みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
◆ビザンツ歴史ミステリの魅力◆
残念ながらまだまだ少ないなあと思うのが、ギリシャの歴史ミステリです。歴史小説であれば中世を扱った作品はいろいろとあるのですが、ミステリ小説の作家や読者の興味はどちらかと言うと19世紀以降の近現代に向かうようで、古代や中世の歴史を取り込んだものは数えるほどしかありません。
そんな中で、本格的な歴史ものにして面白さ抜群なのがパナイヨティス・アガピトス(Παναγιώτης Αγαπητός)の中世ビザンツ・ミステリ《レオン司法長官》三部作です。
エッセイ第15回にも書きましたが、本の入手がうまくいかなくて、第二作『青銅の眼』から読み始める羽目になってしまいました。ただその後、残り二冊も無事購入することができたので、今回はそのお話をしたいと思います。
まずは、レオン長官初登場のデビュー作『黒檀のリュート』(Το εβένινο λαούτο, 2003年)です。ギリシャ・ミステリ全体としても、本格的な歴史ミステリの嚆矢となった記念すべき作品です。ビザンツ文献学の専門家にしてミステリ愛好家(ご本人が選んだミステリ・ベスト5についてはエッセイ第15回)アガピトス教授による作品、つまらないはずがありません。
![]() パナイヨティス・アガピトス『黒檀のリュート』 アグラ出版社、2003年。 |
中世ビザンツ帝国を舞台とする小説なら、初めてキリスト教を公認したコンスタンティノス大帝とか領土をやたらと拡げたユスティニアノス帝、あるいは、《ブルガリア人殺し》の異名を取る非情なバシレイオス二世とか、はたまたオスマン軍相手に壮烈な戦死を遂げた帝国最後のコンスタンティノス・パライオロゴス帝あたりの時代が選ばれそうに思いますが(実際、彼らが主役の歴史小説は多い)、ここでまず作家は設定をひねっています。
意外にも、ビザンツ帝国とサラセン帝国が対峙する九世紀、テオフィロス帝時代のお話なのです。小説的にはなんだかマイナーですが、しかし、歴史上は両国間の緊迫した関係に加え、それぞれの国内でも対立や反乱の危険を抱えた不穏な時期です。ビザンツ帝国内ではイコン破壊派の宮廷が擁護派の教会と対立し(いわゆる「
ビザンツ側は悪化して一触即発となったサラセン帝国との関係改善を図るため、首席司法長官レオンを国境に近いカエサレアへ派遣します。灼熱の町カエサレアは百年前サラセン軍の侵入で破壊されましたが、その後堅固な城壁を再建し交易でにぎわっています。レオン一行は帝国の十字架軍旗を立てて入城し、切れ者の将軍補佐官によって丁重に迎えらます。しかし、イコン論争やら中央と地方の権力対立の真っただ中ゆえにどうも不信感を持たれているようです。
![]() https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Kayseri1897.jpg 【1897年のカエサレア城壁。現トルコのカイセリ。】 |
レオン到着の夜、教会の典礼に出ていた判事の娘が誘拐され、城壁外の川べりで遺体となって見つかります。この殺人事件の謎がストーリーの主軸になります。
レオンはサラセン帝国への外交使節の途上で立ち寄っただけですが、その高位と職権のゆえに、まったく管轄外の殺人事件の捜査を押し付けられてしまいます。実は最近、町では若い女性の失踪事件が続いており、判事の娘の誘拐殺人もその一環ではないかとの疑いが持ち上がります。
持病の頭痛を阿片で抑えながら街角を駆けまわっては関係者から事情を聴き取っていくレオン。まさに主役探偵です。連続殺人のミッシングリンクを推理する面白さはもちろん、城壁下を貫く隧道での追跡やら真夜中の墓地での大アクション、と読者を飽きさせません。
しかし犯人探しも大事ですが、この作品の最大の魅力は何と言っても、細かな描写から立ち上って来る中世の辺境都市の生活臭です。
