■ナイオ・マーシュ『楽員に弔花を』(論創社)■

 『楽員に弔花を』(1949) は、ロデリック・アレン主任警部物の第15作目の長編。第一作『アレン警部登場』(1934) から15年、ミステリ作家としても脂の乗った時期の作だ。
 ナイオ・マーシュといえば、演劇ミステリがまず思い浮かぶが、本作は、演奏会場での衆人環視下の殺人を扱っている。ステージ物という点で演劇ミステリと共通点があるが、バンド演奏という舞台の特性を生かした作品になっている点は、見事な変化球といえるだろう。
 
 ヴードゥー教の研究所を開いたり、ヌーディズムを実践したりと奇行で知られるパスターン・アンド・バゴッド侯爵が現在熱中しているのは、ブギウギ音楽。プロのバンドにも打楽器奏者として加わろうという勢いだ。一方、義理の娘のフェリシテは、バンドメンバーで出自の怪しいピアノ式アコーディオン奏者カルロスに熱を上げており、母親のレディー・バゴッドはそれが許せない。そんな問題を抱える中、侯爵が加わったバンドの演奏中に、アコーディオン奏者がステージ上で殺害された。たまたま夫婦ともども演奏会場のレストランにいたロデリック・アレン警部は捜査に立ち会う。殺害の機会は、舞台で拳銃を発砲した侯爵にしかないと思われたが…。

 本書のオープニング第一章は、九つの手紙、電報、記事からなる。これらの断片から、パスターン卿、夫人、その娘、一家と近しい親戚である男女の現況、卿の夫人の悩み、娘が雑誌の身の上相談欄に投稿していること、卿のバンドの演奏が近々実現すること等を過不足なく読者に伝えているのが、大変洒落ていて作家のセンスを感じさせる。後々、この身の上相談欄の回答者G.P.Fとは誰かが、問題になる。
 人物造型は例によって巧みで、奇人のようで意外に懐も広そうなパスターン卿にまず一票を入れたいが、二章以下殺人事件発生までの三人称では、卿の姪カーライルの視点に肩入れしたくなる。フェリシテの結婚を思いとどまらせるよう卿の夫人に要請された彼女は、板挟みになりながら、家族間の軋轢やカルロスとのトラブルなどを鋭く見つめている。殺人事件の発生後も、カーライルはフェリシテのために事件の当事者となり、恋愛感情との狭間でつらい感情の起伏を経験する。
 カーライルはアレン主任警部に嘘を指摘され「あなたってずるい」と言うが、この潜在的ヒロインともいうべき彼女の存在が、マーシュの弱点ともいわれる事件関係者の尋問の連続という単調さを救うサブプロットをつくりだし、警部の有能さと人間味を際立たせることにもつながっている。
 
 本書には、マーシュの作品には珍しく、真相解明まで明らかにならない犯人側のあるトリックが用いられ、トリックの確定が犯人の特定に結びつくという構成になっている。作中でポーの「盗まれた手紙」に言及されるように、そのトリックは大胆で印象的なものだが、幾たびも、あからさまなヒントを提示しながら、それに気づかせない作家の技術が光っている。
 また、物語の展開上、解決済みと思われた副次的な謎に意外な真相を提示し、畳みかけるように、殺人の謎を解明するという進行も鮮やかだ。
 本書の訳者渕上痩平氏のあとがきは、マーシュの綿密なプロットを分析したものとして、画期的なもので、「皆までいわない」式のマーシュのプロットの緻密さを分かりやすく解説している。綿密なプロットと創意あるトリック、巧みな人物描写が高いレベルで融合した、華のある本作は、我が国のマーシュ再評価の起点となってほしい一冊だ。

