みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
今回はギリシャの《幻想文学》寄りのお話をしたいと思います。
現代ギリシャ文学はリアリズムが主流で、《幻想文学》はどちらかと言えばマイノリティーです。しかしそれでも、幻想的な傾向の作品を広く渉猟し集成した労作があります。本エッセイにたびたび登場したマキス・パノリオス編『ギリシャ幻想短編集』全6巻(Μάκης Πανώριος, Το ελληνικό φανταστικό διήγημα)です。番外編としてルキアノス「本当の話」の現代語訳を含む以外に、16世紀以降の幻想・ホラー・SF短編197篇が収められています。エッセイ第37回でご紹介したアンドレアス・ラスカラトス「木星への旅」や『ノヴァ・ヘラス』登場のコスタス・ハリトス(「社会工学」)やミハリス・マノリオス(「バグダッド・スクウェア」)の作品も並びます。パノリオス自身も作家・翻訳家・アンソロジストにして俳優というマルチな才能の人で、とりわけSFや幻想小説のギリシャへの導入に大きく貢献しました。2023年に亡くなりましたが、ネットの写真でそのタダ者ではない特異な風貌を目にすることができます。
■Biblionetのマキス・パノリオスのビブリオ一覧。 |
マキス・パノリオス編『ギリシャ幻想短編集』第1巻 エオロス社、1987年。 |
また、ギリシャの幻想短編小説の英訳アンソロジーとしては、ディダルス幻想文学アンソロジー・シリーズのDavid Connolly 編The Dedalus Book of Greek Fantasyが手軽に入手できます(電子ブックもあり)。(本エッセイでも触れた)ラスカラトス、パパディアマンディス、カヴァフィス、カルカヴィツァアス、ヴティラス、スファキャナキスなど19世紀以降の有名な純文学作家の幻想短編30篇が収録されています。作品選択などの点でパノリオスの上記作品を大いに参考にしているようです。
他方で、幻想
◆北の湖畔の壮大な三部作
まずは「今が旬」と言っていいでしょう、人気作家ヨアナ・ブラゾプル(Ιωάννα Μπουραζοπούλου)です。
初めての出会いはミステリ小説から。『ギリシャの犯罪』第6巻(2022年)に見慣れないその名を目にしたことでした。 同シリーズに初めて登場する作家です。その作品「メドゥーサの鏡像」(“Ο κατοπτρισμός της Μέδουσας”)では、女性芸術家の模写による四枚のメドゥーサの絵(レンブラントやカラヴァッジオ)が四十年前のある事件を告発します。残虐な殺人などは起きず、謎が解かれることである人物が救われるという後味の良いもので、ちょっと他の作品とは毛色が違うなという印象を持ちました。
ディミトリス・ポサンジス編『ギリシャの犯罪』第6巻 カスタニオティス社、2022年。 |
ところがその後、思わぬところでこの作家に再会します。SF傑作集『ノヴァ・ヘラス』に収録された「人間都市アテネ」です。大都市が舞台のディストピア作品で、狙い澄ました最後の一文が衝撃的でした。
調べてみると、ブラゾプル女史はもともと幻想文学の分野ではよく知られた人気作家のようです。
そこで読んでみたのが、比較的最近の代表作『泥の谷』(Η κοιλάδα της λάσπης, 2014)でした。600頁を越える大作で、しかも三部作《プレスパの竜》(Ο δράκος της Πρέσπας)の一作目だそうです。
