みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
ギリシャでミステリが本格的に始動するのは1950年代に《ギリシャ・ミステリの父》ヤニス・マリスが現れてからのことです。
しかし何事であれゼロから始まることはありません。ミステリ小説もまた外国からの大きな影響を受けて興隆してきました。
ギリシャのミステリ作家に影響を与えた外国人作家と言えば、まず浮かぶのがシムノンです。何と言ってもマリスのシリーズ探偵ベカス警部はメグレ警視をモデルにしたそうですから。犯人、被害者のみならず、事件にかかわるあらゆる人々の心理と相互の関係を明らかにしようとする点で、同じ地中海ノワールには波長が合うのでしょう。
![]() ジョルジュ・シムノン『サン・フィアクル殺人事件』ギリシャ語訳 アグラ出版社、2024年。 |
お隣りイタリアのミステリにも親近感を感じるようです。大人気シリーズ《ギリシャの犯罪》がお手本にしたのもイタリア・ミステリのアンソロジー『犯罪』(2005年)でした(《謎》とか《推理》よりも《犯罪》と名付けられるあたりがイタリア、それにギリシャらしい)。
![]() イタリア・ミステリ・アンソロジー『犯罪』ギリシャ語訳 カスタニオティス出版社、2006年。 |
イタリア・ミステリの大御所アンドレア・カミッレーリは(シムノン同様)今でもぞくぞくと新訳が出ています(和訳はと言うと、『悲しきバイオリン』『おやつ泥棒』のみ。残念……)。
![]() アンドレア・カミッレーリ『悲しきバイオリン』ギリシャ語訳 パタキス出版社、2024年。 |
次に来るのはハメット&チャンドラーの米ハードボイルドでしょう。ただし、雰囲気やファッションはギリシャ人作家も取り入れていますが、私立探偵とか拳銃の撃ち合いとかはギリシャの現実にはあまりそぐわないようです。浮気や迷子の調査とか、あるいはトレンチコートにソフト帽で気取る素人が酷い目にあうパロディ作になってしまいます。
英米のパズラー派については、クリスティー、マーシュ、セイヤーズ、ニコラス・ブレイクから、近くはアントニー・ホロヴィッツ、アン・クリーヴス、リチャード・オスマンまでギリシャ語訳はありますが、フーダニットを正面に取り上げる作家はごく少数のようです。
強いのはやはり北欧ミステリ。社会問題を取り入れた《刑事マルティン・ベック》シリーズやヘニング・マンケルは、ペトロス・マルカリスのハリトス警部シリーズやこれに続くギリシャ警察ミステリに受け継がれているように思われます。
◆ホラーの帝王を追いかけて◆
さて、以上はミステリのお話ですが、それ以外にギリシャの作家(それに読者)にとって、とてつもなく大きな存在の作家がいます。スティーヴン・キングです。
17人の作家たちの手になるトリビュート・アンソロジー『王の木陰で』(Στον ίσκιο του βασιλιά, 2017)が出ているというだけで、その影響力が知られるでしょう(エッセイ第36回)。
![]() キリアコス・アサナシアディス編『王の木陰で』 クリダリスモス出版社、2017年。 |
今回ご紹介するのはタイトルもズバリ、『スティーヴン・キングのように殺せ』(Σκότωσε σαν τον Στίβεν Κινγκ, 2023)。キングに憑かれた《一匹狼のイタリア派》ディミトリス・ママルカス(Δημήτρης Μαμαλούκας, Dimitris Mamaloukas)の新作です(第19回にすでに登場)。上の『王の木陰で』にも怪作「晩餐への招待」(“Πρόσκληση σε γεύμα”)で参加しています。
