■ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『止まった時計』 (国書刊行会)■

 
 これは事件だ。
 あの怪傑作『赤い右手』の作家、ジョエル・タウンズリー・ロジャースのコレクション全3巻の刊行が始まった。本企画実現の契機は、1997年に邦訳された『赤い右手』(《世界探偵小説全集第24巻》) (1945)と昨年刊行された『恐ろしく奇妙な夜-ロジャーズ中短編傑作集』(《奇想天外の本棚》) がともに読者の好評をもって迎えられたこと、双方の版元である国書刊行会がロジャーズの作品世界に強く関心を寄せ、継続的訳出紹介を訳者に提案したことと、訳者あとがきにある。国書刊行会ならではの英断である。既刊の二冊に魅了された読者なら強く支持したい。
 本書『止まった時計』(1958) は、ロジャーズの実質上四作ある長編の四作目であり、残りの二編も本コレクションで紹介されるという。
 
 かつて絶世の美人女優として一世を風靡した人妻ニーナ・ワンドレイがワシントンDCの自宅で何者かに襲われ、瀕死の重傷を負った。薄れゆく意識の中で、ニーナは何者かがとどめを刺しに襲ってくるのではないかと恐怖する。襲撃事件の直前には、既に異国で果てたと思われていたニーナがこの地に生きていることが発覚しており、複数の元夫たちがニーナのもとを訪れていた。物語は、ニーナの数奇な運命と現在を往還し、驚きの真相へ向かう。

 全体としては、サスペンス色が強い作品。そのサスペンスは、既に瀕死の重傷を受けているニーナの行く末、ニーナを殺害するという強烈な動機をもっている人物は誰かという謎、そして、数奇ともいえる彼女の人生がどのように現在とつながっていくのかという興味に基づく。
 ある女の半生への興味が本作の重要な特徴で、ニーナの回想のみならず、今の夫や元夫たちの回想に入り込んだりと、叙述の視点は彷徨いながら、ニーナの人生をパズルのピースを組み合わせるように再構成していく。この辺は、やはり技巧派だったパット・マガー『四人の女』(1950) や、ビル・S・バリンジャー『煙で描いた肖像画』(1950) を想起させもするのだが、これらの作品にみられる洗練を投げうったような強烈さを感じさせるのが、ロジャーズで、ニーナは、アジアのボルナック藩王国(架空の王国)の白人藩王夫人になったり、日本軍の攻撃を受け熱帯雨林の山奥に潜んでいたり、ソ連の秘密警察幹部との秘密の生活などなど、波乱万丈の人生が浮かび上がってくる。
 こうしたニーナの数奇な人生に筆をとられすぎの感もあるが、本書のミステリとしての意外性は十分。往還する叙述の中、後半の入り口で犯人が明らかにされるが、ニーナの生涯に費やされた叙述が迷彩となり、しかも犯人の計略にも密接に絡んでくるところが、驚きの度合いを強くしている。伏線や手がかりも十分に配置されており(動機にもつながる見事な伏線もある)、探偵役に相当する人物も登場するから、なぜ、フーダニットの形式で犯人の暴露を最後まで待たなかったのは疑問が残るが、作者としては、犯人が明らかになって生まれるタイムリミット・サスペンスを優先したというところだろうか。
 犯人の造型も、同時代の作品との関連を思わせ興味深いが、ストーリーの進展に連れ、それまでの人物のイメージが反転していくところも優れた点だろう。
 メインの謎のほかにも、作者はあちらこちらで様々な伏線回収を行っているが、これがいかにもロジャーズ流で、『赤い右手』と同様かそれ以上に、偶然が多用されている。ニーナの最後の映画『止まった時計』が事件の大枠をなぞっているなど、いかに小説としても納得できないほどの偶然が相次ぐが、それが眩暈めいた幻惑的効果を挙げていることは否定できない。
 作者の筆は、結末に向け加速し、途中で出現する死人への言及を忘れてしまっているほどだが、これも小説に込めた熱気ゆえと前向きに許したい。
 小説の底流には、『マイ・フェア・レディ』的な自らがつくり上げた美神に恋をしてしまうピュグマリオン・コンプレックスがあるが、ピュグマリオンが出てくる『変身物語』には、つくり上げた人形について「技巧で技巧を隠す」(技巧とは思えない自然さ) という表現があるようだ。そのならいでいくと、本書は、技巧で技巧を超える過剰さをもった小説といえないこともない。
 時空を超えた女の一生、全編を覆う不穏とサスペンス、真相の驚きが三位一体となった小説で、随所にみられる洗練を捨てた過剰さもこの作者ならでは。『赤い右手』の作者にしか書き得ない作品だ。
 
