Le passager du Polalys, Fayard, 1932/6(1930/夏, 1932/3執筆)[原題:《ポラリス号》の乗客] Georges Sim, Un crime à bord, «L’Œuvre» 1930/11/24号-12/25号(全32回?)[船上の犯罪] 「北氷洋逃避行」『山峡の夜』所収、伊東鋭太郎訳、春秋社、1936/10/12(山峡の夜/北氷洋逃避行) 『北氷洋逃避行』伊東鍈太郎訳、京北書房、1946/11/18* 「北海の惨劇」 J・シムノン『運河の秘密』所収、伊東鍈太郎訳、京北書房、1952/9/25(運河の秘密/北海の惨劇) GではなくJと誤記 Tout Simenon T17, 2003 Les Romans durs 1931-1934 T1, 2012 The Mystery of the ‘Polarlys’, translated by Stuart Gilbert, In Two Latitudes所収, Penguin Books, 1952(The Mystery of the ‘Polarlys’/Tropic >Moon)[英] Danger at Sea, translated by Stuart Gilbert, Berkley, 1955[米] Georges Sim, Le yacht et la panthère «Ric et Rac» n° 53, 1930/3/15号*[帆船と豹] 1934年にシムノン名義でも再発表 Mademoiselle Augustine «La Jeune France littéraire» n° 5, 1932/12* [マドモワゼル・オギュスティーヌ] Tout Simenon T18, 2003 Nouvelles secrètes et policières T1 1929-1938, 2014 |
ああ、この薄っぺらい感じは見覚えがある。ペンネーム時代の通俗秘境冒険小説と同じだ。
熱に浮かされたように前のめりに進む浅い文体、登場人物の内面を考えず他人事のように動かす姿勢。あのころのシムノンの未熟さが、活字として残ってしまっている。
本作『Le passager du Polalys』[《ポラリス号》の乗客]は、まずペンネーム名義で《L’Œuvre作品集》紙に連載されたものだという。掲載は1930年11月からなので、すでに『怪盗レトン』を書き終えていた時期だ。しかしペンネーム名義で書籍化されることはなく、メグレシリーズの刊行が進んだ1932年に、改稿のうえ本名名義で刊行に至ったのだという。
改稿時期は『メグレを射った男』の執筆と同じ1932年3月。刊行は『霧の港のメグレ』(1932/5)と『紺碧海岸のメグレ』(1932/7)の間だ。本名名義のノンシリーズ刊行作品としては『アルザスの宿』に続いて2冊目。
以前にも書いたが、シムノンはいったん小説を発表すると後は頓着しないタイプの作家で、雑誌掲載作品を単行本時に改稿することもなかった。一度でも発表された長編が、後で改稿されて再び長編として世に出たというケースは非常に珍しく、書誌を詳しくあたっていないので断定できないが、ひょっとするとシムノンの長い作家人生で本作が唯一の例外作品かもしれない。
だから、もし改稿されたのだとしたら、どこがどのように変わったのかぜひとも比べてみたいところだが、残念ながら該当の掲載紙はフランスの電子図書館ガリカに登録がなく、海外古書市場でも見当たらないので調査できていない。
想像だが、本作が本名名義で改めて刊行された理由は大きくふたつあると思う。ひとつは単純に、刊行点数合わせ・時間稼ぎのためにペンネーム作品をお蔵出ししたのではないか、ということだ。シムノンは本作刊行の後、『紺碧海岸のメグレ』を挟んでファイヤール社からペンネーム時代の連作集『13の被告』『13の謎』『13の秘密』を引き続き本名で刊行するが、1931年2月刊行の『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』からずっと続いてきた毎月の連続刊行は、この1932年10月でいったん途絶える。
