みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
 今回は歴史ミステリのお話から始めましょう。

◆新生ギリシャの王宮で

 ビザンツ・ミステリ三部作で妖しくも華麗なギリシャ中世の謎を満喫させてくれたパナイヨティス・アガピトスですが、レオン司法長官シリーズは残念ながら新作が望めそうにありません(エッセイ第15回41回)。となると、今のところギリシャの歴史ミステリをアトラスさながらに双肩で支えるのはこの人、テフクロス・ミハイリディスΤεύκρος Μιχαηλίδηςになります。二十世紀初めのパリ、ゲッティンゲン、アテネで若き数学者が巻き込まれる『ピタゴラスの犯罪』(Πυθαγόρεια εγκλήματα, 2006)やユスティニアヌス大帝期の豪華なミステリ絵巻『偉大なる聖堂の殺人』(Φονικό στη Μεγάλη Εκκλησία, 2019) はエッセイ第26回で触れてあります。


テフクロス・ミハイリディス『ピタゴラスの犯罪』
プシホヨス出版社、2025年(初版はポリス出版社、2006年)。
 
 

テフクロス・ミハイリディス『偉大なる聖堂の殺人』
ポリス出版社、2019年。

 今回ご紹介するのはミハイリディスの歴史ミステリ最新作『アマリアの宮廷の死体』(Ένα πτώμα στην αυλή της Αμαλίας, 2024) 。19世紀初めオスマン帝国に対して独立革命を起こし、新生なったギリシャ王国が舞台です。


テフクロス・ミハイリディス『アマリアの宮廷の死体』
プシホヨス出版社、2024年。

 うららかに晴れた四月の朝、アネモネやマーガレット咲き乱れるアクロポリスの丘を二人の女性が登っていきます。はるばる英国からやって来た旅人、若きフローと年上の画家セリーナです。正義感に溢れるフローは途中で子どもたちに虐められているフクロウを逃がしてやり、セリーナの方はイーゼルを据えて、アクロポリスのスケッチに耽ります。
 二人はアテネでヒル夫妻なる教育家と知り合います。アメリカからやって来た夫妻はこの新しい国に女子校を作り、将来を担う人材を育てようと情熱に燃えています。ところが、ヒル夫人の優秀な生徒だったアンゲリキが急死。ヒル校を卒業した後その能力と資質(趣味は読書、「マノン・レスコー」「危険な関係」がお気に入り)から王妃アマリアの侍女を勤めていたのですが、宮殿の高い窓から落下して亡くなってしまったのです。王宮の侍医は事故死と判断しますが、ヒル夫人に付き従って王宮に入ったフローは、侍女の部屋と遺体の様子から事故死に疑問を抱きます。フローの見事な洞察力・推理力に感銘を受けたアマリア王妃は、外国人で部外者ながら密かに事件を捜査するよう彼女に命じます。
 こうして、フロー、もうお分かりですよね、フローレンス・ナイチンゲールが活躍するギリシャ王宮の死の謎が幕を開けます。

 新生ギリシャは1830年にようやく独立国として国際的に承認されたものの、国内は様々な勢力に分かれて不穏な状況です。英仏露の列強国も自国に有利な、ありていに言えば忠実に従う舎弟にしようと、したたかな工作を展開中。猛烈な外交駆け引きの中で、バイエルンから初代国王オソンとアマリア王妃が迎えられます。王宮(現在は国会議事堂になっています)で営まれるのは一見して華やかな宮廷生活ですが、その陰ではドロドロとした陰謀が渦巻いています。

 フローは王宮の若き将校フランツを助手兼護衛官につけられ、じわじわと手がかりを追っていきます。英国での看護の経験から得ていた医学の知識に基づき、遺体の口と鼻の周りに付着した繊維、手首の黒痣、かすかに残る麻酔の匂いなどから、ホームズかソーンダイク博士ばりに、事故でも自殺でもない、これは他殺に違いないわ、と推理します。
 さらに同僚の侍女たちの証言から、亡くなったアンゲリキには愛人のいた可能性が出てきます。華麗な王宮に隠された愛憎のもつれか? 謎の愛人を探して、フランツ君はカフェニオでの聞き込みに向かいます。
 当時のカフェニオの描写が秀逸です。壁にはディアコス、ボツァリス、カライスカキス、パパフレサスといった革命戦士たちの肖像画がずらり並びます。ここはギリシャ人読者も思わず血が騒ぐシーンのはず(明治維新の英雄たちが顔を揃えた光景をご想像ください)。ヨーロッパから輸入されたばかりのビリヤード台を囲み、ある者は伝統のフスタネラにトルコの水煙管ナルギレ、ある者は洋装に乗馬ジャケットをはおりといった風情は、まるで和装洋装にちょんまげ散切り頭が入り混じる我が国の文明開化期のようです。

