ようこそ、クラ玉旅行社へ。かのマイケル・ジャクソン氏も、「旅行に行く余裕がなくても、本を読めば心の中で旅することができる」といっています。
 ミステリアスな冒険旅行、時空を超えたいにしえの旅、旅先の心躍る出会い、皆さまの多様なニーズにおこたえする旅行商品を当社では、各種取り揃えております。
 
 アルプス山脈近く瀟洒なホテルで親しい人とクリスマス・イヴを過ごす企画はいかがでしょうか。殺人事件までついています。しかも、あなたは独力で殺人犯を見つけなければなりません。

■エリス・ピーターズ『雪と毒杯』■


『雪と毒杯』(1960) は、歴史ミステリ修道士カドフェルのシリーズで広く知られているエリス・ピーターズのノン・シリーズ作。雪の山荘の殺人ときけば、大いに食指をそそられる。
 オペラ界に君臨した歌姫を看取ったばかりの一行が、ウィーンからロンドンに向かう途上、悪天候でチャーター機が北チロルの雪山に不時着してしまう。パイロットを含む8人が辿りついたのは、大雪のため外部とは隔絶された山村。小さなホテルには落ち着いたものの、歌姫の遺産をめぐって一行の緊張が高まる中、毒死が発生する…。
 クローズドサークル物の装いだが、ホテルには村人が出入りするし、ホテルのオーナーらとの交渉もあるという、多少は開放されたサークル。村に一人しかいない巡査が不在のため、犯人探しは、彼らの手で成し遂げなければならない。
 歌姫の秘書をしていた若い女性のスーザンの視点で、続発する事件が描かれる。各章の冒頭には、その章にふさわしいオペラ「薔薇の騎士」の台詞が置かれるという凝り具合だ。
 カドフェル物も登場人物が生き生きとしていることは定評があるが、この作も例外ではない。自己中心的な歌姫の姪やその息子で弱さを抱えたローレンスなど主要人物に生彩があり、巡査の妻といった周辺的人物にも、くっきりとした照明が当たっている。一行はそれぞれに葛藤を抱え、犯罪と推理が綾なす人間ドラマしても面白い。
 印象的なシーンも多い。山村の静謐なクリスマス・イヴ、一度きりの不倫に身を委ねる女の表情、毒殺の対象になった人物の蘇生するための悪戦苦闘、猛吹雪の中での追跡劇などなど。
 謎解きとしては、スーザンの証言などにより、はやばやと容疑者が確定してしまうのが、異例の展開だ。ミスディレクションとしては相当風変りな部類だろう。それ以上に、特筆すべきは、一撃で事件の構図をひっくり返す好手を秘めていることで、きっちり張られた伏線ともども、鮮やかに仕上げられている。雪の山荘の設定といい、60年代のミステリとしては、意外なくらい謎解きに力がこもっている。
 人物良し、ドラマ良し、謎解き良しの三拍子揃った文句なく楽しめる一作。
 