ヨアナ・ブラゾプル『泥の谷』 カスタニオティス社、2014年。 三部作《プレスパの竜》の第一部。 |
プレスパはギリシャ北方に広がる実在の湖です。北西はアルバニアに、北東は北マケドニア共和国に接しています。作品では、ギリシャ側の岸辺は雨の降り続く湿った気候に覆われ、まさに「泥の渓谷」が広がっており、岸べでは住民が張られたワイヤを伝って移動しています。
土砂降りの夜、国境の門番の老人は、嚙み切られた人間の片腕が小屋に放り込まれているのを目にします。実は十八年前に、ある乞食の男が湖に棲む《
怯えた老人は湖畔の小屋に住む小柄な教師ラオコオンを訪ね、消えた片腕の謎を問いかけます。この頭脳派ラオコオンが主人公のようです。他にも仲間が二人いて、湖水に浸かり《竜》のことばを聞く(!)リュンケウスと格闘にめっぽう強いルーマニア人レアンドロス、この三人がチーム《
何のチームかというと、以前から多くの《竜学者》が《竜》の正体を暴こうと、湖畔に住み着いて調査をしているのです。《Λチーム》三人だけではありません。その数、二十年間で三百人を超えるとか。しかし、一向に謎は解けません。実際に手足を齧り取られた者たちや暴行を受けた女たちの証言があるので、《竜》は幻覚とか象徴的な意味ではなく、実体があるようなのですが……
ちょうど同じ夜、見知らぬ若い女がこの老人の見張る国境を越えてギリシャに入ります。切られた腕の消失と関係があるのかもしれません。村の旅館にたどり着いた女は居合わせた《Λチーム》に声をかけられます。見知った仲のようにも見えますが、敵か味方かこれもまだわかりません。
と、ここまでは湖底に潜む怪異の正体を探る幻想小説か冒険小説のような感じです。
しかし、作者の狙いがどうも他にあるように感じられるのは、二つの出来事が起きて、ストーリーが本格的に動き出してからです。
まずは、丘に住む高利貸しの一家五人の惨殺事件が起こります。遺体の酷たらしい様は《竜》による殺害を思わせます。地元警察が市長や地方の監察官と協力して捜査を開始、パトロールが強化されます。国境地帯のことゆえ、不名誉な情報を他の二国に傍受されることがないよう、無線や携帯の使用は避けるようにとのお達し。なんだか警察ミステリかスパイ物っぽくなってきました。
もう一つの出来事はさらに重要です。ある人物がプレスパ湖畔を訪れます。世界開発銀行の大幹部でバルカン方面を統括するモーザーなるこの人物、絶対的な権力を意のままにふるうことで恐れられており、突然の視察で現地には緊張が走ります。
モーザーの登場によって、実は読み始めてからモヤモヤしていた疑問も明かされていきます。
その疑問というのは、この作品が一体どういうジャンルのものなのか? いえ、作品の分類自体はさして重要ではありませんが、竜を探し求める中世ファンタジー? 冒険物? 警察ミステリ? スパイ小説? 近未来SF? 『ギリシャの犯罪』がきっかけで(書籍紹介も読まずに)この長編を読み始めたのですが、足元がずっとグラグラ揺れるような感じは本の半分近くまで続いています。
もっと言えば、このモヤモヤ、グラグラ感の一番の源はジャンルの問題以前に、ある疑問に収束されるようです。
すなわち、ここで描かれているのは、いつの時代の話なのか?