 当時のアテネ生活を日記に残したデンマーク人でクリスチアーナ・リュートという女性がいますが、その妹ハンナ(もちろん実在)は絵が得意です。フローのアイデアで、目撃者証言をもとに彼女に似顔絵を頼み、現代の刑事ドラマよろしく犯人を追いつめます。
 はたして、犯人は何らかの理由でアンゲリキを狙い、警備が厳重なはずの王宮に入り込んだのか? それとも、部屋が手ひどく荒らされていたのは、侍女の命以外に探し物があったからか? ならばそれは一体何なのか?
 抜群の推理力と胆力でフローが推理を進めるうち、痴情のもつれだと思われた事件には、深い政治的陰謀が隠れていることが明らかに。歴史ミステリと並んで、社会派ミステリも得意とするミハイリディスならではの展開です。
 いまだ弱小国のギリシャは、18世紀半ばのこの時期《ドン・パシフィコ事件》に揺れています。アテネ在住で英国国籍を持つ豪商ドン・パシフィコが現地のギリシャ人に妬まれて店を破壊され、損害賠償をギリシャ政府に訴えたものの相手にされず、英国政府に泣きついた事件です。これを好機と見た英国は抗議にかこつけてピレアス港を封鎖し、圧力をかけます。他方で、フランスも遅れを取るものかと強硬な対抗手段で横やりを入れてきます。まさにこの陰謀の渦と密にリンクした形で王宮の墜落死事件が発生したのでした。
 歴史政治ミステリとでも呼べばいいのか、実にワクワクさせてくれます。

 謎解きに加えて目を奪われるのは、歴史人物たちの豪華な共演です。
 シオドー・マシスン『名探偵群像』でもナイチンゲールは名探偵ぶりを発揮しますが、あれは1854年英国軍の看護師団リーダーとしてクリミアへ行く途中の事件でした。『アマリアの宮廷の死体』はそれより4年前30歳の時、(英国上流階級で定番の)グランドツアーでイタリアやエジプトを巡るついでにギリシャに立ち寄った際のことです。
 ナイチンゲールと言えば、反射的に《クリミアの天使》のイメージが浮かびますが、父親や家庭教師から哲学、法律、数学、外国語など英才教育を施され、看護の領域に得意な統計学を応用し、軍の衛生管理制度を改善させようと政府を動かした行動力の人です。ただ、このアテネ王宮事件は若き日のことで、伝統的な主婦の幸せを願う少々強引な母には反撥し、なんじの使命を果たすべしと神様からお告げを受けて、私の使命っていったい……と思い悩む姿が描かれます。アテネで事件捜査に没頭するうち、探偵こそ神さまの召命なんだわ、なんてつぶやくのは微笑ましい限りですが(そっちに進めば確かに名探偵として名を遺したはず)。ミハイリディスは参考文献をみっちり読み込んでストーリーを作り上げたようで、フクロウの子を救ったり、飼っている二匹のカメをヒル夫妻と名付けたりしたのも実話らしい。

『ナイチンゲールが生きたヴィクトリア朝という時代 』 《ナイチンゲールの越境》シリーズ全9巻。上流階級出身で教養があり、語学力、数学、統計学、衛生学の知識を武器に看護学の発展に寄与した様子が簡潔に説明されています。グランドツアーに関してはイタリア、エジプト部分に重点が置かれ、ギリシャ旅行はほとんど出て来ず。

村岡花子『ナイチンゲール 戦場に命の光』。
 赤毛のアンの村岡氏による子供向きの本ですが、伝統的なナイチンゲール像に触れられます。フクロウやカメの話も出てきます。

リン・マクドナルド『実像のナイチンゲール』
 毀誉褒貶の激しい伝説の人だったようで、膨大な研究書が出ていることを私は今回初めて知りました。この本の序にかいつまんで書かれてて面白いです。ただ、やっぱりギリシャ旅行の話はなし(アテネのフクロウのエピソードだけ)。

 アテネに同行した友人、画家セリーナ・ブレイスブリッジもまた実在の人物で、アクロポリスのスケッチが残されています。というか、ミハイリディスはこの絵にインスパイアされて冒頭シーンを書いたのでしょう。