聖霊降臨祭を前にして、城市には人々が集まり旅籠や食堂が賑わいを見せます。近隣の町からは講談師がやって来てみごとな話芸を披露し、聴衆を熱狂させています。街角には絨毯屋、洗濯屋、風呂屋などが並び、食堂で客たちが殺人事件の噂話にふける傍らには流しの乞食歌手の姿も。国境の町ゆえ外国のスパイもあちこちに入り込んでいるようです。町外れの娼館では使節団を誘惑して機密を聞き出す密談が行われています。おまけに大主教座でも危険な陰謀の動きがあり、レオンは会見した大主教から驚くべき言葉を耳打ちされます。
さらに殺人事件の背後では、この時代ならではの不穏な国際情勢が胎動しています。レオン長官はそもそもの使命である両帝国の衝突回避ができるのか? また、レオンと熱き友誼を結ぶサラセン帝国のムタシム王子は自国内の反乱鎮圧に成功するのか? (レオンはムタシムから友情の証として高雅な《黒檀のリュート》を贈られており、折にふれ爪弾いては心を癒します)。
この辺の不気味な動静も、城内の連続殺人同様に読者の興味を引っ張ります。
物語を盛り上げるべく、主役の周辺には楽しいキャラが揃っています。
一番のおいしい役は帝国使節に加わったフォティオスなる人物で、後にコンスタンヌポリス総主教になり、膨大な量の貴重な読書記録を遺した実在の人です。当時はまだ僧院の蔵書に熱狂するオタク青年に描かれていて、読者の微笑を誘います。レオンの家令ニコラオス翁は小言が多いながら頼れる《爺や》。町の風呂屋の少年アンドニスはレオンを慕う小林少年タイプで、その危機を見事に救います。彼らはその後シリーズキャラになっていくのかもしれません。
もともと文学志望で、芸術家肌の主役レオン長官その人は、もちろん作者がもっとも力を込めて描写しています。しくじりながらも(ある強敵に何度も打ち負かされる)、ねばり強く捜査する忍耐力を備えており、まだ三十過ぎですが、副官カップルの恋愛を暖かく見守る度量も見せます(本人はさる修道女との悲恋の思い出があるようで、このエピソードは次回作で語られます)。
中世ギリシャの荒野の大都市に渦巻く活気、熱気、いかがわしさが詰まった、煌びやかな歴史ミステリ絵巻です!
それから三年後、雪積る厳寒のテサロニキでの『青銅の眼』(Ο χάλκινος οφθαλμός, 2006年)が起きます(エッセイ第15回)。
手首を斧で切り取られた高官の死体(P・D・ジェイムズ風ですね)に始まり、気が遠くなるほどの時と労力をかけた大規模犯罪をレオンが暴きます。その中でレオンはさる人物から護符《青銅の眼》をもらうのですが、その秘密は次作へ繋がっていきます。
![]() パナイヨティス・アガピトス『青銅の眼』 アグラ出版社、2006年。 |
そして三作目は『琺瑯のメドゥーサ』(Μέδουσα από σμάλτο, 2009年)。作者アガピトス教授は、キプロス大学のビザンツ文献学科で本業の方に打ちこんでおられるようで、泣いても笑ってもこれが最後のレオンの活躍となりそうです。
![]() パナイヨティス・アガピトス『琺瑯のメドゥーサ』 アグラ出版社、2009年。 |
灼熱の砂漠の町、厳寒の大都市と来て、三作目の舞台はエーゲ海の島です(かえって意外)。しかも面白いのは、クレタ島、ロドス島、ミコノス島といった有名どころではなく、スポラデス諸島のスキロスという島で事件は起きます。小説でこの島が舞台になるのは珍しい。
ちょっと位置を説明しておくと、エーゲ海の最大の島は南端のクレタ島で、その北にミコノス島やサントリーニ島などで知られるキクラデス諸島が散らばります。そのさらに北にあるのがスポラデス諸島です。もっとも有名なのが、19世紀後半の文豪パパディアマンディスを生んだ島スキアソスで、サイモン・ブレットの名探偵パージェター夫人も訪れています(エッセイ第29回)。その東には《ギリシャ・ミステリの父》ヤニス・マリスの出身地スコぺロス島。さらに東へずっと行くと問題のスキロス島があります。諸島中最大面積の島なのですが、陸地から最も遠いこともあってか、いまいち知られておらず、Google mapのストリートヴューもありません。現在からしてそうですから、中世にあって首都の威光の及ばぬ神秘のたたずまいや、推して知るべしです。