場所については、書名にも堂々と書かれているので、ギリシャ北部の国境地帯に間違いはないのでしょう。問題は舞台となる時代です。カバー絵を見るとなんとなく中世ファンタジーの感じですが、画家の想像力によるのかもしれず、作家がどこまで絵のデザインに関わったのかは分かりません。
しかし、作品自体の時代の曖昧性は、作家が敢えて仕掛けたもののようです。
というのは、作品にはプロローグとエピローグが付されているのですが、そこには錬金術師とその弟子が登場し、少々コミカルなやり取りの中で、《黒の世界》を見せてやろう、と錬金術師は告げます。そうして、本編が始まるのです。
外枠の物語がそんなふうに設定されている以上、内側の本編も中世の物語に違いないというモードで読者は読んでいくことになります。雨が降り続き、泥に沈む集落。落雷を受ける旅館。境界を守る老門番、竜に噛み切られた腕、と中世ファンタジーの世界に入り込んでいく……と思われたのですが、境界を越えてきた謎の女が「サングラス」をかけていた、という部分で「ん?」となります。その後、バス、バイク、無線、携帯、さらに警官隊にヘリ、パラシュート部隊までが飛び出して、読む側の時代感覚が揺れ始め、グローバル経済を牛耳る国際的な金融機関の大幹部が乗り込んでくるとなって、作品の時代背景がようやく姿を現します。
どうも経済を独占する一握りのグループが動かす近未来の世界、ディストピアの世界のようです。ただし、宇宙船とかアンドロイドが出てくるわけではなく、あくまでも近い未来の話。住民はむしろ現在(あるいは中世?)を思わせる素朴な暮らしをしています。ただし、経済が沈む中で暮らしの向上のために、国外の支配者たちには従順に、しかし《竜》伝説を利用して観光業を振興させるたくましさも持ちあわせています。
エリサヴェト・コジャという文学研究者の労作『ギリシャ散文1974‐2010』(Ελισάβετ Κοτζιά, Ελληνική πεζογραφία 1974-2010)では、ブラゾプルは「幻想文学」の章の代表的な作家に一人に挙げられており、「ディストピア」の節では真っ先に名前が出てきます。
《ディストピア》は現実世界を見詰めながら、これが極端にマイナス方向に捻じ曲がった異形の世界を見せるスタイルです。プラゾプル作品でもその小説世界の背後にはギリシャの苛酷な現実と苦難の歴史が透けて見えるようです。ドイツ風の名前モーザー、高圧的なその態度、世界開発銀行の地方への強硬策、バルカン地方の経済沈下など、明らかにギリシャ経済危機やEUの覇者である国が念頭にあるのでしょう。「人間都市アテネ」にも通じるものがあります(あの場合のモチーフは第二次大戦でした)。
もちろん、これらは背景となるモチーフであって、物語を動かす出来事の繋がりと流れが本書の魅力であるのは言うまでもありません。《竜》の正体をめぐる謎、《竜学者》たちの抗争、高利貸し一家殺害事件の真相、大銀行幹部と現地の住民との軋轢など、解き明かしてもらいたい問題が山盛りで、最後まで読み続けてしまいます。
さらに、不思議な片腕の少年が途中から登場し、その運命がストーリーの主軸になっていきます。少年は何らかの理由で《竜》と深い因縁があるようです。狭苦しいプレスパを逃れて外の世界に出ようとしていますが、高利貸し殺人に絡んで警察に追われる身になり、読者もまたいつの間にか、《Λチーム》が彼を無事逃亡させられるのか、ハラハラしつつ見守ることになります。
本作は2015年の「アテネ学士院コスタス&エレニ・ウラニス協会賞」及び、同年の「雑誌《クレプシドラ》・文芸クラブ《エナストロン》文学賞」を受賞しています。
続くシリーズ二作目『琥珀の荒野』(Κεχριμπαρένια έρημος, 2019)と完結編『氷の記憶』(Η μνήμη του πάγου, 2023)もすでに出ています。《竜》の怪異をめぐる同じ出来事を、それぞれアルバニアと北マケドニアの側から描く壮大な試みのようです(《竜》へのアプローチも国によって異なる)。『氷の記憶』は2024年6月に《
なお、ディミトリス・ママルカス『スティーヴン・キングのように殺せ』も同賞にノミネートされています。
ヨアナ・ブラゾプル『琥珀の荒野』 三部作《プレスパの竜》の二作目。砂に襲われる北マケドニアのお話。 |
ディミトリス・ママルカス『スティーヴン・キングのように殺せ』 (『~のように殺した』かもしれません。この動詞は両方の意味があるので)。 |
《プレスパの竜》シリーズ以外に、ブラゾプル作品にはやはり閉塞的な世界が舞台の『ナディールの化粧室』(Το μπουντουάρ του Ναδίρ, 2003)や『無実の罪悪感』(Η ενοχή της αθωότητας, 2011) などがありますが、特に話題になったのが、『ロトの妻は何を見たのか』(Τι είδε η γυναίκα του Λωτ; 2007)です。欧州やアフリカの一部が水に没した世界で、新たに見つかった紫の塩の専売を武器に、ある企業集団が経済を支配するという壮大なディストピア物らしい。(ロトの妻は旧約聖書に登場。崩壊するソドムから脱出する際に戒めを破って振り返ったために塩の柱に変えられてしまいます。この作品では何を見たんでしょうか?)