セリーナ・ブレイスブリッジ「丘の上の要塞の町」。アクロポリスの北側を描いたもの。

 
 王宮関係の実在人物も次々に登場します。
 表紙絵のアマリア王妃は頭脳明晰で判断力に富む人物に描かれます。残念ながらオソン王はたいして見せ場がありませんが、宮殿を厳格に取り仕切るフォン・プリュスコ男爵夫人、子女の教育に燃えるアメリカ人ヒル夫妻、フランス公使邸で開かれたオーストリア人歌手カロリーネ・ウンガーとピアノニスト、イレーネ・プロケシュのコンサートなどの顔ぶれにより、絢爛豪華な絵巻物の世界が広がります。
 強烈な印象を残すのが、熾烈な駆け引きに明け暮れるクセ者外交官たちです。英国公使ワイズとフランス公使トゥヴェネルは、あの手この手でナイチンゲールから情報を訊き出そうとします(ワイズはナポレオンの姪レティツィアと結婚した人物)。ついでながら、このフランス公使の晩餐がまた豪華で、ドルマダキア(葡萄の葉の詰め物)、ラム肉の葡萄の枝焼き+レーズン入りライス、白チーズバゲット、デザートの蜂蜜ハルヴァ、と四皿がコースで運ばれ、それぞれにナクソス島やらサントリーニ島特産のワインが別々につくという凝りよう。
 さらにゲストスターとして、『ボヴァリー夫人』のフローベールと「人魚姫」のアンデルセンまでが登場。二人ともナイチンゲールとほぼ同時代にギリシャを訪れ、旅行記や手紙を残しています(邦訳もあり)。

『フローベール全集8 書簡 1』
 1849年10月から文学者マクシム・デュ・カンとともにエジプト、パレスチナ、シリア、トルコ、ギリシャ、イタリアを21か月かけて旅行した時の書簡。『ボヴァリー夫人』発表は帰国後のこと。

アンデルセン『一詩人のバザール』
 1840年10月から9か月間の旅行記。ミュンヘン、ローマ、ナポリからアテネ、コンスタンチノープルへ渡り、ドナウ川を通ってウイーン経由で帰国。出発前にすでに「人魚姫」「裸の王様」などを発表していました。

 フローベールはコネがあったものか、政治家コンスタンディノス・カナリスに会ったようです。独立戦争で海軍を率いて大活躍し、戦後は何度も首相を務めた大物ですが、フローベールの手紙にはショボい外貌のことしか書かれていません。パルテノンや悲劇詩人アイスキュロスは大絶賛してるのに。
 アンデルセンのほうはオソン王とアマリア王妃に謁見を許されています。王の瞳には生気がみなぎり、王妃は若く美しく、聡明にして優しい表情、慈しみ溢れる態度で接していただいた!と誉めちぎっています。ただし、国王夫妻はアンデルセンの著作をまったく知らず、作家はガックリきたらしい(『一詩人のバザール』の注に付されたクリスチアーナ・リュートの日記による)。
 ナイチンゲール、アンデルセン、フローベールの三人がフランス公使邸で食事をしながら談論風発に興じるのは作者のフィクションでしょうが、歴史ミステリならではの贅沢シーンです(生真面目な著者は、三人のアテネ訪問やオーストリア人歌手とピアニストのコンサートの時期は少々ずれているけれどお許しいただきたい、とあとがきで断っています!)。フローベールがナイチンゲールに纏わりつくエロおやじにされているのは少々気の毒ではありますが、公衆浴場ハマームでリラックスした帰りの夜道で襲われるフローを救うという、いい役ももらってます。
 
 エピグラフに引かれたアンデルセンの紀行文の一節が瑞々しく、ギリシャを前にした期待感に満ち溢れています。

「蒼く輝く海の向こうから挨拶してくれるギリシャ。
見晴るかす彼方ではモレア(ペロポネソス)の雪を頂く山が日の光を映し、
イルカが跳びはねて波を愉しむ」

◆女性警部補オルガ、長編作デビュー

 ミハイリディスにはシリーズ探偵がいます。ボルヘスを愛する多感な才媛、女性警部補オルガです。「個人の裁き」(“Περίπτωση αυτοδικίας”, 2008)でデビューしましたが、活躍の舞台はもっぱら短編でした。拙訳「双子素数」(“Δίδυμοι πρώτοι”, 2019, 『無益な殺人未遂への想像上の反響』)にも登場します。7篇を収録した短編集として、2015年の『財政調整の犯罪』(Εγκλήματα δημοσιονομικής προσαρμογής, 2015) があり、エッセイ第26回でご紹介してあります。


『ギリシャの犯罪2』
カスタニオティス出版社、2008。
ミハイリディス「個人の裁き」所収。
『無益な殺人未遂への想像上の反響』、竹書房、2023。
ミハイリディス「双子素数」所収。

テフクロス・ミハイリディス『財政調整の犯罪』
ポリス出版社、2015年。

 娘のように手塩にかけて育ててきたキャラですが、もっと入り組んだ怪事件に取り組ませたいと作家は思い立ったのか、オルガ警部補初の主演長編作がついに出ました。『3n+1問題』(Εικασία 3ν+1, 2022) です。