![]() ディミトリス・ママルカス『スティーヴン・キングのように殺せ』 ケドロス出版社、2023年。 【カバーにはキング作品の翻訳本が並んでいます。ちょっと見にくいですが、左から『バトルランナー』(Ο ΔΡΟΜΕΑΣ)、『ハイスクール・パニック』(ΟΡΓΗ)】 |
今作ではお得意のイタリアは封印されているようで、ニューヨークに住む筋金入りのキング・マニア、ただし性格や境遇はバラバラの四人の男たちが主人公です。
まずは四人を紹介しておきましょう。
語り手となるのはレイ・ステビンズ。『死のロングウォーク』の中で自分と同じ名のキャラに出会い、「ああ、この本、まさにオレのために書かれている!」と勝手に思い込んで全作を読破したというつわもの。初版本完全蒐集に向かってひた走ります(いちおう語り手ですが、ママルカスのスタイルとして、いきなり三人称記述に飛ぶ可能性があるので、ここは用心しなくては)。
二人目はレイの親友で翻訳家のブライアン。『ニードフル・シングス』のキャラと同姓同名ですが、お気に入りは『IT』。稀覯本に手が出せるほど裕福ではなく、始終仕事に忙殺されています。廉価本でもいい、とにかくキング作品を読めば至福を感じるタイプです。
これとは真逆なのが金持ちの
最後は古本屋《ニードフル・シングス》を営む店主ジェイクです。もちろんキング・マニアではあるのですが、生業上どうしても稀少本で儲けたい、というソロバン勘定が常に頭をよぎります。ダーネルほどではないにしろ、店内に展示された豪華本は来客たちの垂涎の的になっています(にしてもなんとも危ない店名……)。
![]() スティーヴン・キング『ニードフル・シングス』ギリシャ語訳 ベル出版社、1993年。 |
ストーリーはクリスティーンなる美女が、伯母の遺品の中から見つけたキング本を売りたいとレイに接触してきたところから始まります。期待して会ってみると、ありふれた『呪われた町』のペーパーバックでガッカリしますが、じゃこっちはどうかしらと見せられた一枚の写真に驚愕。キング本人と二人の男が写っていますが、これが超レアもので、レイ自作のキング《なんでも》アーカイヴでもヒットしません。背景の家や車、裏面のサインから、二人目はどうやらジョン・シューターなる人物であることがわかります。もう一人の正体もやがて明かされることに。
キング・ファンならすぐにピンとくるのでしょうが(初心者の私はいたるところに埋め込まれたネタを息を切らせながら追いかけるばかり)、ジョン・シューターは中編「秘密の窓、秘密の庭」の
![]() スティーヴン・キング『秘密の窓、秘密の庭』ギリシャ語訳 エピロギ出版社、1993年。 |
遺品の中にはもっとお宝があるのではと欲が出たレイは、クリスティーンと親友ブライアンとともにピッツバーグの亡き伯母さんの家に向かいます。こういうワクワクする宝探しはママルカスお得意の展開です(何といってもお薦めはポオ「黄金虫」ですから)。地下室からは驚くべきものが掘り出され、キングとシューターとの因縁も明らかになっていきます。
若き頃シューターは友人キングの草稿を奪って逃亡、十数年後『バーニーの物語』(吸血鬼ではなく狼男ものらしい)として十五部の超限定版を勝手に出版します(ISBNも取っているので海賊版ではない)。ところが火災で本はほとんど焼失し、図書館所蔵の二部は結末が落丁。見つかれば天文学的な高値がつく伝説のお宝とのこと。手がかりを追ってレイたち三人組は霧雨しぶくロンドンへ飛びます。
冒険と並行して重大犯罪――こっちの方がミステリとして肝心なのですが――が起きています。二人の友人が相次いで殺されてしまうのです。一人は《ブタのブロンズ像》(『ミザリー』ですね)で撲殺されますが、最期の描写のしつこさがキングっぽい。
続いてもう一人は車に撥ねられて命を落とします。被害者はなぜか習慣に反して早朝の路上を散策していました。
