監督、ジャン゠ピエール・ムーランJean-Pierre Moulin、Pierre Tornade出演、全13話、1968[仏][2を除く全13話か]
1. Le prisonnier de Lagny[11]
2. L’homme tout nu[3]
3. Les trois bateaux de la calanque[7]
4. La cage d’Émile[1]
5. Le docteur Tant-Pis[13]
6. Le Club des Vieilles Dames[12]
7. L’étrangeur de Montigny[モンティニーの絞殺者][5]
8. La petite fleuriste de Deauville[8]
9. Émile à Cannes[エミール、カンヌへ行く][10]
10. L’arrestation du musicien[4]
11. Le vieillard au porte-mine[6]
12. Le ticket de métro[9]
13. Le chantage de l’Agence O[14]
瀬名 秀明(せな ひであき) |
---|
1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
■最新刊!■ |
■最新刊!■
■瀬名秀明氏推薦!■