テフクロス・ミハイリディス『3n+1問題』
プシホヨス出版社、2022年。

 ミステリとはとうてい思えないタイトルですが、ミハイリディスはそもそも数学が本業で(その貢献によりフランス政府から勲章も授与)、《数学ミステリ》の顔も持っているのです。タイトルの意味は作品中で追々説明してもらえます。
 冒頭登場するのは、しかし期待のオルガ警部補ではなく、人材派遣会社で働く男コズマス。十八年間その才能で多くの顧客を獲得、社に多大な収益をもたらしてきたのですが、国全体の急激な不況のためあっさり解雇を言い渡されてしまいます。しかも何かの理由で顧客の一人が自殺し、誠実なコズマスは良心の呵責をかかえて酒、タバコ、コカインに溺れていきます。バーに入り浸るうちにモロッコ人のストリッパー、ジェニファーと知り合います。コズマスはテサロニキ大学の数学科出身ですが、何とジェニファーも以前数学を学んだとかで意気投合し、3n+1問題などマニアックな話で盛り上がります。
 ミハイリディス作品は社会の汚れた裏面や個人で太刀打ちできない巨悪を描き、悲観的な結末を迎えることが少なくありませんが、こういう明るい雰囲気のシーンが時折挿入されて、ホッとさせてくれます。
 さて、ジェニファーの部屋の戸口で男の殺害死体が見つかり、ジェニファー本人は姿を消します。ここで事件を担当するオルガ警部補登場です。オルガの指揮する殺人事件捜査とジェニファーを探す私人コズマスの冒険が交互に語られ、ダブル主演といった感じで話が進みます。
 被害者ラブロプロスはサッカー三部リーグの選手でしたが(顔はロナウド風のイケメン)、むしろ用心棒や闇の仕事が本業だったようで、ジェニファーをバーまで送り迎えしていました(護衛役にして監視役ということ)。サッカーの八百長試合や違法ギャンブルはミハイリディスがよく扱うテーマで、今回もその線かもしれません。
 一方、ジェニファーは何とか逃れて、叔母の働くNPO運営の難民キャンプに潜り込みます。有名スポーツ選手たちがこの施設を訪れては、収容された子供たちとスポーツで交流しています。それだけ見れば微笑ましい光景ですが、サッカー選手殺害事件と平行して語られると、なにやらどす黒い策謀が企まれていると思わざるを得ません。果せるかな、ジェニファーはさる陰謀に気づき、その身に危険が迫ります。最後に暴かれるのは、児童虐待を超える、実に悍ましい犯罪でした。
 「3n+1問題」については数学専攻のコズマスが説明してくれます。「ある整数を選び、偶数なら2で割る。奇数なら3をかけて1を足す。この操作を繰り返すと最後は必ず1になる。例えば、10→5→16→8→4→2→1。しかし、なぜ常にそうなるのかは説明できない」のだそうですが、数学に弱い私などは「それで?」って感じです。ただ、読んでいくと、ある重要な問題を解くカギになっていました。
 ミハイリディスはこれまでにも「ゴルダン問題」「友愛数」「双子素数」「多項式因数分解のアルゴリズム」といった人を脅かす鬼面かというような数学概念を登場させています。ただ、いずれも事件の彩り・象徴としてか、あるいはごく小さな手がかりとして使われるだけなので、知らないと話が理解できないということはありません。作者は一般向きの啓蒙書も出しているだけあって、素人にも分かるように面白く説明してくれます。

 ミハイリディス作品が今後どの方向へ進むのかは分かりませんが、オルガ警部補主役の長編シリーズと、中世や近代を舞台にした歴史ミステリを並行して出してくれればなあ、と期待せずにはいられません。

◆欧米ミステリ中のギリシャ人(38)――アレクサンドル・ベリャーエフのギリシャ人――◆

 私は最近まで台湾のさる大学の応用日本語学科に勤めていました。学んだ日本語の知識を仕事に役立てるのが学科の目標なので、カリキュラムには特に日本文学コースがなく、図書室に入っている本もビジネスや日本語教育関係が主です。それでも、その隣りには日本語の小説が並んでいます(学生はそういうのも読みたい)。なぜか翻訳ミステリも入ってて、ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』、マンケル『白い雌ライオン』、ライス『眠りをむさぼりすぎた男』など借りて楽しませてもらいました。で、ある時見かけて驚いたのが国土社《海外SFミステリー傑作選》シリーズです。第一巻はその名も懐かしいA・ベリャーエフ『地球の狂った日』(1995年)。この作品は読んだことがなかったので、パラパラめくってみてドッキリ。冒頭に登場人物がイラスト入りで紹介されていますが、仏レ・タン記者マランバル、英デイリー・テレグラフ記者ライリーと来て、その次がギリシャ・・・・イメラ記者メタクサ・・・・・・・・・とあります。ベリャーエフとギリシャ人、なんで? と思ってしまいますよね。
 かくしてこの謎の記者を追って、《ソ連のジュール・ヴェルヌ》ベリャーエフ、本エッセイに登場です。