ヨアナ・ブラゾプル『ロトの妻は何を見たのか』 カスタニオティス社、2021年(初版2007年)。 |
同作品は英訳され、2013年12月3日のThe Gurdian紙のレヴュー《Best science fiction books of 2013》で、キング『ドクター・スリープ』やアトウッド『マッドアダム』と並び「ベストSF」の一冊として挙げられています。「ブラゾプル初の英訳作品は、未来の環境破壊と人類の疎遠な関係を描く、美しくも不気味な長編」との評。
Best science fiction books of 2013 | Best books of 2013 | The Guardian 【The Gurdian紙のレヴュー《Best science fiction books of 2013》.】 英訳版Ioanna Bourazopoulou, What Lot’s Wife Saw Black & White Publishing, 2013. |
◆もう一つの湖の物語
さて、他にもプレスパ湖が登場する長編作品があります。それどころか、堂々と題名に出てきます。『泥の谷』を読んで以来気になっていたので、手に取ってみました。
ソフィア・ニコライドゥ『惑星プレスパ』(Σοφία Νικολαΐδου, Πλανήτης Πρέσπα, 2002) です。
「ニコライドゥ」と言えば、『ノヴァ・ヘラス』のSF作家ディミトラ・ニコライドゥやミステリ作家カテリナ・ニコライドゥ(見立て連続殺人の『死に至る七つの徳』2022年。いつかご紹介予定)がいますが、こちらは純文学のソフィア・ニコライドゥです(奇しくもブラゾプルと同じ1968年生まれ)。
ソフィア・ニコライドゥ『惑星プレスパ』 ケドロス社、2002年。 |
読み始めてまず驚くのは語り手の正体。驚くなかれ、セルラティア・ルビネアなるバクテリアです。パソコンのハードディスクだろうが、主人公の脳内だろうが、どこでも自由自在に入り込み、あらゆる秘密を語ってくれます。言ってみれば「神の視点の一人称語り」みたいなものでしょうか。
主人公のエヴドキアは中世(ビザンツ)考古学を専攻する大学院生で、プレスパ湖畔での発掘に参加しながら博士論文を準備中です。ある日、現場で不思議な象牙の櫛を掘り出しますが、その所有者を調べていくうちに、11世紀のプレスパ一帯の秘史にはまり込んでいきます。さらに新たな写本も発見され、そこに書かれていたのは、洞窟に住む魔女、追放されたその息子、「
中世の奇妙な物語と並行して、現在の生臭い出来事も描かれます。世紀の大発見を目指して発掘を指揮するやり手教授は、有能な競争相手を大学から追い落とし、エヴドキアの院生仲間は飛び切りの論文ネタを入手しようとして狡猾な手口をふるいます。エヴドキア自身の幻想的な恋愛パートもありますが、そんな中で、彼女の額の傷跡やら、祖母の口ずさんでいた子守歌などが暗示めいた手がかりとなって、二人のエヴドキアの間につながりがあることが徐々に明かされていきます。「自分の死の三年後、髪の束を湖に投げ入れよ」だの「海の香りの卵が出されれば是非食べるように」など現在の世界も魔訶不可思議な予言に満ちています。
あまりに盛りだくさんなので、どの辺に焦点を合わせればいいのか、読んでいてちょっと戸惑いますが、面白かったのは中世の秘史でした。邪教信仰の毒々しい世界が広がり、最後には女戦士率いるプレスパ軍とビザンツ帝国軍との一大決戦絵巻となります。
ひとことで言うなら、《歴史幻想小説》とでも呼ぶべきでしょうか。