![]() The main village of Skyros island – Greece 【スキロス島。島都ホーラの町。岩にへばりつく様な家並みが特徴的。】 |
![]() Μνημείο Ρούπερτ Μπρουκ, Πλατεία Μπρουκ, Χώρα Σκύρου 【ブルック広場の詩人像。第一次大戦中に英国のルパート・ブルックという詩人が島で病死しており、島内にもブルック広場というのが残されています。】 |
冬のエーゲ海で帝国使節団を乗せた船が激しく揺られています。地中海性気候は輝く灼熱の夏から一転して、冬は雨が多く、海は荒れます(こんな時期にクルーズに出るのはハイスミスの無謀なリプリー君くらい)。クレタ島でサラセン人との和平交渉に失敗したレオンは失意の中、都への帰途にあります。相手の歓心を買おうと持ち来たった黒檀のリュートも助けとはなりませんでした。大嵐に襲われた船はスキロスなる島に漂着します。
もちろん絶海の孤島ではなく、ちゃんと住民はいるのですが、都からは遠く離れ、帝国使節たちにはほぼ未知の土地。何とか島の村長ガブリエルと交渉し、海岸で舟の修復を始め、十日後にはなんとか出航のめどが立ちます。その間に島の情勢が少しずつ明らかになって来ます。島では三つの有力な家族が張り合っており(獄門島の本鬼頭と分鬼頭みたいですが、一族ではなく別々の家系)、その一つガブリエル家は数年前にわざわざ本土のテーバイまで赴いて、帝国の常駐軍将軍から島の長に任命されたようです。
そうこうするうちに、大工の若者バシレイオスが建築現場で転落死。事故かと思われましたが、レオンは足場の様子、死体の爪の汚れ、手の姿勢を調査して殺人の可能性ありと推理します。勝手に現場をいじることなく、先入見を持たずに捜査せよ、と諭された若き海軍旗艦艦長ラディノスはレオンの慧眼に驚嘆させられます(ソーンダイク博士の祖先ですね)。今回の使節にはいつものイケメン副官ペトロナスが同行しておらず、代ってラディノスがレオンの助手を務めます。
脇役にはもちろんニコラオス老は外せません。齢七十を前に引退を考えており、《爺や》最後のお勤めです。あと、新たな小林少年役のダミアノスが登場(ストーリー最後にこの二人に対して見せるレオンの恩情が泣かせます)。
その後、アルハンゲリ祭の当日ガブリエル村長たちは森の中を駆けまわってキツネ狩りを楽しみますが、当のガブリエルが命を落としてしまいます。舞台は朽ちかけた《老人の墓》なる不吉な古代遺跡の前。しかも、顔面と肋骨が叩き潰されて心臓をまるごと抜き取られるという、あまりに禍々しい殺され方です(M・R・ジェイムズか)。腹を空かせていた猟犬が主人ガブリエルに牙をむいたのだろうかとか、あり得ない珍説が飛び出しますが、もちろんしっくりしません。大工の転落事件とのつながりも全く不明です。
レオンは不案内の土地で、十日間という限られた時間の捜査を請け負います(おなじみ名探偵の宿命)。
いくつかの縁談話を進める三つの旧家は平穏な仲に見えますが、一歩中へ入ると因習とドロドロした人間関係が渦巻いています。調査が進むにつれ、十七年前の謎の失火、そのため失明した人物、責任を負わされ追われた者、一家の実権にしがみつく老いた家長など、あちこちで暗い因縁が炙り出されていきます。ホスピタリティー溢れる陽気な顔で登場した故ガブリエルもまた暴虐的な性癖を秘めており、墜落死したバシレイオス青年やその親方と敵対するのみか、自身の家族に対しても横暴にふるまっていたと言います。
ただし、各々の言い分が食い違っているため、誰が嘘をついているのか、虚偽と真実が交錯し、話は俄然面白くなっていきます。
さらにややこしいことに、島には怪しげな余所者たちが住みついており、彼らが事件をひっかきまわします。