■ノーマン・ベロウ『幻想三重奏』(論創社)■

 不可能犯罪好きには待望のノーマン・ベロウの『幻想三重奏』(1947) が出た。「待望の」というのは、既に森英俊氏の『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』などで、その強烈な謎が刷り込まれていたからで、本書では、人が消え、部屋も消え、路地まで消えてしまうという三つの不可能犯罪が扱われているのだ。ベロウは、これまでも代表作『魔王の足跡』(1950)、『十一番目の災い』(1953)、『消えたボランド氏』(1954) が訳されているが、いずれも不可能犯罪を扱っている。
 謎パートの部分は、ウィンチンガムという英国南部の町で起きた三つの事件、それぞれ「第一の層 存在しない男」「第二の層 幻の部屋」「第三の層 盗まれた路地」と名付けられた事件が描かれる。それぞれの事件には、一見何ら関係がないようにみえる。
 「存在しない男」は、中年の未婚婦人の巻き込まれた事件。婚期を逃した彼女の前に突然の求愛者が現れる。厳格な兄と暮らす彼女は、役者を名乗る求愛者と駆け落ちを決意。ウィンチンガムにある男の友達の屋敷に落ち着くが、男は煙のように消えてしまう。ただの消失ではなく、タクシーの運転手も、屋敷の執事も、そのような男を見ていないと証言する。
 「幻の部屋」は、数々の不正で大金を得た実業家は美人秘書と外国へ高飛びを目指す。ガス欠でストップせざる得なくなった二人が立ち寄ったのは怪奇な事象が相次ぎ、営業中止寸前のホテルだった。二人はホテルの三階の豪華な部屋を訪れるが、実はホテルには三階は存在せず、再度確かめると部屋自体も消失していた…。
 「盗まれた路地」は、裕福な未亡人と画家の二人が路地にある画家の自宅に赴くと、画家は消えてしまい、車庫の扉を開けると、そこは中世風の酒場になっており、中世の恰好をした男女がいる。未亡人の面前で、三角関係のもつれによる男女の殺害事件が起こり、路地から逃げ出した未亡人は警官に伝え、現場に戻るが、路地そのものが消えていた。
 人間消失、部屋の消失、路地の消失、いずれもジョン・ディクスン・カーも取り組んだ題材だが、本書のように次第にエスカレートしていく消失三連弾というのが、本書の独自の趣向。
 各事件の後には、不可思議な事件に困惑する捜査陣が描かれ、このリフレインが事件の神秘性をより高めている。特に、第一の事件は屋敷の主が心霊現象研究者であり、怪現象に心霊的解釈を押し通すことから、捜査陣も次第に超自然的解釈を受け入れるような雰囲気になってしまう。
 事件の怪奇性という点では、第二層の「幻の部屋」が強烈。部屋の消失だけではなく、ホテルでは、怪現象が頻発しており、合理的な説明がつくのか疑いたくなるほど。
 普通の本格ミステリの構成とはうってかわって、事件に巻き込まれた人間の視点からの話が連打されるという構成もユニークで、逃げる男女というサスペンスから始まって、本題の幽霊ホテルに行き着く第二話は、物語当初のサスペンスは導入にすぎない映画『サイコ』(1960) の語り口を思わせた。
 事件の謎解きに当たるのは、『魔王の足跡』でも探偵役だったウィンチンガム警察署のスミス警部。「三層の崩壊」と題された解決編はかなり分量があり、解決の説明に数日をかけている。翻弄された事件への鬱憤を晴らすごとく、警部は事件解決には、派手な演出を凝らす。
 三つの層には、目に見えないつながりがあり、その一角が崩れると、ドミノ倒し的に解決に至るという趣向があるのがいい。第一、第三の事件の謎解きはいささかがっかりだが、第二の「幻の部屋」の謎解きはかなり工夫されている。
 しかし、さすがに目的と手段が釣り合わないというか、犯人がここまでの不可能を演出しなければならない必然性の説明が不十分にみえる。
 華々しく展開されたイリュージョンが見事であればあるほど、その種明かしに落胆するのが世のならい。
 本書の解決編にも、その気味はあるが、The Three Tiers of Fantasy とタイトルに「ファンタジー」が入っていることからも、そのイリュージョンの美しさにまずは、拍手を送るべきだろう。
 