ただし、人を食ったバクテリアの語りは強烈で、上に挙げたコジャ『ギリシャ散文1974‐2010』では「諷刺文学」の章に入れられています。暗くて悪夢のような物語に対比されたユーモラスな饒舌は息抜きになるのですが、ストーリーの進行を止めてしまいがちで、この設定が成功しているかどうかはちょっと疑問です。
『惑星プレスパ』はニコライドゥの比較的初期の作品ですが、その後次第に作風を変え、複数の世代の家族や学生たちの精神性の変容、その背景となるギリシャ現代史の深刻な影響などをリアルに描くようになって来たようです。現在の代表作としては『今夜私たちに友はいない』(Απόψε δεν έχουμε φίλους, 2010)、『象たちは踊る』(Χορεύουν οι ελέφαντες, 2012)、『最後に勝つのは私』(Στο τέλος νικάω εγώ, 2017) の三部作が挙げられます。
他に(紹介文を見る限りですが)ミステリ寄りで面白そうなのは『VOR――法を越えて』(VOR Πέρα από τον νόμο, 2021)です。ソ連崩壊後、起重機と油田、それにカラシニコフで権力を握ったモスクワのギャング団がテサロニキ進出を狙う……らしい。
ソフィア・ニコライドゥ『VOR――法を越えて』 メテフミオ社、2021年。 |
『ギリシャ幻想短篇集』第6巻にはニコライドゥの「初めての食事」(“Το πρώτο γεύμα”, 1999年)が入っています。冷蔵庫が独り言をつぶやくという、『惑星プレスパ』の線上のような奇抜な設定。切れ味鋭い掌編で、ちょっと久生十蘭を思い出させます。
マキス・パノリオス編『ギリシャ幻想短編集』第6巻 エオロス社、2012年。 |
◆欧米ミステリ中のギリシャ人(32)―― アン・ズルーディのギリシャ人(4)――
今月も、アテネから来た謎の調査員、ヘルメス探偵の冒険譚を続けたいと思います。アン・ズルーディの第四作『悲しみの聖母』(2010年)です。
今回のエピグラフはウェルギリウス『アエネーイス』から。「彼女の憎悪に気がつかぬのか。さっさと逃げるがよい」と英雄アエネアスに向かって、夢に現れたヘルメスが警告します。英雄が旅路の途中で出会った恋人ディードー女王を捨てようとしているからです。つまり今作では女性の復讐がテーマになるのでしょうか。
プロローグでいきなり海難事故が起きます。
百五十年前のこと、エーゲ海のカルコス島(いつものように架空の島)へ向かう帆船が難破し沈没しかけますが、聖母が姿を現し乗組員を救います。とともに島に流れ着いた船の少年は、感謝の念からやがてイコン画家となります。その後聖母のイコンを祀る《悲しみの聖母》教会が建てられて、島民の信仰を集めていきます。
かくして現在へ。教会を訪れのイコンに見入るひとりの男。大柄で突き出た腹。イタリア製のスーツにラコステのポロシャツ。白髪交じりの巻き毛。フクロウのような丸眼鏡は学者風。時代遅れの白い布のテニスシューズと来れば、もちろん探偵ヘルメスの登場です。傍らではリノス司祭がイコンの奇蹟を熱心に説きますが、美術的にも五億ドラクマという桁外れのお宝のようです。
今回ヘルメスは豪華ヨット《アフロディティ号》で来訪しています。船員イリアスと腕利き料理人エンリコが甲斐甲斐しく仕え、なんだかVIP度が上がって来てます。「わたしは警察の人間ではありません。もっと高い権威のために働いています」なんて、相変わらず正体は謎ですが。イリアス&エンリコは今後ヘルメス軍団のメンバーになっていくんでしょうね。
ヘルメスは島で旧友カーラと再会しますが、彼女は博物館に勤めており、美術品の目利きのようです。問題の聖画を調べたところ、何と贋物である可能性が出てきます。