二人殺しの犯人は? 狙いはいったい何なのか? 次はオレの番では?となるはずなのですが、レイの頭に浮かぶのは……キング作品にも車での殺しが色々出てきたよなあ、『ミスター・メルセデス』『クリスティーン』に『回想のビュイック8』。『痩せゆく男』や『ガンスリンガー』にも出てたっけ。そうそうキング自身が瀕死の重傷を負った交通事故を忘れちゃいけない、加害者の車は1985年ダッジ・キャラヴァンで……と頭の中は完全にキングの花園です。
最後にたどり着いた吹雪のスコットランド、ヘブリディース諸島では、壮大なクライマックスが待ち受けます。『ディミトリオス・モストラスの失われた蔵書』(Η χαμένη βιβλιοθήκη του Δημητρίου Μόστρα, 2007)でも結末の異様な光景には啞然とさせられましたが、今回はそれをはるかに凌ぐスペクタクルが襲いかかります。
![]() ディミトリス・ママルカス『ディミトリオス・モストラスの失われた蔵書』 カスタニオティス出版社、2007年。 |
過去の作品同様、ここでもママルカスの閉所嗜好症(狭い闇の空間に怯えながらも惹かれてしまう)は健在です。地下室のお宝探しに始まり、ラストのゾゾッとする暗闇の探検まで息が詰まりそう。レイのお気に入りの一篇が「ドランのキャデラック」というのも頷けます。あれも砂漠のアモンティリヤードの樽といった趣きでした。と思っていたら、坑道に閉じ込められたレイが脱出そっちのけで「すべてを書いているキングのこと、監禁テーマを書かないわけがない。ヒーローを危険な場所に閉じ込めるのはキングお気に入りのテーマだからな。「どんづまりの窮地」はもちろん、『クージョ』、『ミザリー』、『アンダー・ザ・ドーム』……」と自らキング作品の登場人物になったかのようにつぶやき続けるシーンがあって、なるほどそもそも作家たちの志向が似ていたのかと納得させられました。
とにかく、登場してくるのはいずれもケタ外れのキング・マニアたち。作中で何度も「
初めのうちこそ、狂的なマニアたちとは違ってオレは《健全な》キング愛読者だからね、と余裕をこいていたレイもまた、次第に取り込まれていきます。蒐集本の背表紙の感触を愛でながら、やたらと配列に凝るくらいは並みの本好きにもわかりますが、埃まみれで地下室の捜索に没入するあたりからおかしくなり始め、渡英する頃には周囲のあちこちにキングの幻影を見るように……。
ロンドンのホテルの部屋が「1427号室」なのに気づいて、ドルフィンホテルの「1408号室」じゃなくてよかった、とホッとしたものの……いやいや待てよ。1427マイナス1408は19。〈ダークタワー〉シリーズで19は神秘の数字だ。27だって意味がある。『IT』の殺人鬼が帰って来るのは27年ごとだったはず。1427マイナス19で1408が登場したのは偶然じゃない!……などと他人が聞いてもわけのわからない危ない独り相撲にハマってます。
あるいは、手がかりとなるクラウチ・エンドを訪れた帰途クリスティーンが姿を消してしまいますが、先にホテルに帰ったんじゃないのと警察には取り合ってもらえず、生垣の向こうのなにかにさらわれたんだ! と半狂乱で喚き続けるという具合です(短編「クラウチ・エンド」のひねりですね)。
一つだけ残念なのはギリシャへのからみがほとんどない点。
期待していたのですが、レイたちがギリシャを訪れることもありません。唯一、父親がギリシャ人だという半ばとち狂ったアメリカ人エパミノンダスが登場するだけ。この男、トレーラーハウスに住み、ポール・シェルダン『ミザリーの死』、サド・ボーモント『ふいの踊り手たち』といった眉唾物のキング関連本を棚に並べています。