 サーカス船でアジア各国を周遊。なんとエンターテインメント性豊かな旅でしょうか。自らサーカスで道化を演じるなど、数々のアクティビティが極上の休日をお約束します。

■クリフォード・ナイト『〈サーカス・クイーン号〉事件』■

 
 1940年作の本書は、当時エンターテインメントの花形だったサーカスが舞台。しかも、象やゴリラも含めたサーカス団一行が専用船で東洋の各地域を周遊しつつ、サーカスを繰り広げるという、米国の本格ミステリらしい華やかさ。本書の解説(横井司) では、サーカスを扱ったミステリが色々挙げられているが、サーカス×トラベル×ミステリでワクワク感も三乗だ。
 幕開けは、サーカス団の団長が〈サーカス・クイーン号〉の船上から水葬されるというシーン。団長の死体は、ゴリラの檻で発見され、ゴリラのジョーに襲われたものと推定されるが、何者かが団長の部屋で家探しするという不審事が起きる。
 主を失ったサーカス団だったが、フィリピンのマニラでなんとか予定の公演をしているところに、遺言でサーカスを託された団長の若い姪のドリスが乗り込んでくる。ショーは続けられなければならないのだ。
 語り手としていい味を出しているのは、サーカスの広報係として三十五年もの間、打ち込んできたラスク。サーカスを心底愛する男だ。マニラで、道化師への憧れを語るロジャーズという大学教授と出くわすが、これが作者の「The Affair of ~」で始まるシリーズにおける名探偵。教授は、ドリスの恩師として事件に関わることになるのだが、実際に道化師に扮して巡業していくという楽しい趣向もある。
 さて、サーカスの巡業のさなかに、ドリスへの脅迫、空中ブランコ乗りの女性の墜落事件など次々と事件が起こるが、全体に、ややもたもたした感が否めない。というのも、物語は、かつてサーカスで将来を嘱望され、今はココナツ農園経営で失敗にあえいでいる青年ヘイルの再生と、彼とドリスのロマンス、素人娘ドリスのサーカス経営といった点に筆が割かれ、相次ぐ事件はその後景にくすんでしまっているようなのだ。
 なおも事件は相次ぎ、船上の宝探しといった趣向あり、皆を集めた謎解きもあるのだが、ロジャーズ教授の推理は、決め手に欠けたものといわざるを得ないし、思わせぶりに登場して、殺される中国人の扱いも中途半端の感はまぬがれない。『ミステリ講座の殺人』(1937)もそうだったが、パズラーのプロットづくりに関しては、作者はあまり得手ではなかったのではないかと思わせる。本書も、本格ミステリとしては、やや趣向に重点が置かれすぎているかもしれない。
 
 ダンディな貴方には、卑しい街から、湖のほとりの町への小旅行を。くつろげるホテルでは、ダイニングのウェイトレスも魅惑的です。

■アメリア・レイノルズ・ロング『死者はふたたび』■


『誰もがポオを読んでいた』(1944) の初邦訳に続いて、あまり間を置かずに出た、米国貸本系アメリカンB級ミステリの女王アメリア・レイノルズ・ロングの第二弾『死者はふたたび』(1949) は、前作と違って、軽ハードボイド調のノン・シリーズ物。
 死んだはずなのに、本人を名乗る男が現れる、という奇想の発端をもつ作品だ。
 映画界の往年のドル箱スターが溺死体で発見。検死陪審が不慮の事故死と判断してから6週間後に、未亡人の妻から探偵事務所に電話が入る。死亡したはずの夫を名乗る人物が現れたので秘密裏に調査してほしいというのだ。果たして現れた人物は本人なのか。
 私立探偵ダヴェンポートは、湖畔の近くのひなびた町に出かけるが、調査開始そうそう、未亡人から、夫は本人であることが判明したとして調査の打切りを告げられる。
 一体何が起こっているのか、ダヴェンポートは別な雇い主をみつけ、調査を続けるうちに、元俳優には、瓜二つの代役俳優がいたことを知る。
 俳優の息子、俳優家の執事、ホテルのウェイトレスとその祖父など曰くありげな人物を要領よく紹介しつつ、冒頭の不可思議な謎を最大の推進力にして、物語は滑らかに進行する。天一坊テーマのように、名乗り出た男が本物か偽物かというところに最大の興味は向くが、決定的証拠が出た後でも、まだ謎が持続していくという展開がうまい。200頁余りの短い長編だが、シンプルな展開の中に巧みなサプライズを複数用意してあり、伏線もぴしっと決まっている。感心したのが、作者は、いつどこで誰がどういう情報をどのように得たのかということに細心の注意を払ってプロットをつくっていることで、この点でもA級のできばえ。軽ハードボイルドの口調も堂にいったもので、本格+軽ハードボイルドのジョナサン・ラティマー辺りの作風を思わせる。本書は、作者ロングが小説執筆に見切りをつける直前の作ということだが、このダヴェンポート探偵のシリーズ化がされていれば、といささか残念な気持ちになる。
 