帝都から追放された元軍人とサテュロスを思わせるイカれた従者は、最初からレオンに敵意をむき出しで何やら陰謀を企てている模様。砂と難破船の残骸で面妖な彫刻を作り上げる通称《海賊》や、プリア岬の洞穴に住みついて天体観測に没頭する隠者も得体が知れません。特に、この隠者シメオンの岩屋の中は学者の書斎を思わせる異様さを誇り、王宮の敵対者の偶像崇拝派とは言わぬまでも、異端の匂いをレオンは嗅ぎ取ります。
![]() Άγιος_Νικόλαος_(αρχές_19ου_αιώνα)_στα_Πουριά. 【北部プリア岬の聖ニコラオス教会。隠者シメオンの岩屋のモデル?】 |
極めつけは魔女と噂されるレウコテア(漂流するオデュセウスを救ったニンフと同じです)。奇妙な悪夢に悩まされていた故ガブリエルはレウコテアの砂占いに頼り、悲惨な運命を告げられていました。その悪夢に登場した建物というのが、本人が一度も訪れたことのない首都の、しかも限られた者しか入れないマグナウラ宮殿内の記念堂であることが分かって謎が深まります。次第に不可能犯罪めいてきました。
レウコテアの庵を訪れたレオンが目にするのが、彼女の作成した琺瑯引きのメドゥーサの絵です(書名はここから)。レウコテアはレオンが首にかけた《青銅の眼》と自身の《琺瑯のメドゥーサ》はともに持ち主を邪悪から護ってくれるが、《眼》は感情と欲求を内部で抑制しつつ、《メドゥーサ》は逆に奔放に活動を許しながら対照的な力を発揮するのだよ、と魔訶不思議な話をします。
レオンはまるで異教の世界に迷い込んだかのように眩暈を感じます。
前二作では、キリスト教国家とサラセン国家の敵対、あるいはイコン破壊派の宮廷とこれを死守するテサロニキ主教座の対立が、それぞれストーリーの背景に置かれていました。今回は、すでに帝国の国教となったキリスト教と遠く首都を離れた島に残る古代信仰との緊迫した関係が描かれます。
首都で法を司るレオン長官は、あくまでキリスト教の教えとローマ法(ビザンツ帝国は当時の民にとって依然「ローマ帝国」の理解)に則って万事を治め、古代の占星術などご法度の立場を堅持しなければなりません。しかし、もともと文学肌の人物ゆえに魔女や隠者の神秘的な警句に取り込まれていきます。
司法長官としてのレオンの苦悩を察した隠者は、古代劇「アガメムノン」をもじって「正義は夜明けの光とともに、苦闘した者たちのもとを訪れるはずじゃよ」と諭しますが、レオンは「しかし悲劇が起きた後では、裁判官こそが正義に意を配らねば」と自らの責任を奮い立たせます。
悩めるレオン長官の最後の物語。旧家に支配された知られざる島の怪奇な事件は、無事大団円が迎えられるのでしょうか?
作者アガピトスは、自身が高く評価する外国ミステリベスト5の一冊として『ナイルに死す』を挙げています(エッセイ第15回)。この《レオン長官シリーズ》最終編にも、クリスティーの有名作へのオマージュが込められており、重厚な歴史ミステリとはいえ、華やかなエンタメ路線は外していません。
◆髑髏の語る奇妙なお話◆
ひとつミニ情報です。
十九世紀末のアンドレアス・ラスカラトスという風刺作家について、エッセイ37回でちょっとご紹介しました。ギリシャ初のSF(っぽい)短編「木星への旅」の作者です。この人の「モスクワのさる家庭で
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◆欧米ミステリ中のギリシャ人(34)―― アリステア・マクリーンのギリシャ人(2)――
前回に続き、マクリーン作品に出て来るギリシャ人のお話です。
戦争冒険小説の金字塔『ナヴァロンの要塞』の4年後に、映画版「ナバロンの要塞」(1961年)が公開されます(映画の方はなぜか表記が「バ」)。
どう見ても洒落た英国紳士デヴィド・ニーヴンの《ダーティー》ミラーはあり得ないだろとか、ギリシャの国民的女優イレーネ・パパスを出すために、おちゃめなルーキの役を消すなんて! とか、原作と比較するといろいろ言いたいこともありますが、ここは別メディアの作品だと割り切って楽しむ方がいいでしょう。とにかく戦争アクション映画として無類の面白さです。昔、白黒テレビの洋画劇場で見たときは、(まだ序の口だというのに)登攀シーンだけで息が付けなくなりました。