『地球の狂った日』は1929年発表のちょっと長めの短編です。
 ベルリンに派遣された記者マランバルとライリーがレストランで「何か特ダネないかね?」「いや。さっぱりだよ」などと話しています。そこへ「真っ白な服に麦わら帽子をかぶった、ほっそりした東洋的な青年」メタクサス・・・・・(あえてこの名で呼ばせてください。「問題」についてはエッセイ第40回)が登場。その後「キミんとこの新聞は《キメラ(キマイラ)》だっけ?」「いや、《イメラ》ですよ。「日」の意味です」と小ネタのジョークが交わされ、いやそんなことよりも、とメタクサスは続けて、ドイツとソ連の間で秘密条約が交わされたのをご存じですかと囁きます。こうして、国際記者たちにより秘密条約の特ダネ争奪戦が勃発する……かと思いきや、まったく別の異常現象が起きて「地球の狂った日」が始まります。

 作品の一番の面白さはこの異常現象の設定にあります。
 マッチをすると音はすれどもなかなか燃え上がらない不思議に始まり、電気スタンドも音だけ聞こえて明かりはつかず、外には異様な色の光に満ち満ちています。さらには少し前の自分の姿が見えてしまうという怪奇。マランバルは推理した末に、どうやら光のスピードが遅くなり、視覚は数分前の場面を見ているんだなと理解します。
 きも・・は人の動き自体が速くなるのではなく(それは島村ジョー)、光の視覚情報のみが遅くなることです。それで、周囲の人や物がすでに移動し音も匂いも別の場所にあるのに、姿だけが元の場所にとどまったまま。映像は五分も経ってから、現像写真のようにジワジワと現れます(この日常経験が作品のヒントになったのかも)。ただ、なぜ始まったのかははっきりせず、現象が消えるのも突然ですが。
 考えてみればゾッとする世界で、通りでは交通事故が増加し、悲鳴や衝突音に溢れます。が、作家の筆は悲惨な方には流れず、人々はけっこうすばやく異常事態に順応し、主役たちはめくら鬼ごっこに興じるありさま。とにかく、この設定ならいったいどんな不思議な世界が……と読者をぐいぐい引っ張ります。これに秘密条約文書の追跡、記者間の駆け引きがやっぱり絡んできて、けっこうミステリっぽくなります。 

■メタクサス問題■

 さて、問題のメタクサスです。「ほっそりした東洋的な」とはどんな感じなのでしょうか? 小柄で痩せている? 後の箇所では「白い歯と黒い目とがきらきらひかっていた」とも書かれます。他の和訳も見てみたくなり、図書館で閲覧できたのがロシア語専門家袋一平氏の訳『くるった世界』(1968年、講談社)でした。

 全115 頁の福島正実訳『地球の狂った日』に対して、この袋訳は68頁ながら二段組です。というか、読み比べてみればすぐわかりますが、福島訳はいくつかのエピソードを省いたり描写を簡潔にしたりで、かなり圧縮されています。例えばどちらの訳でも、冒頭シーンで二人の記者がベルリンのティアガルテンで会話していますが、袋訳では、マランベルがベルリンっ子を揶揄するふざけた記事を書いて外交問題に発展、こっぴどく叱られたのだった、と続く部分が、 福島訳ではそっくり落ちています。
 さて、メタクサス登場シーン。袋訳を見てみると、何と「白服にむぎわら帽のわかいギリシア人が、こちらへ歩みよった。うれいをおびたような黒い大きい目に、わし鼻。ぼうしを高くふりあげ、うやうやしくおじぎして、いすにあさくこしをおろした」となっています。「白服に麦藁帽」は福島版と同じですが、「愁いを帯びたような黒い大きな目に、わし鼻」が付け加わっています。一方で「ほっそりした東洋的な」はどこにも見当たらず。つまり簡略な福島版の方がわざわざ「東洋的」と記しているわけで、どうも気になります。こりゃどうしたことだろ、とふんぞり返って腕組みしてても解けないので、ちょっと原文を探してみました。幸いなことにベリャーエフ作品はパブリックドメインに入っており、自由に閲覧できます。

ベリャーエフ『くるった世界』原文。

 問題の箇所はこうなっています。

Молодой грек, в белом костюме и соломенной шляпе, с черными, грустными, маслянистыми большими глазами и орлиным носом, подошел к столику, раскланялся, церемонно подняв шляпу, и присел на край стула.