 エジプトへ。といっても現在のエジプトではありません。怪奇と恐怖に彩られた神秘の国です。ご安心を。案内人は、英国きってのオカルト博士です。

■サックス・ローマー『魔女王の血脈』■


 東洋の怪人ヒーロー、フーマンチューシリーズで知られるサックス・ローマーの長編ホラー、というより怪奇幻想小説ということばがしっくりくる1918年刊の作品。
 謎の医学生フェラーラの行く先には必ず不審な死が訪れる。疑念を抱き彼を追う医学生ロバートとその父でオカルト学者でもあるブルース・ケルン医師は、いつしか古代エジプト女王の魔女王をめぐる謎の渦中へ巻き込まれていく。
 物語の大枠は、怪人フェラーラとケルン親子の魔術的闘争であり、いくつかのエピソードをつないで全体として長編を構成する手法は、『怪人フー・マンチュー博士』『悪魔博士フー・マンチュー』と同様のもの。その分、起承転結が整った長編のようなコクはあまりなく、ややご都合主義的な筋運びもあるのだが、各エピソードのヴィジュアルイメージは突出したものがある。
 アポロといわれる大白鳥が血も凍るような叫びを挙げ水面から飛び上がった直後に両翼を水面に叩き付けられ首がへし折られていたという挿話が印象的な冒頭の話に続いて、狙われたロバートの部屋中に毛の生えた何かがうようよと這いまわるエピソード、登場人物の一人が城の地下の秘密部屋で見た死体のおぞましいまでの姿と、五感にインパクトある恐怖シーンが現出する。
 エジプトに話が移ってからも、カイロのお祭り騒ぎを熱波が襲い、破壊神セトが現れる禍々しい出来事、閉所恐怖的なピラミッド内部の追跡劇などが続く。むせかえるような香の匂いなど、全編にわたって香りや匂いを恐怖の対象としているところも特徴的。フェラーラが両性具有的で悪の魅力を放っているのも現代寄りだし、鏤められたオカルト知識からも、著者のこの分野への精通ぶりも窺える。
 野暮ったい心理描写やお説教の類はほとんどない。ひたすら邪悪な存在との闘いに焦点を絞って繰り広げられる怪奇エンターテインメント。
 
 人生が旅ならば、旅の終着点は死。それでもあなたは、5日間の旅を試みますか。命を賭した旅を。

■レオ・ペルッツ『アンチクリストの誕生』■


 ミステリファンにも、アンチミステリともいうべき『最後の審判の巨匠』で知られるペルッツだが、近年、長編作の邦訳が相次いでいる。その晩年には、忘れられた人扱いだったこの作家が再び脚光を浴びているのは、その特異な作風が後の時代の小説を先取りしつつ、物語の普遍的魅力を湛えているせいだろう。本書『アンチクリストの誕生』(1930) は、八つの中短編を集めたもの。ペルッツ作品として、文庫での初刊行であり、未知の読者には、恰好のショーケースといえるだろう。
 冒頭の「主よ、われを憐れみたまえ」は、ロシア革命政府の秘密警察の議長ジェルジンスキーが暗号解読のために、旧軍隊の元大佐を捕える。彼は議長の要求を拒否し、妻と子に挨拶をする暇がほしいという。議長は、男を信じ、五日の猶予を与える。元大佐は、白軍の領地にいる妻と子のもとへ決死の旅をし、再会を経て戻ってくる。以前の死を願っていた元大佐とは違う。彼は、生き抜くために、議長から提示された暗号を解かなければならない。たった四時間で。
 妻への疑念というただならぬ要素も盛り込まれた、なんともドラマティックな展開。四時間という猶予しかないタイムリミットサスペンスでもある。さりげなくも急所をついた人物描写、短い挿話の導入、流れゆく思考を自在に追う心理の描写、と語りの粋を尽くして描かれる、生への希求の物語は、読者の胸に熱いものをもたらす。
 続く「一九一六年十月十二日火曜日」は、負傷し捕虜になった兵士が活字に飢え、唯一病院にあった十月十二日付けのウィーンの新聞を都合二百七十回もむさぼり読むという話。兵士の中では十月十二日が何度も何度も反復されていくことになり……。SF的ギミックは皆無なのに、どこかSFを思わせるのは、作者のイマジネーションの奔放さゆえか。
「アンチクリストの誕生」は、編中最も長い中編で、18世紀半ばシチリア島のパレルモに住む靴職人とその妻に起きた事件を描いている。夫婦は、民話の主人公のようだが、その悲劇的でも喜劇的でもあるようなふるまいは人間の根源的な苦悩や悲しみの感情に触れているように思われる。あっといわせるラストにも注目。
 と、書いていたらきりがない。もう一つ、「霰弾亭」は、自殺した曹長を貫いた弾丸が「歌いながら街を走る少女のように」暴れ廻るという突飛すぎる冒頭から一転、毎夜酒場で自堕落ながら花のある生活を送る曹長が過去に囚われていく過程を描いている。ノスタルジーの暴力とでもいうべき特異な事態が冒頭とうまく照応している味わい深い一編。その他の短編も、奇想やトリッキーな語り口を備えたものが多く、ミステリファンも愉しめるはずだ。
 皆川博子氏の解説では、「綺想」と書かれているが、ペルッツに関しては、「奇想」より「綺想」の語がなじむかもしれない。その作品は、虚と実、過去と現在、運命と意志といった糸を撚り合わせ、深い人間理解とイマジネーションの針で自在に編み上げたなめらかな織物を思わせるからだ。その織物の放つ光沢や手触りの玄妙な味わいこそが、ペルッツの魅力なのだと思う。
 