次の連続刊行が始まるのは5ヵ月後の1933年3月からで、その皮切りは『仕立て屋の恋』だった。そこから先は渾身のロマン・デュール作品が続く。つまりシムノンの本当の勝負作は、たぶん『仕立て屋の恋』だったのだろう。
ただし、それ以前の数合わせ・お蔵出しであったとしても、シムノンは本作にそれなりの思い入れがあったかもしれない。というのは本作がそれまでの秘境冒険小説と違って、ちゃんとシムノン自身の旅行体験がもとになった作品だったからだ。シムノンにとっては初の冒険ともいえる旅だった。
連載第31回などで紹介したように、ペンネーム時代のシムノンは『ラルース百科事典』をあれこれ引きながら、実際には行ったこともない各国の秘境をさも知っているかのように書き飛ばしていたわけだが、本作執筆の前にシムノンは極寒のノルウェーを洋上船で旅している。作中のルートと同じ旅をした。後で述べるが、この体験は当時ルポルタージュのかたちでもまとめられている。シムノンは後に旅行ルポをたくさん書くようになるが、その先駆けとなった記事であった。
よって本作『北氷洋逃避行』は、その出来映えとは別に、意外とシムノンのキャリアにとって大切な1作だったのではないかとも思えるのだ。
2月19日、鱈漁も兼ねる客船《ポラリス号》が、ドイツ・ハンブルク港を出港した。行く先はノルウェーの北端ホニングスボーグ。北海からぐるりとノルウェー海を廻るルートである。
船長はノルウェー人のペテルセン。出港直前に新任のオランダ人三等航海士フリンス19歳が乗船。また刑務所出身の怪しげなペーター・クルルも石炭係として雇われた。乗客は外套の男エルンスト・エリクセン、鉱山監督のベル・エヴジェン、眼鏡をかけた背の高い青年アーノルド・シュトリンガー、黒衣の若い女カーチャ・シュトルム。さらに途中のクックスハーフェン港でフォン・シュテルンベルク警察顧問も乗り込んできた。
出航後、外套の男エリクセンの姿が見えない。船上で意外な殺人事件が起こる。何とフォン・シュテルンベルク警察顧問が船室で殺されたのだ。彼はモンパルナスの画家のアトリエで娘が殺害された事件を捜査し、容疑者の若い男を追って《ポラリス号》に乗船したようだ。その後、ノルウェーのスタバンゲル港沖で何かが海に落ちる音がする。外套の男エリクセンが飛び込んだとの証言が、若い航海士フリンスや乗客カーチャからもたらされる。エリクセンがモンマルトル事件の犯人で、警察顧問を殺して海に逃げたのだろうか? ペテルセンは船長として調査にあたる。
やがて航海士フリンスが乗客カーチャと恋仲であり、ハンブルクの水晶宮で会っていたことがわかる。石炭係のクルルは謎めいた行動を取り、海に投げ込まれたのは石炭の麻袋だ、フリンスたちは嘘をついているのだと船長に告げる。
新たにジェニングス刑事が《ポラリス号》に乗り込み、捜査を続行しながら北へと航海は進む。カーチャは誕生日を迎え、妖しい魅力を乗客に振りまく。厳しい寒さ。やがて船内で金銭の盗難事件が起こり、その一部が石炭係クルルの船室から発見される。フリンスやカーチャも怪しいが、カーチャは容疑をかけられることに強く反発し、悲嘆に暮れる。
パリ司法警察の知らせを伝える電報がジェニングス刑事のもとに届く。モンマルトル事件の犯人はフォン・シュテルンベルク警察顧問の甥にあたるルドルフ・シルベルマンなる男で、偽名を使って《ポラリス号》に乗船しているので充分に警戒せよというのだ。殺人犯シルベルマンとは誰なのか。海は氷で覆われ、嵐が襲う。《ポラリス号》は霧笛を鳴らしつつ北氷洋を進む。ペテルセン船長は事件解明に尽くすと共に、必死で船を目的地まで導いてゆく。
伊藤鋭太郎(鍈太郎)訳は、人物名表記から見て、明らかにドイツ語からの重訳。ここではフランス風に直して記述した。
冒頭は既読のペンネーム作品『南極のドラマ』(連載第22回)の雰囲気とほとんど同じで、勇ましい旅の直前に怪しい若者が乗り込み、航行中に互いの素性を疑うような事件が次々と起こってゆく。
本作はいちおう殺人事件が起こったりして、ミステリーっぽい展開なので、他の秘境冒険小説よりはメグレ警視シリーズの読者に受け容れられやすいだろうという判断も、ひょっとしたらあったかもしれない。しかしペンネーム時代に量産された他の秘境小説に比べて本作が格段に優れているのかというと……どうだろう、そこまでというわけではない気がする。