■ピエール・ヴェリー『アヴリルの相続人 パリの少年探偵団2』(論創社)■ 本書は、『サインはヒバリ パリの少年探偵団』(1960) の続編だが、同年の出版。ピエール・ヴェリーの生前最後の本となった。ストーリーとしては、誘拐と救出のサスペンスが中心だった前作に比べ、本書は謎解きの魅力がギュッと詰まった一作で、本格ミステリ好きも唸らされる逸品だ。
 前作で11歳だったノエルは、本書では14歳。彼は、一次大戦で死んだギヨーム・アヴリルという財産家の相続人の一人であることを知らされる。しかし、巨万の富の行方は、遺言状に書かれており、その遺言状の在り処は、アヴリル自身が録音した録音盤フォノグラフに吹き込まれていることが判明。しかし、録音盤の半分は欠けており、メッセージは断片しか判らない。ここで、少年探偵団の団長格ドミニックが登場し、意味不明な録音から遺言書と遺産の隠し場所を捜し出すことを私立探偵ルグローと競い合うことになる。
 暗号興味は、前作とも共通するが、録音されたメッセージというアイデアが絶品で、音声ならではの解法をドミニックはひねり出す。遺言状と遺言の在り処を追って、ドミニック、ノエル、アリの三人からなる探偵団は、大人たちに混じって、イル・ド・フランスの古塔やパリから数百キロ離れたドルドーニュ地方の城館まで遠征する。
 この城館は、「アール・ヌーヴォーと未来派様式が不調和に混ざり合った」もので、虚空につながっている階段や、上下を繰り返す階段、ミニチュア・ハウス「未来の家」など奇想天外な趣向を凝らした家は、いかにもファンタジーに遊ぶヴェリーらしい。
 宝が眠り、不思議な寡婦が住む城館に舞台が移ってからは、ドミニックの文章の練習を兼ねた「推理と捜査の日誌」となる。少年と大人たちの探索行には、姿が見えないライバルが立ち塞がり、遺言状も持ち去られているのだが、現在、城館を訪れている一行十数名の中に犯人がいると判断したドミニックは、「全員が容疑者だ」として、疑惑と仮説、手がかりと痕跡、推理を書きつける。城館での探索は思わぬ成り行きとなるが、ドミニックが推理した犯人の意外性はなかなかのもので、犯人側の奇想天外な行動が自らの正体を隠すためのミスディレクションになっているところも秀逸。ポーの「盗まれた手紙」のひそみにならった宝の隠し場所も納得度が高い。さらに、録音盤のメッセージが遺言書の場所を示すというあり得ないような展開そのものに謎が隠されており、謎が解けると感動を生むという難度の高いテクニックが用いられている。
 物語の最終盤は、どんでん返しが相次ぐが、ドミニックの母親も涙を隠す心温まる大団円が待っている。
 昔の録音盤で紹介される古い流行歌のノスタルジー、引用癖のある古典劇専門の老俳優や死んだ夫と会話し続ける未亡人等ユニークな登場人物、魅惑的な謎とその解決、そして少年たちの無垢な冒険とそれを見守る大人たち…本作は「探偵小説が大人のおとぎ話になることを願った」作家ピエール・ヴェリーにふさわしい白鳥の歌となった。

■アガサ・クリスティー(チャールズ・オズボーン小説化) 『招かれざる客[小説版]』(クリスティー文庫)■

 クリスティーの名作戯曲『招かれざる客』(1958) の小説化で、発表は1999年。2002年に講談社文庫から刊行された『アガサ・クリスティー 招かれざる客』の翻訳に修正が加えられたハヤカワ文庫版。チャールズ・オズボーンは、ジャーナリスト・作家・詩人で、クリスティーの研究書も上梓している専門家で、本書以外にも、『ブラック・コーヒー』『蜘蛛の巣』の小説化を手掛けた。
 『招かれざる客』は、霧深い夜に車が脱輪し、大きな屋敷に助けを求めた男が、屋敷の当主の射殺死体を発見し、傍らに銃を握った当主の若き妻が立っているという導入から始まるミステリ戯曲。その「招かれざる客」主導の偽装工作により、真相が見えなくなり、どんでん返しが相次ぐ。全体の調子は陰鬱でかなり重いし、戯曲版の訳者・深町眞理子氏は、結末を「一種のリドル・ストーリーになっていると思いましたが、読者のみなさんはどうお考えでしょうか」と書いている、かなりの異色作だ。何人かのキャラクターは印象的で、とりわけ、当主の母親ミセス・ウォリックの存在は大迫力だ。
 チャールズ・オズボーンの小説版は、筋の改変はなく、ほぼ、戯曲を忠実に小説に移植している。捜査に当たる文学好きの部長刑事のキャラクターを際立たせたり、殺人犯と目された人物との屋外での立ち回りを活写したりという辺りが目立った変更点だろうか。ラストのヒロインの台詞に決定的な一言が追加されたりもしているが、これはなくもがなの追加のように見える。
小説化によって、何かが付加されたというより、原作戯曲のストーリー、台詞の間然とするところのないことが、証明されたというべきだろうか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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