それと、ダーネルの《キングスランド》には(世界中のキング翻訳書と並んで)ギリシャ語訳も揃っているのですが、『呪われた町』のエピグラフのセフェリス詩が、もとのギリシャ語をそのまま使えばいいのに、英語から重訳されて珍妙なものになっている、とのツッコミもあります(小ネタすぎるけど)。
![]() スティーヴン・キング『呪われた町』ギリシャ語訳 クリダリスモス出版社、2018年。 |
ママルカスが「あとがき」で明らかにする通り、キングを愛するギリシャ人作家がキング・マニアのために書いた本です。各章がキング作品の題名だったり、オリジナルと同名の登場人物たちがあちこちに現れたり、ファンならニヤニヤしっぱなしでしょう。作者自身が大いに楽しんでいる様子が伝わります。主人公レイも題名をつなげた小咄を作り、「子取り鬼のような
そういった点を別にするならば、小説としての芯はやはり、謎とお宝を追いかける主人公が次々と危険に遭遇する冒険スリラーだと感じます。一枚の写真をきっかけに、失われた原稿、この世に数冊きりの珍本、犯罪をものともしない狂気の蒐集家たち、妄想に取り込まれていく人物たち。車と酒。舞台もニューヨークからフィラデルフィア、ロンドン、スコットランドへと拡大していきます。
まさにママルカス印が堂々と押された愉しい作品です。
翌年には
Dimitris Mamaloukas, Uccidere alla Stephen King, 2024.イタリア語訳。 |
◆不穏な国境の村で◆
ママルカスの新作がギリシャを飛び出して外に広がって行く作風とすれば、今回ご紹介のもう一作は国内土着ともいうべき秘密へとじわり照準を合わせます。
ヴァンゲリス・ベカス『私たちの息子』(Βαγγέλης Μπέκας, Ο γιος μας, 2020)はギリシャでもっとも有名な探偵、ベカス警部とたまたま同姓作家の作品です。初めて読む作家ですが、けっこう書評で取り上げられていて期待大です。
![]() ヴァンゲリス・ベカス『私たちの息子』 プシホヨス出版社、2020年。 |
舞台はギリシャ北部の国境近く、住民が900人にも満たない聖ヨルギス村。隣りの国はどこなのか――アルバニア? トルコ? ブルガリア?――はっきり書かれませんが、さして重要ではありません。問題は目と鼻の先にある向こうの村がムスリムの集落だということです。
まずは、ニコスなる主役が登場し一人称で語りますが、この設定が大きなポイントです。あいまいに読者全般に対してではなく、夜中にビデオカメラに向かってある事情を語り出すのです(誰に向けて? 何のために?と読む側には最初から謎が突き付けられます)。
ニコスは小学生の愛息ヨルガキスをつれて山へ狩りに出ます。妻マグダは危ないから国境には近づかないようにねと警告。小川で足を滑らせたはずみに水筒を割ってしまい、ヨルガキスが代わりを取りに家に走りますが、いつまでたっても戻ってきません。ニコスは慌てて帰宅すれどヨルガキスの姿はかき消えたまま。夫妻は半狂乱になって、村の誰彼に訊いて回ります。
こうして徐々に村の様子も分かってきます。
ニコスの老母と妹は父祖伝来の家に暮らし、古ぼけた居間でヨルガキスのため靴下を編む毎日。この母親はなかなか厳しい人物で、嫁マグダへの小言が絶えません。
村を牛耳っているのはニコスの従兄弟イリヤス。口八丁手八丁のやり手で、うまうまと村長の座に納まっています。
ニコス自身の境遇もまた明らかにされます。閉鎖的で単調な村の生活に耐えられず、テサロニキに飛び出して工学を専攻。卒業後は妻マグダを連れて帰郷し、亡き父の土地を継いで親子三人で暮らし、やり手村長の口添えで仕事を見つけようとしています。
そんな静かな毎日の中で、ヨルガキス少年は事故に遭ったのか? 途中の山道には不自然なタイヤの跡が残ります。誘拐? 誰が何のため? まさか国境向こうの隣り村の仕業?