ギリシャ軍、英国軍が撮影に全面協力し、ロドス島やイタリア、マルタの島々でも大掛かりなロケが行われたそうです。
前回書いたようにナヴァロン島は絶海の孤島ではなく、人口五千人ほどの島をドイツ軍が占領し巨砲を据えて要塞化したので、住民の日常生活は抑圧されながらも続いています。
ギリシャがらみで印象に残ったシーンをいくつか書いておきます。
マロリー大尉一行は婚礼が行われている村の広場を堂々と訪れますが、ここで映画版のメンバーが一人増えた(小説の五人が六人に)理由が明らかになります。
怪しんだ傍らのドイツ兵たちが乗り込んできて緊張が走りますが、ウエイターの機転で救われます。会衆はホッと一息、バイオリンやクラリネットでギリシャ民謡が始まります(東方起源のリュートや弦を撥で打つサンドゥリも見えます)。マロリー・チームのギリシャ人パパディモス一等兵は調子に乗って、いきなりソロで「ナ・ハミロ、ナ・ハミロナン・タ・ヴナァァァ~」。その後の一行の運命は……ご想像通り。演じるジェームズ・ダーレンは歌手としても知られる俳優だそうで、ミッション忘れてご機嫌で歌っています。この人をスクリーンに出したいがために、ただし歌唱力抜群だけではマロリー・チームにスカウトされないので、《殺し屋》の異名を取る若き兵士として参加させたのでした(私の邪推)。
問題の歌は民謡「浜辺に沿って(ヤロ・ヤロ)」。ヤロス(γιαλός)「浜辺」は正しくはエギヤロス(αιγιαλός)と言い、ホメロスの詩にまで遡る古い語です。明るいサビの部分は村人みんなで合唱となり、ハードなストーリーにつかの間の安らぎを与えてくれます(グレゴリー・ペックもちょっと口を動かしてるようにも見える……)。
■「ナバロンの要塞」のギリシャ語講座――村の婚礼篇■ |
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Εις τον αφρό, εις τον αφρό της θάλασσας ** **繰り返し |
意外なお楽しみはもう一つあります。グレゴリー・ペックのギリシャ語が聞けるのです(エッセイ第27回でも少し触れました)。
マロリー・チームはギリシャの漁師に変装してナヴァロン島へ向かいます。独軍の哨戒艇と遭遇し停船を命じられますが、ギリシャ語が堪能なマロリーは(わざと敵に聞こえるように)部下に向かって「このオッサン、何言ってる?」とトボケて見せます。が、敵もさる者、すぐにギリシャ語に切り替えて来ます(原作では、マロリーが話すのは島の方言ではなくアテネの標準語だが敵には分かるまい、などと細かいツッコミがあります。映画でも話しているのは標準語)。
■「ナバロンの要塞」のギリシャ語講座――グレゴリー・ペック篇■ |
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Τι λέγει; Τον καταλαβαίνει κανείς; |
Εντάξη(エンダクシ)「オッケー」は役に立つ「とっさの一言」です。
ギリシャ語では言語名や国名の言い方が古風です。「ドイツ語」はγερμανικά(ゲルマニカ)。「ドイツ」がΓερμανία(ゲルマニア)、「フランス」Γαλλία(ガリア)、「スイス」Ελβετία(エルヴェティア)と来れば、もう「ガリア戦記」の世界ですね。
マロリー大尉は実はドイツ語もペラペラの設定なのですが、ウィキ情報によるとグレゴリー・ペックのドイツ語の訛りが強くて吹き替えたそうです。ただし、上のギリシャ語は本人の声のような気がします。
歌の小ネタをもう一つ。
主題曲には歌詞がつけられて大ヒットしました。有名なのは1950~60年代に活躍したミッチ・ミラー合唱団によるものです。