■ローレンス・ブロック『エイレングラフ弁護士の事件簿』 (文春文庫)■


 ローレンス・ブロックは、私立探偵マッド・スカダーシリーズや泥棒バーニイシリーズなどで、もはや米国ミステリ界の巨匠の地位を獲得しているが、短編の名手であることも、つとに知られているところ。ハヤカワ文庫の『おかしなことを聞くね』に始まるローレンス・ブロック傑作集3冊や殺し屋ケラーシリーズの短編で、その切れ味に唸った読者も多いだろう。エドガー賞の最優秀短編賞を実に四度受賞していることでも、その実力は証明されている。
 本書『エイレングラフ弁護士の事件簿』(2014) は、1978年のEQMM掲載の第一作を皮切りに書き続けられている短編シリーズ。前記の傑作集にも数編が訳されていたが、本書にシリーズ全短編12編が収録されている。
 作品成立の事情は、あとがきに詳しい。エラリー・クイーンの片割れでEQMMの編集長だったフレデリック・ダネイは、「アブナー伯父」物が著名なメルヴィル・デイヴィスン・ポーストの生み出した弁護士ランドルフ・メイスン物の衣鉢を継ぐ犯罪弁護士のシリーズを企画し、その書き手を探していた。ランドルフ・メイスンは、法の抜け穴を突くいわゆる悪徳弁護士のハシリで、その第一の事件簿は、『ランドルフ・メイスンと7つの罪』(1896)として邦訳されている。若きE.D.ホックがその書き手として推奨されたが、出来上がった短編をダネイは気に入らず、その企画は頓挫することになる。その事情も知らず、ランドルフ・メイスンの名前も聞いたことのなかったブロックは、四半世紀後、第一作「エイレングラフの弁護」をEQMM誌に投稿、その作品はダネイの眼鏡にかない同誌に掲載された。掲載誌のキャッチコピーに「ランドルフ・メイスンの後継者」とつけたのはダネイと思われるが、意図せず四半世紀ぶりに自らの構想が実現した編集者の高揚が伝わってくる。
 成立の事情が長くなったが、ミステリの伝統を常に意識する編集者と作家の無意識がうまく噛み合って傑作シリーズが生まれた一例だろう。
 エイレングラフは、完全報酬制の犯罪弁護士。法外の弁護料を要求するが、被告人が有罪判決を受けたときには一銭ももらわない。被告人が仮に真犯人であっても、「わたしの依頼人はもともと無実」がモットー。この辺、「自分の依頼人はすべて無実である」が口癖のクルック弁護士 (アントニイ・ギルバートの作品『薪小屋の秘密』など) にちょっと似ているが、エイレングラフのモットーがいかに破天荒な思考に裏付けられているかは、作品が示している。
 第一作「エイレングラフの弁護」は、こんな話。
 フィアンセ殺しの罪で勾留中の息子の母親がエイレングラフの事務所に訪れ、息子の無実を訴える。エイレングラフは成功報酬制について説明したあとで、一番の成功は、無罪判決ではなく、裁判にすらならないことだと言う。法廷での丁々発止や反対尋問は、世のペリー・メイスンにまかせておけばいい。自分は弁護士というより探偵である、と。そして、仮に十分後に地方検事が自発的に起訴を取り下げたとしても、報酬は払わなければならないとも。一か月後の次の場面では、再び、事務所を訪れたその母親とエイレングラフの会話が描かれる。
 次第に明らかになるタネ明かしに、読者は驚き、衝撃を受けるだろう。行間からは、エイレングラフの黒い哄笑が聞こえてくるようだ。
 エイレングラフの「方法」を明らかにした点で、この一作にシリーズのすべてが詰まっているといっていいのだが、その後も、同工異曲にならないように、作者は、あの手この手で、エイレングラフの尋常ならざる活躍を描いている。特に、詩人の依頼人を扱った「エイレングラフの義務」は、第一作と並ぶ名編と思われる。
 シリーズのお約束がしっかりしている点も、小説としての魅力を高めている。必ず一編の詩句がエピグラムとして掲げられ、事件のどこかで詩の愛好家であるエイレングラフが詩を引用し、それが事件とうまく照応している。洒落者のエイレングラフの服装が丹念に描かれ、大事な場面では毎回「勝負服」を着ている。法廷の場面は一切なく、エイングラフが無罪を勝ち取るための行動はまったく描かれない。これらのリフレインが、読みやすく切れ味の鋭い作品のリズムを生んでいる。
 プロットの面では、支払いをためらう依頼人への対処、資産のない依頼人への対処、まだ犯罪を犯していない依頼人等毎回変化をつけており、ブラックな味わいは維持される。量産できるようなタイプの短編ではないので、36年にわたり書き継がれてきたのもうなづける。
 ときに、残酷すぎる印象を受ける作品もあり、EQMM誌掲載がボツになった「エイレングラフの選任」は確かに関係者の一人は気の毒すぎるかもしれない。
 エイレングラフの行動には嫌悪を催す読者もいるかもしれないが、こうした題材を扱って洒脱な連作に仕上げたのは作家の力量というもの。
 『クイーンの定員』が21世紀にも続いていたら、確実にその殿堂入りした短編集だろう。

■ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』(国書刊行会)■


 もしかして座礁? とも思っていた〈ドーキー・アーカイブ〉3年ぶりの新刊。まずはめでたい。
 最新刊は、ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』(1986) 。タイトルもそれ風だし、帯には若島正氏の〈ノンセンス哲学SFミステリ奇想小説〉という言葉もあるが、普通の意味でのミステリでは、もちろんない。
 作者は、ポーランド生まれ。二次大戦前は、画家・イラストレーターの妻と絵本や実験映画の製作などを行い、ポーランド前衛芸術運動の中で名を馳せた。その後、英国へ移住。1948年には出版社を立ち上げ、自身の英語による小説を含む個性的な作品を上梓。本書は、テメルソンの作家としてのキャリア後期に属する作品で、この作家の作品自体本邦初紹介となる。
 面白い。へんてこな小説を愛好する方には、ごちそうともいえる作品だ。

 英国の文豪が列車の中で頓死する。残された妻と女秘書は、恋人同士になり、スペインのマヨルカ島に移住。そこに爆破事件で下半身不随となった哲学教師とその妻子、女占い師と息子の天才少年、さらにポーランド出身の老女レディ・クーパーやカサノヴァ大尉と呼ばれる男、気ちがい帽子屋などが入り乱れ、やがて、舞台は社会主義政権下のポーランドに移っていく。

 あらすじを書いたところで、あまり意味はないのだが、各所にみられる奇想、筋の逸脱や、哲学・歴史・数学などを巡って繰り広げられる問答や思惟自体を楽しむ小説だ。といっても、小難しい小説ではなく、文書は平易、会話には艶があり、奇人揃いで、曲折する筋の先行きが楽しみな小説でもある。
 人生の機微に触れる部分もある。作家の死後、妻と女秘書が向き合い、恋に陥るシーンの表現は見事だし、哲学教師の妻(地球は別に存在すると思っている)がカサノヴァ大尉のところでした懇願には息を呑む。ポーランドの従順なはずだった運転手の一言は突き刺さる。
 考察の面白さという点では、12歳になったらオックスフォード大学で数学を専攻することになっている天才少年のユークリッド批判、「ユークリッドはマヌケだった」という論文はセンス・オブ・ワンダーを感じさせる。
 テメルソンのチェスタトン志向は、哲学教授にチェスタトン=ブラウンという作家と探偵からなる名前を与えており、作中人物がチェスタトンそのものにも言及しているところからも、明白だが、本書にはチェスタトン流のパラドックスも散りばめられている。例えば、「信仰から遠く離れたつもりでも実はとても近くにいる」「手相を見るためには現象に気づいてはならない」「知的で誠実な外国のスパイに来てほしい」「作り話をするのは真実を伝えるために嘘をつかなければならないから」「完全であるためには、システムは不完全でなければならない」後ろから三つはポーランドに舞台に移してからの言及だが、社会主義体制の矛盾を鋭く突いてもいる。
 ポーランド国内でのレディ・クーパーとかつての友人であり今は政権中枢にいる「些末大臣」との長い対話は、この小説の白眉であり、奇想とパラドックス、現実が混淆した面白みがあり、さらにいえば人を統治するシステムへの苦い認識がある。
 ミステリとあえていう必要もない作品だが、この作品には良質なミステリに接近する瞬間がある。それは、ポーランドでの対話の中で、一見関連のない出来事や人物たちを全部つなぎあわせる意外なミッシングリンクの存在が指摘される場面、続いて、愛国の騎馬像建設の話が現在の問題 (天才少年の遺灰の回収)に「風が吹けば…」式に数珠繋ぎにつながっていくというアクロバティックなシナリオが語られる場面だ。
 海図もなく絶えず拡散していくような話でありながら、伏線回収的に収束していく物語にもなっているところが、ミステリ好きにも美味だ。
 作者は、シムノンが好きらしく、「あらゆる偶然の一致を読み解くためには、シムノンのような人がいないと」その一方で、「シャーロック・ホームズなんて紙の張子パピエ・マシエのお人形さん」「あなたのお国のシャーロック・ホームズはなんにもわかっていません。特に女のことはね」とある登場人物に言わせており、ミステリにも見識がありそうだ。
 というようなことを置いておいても、多様に愉しめる作品だ。本書の登場人物のいくばくかは、同じ作者の別作品に登場するとのことであり、そちらも、いずれ翻訳で読みたいものだ。