 辞書で簡単に確認できますが、「若いギリシャ人、白い服、麦藁帽子、黒く悲しげで潤んだ大きな目、わし鼻、小テーブルに近づき、礼儀正しく帽子を持ち上げて挨拶し、椅子の端に座った」と袋氏はまったく忠実に訳しています。となると、やはり福島訳の「ほっそりした東洋的な」の方が、筆の勢いなのか、追加されたようです。東洋人のようなギリシャ人って、戦前のクリスティー作品かい?と思ってしまいます。別に翻訳の採点をしようなんて大それたつもりはありません(私もロシア語をかじっただけですので)。それよりもこの語句をすべり込ませた福島氏の意図に興味を惹かれます。
 福島訳『地球の狂った日』にはそもそも底本が記されていないので、何語から翻訳されたのかよく分かりません。たぶんロシア語からではないでしょう(福島氏の膨大な訳書は主に英語から)。そこで勝手に推測してみました。
 袋訳「くるった世界」はもともと1965年に『世界の科学名作11』として講談社から出ており(その際は『狂った世界』と表記)、その後同じ講談社の『世界の名作図書館34 大宇宙の少年/私はロボット/くるった世界』(1968年)に収録されます。同書ではハインライン「大宇宙の少年」を福島氏が訳しており、もちろん「くるった世界」も知られていたことでしょう。福島氏はこの袋訳を基に、さらに圧縮して自身の「地球の狂った日」に仕上げたのではないでしょうか? 最初に挙げた国土社《海外SFミステリー傑作選》の『地球の狂った日』は同社のシリーズ《少年SF・ミステリー文庫》(1982年)に基づいているそうです。ただし、福島氏は1976年に亡くなっているので、もっと以前の版があるはずと思って探してみると、学習研究社『中学一年コース』付録に《中学生傑作文庫》というのがあって、1965年12月号に付けられたのが原作・アレクサンドル・ベリャーエフ、文・福島正実『地球の終わり』です(このタイトルの方が原題Светопреставление「世界の終末」に近い)。袋訳『狂った世界』と同じ年であり、おそらくこれが最初の福島版のように思われます。
 1960年代半ばというと、ギリシャの国情は短期政権が交代し続ける不安定な時期で、数年後には軍事政権が始まります。NATOには1952年から加盟していますが、60年代半ばに成立したばかりの欧州共同体にはまだまだ相手にされず、参加できるのは1981年のことです。日本人にはもちろん、西欧にとってさえいまだエキセントリックな、欧州の彼方にある東洋ギリシャ、のようなイメージを翻訳に込めようとして筆が走ったのでしょうか? あるいは、1929年ベリャーエフ原作発表当時のギリシャの混乱したイメージ(希土戦争に敗れ、大規模な住民交換により百万人単位の難民がトルコから流入)も重ねているのかもしれません。前回エッセイでご紹介したオーウェン『サロニカとその後』(1919年)でも、ギリシャはOrientだ、はっきりと書かれています。
 
 ところで、ベリャーエフは「メタクサス」という名をどこから持ってきたのでしょうか? 
 この家系はビザンツ末期から伝わり、軍人、聖職者、政治家などを輩出していますが、ギリシャ人がすぐに思い浮かべるのは、軍人・首相のヨアニス・メタクサス(Ιωάννης Μεταξάς, 1871- 1941)でしょう。バルカン戦争で将校となり、第一次大戦では国王を支える軍参謀総長としてヴェニゼロス首相と対立。後に1936年から独裁制を敷き、国内の通行を要求するイタリアの脅迫に「オヒ(= No)」と回答したことで歴史に名を残しています。
 あるいはブランデーの銘柄メタクサかもしれません。醸造元スピロス・メタクサスが1880年代から製造を始めたメタクサは今や世界中に知られています。
 いずれにしても、ギリシャっぽい名前だからという感じで使ったのでしょうかね。