島一のイコン画家と自他ともに認めるソティリスという名の老人が登場し、イコンを描くのは才能じゃない、忍耐と献身と信仰なんじゃよ、などと極意を語ります。素描されるイコンの工房もなかなか趣きがあります。
ところが、このソティリス老、このところ手に震えを感じ始めており、制作に集中できないようです。そんな折、仲のいい孫のサミー(祖父と孫二人の掛け合いも楽しい)と漁に出ますが船上で急死してしまい、おまけに助けを呼びに海に飛び込んだサミーも溺れかけます。医者は心筋梗塞だと見立てますが……
題名、プロローグに登場する《聖母のイコン》が事件のモチーフになります。
神を信仰する中で、もともと板切れに描かれた絵にすぎないイコンがどれほどの役割を果たすのか。ギリシャ正教はかつて激烈な論争と対立を繰り広げた歴史があります(偶像破壊論争とか)。しかし、もちろん本作で神学論争が出てくるわけではありません。それよりもう少し世俗的な、美しいイコンを目にして素朴に感じる疑問――宗教芸術の本物と贋物の違いとは何なのか? 信仰の力は贋物を正当化することができるのか?――が、探偵ヘルメスと司祭やイコン画家の会話を通じて炙り出されます。ヘルメスはあくまで理性論者で、キリスト教芸術に惹かれることはありません(オリュンポスの住民なので)が、イコンに込められた信仰は尊重する態度を取ります。
事件自体は割と小粒です。ソティリス老の死を軸にストーリーが動きますが、事故か謀殺なのか、なかなか明らかにされません。結局病死だった可能性もあります。徐々に登場人物たちの軽率なふるまいや愚かな行動が見えてきますが、邪悪な重犯罪にはなりません。ならば、冒頭エピグラフの、英雄を逃亡させたほどの「憎悪」とは何なのか。
いつものように、ヘルメスが一歩一歩調査するうちに、島の旧弊な閉鎖社会の中に埋もれ隠されてきた悪の根が明かされていきます。動機も金銭とか愛憎ではなく、非常に人間くさい根源的なものです。悪意と偶然が縺れ合って老人の死を引き起こした皮肉な連鎖が暴かれる時、何十年も苦しんできた者には赦しが与えられます。
読後の心地よさはこのシリーズの特徴です。
ズルーディ・ミステリのお楽しみの一つは、やっぱり食べ物でしょう。
今回初登場はナス料理のパプツァキ(παπουτσάκι)。「ちっちゃな靴」の意味です(「靴」は「パプツィ」)。「ニンニクを効かせたミートソースをナスに詰めてチーズをたっぷり振りかけ、濃厚なホワイトチーズと一緒に焼いたもの」で、料理人エンリコ(ヘルメス組のフリッツ・ブレンナーですね)が腕をふるいます。
この料理について懐かしい記憶を一つ。
ギリシャの
https://el.wiktionary.org/wiki/%CF%80%CE%B1%CF%80%CE%BF%CF%85%CF%84%CF%83%CE%AC%CE%BA%CE%B9#/media/%CE%91%CF%81%CF%87%CE%B5%CE%AF%CE%BF:Alberg%C3%ADnia_farcida.jpg 【パプツァキ(παπουτσάκι)。中をくりぬいたナスに挽肉ソースを詰め、上にべシャメルソース(μπεσαμέλ)をかけて焼きます。】 |
ギリシャ料理にはナス(μελιτζάνεςメリジャネス)を使った美味しいものがいろいろあります。マルカリスのハリトス警部やオスマン朝の宦官探偵ヤシム(グッドウィン『イスタンブールの毒蛇』)のお気に入り「メリジャネス・イマーム」(μελιτζάνες ιμάμ) も同じくナスの詰め料理です(エッセイ第14回。別名「イマーム・バイルディ」(=おいしすぎて坊さんが気絶した)、ιμάμ μπαϊλντί)。パプツァキに対して、こちらは玉ねぎ、トマト、薬味のパセリなど野菜を詰めて、チーズなしで焼き上げます。