■アルフォンス・ベルティヨン・他 『英国犯罪実話集3』(ヒラヤマ探偵文庫)■

(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/1152/p2-r15-s3/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ヒラヤマ探偵文庫から『英国犯罪実話集3』が発刊された。『英国犯罪実話集』『英国犯罪実話集2』からあまり間を置かない発刊であり、既刊は好評のようだ。
 今回も、『ストランド・マガジン』に掲載された犯罪関係の記事を中心に編まれ、切り裂きジャック事件直後に発行されたパンフレットの全訳も併せて収録されている。
 「小説のような犯罪実話譚」として、二人の有名スコットランド・ヤード刑事の体験談が冒頭を飾り、続いて「エジプトの「シャーロック・ホームズ」」として、“ベドウィン族追跡者”と呼ばれる、痕跡を正確に観察記録し、そこから正しい解釈を導き出す異国の一団の捜査方法が描かれている。「証言の価値とは何か?」は、ジュネーブ大学心理学研究所長による記事で、健康で良心的な人の証言であってもいかに信頼がおけないかが実験心理学の手法を使って明らかにされている。
「最新犯罪捜査法グロス・システム」は、オーストリアの犯罪科学者ハンス・グロス教授の生み出した捜査システムの現地レポート。犯罪見取り図の作成から血痕の読み解き方まで、犯罪捜査に自然科学の手法を導入した教授の手法は多岐にわたり、その後のミステリ作家のインスピレーションの元にもなった。
 犯罪捜査に、ベルティヨン式人体測定法という犯罪者(個人)識別システムを導入したアルフォンス・ベルティヨン自身による「ラッフルズは実在するのか? 紳士強盗の伝説」というエッセイもある。20年にわたり、50万枚以上の身元確認カードを作成した経験から「元紳士の玄人の強盗には一人も出会ったことがない」とバッサリ。生まれのいい人間が他人の持ち物を欲しくなったとき、まず考えるのは「かなてこ」ではなく、「闇金融」であるという。なるほど。紳士強盗の伝説がなぜ生まれたのかについても興味深い考察がされており、ナポレオンの将軍セントヘレナ伯爵を殺して本人に成りすましたコイニャールという実在の男の冒険が、バルザックの『人間喜劇』に登場するヴォートランの造型に影響を与えたと推測している。「紳士強盗」はいずれも、このヴォートランの子孫であるとベルティヨンはいう。
 ほかにも「犯罪者は外科手術で治癒できるのか?」という今となってはゾッとしない(する)記事、英国刑事法廷の仕組みと課題をエッセイ風に綴った「裁判所の風景-刑事法廷」、ピンカートン社の勃興と活躍を描いた「世界最大の探偵事務所ピンカートン社の歴史」がある。
 最後のパンフレットの翻訳「犯罪と犯罪者の記録」は、樽から出た死体が発覚のきっかけになった「ハリエット・レーン殺人事件」、切り裂きジャック事件を扱った「ホワイトチャペル殺人事件の全貌」から成っている。後者は、現在では、「切り裂きジャック」の犯行とはみなされないことが多い殺人事件が入っていたり、真犯人として最も納得のいくとされているロシア人の人物が実在の人物ではなかったりと、粗い記述もみられるが、事件から七年しか経っていない時期の記録として貴重なものであり、事件が起きたホワイトチャペル地区の劣悪な環境、市民が巻き込まれたパニックと興奮も生々しく描かれている。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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