この混乱に輪をかけるかのようにニコスの弟ディミトリスが突然帰郷します。テサロニキで怪しげな生活を送るチンピラ風のこの男、何をやらかしたものか、彼を追ってこわもての男も村に現れます。さらにテサロニキに残る妻アルテミにも危険が迫ります(このアルテミはなかなかのインテリで、古代悲劇をテーマに博士論文を作成中。東洋美術にも興味を持ち、墨絵を習っています。いつか東京へ留学するのが夢とか)。
初めのうちは登場人物たちの動きがバラバラに語られます。
ビデオに向けたニコスの一人称語りの合間に様々な三人称語りが挿入され、厳格なニコスの老母と人のいい妹、やり手の村長、ジゴロの弟と美術愛好のその妻の暮らしぶりが浮き彫りにされるのですが、それに加えて、国境のすぐ向こうのムスリム村の描写も入ります。やはりこの隣村が大きな伏線になって来ます。
この村にシリアでジハード戦に参加したという急進的な若者イズマイルが帰ってくることで、両村に緊張が走ります。イズマイルはモスクの塔に大型スピーカーを取り付けて
章題は「殺害五日前」「殺害四日前」……とカウントダウンで進みます。ここはちょっとひねってあって、実は誰が殺害されるのか分かりません。普通に考えると、失踪した少年に危険が迫っている気がするのですが……
終盤で、被害者やニコスが語りかける相手が明かされるとともに、バラバラだった人物たちの動きが一つにまとめられ、霧が一斉に晴れるかのように事件の全体が見渡せるようになります。
ミステリ的趣向を細かく散りばめながら、ギリシャとムスリムの集落の対立という大きな軸の中に、双方の共同体内での小競り合いまでが描き出され、しかもその因縁は何年も前にさかのぼるという、土着の歴史と奇譚に満ちた魅惑的な作品でした。
作者ヴァンゲリス・ベカスについてかいつまんで書いておきましょう。
ギリシャ西岸の町プレヴェザの出身で、クレタ大学で工学を学んでいます。
作家デビューは2009年ですが、ミステリとしては『楽天家たち』(Οι αισιόδοξοι, 2013)が最初です。楽天家のジャーナリストがネオナチの脅しを受けながら、汚職大臣の殺害事件を追う社会派ミステリのようです。その後ミステリ長編『私たちの息子』、『凍える足の裏』(Παγωμένα πέλματα, 2022)と続きます。歴史小説にも意欲的で、フランス革命の薫陶を受けたスーリ人(北部イピロス地方の勇敢な民族)のスパイがオスマン朝の残忍な代官アリ・パシャに対抗する長編『黒い護符』(Μαύρο φυλαχτό, 2017)の評判がいいです。最新刊の長編ミステリ『創世記』(Γένεσις, 2024)は、書籍紹介によれば、島の高名な判事一家と観光業を食い物にする現地マフィアの癒着という、ギリシャ・ミステリによくある話のようですが、捜査にあたる警部がAI信奉者で、「AIが真実、自由、創造の意味を揺さぶり、ミステリの定式をひっくり返す」とあって、読んでみたくなりました。
![]() ヴァンゲリス・ベカス『楽天家たち』 ガヴリイリディス出版社、2013年。 ![]() ヴァンゲリス・ベカス『凍える足の裏』 プシホヨス出版社、2022年。 ![]() ヴァンゲリス・ベカス『黒い護符』 プシホヨス出版社、2017年。 ![]() ヴァンゲリス・ベカス『創世記』 プシホヨス出版社、2024年。 |
◆米ミステリ中のギリシャ人(35)―― マイケル・ギルバートのギリシャ人――――◆
今回は英国人作家マイケル・ギルバートが登場。お目当てはもちろんあの作品です。
『世界ミステリ作家事典 本格派篇』によれば、MWA名誉賞やCWAゴールドダガー賞を受賞した巨匠であるにもかかわらず、残念ながら日本では知名度の低い作家だとされています。様々なサブジャンルの作品に挑戦しているそうですが、本業は事務弁護士なので、法廷物や警察捜査物のほうに本領を発揮するのでしょうか。
ともかく、まずはデビュー作『大聖堂の殺人』を手に取ってみます。
1947年の発表ですが、ストーリーは戦前の30年代に設定。黄金期の香りを漂わせるような大聖堂と聖職者たちの世界が舞台です。閉ざされた空間の中で長老の聖堂守を誹謗する中傷の手紙が横行し、頭を抱えた首席司祭は甥のポロック巡査部長に依頼して内密で捜査させます。ところが、当の聖堂守が撲殺されてしまい、さらに到底関係があるようには思われない人物の死が続きます。暗い遺恨か、何かの陰謀なのか。しかも一年前には司祭の一人が大聖堂から転落死していました。