https://dairy-free.eu/imam/ 【メリジャネス・イマーム(μελιτζάνες ιμάμ)。ナスに玉ねぎ・トマトなどを詰めて焼く精進料理。】 |
日本でよく知られた「ムサカ」(μουσακάς)は、ナス以外にジャガイモやひき肉ソースを(ミルフィーユのように)層にして焼いたものです。これもけっこう探偵や犯罪者たちが食べています。マルカリス『チェは自殺した』(2003年のシリーズ第三作。エッセイ第14回で紹介)で、ハリトス警部の奥さんアドリアニが知人にレシピ―を伝授していました。
https://cookidoo.thermomix.com/recipes/recipe/en-US/r757122 【ムサカ(μουσακάς)。ナス、じゃがいも、ミートソースを層に積み上げて焼きます。】 |
甘いものには目がないヘルメス探偵、もちろんスイーツ選びにも抜かりはありません。
お気に入りはカスタードパイのブガッツァ(μπουγάτσα)ですが(エッセイ第19, 20回)、パン屋で「ありませんよ、女房が最近焼かないもんで」と告げられガッカリ。その代わり、見た目がユニークなカタイフィ(καταΐφι。または「カダイフィ」)を注文。「鳥の巣を思わせる焼き菓子で、シナモンで甘くしたナッツのペーストを詰め、上からシロップを糸のように振りかけて黄金色になるまで焼いた菓子」と説明されます。話に熱が入った店のおやじは続けて「決め手はシロップでね……女房はシロップにたっぷりとハチミツを入れるんです。シロップが濃いとすぐに底まで染みこんで、表面がカリッとして、なかはしっとりとした菓子が焼きあがる」。かくしてヘルメスは朝食にカタイフィを桃と食べることに(朝から高カロリー、大丈夫か?)。エヴィア島の探偵カペタノス警部のお嬢ちゃんもこれがお気に入りでした(エッセイ第11回)。
【シロップに漬けたカタイフィ。スイーツ屋(ζαχαροπλαστείο)の調理場で。(Ευαγγελία Γιαννούλη氏撮影)。】 |
【お土産用の箱入りカタイフィ。シロップがしっとりと、とはいきませんが。】 |
話は変わりますが、ギリシャらしい情景として、ストーリー中で何度も地震が起きます。特にこのカルコス島では多いらしいのですが、これが重要な役を果たします。
(ハリトス警部シリーズの『ゾーン・ディフェンス』(1998年)でも、冒頭いきなり地震が起きて島の斜面が崩れ、おぞましい犯罪が姿を現します。エッセイ第2回で紹介済み。)
ペトロス・マルカリス『ゾーン・ディフェンス』 2021年、キメナ出版。 ハリトス警部シリーズ第二作。以前のガヴリイディス社のものは絶版ですが、新たにキメナ社が版権を取って、次々と再版しています。 |
地震によってある場所に隠されていた秘密が晒されてしまうのです。この秘密こそが全ての不幸の根源でした。
さらには、かつての島の地震が吸血鬼伝説にまでつながるという、不思議な展開になります。何年か前、主教の館の地下室が地震で崩れて死体がむき出しになりました。その際、地下室の扉がマルタ十字架によって封印されていたのが発見されます。ある人物の説明では、当時は吸血鬼たちが夜な夜な現れ、羊の乳を飲み農作物を掘り起こしては村を悩ましていたため、扉を封印したのだそうです。
「吸血鬼」はギリシャ語で「ヴリコラカス」(βρυκόλακας。ブルガリア語からの借用語)。ただし、血を吸うかどうかはポイントではなく、
現代のギリシャの小説にも吸血鬼の作品がどんどん増えて来ました。近年のものは欧米の小説や映像作品から直接影響を受けているようです。ずっと遡れば、バルカン地方のヴァンパイア伝承を取り込んだレ・ファニュやストーカーの作品の流れが、十九世以降の映画や小説を経て、今のギリシャに還流したのでしょう。ポリドリの吸血鬼も舞台のクライマックスはオスマン朝下のギリシャでした。