《ヒゲのおじさん》ミッチ率いる男性合唱グループのベスト集(なつかしい)。「戦場にかける橋」「史上最大の作戦」「大脱走」「黄色いリボン」「いとしのクレメンタイン」など超有名な戦争映画やウエスタンの主題歌を歌っています。
子どもの頃家にあったカセット(CDもなかった時代)を聞いて、
歌詞は、「ギリシャの島は美しき緑/崖の上に隠されたナヴァロンの巨砲/もう一つの島ケロスには/二千の将兵が破滅まぢか/女王陛下の艦隊も阻止され/いかに救出すべきか/ちっぽけな漁船で崖に向かう六人の工作員」と、映画公開後に付けられたからでしょう、完全にネタバレしています(メンバーの所持品まで明かしてる)。最後は「巨砲は吹き飛びミッション完了!」となって、「さらば、友よ/かくして伝説は終わり/ナヴァロンの鐘が鳴り響く、
Γεια σου(ヤースー)」は原義が“your health”なので、人に会った時も別れる時も「やあ」「じゃね」の感じで使えます(「カリメーラ」よりくだけた挨拶)。やや改まったときや相手が複数の場合は、Γεια σας (ヤーサス)」になります。
映画版が大ヒットした七年後、続編の『ナヴァロンの嵐』(1968年)が出版されます。
ただ、こういうのはちょっとね。いかにも「柳の下」狙いのようで、正直心配です。
冒頭はナヴァロンの巨砲が崩れ落ちるさまを艦上から見守るマロリーたち。これでは映画のラストそのまま。読者の不安は募ります。
その後休む暇もなく、
出発前にナヴァロン島でアンドレアとマリアの結婚式があわただしく執り行われますが、ここでもやってしまいました。そもそもマリアは映画版でギリシャの大女優イレーネ・パパスを出したいがために、無理やりねじ込んだ役(エレクトラもクリュタイムネストラも演じられるパパス本人の存在感は別格ですが)。かくして原作の、ダルタニアンを思わせる魅力のレジスタンス兵ルーキは小説でもいなかったことにされてしまいました(!)。映画便乗でなんだかなあ、です。
ともかく、マロリー大尉、《ダーティー》ミラー、アンドレアのトリオが爆撃機に乗り込み、今度はユーゴスラヴィアへ飛びます。
ナヴァロン島と違って、今回のミッションはちょっと地味な感じ。と言うか、狙いがなんだか胡乱でモヤモヤしています。
当時のユーゴスラヴィアの国情が複雑ということもあるのでしょう。ギリシャ同様1941年にナチスドイツ軍に占領されたユーゴでは国王が英国に亡命し、国内では新独の傀儡政権が立てられます。反独レジスタンスはまとまっておらず、共産系チトー派と王党派の二系統があるのですが、政治思想的に正反対の二者は共闘を拒むばかりか、やがて敵対することになり、王党派は何とドイツ軍と手を組みます(亡命政府、傀儡政権、レジスタンス間の対立・武力衝突はギリシャの場合と似ています)。そんなわけで、まず王党派レジスタンスに接触するマロリー三人衆ですが、なんで傍らにドイツ人将校が?とちょっと分からなくなります。
ともかく目標は山中に囚われた英国スパイ四人の救出。マロリーたちは麻薬密売人に変装して潜入し、英国コマンド隊員三名の支援も受けながら、一応は成功したかに思われます。
ところがこの作品の魅力はその後です。次第に、深慮遠謀をめぐらせた大規模作戦の真の目標が明らかになるにつれ、どんどん面白くなって来ます。
最後にボスニア山中で迎える大クライマックスは前作にも決して劣りません。
『ナヴァロンの要塞』が剛速球の直球勝負なら、こちらはやたらと軌道を変える変化球の趣き。色合いは違えど、なかなかの傑作でした(最初さんざん文句を言ってすみません)。
マクリーンは1987年に亡くなりますが、その前年に出たのが遺作の『サントリーニの牙』。
ナヴァロン作戦の舞台だった第二次大戦からすでに四十年以上が過ぎ、世界は大規模な冷戦に軍拡競争を経験して、共産圏諸国が崩壊へと向かう時期です。ギリシャは1952年にトルコとともにNATOに加盟し、西側の一員になっています。
キクラデス諸島南端のサントリーニ島沖合で、NATOフリゲート艦《アリアドネー》号が米爆撃機の墜落を探知します。飛行機にはある兵器が搭載されていました(船名《アリアドネー》はギリシャへの外交サービスだった、と言うのが笑えます。神話の英雄テセウスがクレタの迷宮から脱出するのを手助けした王女の名です)。