記憶力は抜群ながら推理は
暗い悪意がドロドロと蠢動する大聖堂の雰囲気は申し分なく、巧妙なアリバイ工作からサブプロットの隠し事まで細かな伏線が散りばめられていて、最後の解決部分では驚かされます。「プロットはどの点から見ても、アガサ・クリスティーの傑作に相当する」との高評価だそう(『世界ミステリ作家事典』に引かれたH・R・Fキーティングのことば)。
ただ、読んでいて少々苦しかったのは人物整理があまりよくない点でしょうか。ヘイズルリッグ警部は周囲の高い壁を細々と調べ、外部からの犯行はあり得ないと断言するのですが(まあ、そうでしょうね)、修道院内には五十人もが居住しているのです。名前が出てくる容疑者だけでも、常任司祭たちが五人、聖歌隊学校の校長と隊長に加えて助手が三人、聖堂番も三人。この人たちが次々に現れるので、覚えるのが大変。登場人物表と首っ引きで読むことになってしまいました。
一方で、魅力的だったのはヘイズルリッグ警部の人物像です。
ヤード随一の敏腕警部なのですが、人好きのする陽気な外見は「狩りに出た赤ら顔の農夫」のようで、どこまでも食い下がる忍耐力が持ち味とされています。シェークスピアを引いたりもしますが、奇矯な人物ではなく、自分の失敗も正直に認めながらアリバイと指紋調査を淡々と進めていく、けっこうリアルな警官の印象です。フレンチ警部の流れか。(クリスピン『大聖堂は大騒ぎ』(1945年)とほぼ同時期の発表なのは偶然でしょうが、奇人フェン教授とはまったく別世界の住人のようです。)
4作目の長編『スモールボーン氏は不在』(1950年)も新訳で読めます。
50万ポンドもの証券の管財人が死去し、共同管財人との協議が必要になりますが、当のスモールボーン氏が失踪してしまいます。読者の期待通り、死体となって見つかりますが、ただし予想もしない場所からでした(カバー絵のような)。
かくして、殺人課ヘイズルリッグ主任警部の再登場となります。相変わらず堅実な捜査を進めながらもユーモアは絶やしません。「独創的な探偵なら臭いパイプをふかしたり、ハーモニカを吹いたり、トゥキュディデスの文章を引用したりするんでしょうがなあ」などとジョークを飛ばしています(最後のは誰を当てこすっているんでしょうか? 歴史家トゥキュディデスはドイル「三人の学生」で言及されますが、ホームズが口にするわけじゃないし……)。
今作も犯人の複雑な策略や、目くらましのサブストーリーで楽しませてくれますが、一番面白く感じたのはある人物が過去に使った犯罪の手口です。これは弁護士でないと思いつかないでしょう(作者の実体験から?)。しかもエマ・レイサン風の大がかりな金融犯罪とは違って、極めて単純明快な手段で現実味があります(自分でもやれそう)。
ただ、この作品でも骨が折れたのは登場人物の区別でした。
弁護士事務所が舞台なので、弁護士が七人続々と現れ、おまけにそれぞれに秘書が付いているという、まあ、現実にはそうなんでしょうけど。誰が誰なのか、読者の頭に定着する前に殺しが起きてしまいます。
登場人物表必携です。
そして、お目当ての6番目の長編『捕虜収容所の死』(1952年)です。
今回なぜギルバート作品を選んだかと言うと、この作品の被害者のためなのです。
舞台は1943年イタリアの第127捕虜収容所。つまりヘイゼルリッグ警部は登場せず、十年ほど前の戦時中のお話になります。
四百人もの連合国軍の捕虜を抱える収容所では、密かに委員会が組織され大脱走計画が進行中。すでにトンネルが何本も掘られています。ところが、一本の天井が崩落し捕虜がひとり生き埋めとなって亡くなります。収容所の所長は発見者の英国人将校を怪しみ、厳しく尋問。また脱走委員会の側も計画に支障をきたさぬよう、事故の調査を一人の大尉に命じます。収容所の中で監視されながら、捕虜の探偵が密かに謎を探る点がミソです。
さて、問題は命を落とした捕虜です。最初から死体で登場するのでセリフはまったくありませんが、キリアコス・クトゥレスなるギリシャ人だと紹介されます(小柄でハンサムではない、と低評価なのが残念)。