冒険ものの王道的展開だが、だからといってわくわくできるわけでもない。ペンネーム時代の秘境小説にありがちだったが、何かを語ることよりも物語の定跡を書くことが目的で、その定跡を消化するために登場人物が駒のように動く。作者自身が物語を信じていないタイプの小説に感じられてしまう。
馴染みのある名前が登場する。アーノルド・シュトリンガーは『13の被告』(連載第30回)第6話。あとカーチャって、綴りはKatiaなのか! これまで『軽業師カティア Katia, acrobate』(連載第25回)と書いてきたが、カティアではなくカーチャなのか? ますますアニメ『明日のナージャ』に近づいてゆく。
しかし、だ。
ではまったく見所がないのかというと、そうでもない。
ここでシムノンが書いたルポルタージュについて言及しておこう。本作『北氷洋逃避行』の前身であるジョルジュ・シム名義の連載『Un crime à bord』[船上の犯罪](1930)が発表される前、1929年後半からのシムノンの動向を振り返ってみる。
まだ《オストロゴート号》でオランダやドイツでの船上生活を続けていた時期だ。メグレ初登場の『マルセイユ特急』(連載第27回)はすでに書き終えて出版契約が終わっており、その後1929年10月に、未亡人だった母アンリエットが故郷リエージュでジョゼフ・アンドレ Joseph Andre という男性と再婚している。シムノンは後年まで母親に愛されなかったという気持ちを抱き続けていたようで、家族に対して複雑な思いがあったと考えられるが、母の再婚もシムノンの心境に何らかの影響を与えた可能性はある(だが現時点では評伝もあまり読んでいないので憶測は控える)。
同1929年の年末から翌1930年の初冬にかけて、シムノンは妻ティジーと共に、洋上船でノルマンディーを北へと旅した。旅行ルートはほぼ作中の記述と同じ。旅から戻ってシムノンは『13の被告』(連載第30回)を仕上げたようだ。「アーノルド・シュトリンガー」という登場人物名はここで緩やかに繋がっていたわけだ。本作の前身である『船上の犯罪』の執筆時期は、少し経って1930年の夏ころだったと思われる。
シムノンはこのノルマンディーの旅をルポルタージュ記事にまとめた。「Escale nordiques」[北欧寄港]は《Le Petit Journal小報》に1931/3/1号-12号の全12回にわたり連載。先にも述べたようにシムノン最初期のルポルタージュ作品である。また「Pay du froid」[凍える国]はジョルジュ・カラマンGeorges Caraman名義で1933年に《Police et Reportage警察とルポ》に寄稿。ただし雑誌は1933年秋に廃刊となり、当時この原稿は日の目を見なかった。ジョルジュ・カラマンはこの時期シムノンがルポを書く際に何度か用いた(日本でほとんど知られていない)筆名である。
どちらも研究家フランシス・ラカサン氏が編纂・監修したシムノンのルポルタージュ集『Mes apprentissages: Reportages 1931-1946』[わが学習:ルポルタージュ1931-1946](Omnibus, 2001)で読める。カラマン名義の記事も収録されている。
なおシムノン自身の記事とは別に、Baudouin Bollaertという人が《Le Figaroフィガロ》2001/7/26号で当時の話を「Simenon au cap nord」[シムノン北方岬を行く]という評論記事にまとめており( http://www.trussel.com/maig/figaro1.htm )、ノルウェーの地図や航路も載っているので理解の助けになると思う(ウェブで3ページあるが、2ページ目からが本題)。同ページのリンクからスティーヴン・トラッセル氏による英訳もウェブで読める。
上記2編のルポは旅行作家シムノン誕生のきっかけとなった記事であるし、テキストも手元にあるので読んでみたいのだが、申し訳ない、いまは読む体力がない。読めば小説版の描写との比較もできて興味深いだろうとは思う。いずれ体力に余裕ができたらシムノンのルポルタージュ作品は改めて取り上げたい。