2017年のアンソロジー『闇』(Σκοτάδι) にはそのような若い世代の吸血鬼譚ばかりが27篇入っていて、楽しめます。悪鬼の呼び名が「ヴリコラカス」ではなく、(フランス語vampireから借用された)今風の「ヴァンピール」(βαμπίρ) となっており、新しい流れを感じさせます。
ホラー・アンソロジー『闇』 シンバンディケス・ディアドロメス社、2017年。 サブタイトルは「ギリシャ初のヴァンパイア短編アンソロジー」。 |
これに対して、中世ギリシャから民間に伝わる伝統的な吸血鬼伝説もあります。十九世に始まるフォークロア研究はこういった伝説を収集していますが、そこから素材を得た短編小説にも面白いものが残っていますので(例えば、パラスホス「吸血鬼の息子」)、いつかご紹介したいと思います。
吸血鬼伝説を信じ込んでいる村の老婆(自身も魔女の噂あり)に向かって、オリュンポス派というか、理性派のヘルメスは言います。「幽霊や吸血鬼といった話の裏には必ず何かが隠されているものです」。別にカー風の怪奇ミステリになるわけではありません(なってほしかったけど)が、悪意、信仰、癒しといった作品テーマとつながるエピソードになっています。
第四作まで来ましたが、ズルーディ作品の邦訳はあと一冊『ネメシスのささやき』が残るのみ。残念。読むのが惜しいです。原書では続いて長編が三作『ミトロスの牡牛』、『アルテミスの祭』、『ポセイドンの贈り物』と中編『十二月の悪鬼たち』が出ています。何とか翻訳を出してもらえないものでしょうか。
作者ズルーディのHPは以下にあります。 ■ギリシャ愛に溢れる彼女のFacebookは見るだけで楽しい。 |
橘 孝司(たちばな たかし) |
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台湾在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学の小説も好きです。 ギリシャ・ミステリ翻訳第二弾は少しずつ進行中。次回もう少し詳しくお話しできると思います。その作品の中で名前が挙がっていたので読んでみました。ドロシー・L・セイヤーズ『毒を食らわば』。謎解きや犯人との対決はたっぷり楽しめましたが、作者が主役ピーター・ウイムジイ卿に入れ込み過ぎてるのがちょっと引っかかりました。(私にとって)この辺がクリスティーとの違いです。ポワロは得体のしれない外国人としていい距離感で突き放して描かれる分、心地よい笑いを誘いますが、ピーター卿の方はこれはもう、作家自身が恋しています(ので、その部分は読んでて苦手)。 |
【ドロシー・L・セイヤーズ『毒を食らわば』。恋人ハリエット・ヴェイン初登場。ですが、卿が初見でなぜそこまで彼女に惹かれ信頼を寄せるのか、よく分かりませんでした。】 |
【アガサ・クリスティー『杉の柩』。翻訳中のギリシャ・ミステリ作品中では『毒を食らわば』への巧みな《返歌》として評価されています。】 |
エリサヴェト・コジャ『ギリシャ散文1974‐2010』。 700頁を超える大著。1974年(軍事政権が倒れて民主制に復帰した年)以降のギリシャ小説がサブジャンルごとに詳述され、さらに各作家のレトリック分析や社会とのつながりなど、卓見に満ちあふれています。何より目を引くのは「ミステリ小説」や「幻想小説」が独立した章として立てられていることで、本エッセイでご紹介した作家たちが次々に現れます(従来の文学史にはなかった光景に驚き)。 |