探偵役に抜擢された丸眼鏡の学校教師ゴイルズ大尉、なぜか現代ギリシャ語会話帳を手に奮闘中です。寡黙なクトゥレスと会話できるのはゴイルズだけのようですが、しかしまだ事件前のことなのに。「マダム、トイレから大聖堂と駅はどちらが近いでしょうか?」とか妙なフレーズを頑張って覚えてるのは将来ギリシャ方面へ逃げるつもりなのでしょうか? イートン校出身の従軍司祭とは古代ギリシャ人と現代ギリシャ人の違いを論じ合ったりもします。ただ、残念ながらゴイルズ探偵、一言もギリシャ語を話すことはなく(「カリメーラ」くらい口にしてほしい)、結局意味はありませんでした……
被害者としてであれ、なぜギリシャ人が出てくるのかはちょっと不明です。第二次大戦中のギリシャの立場は複雑で、国土は枢軸国側に占領され、主義主張の異なる複数のレジスタンス・グループがバラバラで活動中、政府は英国に亡命し連合国側に立って解放をめざしています(なので、例えばマロリー大尉チームがエーゲ海のナヴァロン作戦に協力)。イタリアの収容所捕虜にギリシャ人が混じっていても不思議ではないのですが。作者ギルバートは実際に北イタリアで捕虜になっているそうで、そこでの体験が反映されているのかもしれません。
国籍はともかく、この得体のしれないクトゥレスの正体がサスペンスの核の一つとなります。密告屋と疑われ、捕虜たちの間で浮いた存在になっているこの男、はたして枢軸国側から内部偵察に送られたスパイなのか? それとも? しかもゴイルズ大尉の捜査によって、事故ではなく崩落以前に殺害されていた疑惑が浮かんできます。ならば何者によって? 何のために?という謎が謎を呼び、戦争冒険&ミステリならではのサスペンスがいっそう盛り上がります。おまけに問題のトンネルに入るには、床の重い扉を四人がかりで持ち上げる必要があるとなると、いったい誰がどうやって?という不可能犯罪の様相まで帯びてきます。
そのうち連合国軍がシチリア島に上陸し、北上する噂が流れます。そうなると捕虜たちは冷酷非情なドイツ軍に引き渡される恐れもあり、一刻も早く脱走するべしとなって、タイムリミット・サスペンスにさえなる大サービスぶりです。
大脱走作戦&諜報戦と不可能犯罪&フーダニットの二つのサスペンスが同じ場所で同時に展開する点で、この作品は特異な魅力を持っています。脱走用トンネルの謎の事故が両者をいい具合にリンクさせているのです。
あいかわらず登場人物が多く、そもそも誰が探偵役なのか戸惑いますが、ゴイルズ大尉に焦点があってからは、犯人捜しはこの人についていけばいいやと読者は安心させられます。しかし、それ以上に快感なのは大脱走劇です。なんせ四百人の集団脱走ですから、いちいち名前など覚えていられませんが、覚えなくてもストーリーの展開を追うだけで引き込まれてしまいます。登場人物の整理がいまいちという(私が勝手に思ってる)ギルバートの弱点が、フーダニットを超える怒涛の大アクションによって中和されてしまうのです。
もちろん謎解きや真犯人の暴露は楽しいし、森林の逃亡劇のスリルなども最高です。ラストの切れ味も光ります。
まさに解説の森英俊氏が書いておられるように「奇蹟のような作品」。フーダニット・不可能犯罪と戦争冒険が鮮やかに結びついた傑作でした。
せっかくなので、ヘイズルリッグ主任警部シリーズの最終作『愚者は怖れず』(1953年)も読んでみました。発表年は『スモールボーン氏は不在』からわずかに3年後ですが、スタイルがすっかり変わっているのに驚きです。
テムズ川南にある男子校の校長ウェザロール(と言ってもかなり若い)が主役。フーダニット物ではありません。一個人が知らず知らずロンドンの組織犯罪に巻き込まれて奮闘する直球スリラーです。
冒頭で校長の日常と学校の細かな問題が綴られていきます。作者ギルバートは教職の経験があるそうで、親からのクレーム、やたら生徒に高圧的な狭量な教師や巧妙に授業をさぼる教師、目立たぬ生徒の意外な才能の発見、教育委員会での強硬派の突き上げといった作品の細部は非常にリアルで説得力があり、普通の学園小説としても面白く読めます。
ただ、やはりミステリである以上、こういった描写に事件の伏線が仕込まれているかもしれません。話は、校長お気に入りのイタリア料理店への嫌がらせや、郵便物の紛失など学校の外にも広がっていき、学校に関係する人物が命を落とすあたりから犯罪の匂いが漂い始めます。