ただ、まったく触れないのも申し訳ないので、「北欧寄港」の冒頭だけちょっと読んでみた。《オストロゴート号》で各国の港町を巡りながら原稿を書きまくっていたときの話が枕になっている。オランダ・ゾイデル海のスタフォーレンに停泊中、ふたりの制服警察官が乗船してきたことが書かれている。シムノンが小説家だと聞きつけて、珍しがって様子を見に来たのだ。「小説を書いているのか? 儲かるのか?」そう尋ねる署長のポピンガ氏は身長2メートル。翌日シムノンらは署長の家に招かれ、上等なワインをごちそうになり、「スタフォーレンには泥棒も悪い奴もいないさ」と聞かされたという。
ポピンガという名前は『オランダの犯罪』に出てくる。そのことに気づいてちょっと嬉しくなった。シムノンの小説に登場する人物名には、彼が実際に見知った人々の名前を拝借したものもあったのだ。【註1】
さて、再び小説に戻り、その見所に焦点を当ててゆこう。
物語の半ばから後半にかけて、何度かシムノンの筆が人物にぐっと近づいてゆくところがある。
先ほど、本作は作者自身が物語を信じていないタイプの小説だと書いた。全体としてはそうなのだが、ときおり突発的に、作者シムノンがそのシーン内で書くべきことを見出して、神経を集中するかのような筆致が出現する。
カーチャが自分の誕生日を祝ってくれといって乗客にタンゴを強要するシーン。ずっと味気ないぱさぱさした文体が続いてきたので、物語の半ばであるここで初めて「おっ」と惹きつけられる。
このくらいの描写は1930年の初稿でもシムノンは書けたかもしれない。だが終盤で嵐に立ち向かいながらペテルセン船長が展望室で、号笛のハンドルを一心に握り続ける若きフリンスの横顔を見つめて優しく声をかけるシーンはどうだ(京北書房版152ページ)。ここが後の加筆部分なのかどうかは不明だが、唐突に筆が冴えてとても目立つ。そういえば嵐のシーンは『霧の港のメグレ』のクライマックスにちょっと似ている。
ラスト近くのクルルの長い告白。
「人間というやつは、ある深さにまではまり込んでしまうと、そこから上へ這い出すなんて、なかなか口先でいうように易々とは出来るもんじゃない。あなた方に、こんな理屈が判るかどうか……」(表記を一部変更)
いきなりこんな深い台詞を吐かれると、うかつにも私など心をつかまれてしまう。そうだよ、自分にも憶えがあるよ、いったん人生の歯車が狂うと、上へ這い出すのは容易じゃないんだよ……などと思ってしまったら、作者シムノンのしてやったり顔が見えてきそうだ!
ラストのペテルセン船長の一言、
「フリンス! 顔を上げるんだ! 君もいまは一人前の男なんだ!」
この台詞なんて、いいじゃないか。はるかな北極の大地へ視界が広々と抜けてゆくイメージ。最初期のペンネーム時代の秘境小説がまるっきり書き割りのようなハッピーエンドだったことを思うと、こんな一言を最後に放り込んでくるだけでもシムノンは作家になったなと思う。
以上のように、本作はペンネーム時代の作風がそのまま残っていて、本名名義で出版された長編としてはほぼ唯一の冒険小説風味の異色作となった。物語構造は書き飛ばしの通俗小説以上のものではない。後半から終盤にかけていくらか挽回を見せるが、「シムノンよ、この時期のきみなら、もっとうまく書けたはずだ」との気持ちが働いてしまうのは仕方がない。
定跡をなぞるだけの前半は、ペンネーム時代のシムノン作品がどんなものだったかを知る格好のサンプルになる。だが、それを見極めるためだけに読む価値がある作品かどうか、ちょっと微妙なところだ。
伊東訳はやや抄訳なので、面白かったらちゃんと英語の完訳版で読もうと思っていたが、うーん、ごめん、そこまで手間をかける気になれなかったよ。
しかし、上記のような事情をまったく知らずに読んだなら、当時の海外読者の反応はどうだっただろう。日本でも本作はフランスミステリーの俊英の作品ということで、当時好意的に読まれたのではないか。戦後の再版である『運河の秘密』(『メグレと運河の殺人』との合本)でさえ、いま見ると驚くほど清冽な紹介オビが巻かれていて歓迎ぶりが伝わってくる。まるで道を歩いていたらぱっと風が吹いて、季節が変わったと気づくあの瞬間のような鮮やかさだ。
秋の泉のように新鮮な息吹き!