■二つの訳の違い■

 今回二つの訳を読み比べて、けっこう面白いことに気づきました。
 福島訳は簡略版である以上仕方がないのですが、視覚情報の遅れというSF的側面を追うことに懸命で、人物の細かな描写やエピソードが収めきれずにいます。あとで書くように、私にはむしろこの点がベリャーエフの魅力ですので、ちょっと残念。
 例えば、明朗でユーモアを忘れないフランス人記者、つねに冷静な英国人記者、怜悧狡猾なギリシャ人記者、頑迷な敵役のドイツ人将校、魅力的なドイツ人ヒロインといった主要キャラの色合いの違いはどちらの訳にも描かれますが、この基本設定以上の細かな面白さを味わうにはやはり袋訳です(しかもジュブナイル版ゆえの制約か、袋訳でさえ省略している箇所あり)。
 例えば、マランバルは主役ながら意外なせこさがあり、作者がときおりチクリとやるのがいいアクセントになっています。特ダネの秘密文書を盗もうとしてヒロイン、ウェルヘルミナ嬢の愛情を利用しながら「女か、それとも金か」と身勝手に迷い、彼女が他の男と婚約しちまった以上狙うは金だなと決心、それでも「女をだますことは卑劣であるばかりか、きけんでもある」との言い訳タラタラ、お座なりの愛のセリフを口にして逃げ出します。福島訳ではこういう葛藤は消えて「ひとまずかえります。じゃ、さよなら!」
 ウェルヘルミナ嬢は外貌など描かれず、マランバルと鬼ごっこに興じたりとストーリー上の駒の扱いですが(「白い花のように微笑んだ」などと曖昧)、袋訳では、スポーツ万能でたくましく、乗馬鞭を片手に登場。マランバルに騙されたと知り「はずかしめられた女の誇りは身内にあれくるって、今にも爆発するばかり」と内面の激しさまで描かれます。
 ずる賢さが強調される留学生メタクサス君も実はけっこう苦労しているようです。イメラ紙の通信員は学資をかせぐためで、しかしバイト代はわずか、今回の悪事に手を出してしまったらしい。
 ギリシャ絡みで言うと、袋訳には原作通りギリシャ人の絹織物商人デリヤニスなる人物が登場し、密かにメタクサスに協力するのですが(ちょっとした伏線もあり)、福島訳ではバッサリ消されています。
 ストーリー面でも、秘密文書を狙っての記者三人の化かし合いは袋訳の方が愉しい。誰が正義の化身ということもなく、最初から怪しいメタクサスのみならず、マランバルのせこさやライリーの陰にこもる計算高さにも筆が及びます。ヒロインの結婚式場に闖入した謎のマスク男(正体はバレバレですが)が堂々と脅迫するという派手なシーンも袋訳にのみあります。最後のコンゲーム風のやりとりはなかなか傑作ですが、福島訳では最後の一文が落とされて、どんでん返しが一つ減ってしまった感があります。
 もう一つついでですが、「イメラ」「キメラ」のダジャレに続いて、原文ではкомедия「コメディ」の語源はкосмос「どんちゃん騒ぎ」+оди「詩」から来てるんですよ、とメタクサスが説明しています(ベリャーエフ氏、外国語の蘊蓄を垂れたかったのか)。ただしこれ、会話の文脈から完全に浮いており、おまけに語源説明が間違っているからでしょうか(「どんちゃん騒ぎ」はкосмосではなくкомос。一文字の違いなので印刷ミスかも)、忠実な訳の袋氏でさえ何のこっちゃと思ったのか翻訳から削っています。

■色褪せない作品の魅力■

半世紀も前、小学校の図書室に並ぶベリャーエフの背表紙は、未知の世界へ誘ってくれる不思議の戸口でした。今読んでも、それもジュブナイル版ながら面白いのは、ハードな科学技術の知識ではなく(これはどんどん古くなるので、歴史的な価値だけでしょう)、他の点にありそうです。最近何冊か読み直してみて感じた魅力は次の二点でした。

【1】明確なエンタメ志向

 代表的な大作『無への跳躍』にはロケット研究で知られるツィオルコフスキー博士が序を寄せ、「ベリャーエフのこの作品ほど科学的なものは他になかった」と持ち上げています。《ソ連SFの始祖》というのはそうなのでしょうが、それよりも惹かれるのは、とにかく読者を楽しませようという姿勢です。当時のソ連では「批評家から荒唐無稽・非科学的だとされ良い扱いは受けなかった」そうですが、まさにそれこそが魅力です。
 デビュー作『ドウエル教授の首』はのっけから研究所に隠された生きた首が登場し、その秘密をめぐって潜入と逃走のサスペンス劇が続きます。『無への跳躍』『両棲人間』『永久パン』などの有名作でも、宇宙への移住、改造人間、食糧危機とテーマは深刻で、SF的装置の解説もしてくれるのですが、最後にはあるいは海中で、あるいは金星で、大アクション・シーンになります。『地球の狂った日』も機密文書を追う記者たちと悪役男爵の駆け引きや歪んだ空間での鬼ごっこが無類に愉しく、エンタメ小説である以上こうでなくっちゃという作家の信念が聞こえてきそうです。
 ストーリーも作家のごく周囲ではなく、フランス、イギリス、ドイツといった憧れの西欧で展開し、登場するのは外国人ばかりのおとぎ話風。短編「髑髏蛾」ではブラジルの熱帯雨林にまで出かけてます(この短編もけっこう面白い。『ロビンソン・クルーソー』風の設定があらぬ方向へねじれていきます)。ワグナー教授シリーズなど後期になると舞台は国内に移っていくようですが。
 こういう娯楽志向は作家の経歴に関係しているんだろうな、と私は勝手に想像しています。ウィキペディアにはベリャーエフの肖像写真が載っていますが、ちょっとご覧になってください。この風貌なんだか変です。『眠らぬ人:ワグナー教授の発明』表紙写真の方がマジメ感があって「大学教授」でも通りそう。

ウィキペディアのベリャーエフ像。
『眠らぬ人:ワグナー教授の発明』表紙。

 若い頃ベリャーエフは地元のアマチュア劇団で俳優として活動していた時期もあるそうです。ウィキのは宣伝用のスチル写真でしょうか? メイクした笑える写真も残っています。

1904年頃のベリャーエフのお茶目写真。何の役でしょうね?