同時に付近を航行中のギリシャの豪華大型ヨット《デロス》号があおりを喰らって沈没し、船員三人が亡くなります。しかし偶然とするにはどう考えても怪し過ぎる。
現場からは不可解な信号音が発信され、英国海軍タルボット中佐たちが探査を命ぜられます。エレクトロニクス担当のデナム大尉という部下が登場し、笑いを取ってくれます。古代と現代ギリシャの熱烈な賛美者で、《デロス》の名を耳にするや、やにわにバイロンの詩を口ずさみ(タルボット中佐は「キミの言いたいことは分かった。嘆くのは明日にしときたまえ」とにべもなし)、むきになってトロイアの王女カッサンドラの故事を解説したりするあたり、『ナヴァロンの要塞』のアンディー・スティーヴンス大尉の再来ですね。
嬉しいことに、ナヴァロン・シリーズの二作以上にギリシャ人が続々と登場します。
敬意を表して名前を挙げておくと、《デロス》号船長アリストテレス、オーナーのアダマンディオス・アンドロプロス、友人アレクサンドロス。この三人は北部のマケドニア方言で会話しています。「マケドニア方言を聞くとホッとしますね」とはギリシャ・オタク、デナム大尉の感想。搭乗のイレーネとエヴゲニアの女性二人はアテネの大学に通い、古代と現代ギリシャの文学を専攻しています。他にも、アテネやワシントンでスペクターばりのとんでもない陰謀を巡らすギリシャ人たちが名前だけのチョイ役で出てきます。
ただ正直なところ、冷戦時の敵の犯罪は大規模になりすぎて、『ナヴァロンの要塞』ほど個人の活躍が見られないのが残念です。かつての絶壁登攀や凍える雪中戦といった肉体の限界に挑むスリルとは縁遠くなってしまいました。原爆と水爆の威力の差なども、読者は頭の中で想像するしかありません。
鋼鉄の要塞に突入するノンストップ・アクションの前作に対して、今回は敵の動きを探る頭脳戦なので、それこそ牙で島に噛りついたかのようにストーリーは静かにじわじわと進みます。
ともかくも、巨匠が最晩年になって再びギリシャを舞台にした作品を遺してくれたことにひたすら感謝です。
橘 孝司(たちばな たかし) |
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台湾在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学の小説も好きです。 《一人称語りアレルギー》の克服は続きます。ナルシシズムの探偵がこれをやるとやっぱり苦手ですが、『嵐が丘』や『ジェーン・エア』、『ガリバー旅行記』に『ほらふき男爵の冒険』など普通文学というか純文学なら大丈夫です。作者が語り手・主人公に没入しすぎることなく、距離を置き(時に突き放して)冷静に見ているのが感じられるからでしょうか。 ウェブスター『あしながおじさん』も五十年ぶりに完訳版を読んでとても楽しめました。 書かれたのは第一次大戦前の1912年。孤児院育ちで読書好きの少女ジュディが、恩人《あしながおじさん》に書き送る手紙でストーリーが進みます。その時々の手紙によって文体が変わりますが、そこにもちゃんと意味があるのが面白い。17歳の多感な少女が自身の内面をしっかりと内省して、弱さまでさらけ出す語りが心地よく響きます。 「その瞬間、はっと気づきました。わたしはなんてばかだったのでしょう。少しでも知恵が働けば、百ものささいなことからわかっていたかもしれないのに。わたしはいい探偵にはなれませんね」 この時期ジュディはホームズ物語を読んでいたようです(前の箇所では「シャーロック・ホームズという名前も聞いたことがありませんでした」と告白してます)。 *ジーン・ウェブスター、岩本 正恵(訳)『あしながおじさん』新潮文庫、2017年。 *M・R・ジェイムズ『消えた心臓』。登場する悪魔めいた学者もビザンツ帝国の邪教に関する論文を書いていました。その挙句…… |