フランス文学の陶酔境・シムノンの探偵小説
メーグレ探偵と非情な社会との一騎打が醸す・新しい探偵小説の夢想がここに出現した!
運河の秘密・北海の惨劇
ともあれ、本作をもってシムノンはペンネーム時代からの積み残しを終えたわけだ。ここから先の作品はすべて本名時代のものとなる。
オムニビュス社シムノン全集第17巻には、『ゲー・ムーランの踊子』から本作を含め『紺碧海岸のメグレ』までの長編9作と、連作『13の被告』「マリー橋の夜」が収められている。
よって、これで全集第17巻の攻略を完了した。
*
同時期の短編を、シムノン全集第18巻からふたつ読んだ。
■「帆船と豹」1930
おれは5年前にバタヴィア[インドネシアの首都ジャカルタのオランダ領時代の呼称]で賭け事に巻き込まれた。不潔で、飲んだくれの水夫や雑多な国籍の者たちが集まる土地。おれはバーで4重顎の巨漢がダイスの賭けをしているのを横目で見ていたが、ある男が声をかけてきた。「私は野生動物の行商人だ。もう5000フローリンもすってしまったが、ボルネオで捕まえてきた片目の女豹エンマを賭けて、50フローリンで勝負しないか。いま《ヴィクトリア号》に積まれている。あの豹は1000フローリンの価値がある」
賭け事は嫌いだったが、仕方がなくダイスを振った。相手は5で、おれは7。おれの勝ちだ。それを見ていた4重顎の巨漢ヴァン・ムーランが、「おれの帆船《ヴィクトリア号》を賭けて勝負だ、全長28メートルの新品だぜ」といってきた。またしてもおれが勝つ。「いいさ、船を持っていけ。おれは紳士だ」と証文を書き始めるので、おれは気まずくなって提案した。「帆船と豹とおまえの麦わら帽を賭けてもう一度どうか」
ところがまたおれは勝ってしまい、巨漢ヴァン・ムーランは自分のナイフを置いて去って行った。さらに気まずくなっていると、元締めの中国人がやって来て、このすべてとナイフを賭けようという。おれは肩をすくめてバーを出た。
5年後、パイプをくゆらせながら賭け事をしているおれは当時の話をして、「それで豹のエンマをどうしたんだ?」と質問されるのを待った。おれは語る。
「それでおれはエンマを見たくて河岸に急いだんだ。檻が壊れていて、エンマが脱走してこちらに向かってきた。周りのみんなも大騒ぎだ。だがこれで終わりじゃない! 話はここからだ。おれは《ヴィクトリア号》の船主になったが、その帆船はひどく壊れていて、搬送にも金がかかった。役所から豹が逃げた責任を問われた。豹が逃げてニグロの具合が悪くなった。怒った現地民がおれのホテルを襲撃してきた。それで最後にエンマの皮を買った男がおれにいったのさ、100フローリンの報酬で我慢しますよ、とね」
ははは、緊迫した異郷ハードボイルドものかと思ったら、皮肉の効いた結末。初期のコント作品のようで、悪くない出来映え。翻訳ミステリー専門誌にこっそり載っていたら現在でも楽しめそう。
■「マドモワゼル・オギュスティーヌ」1932
昨日の朝、アパルトマンの家主が慌てふためいて階段を降りてきたので、私はついうきうきした気分でいったのだ。「ついにあの女は死んだのですか?」
前の晩から3階に住む老女が肺鬱血を起こしたというので、私の階のメイドまで手伝いに駆り出されていたのだ。1階や2階の富裕層は弔慰金20フランを出したようだが、私はほとんど何も出さなかった。実際、私は彼女のことを何も知らないのだから。
彼女は白髪の醜い太った老女で、いつも微笑みを浮かべていた。オギュスティーヌという名前しか知らない。階段ですれ違うとき私に「ど……ど……どうも!」とどもる。たぶん少し頭も弱かったのだろう。3階の住人などどこも貧しい。彼女は貧困の奴隷だったのだ。
老女の死を受けて、ばたばたとアパルトマンに人が出入りする。
なぜ私が最初の訪問を受けたのかわからない。その後、私が部屋にいると、扉の向こうから何かひどい悪臭がする。大きな醜い怪物が、音も立てず行ったり来たりしているかのようだ。マドモワゼル・オギュスティーヌがキャミソール姿で徘徊するさまを想像する。あるいはアパルトマンの他の住人を診ている医者の影だろうか?