 そういう経験があるならば当然、観客の反応を期待するのと同様に、執筆に際しても読者を強く念頭に置きながら、アクション、サスペンスたっぷり楽しんでちょうだいというサービス精神を発揮することになるでしょう。

【2】相も変らぬ人間の姿

 新技術、新発明が出てくれば、なんとか恩恵にあずかろうと群がり、或いは逆に振り回される人間の姿は、いつの時代であれ想像するのが容易です。そんな風に登場人物たちを突き放し、距離を置いて描くことで、エンタメであると同時に人間の悲喜劇が浮かび上がります。科学技術の詳細が完全に理解できなくても、これこそが小説として愉しめる部分です。
 『永久パン』は小四で初めて出会ったベリャーエフで、なぜか宿題の感想文も書きましたが(選んだ理由や内容などもちろん完全に忘却。舞台がドイツだったとは!)、歳を取って読み直した今印象に残るのは、食糧危機を深刻視する科学者の発明品そのもの(その組成や製造法の説明はほとんどなし)よりも、その善意が周囲に利用され、誰もが欲望に取り込まれていく姿です。しかも、いかにも悪役然とした大企業や独占に走る国家だけではなく、最初に発明品を恵んでもらった朴訥な村人たちも味をしめて、怠惰で遊興に耽るようになる様は身につまされます。
 『無への跳躍』では裕福な人々が戦争で荒廃した地球を捨て金星へ移住しようとロケットに乗り込みますが、まずは携帯して行く品々を選り分けるシーンに人間性が現れます。宇宙空間に出ては支配権をめぐって国ごとに、信条ごとに分裂してしまいます。階級闘争の観点が入っている感はありますが、各個人による欲求・志向の違いを追っていくだけで楽しめます。
 ちなみに、科学に暗い私にとって、SF的設定は1930年代のこの作品に描かれるくらいでちょうどよさそうです。「放射性エネルギーを完全に利用できるようになると、光速さえも得られるそうじゃないですか」「まあね。でも、その光速が手にはいったにしろ、一番近い星まで行くのに四年四か月かかる。あとは何百年、何千年も飛んでいかなけりゃならない。くる日もくる日も、何年、何十年、ただただ荒涼たる空間の中をいくわけです。時間の観念なんて消えちまいますよ」といったやりとりがありますが、自分の常識をしぼってやっと何とか想像はできます。これが「銀河系の中心に向かってハイパードライヴで三週間に一万七千光年を飛んだ。あと一万三千光年残ってる」となると完全に想像を超えて、ただただ呆然としてしまう……
 
 袋氏の『無への跳躍』の解説(『ドウエル教授の首』にも再録)は実に熱っぽく語られていて、いろいろなことを教えてもらいました。

橘 孝司(たちばな たかし)
 広島在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学の小説も好きです。
 五十年以上も昔、海外ミステリの世界へ誘ってくれた小学校の同級生A君。部屋には「鶴書房ミステリ・ベストセラーズ」や「あかね書房少年少女世界推理文学全集」などが燦然と並び、私は涎を垂らしながら見入るばかりでした。
A「この中で一番怖い作品はどれだと思う。推理してみたまえ」(ことミステリになると、A君の言葉遣いはヴィクトリア朝探偵のように)
『魔女のかくれ家』かの~?」
A「たしかに。他には?」
「ほんなら『エジプト王ののろい』?」
A「それもあるけど、一番怖いのは『耳をすます家』だ。一読心胆を寒からしめるであろう」(小学生ながらとっても語彙豊富なA君)
 クラスのミステリ人口拡大をもくろむA君は、毎週一冊お宝の蔵書を貸してくれてましたが、怖がりの私は夜トイレに行けなくなってはいかん、とシーリー『耳をすます家』だけは借りられず、「怖い」の真意は分からずじまいでした。
 ところがつい最近、図書館でメイベル・シーリー『ドアをあける女』を見つけて仰天。久しぶりに目にする著者の、しかも半世紀ぶりに出た初訳だとか(原著は1950年刊)。思わず借りることになりましたが、ホラーとかオカルト・ミステリではなく、恋愛をたっぷり盛り込んだ心理スリラーという感じでした。ミステリ的趣向自体はそう珍しくはないでしょうが、プロットをきちんと組み立て、伏線を丁寧に回収していくのに好感が持てます。冒頭の語り手の女性と裕福な従姉との尖がった心理戦がけっこう印象に残りました。
 『耳をすます家』は《奇想天外の本棚》シリーズで新訳計画が進行中のこと。期待しています。A君のあのことばの意味を知るためにも。
『ロシア・ソビエトSF傑作集〈下〉』 。ベリャーエフ「髑髏蛾」所収。1920、30年代の奇抜な作品が入ってます。やはりブルガーコフ「運命の卵」がお薦め。
 ラリイ・ニーヴン短編集『中性子星』。ハイパードライヴで三週間に一万七千光年、は「銀河の〈核〉へ」のことば。1960年代の作品で、今じゃもっと速くなっているんでしょうね。


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