その後、バラバラに見えたエピソードが収束していき、大規模な暗い陰謀を浮き上がらせる手際の良さは見事。
今回ヘイズルリッグは脇役となり、身を張って見えざる組織に立ち向かうのは普通人ウェザロール校長です。作者自身がモデルなのでしょう。子どもは好きだけど退屈な職員会議はイヤ、持ち前の強情さで圧力に屈せず、かと言ってスーパーマンではなく、敵の用心棒には散々に痛めつけられて悪夢にうなされるという、読者に近いところにいます。
最後はラスボス相手にまさに息をのむ対決となり(殴り合いではなく、刑事コロンボを思わせる頭脳勝負)、読者は結末までしっかり見届けるしかありません。
『大聖堂の殺人』や『スモールボーン氏は不在』もフーダニットの骨格は複雑で面白かったのですが、総体的には『愚者は恐れず』の方を気に入ってしまいました。犯罪に巻き込まれた主人公に焦点を当てながらストーリーが動んでいくので、複数の人物があれこれ登場してもそう気になりません。善玉悪玉それぞれが役割を担っていて、レッドへリング専用の無駄な人物がいないし、犯罪の全体像はヘイズルリッグ主任警部や協力する新聞記者が途中で要領よくまとめてくれます。
何より主人公が等身大で、特に強いわけでもなく、それでいながら人生に希望を失わない姿が読んでいて心地よいです。
ギルバートは短編も数多く書いています。翻訳はあちこちのアンソロジーや『ミステリマガジン』などに散らばっているので探して読むしかありませんが、どの作品もきびきびした文体で緊迫感が途切れないのが魅力。実は短編のほうにより惹かれたりもします。
「ポートウェイ氏の商売」や「監査完了」は、どんなに調査しても収入ゼロの男や駆け出しの若造がどうやって裕福に暮らしているのかの謎。『スモールボーン氏は不在』同様に犯罪の手口がやけにリアルで、皮肉な結末も効いてます。
サスペンス物やスパイ物も切れ味がいい。濃い緊迫感で押し切るトリッキーな「ティー・ショップの暗殺者」はごく短いながら印象に残ります。「モーム『アシェンデン』に次ぐ傑作スパイ短編集」との評がある『ルールのないゲーム』収録の、射殺したはずの敵スパイの死体が発見されない「殺しが丘」や東側の暗号解読装置を盗み出す最中に連絡担当役が事故死してしまい窮地に陥る「聖夜」も読ませます。1967年発表の「聖夜」には、陸軍武官の副官が「ギリシャ出張中で」という一節が出てきますが、きっとクーデターを成功させたばかりのギリシャ軍事政権との交渉に出向いたんでしょうね。
「隠しポケット」はスパイ・ミステリのように始まり、法的劇が挟まれ、最後に意外な犯人が暴かれます。様々なミステリのサブジャンルを手がけた作家が、イタズラ心で仕掛けた連続ひねりかとさえ思えるほどです。
他にもかなりあるようですが、掲載雑誌を探すのはそう簡単ではありません。どこかの出版社様、『マイケル・ギルバート傑作短編集』とか『ルールのないゲーム』の完訳を出していただけないものでしょうか?
橘 孝司(たちばな たかし) |
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広島在住のギリシャ・ミステリ愛好家(定年退職して帰国しました)。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学の小説も好きです。 ミステリに入信したのは小学生の頃。創元推理文庫が一冊300円以下の時代でした。それでもまとめ買いは出来ず、店の本棚にへばりついて扉ページの紹介文を読みながら(煽るんです、これが)、ねばりにねばって選んだ一冊がラティマー『処刑6日前』。もちろん今では完全にストーリー忘却、ただただ面白かったという懐かしの記憶だけ。意外にもこの作家のデビュー作が最近新訳されたと知り、思わず手に取りました。精神科クリニックが舞台、患者として送り込まれる主役、院内での連続殺人、秘めた狂気を思わせるカバーデザイン。こりゃおぞましい内容かなと思ってしまいましたが、サスペンス溢れる冒険が軽快に進み、意外な犯人で終わる愉しい作品でした。 私立探偵クレイン・シリーズの第一作『精神病院の犯罪』(1935年)。にしても、こんなに酔いどれ探偵だったとは。 |