そのときのことを詳細に書くのは難しい。ノックもなく、扉も開かないのに、確かにマドモワゼル・オギュスティーヌがそこにおり、私は微笑みを浮かべた。どこから彼女が入り、どこに立っていたのか? うまくいえない。だが彼女がそこにいたことは確かで、私は嬉しかった! まるで恋に落ちたときのように私はうきうきしていた。彼女は子供のように微笑んでいた。
私ははっきりと感じた。彼女は若くてかわいい! それ以上だ! 私は欲望に駆られたが、彼女には通常の性などないのだ。しかし彼女は若い娘で、私は興奮していた! ひとつになりたい! この感覚は、いまはもううまく書き記せない。
「初めての訪問があなたよ」と彼女の幽霊はいった。「わかるでしょう、私たちは長い間こうなるのを待っていたのよ。最初の訪問はあなたとずっと決めていた。不安だったの。だから階段の前で、何度も立ち止まって、あなたに『ど……ど……』といったわ」
私も笑った。なんておかしいんだろう! 狂おしいほど彼女を抱きたい。もはや彼女は貧しさの奴隷だった醜女ではない。何か高貴な存在だ! 彼女はただ優しい微笑みを投げかけてくる。彼女が私を愛していることを感じる。ずっと愛していたんだ。
何かしなくては……。だが何を? そうだ、それは普通の男が考えるようなよこしまな抱擁ではない、神のごとき崇高な抱擁だ!
だができないのだ! 彼女が私を笑うのではないかと心配になる。だが彼女はそんなこともしなかった。
ただ彼女はずっと微笑んだまま、暖かな空気で私を包んでいた。そして囁いた。
「ついに! 私はとても幸せよ! でも私はもう……」
そして彼女は戻ってくるともいわずに去った。
へえ、シムノンの幽霊譚なんて初めて読んだ。これも皮肉が効いていて、なかなかいい。ついあらすじを書くのにも力が籠もってしまったよ。
こんな話ならアンソロジーに紛れ込んでいてもおかしくない。
【註1】
名前の話題が出たので書き添えておく。古くからメグレ警視 Maigretという名前には何か意味があるのではないかとの憶測がなされてきた。フランス語で maigreは「痩せた」の意味があり、巨漢のメグレ警視のイメージとは正反対であるため、この命名はシムノン流の逆説、遊び心なのではないか、などといった説も日本では書かれてきた。
しかし仏語圏の評論記事には、シムノンがメグレ警視ものを書き始めた頃、オランダでちょうど近くにメグレ Maigretという名の人物が住んでいたらしい、という話も出てくる。つまりポピンガ氏のように、近くにいた人の名を借りたに過ぎない、という説である。
はっきりこれだと確証となるような記事を私は見つけられていないが、メグレ警視の名前は「痩せた」のmaigreとは無関係である可能性が少なくない。
Maigretという名字は決して珍しいわけでもなく、検索すれば俳優や作家にもメグレという人が見つかる。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。 |
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