 旅の愉しみの一つは、これまで知らなかった人との出会いや交流。でも、あまり心躍らない出会いというのもあるものです。

■パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』■


 1950年に出版されたパトリシア・ハイスミスのデビュー長編であり、ヒッチコックによって映画化もされた名作。角川文庫版の品切れ状態が続いていたが、原作の繊細さを掬いとった清新な白石朗氏の新訳により、甦った。
 本書は、「交換殺人」テーマを最初に扱った作品であり、後年、ニコラス・ブレイク『血ぬられた報酬』(1958) の印刷段階で、まったく偶然に同じアイデアを扱っていることにブレイク自身が気づき、ハイスミスの了解を得たという逸話も残っている。
 だが、本書は、交換殺人という言葉から連想されるような、「互いに異なる殺人を目論む二人が合意に基づきその対象を交換する」という話では、実は「ない」。
 「あなたの憎い人を殺しておきましたので一つあなたもよろしく」と迫られる話なのだ。押しかけ交換殺人とでもいうべき内容であり、もしかしたら私やあなたのような善良な人間にも起こりうるかもしれない事態だ。だからこそ、読者は、主人公ガイの立場に強く感情移入させられるし、サスペンスの強度はいや増す。
 新鋭の建築家ガイは、不貞の妻との別れ話のための旅の途上にある。列車内で偶然知り合った富豪の息子チャールズ・ブルーノは父を憎んでいることを語り、ブルーノはガイに交換殺人をもちかける。ガイは当然拒否するが、二人は既に運命のレールの上にいた。
 古典とはこういうものだと改めて作品に触れて思う。独創的なアイデアがありながら、先に書いたようにそのアイデアは既に変奏されている。交換殺人物でありながら、いわばメタ交換殺人物にもなっている。交換殺人を迫り、迫られる人間の心理の探求や、交換殺人がもたらすストーリー展開の可能性がこの一冊に凝縮しているのだ。
 ガイの周囲にストーカーのように出没し、「ぼくはあなたが好きなんだ」といって殺人の履行を迫るブルーノのサイコパスぶりはひたすら薄気味悪く、美しく聡明な女性アンとの結婚を控え、秘密を知られてはならないというガイの事情が、一層切迫感をもたらしている。
 次第に、ガイの中では贖罪の念が膨れあがるとともに、ブルーノは己の半身なのだと知る、という心理的転回が起こる。二転、三転する予断を許さない展開に、ガイの姿に己を投影した読者は息苦しいまでのサスペンスに呑み込まれていくだろう。
 ハイスミスが匿名で書いた『キャロル』(1952)という女性同士の恋愛小説が邦訳された今では、ブルーのガイに対する異常な執着に同性愛的傾向を不可避的に見出すことになるだろう。主人公の名はガイ(男) であり、二人の間で貸し借りされた本はプラトンである。作中では「兄弟の絆以上」とも表現されているが、1950年のエンターテインメントとしては、これが限度でもあったろう。テリー・ホワイト『真夜中の相棒』(1982) の男同士の共依存をはるかに先取りするような設定であり、こうした観点からも本書は再照明を当てられてしかるべきと思う。
 尋常ならぬサスペンスと、身近で新しいタイプの悪の創造、善悪の二重性をめぐる探求が渾然一体となった恐るべきデビュー作である。
 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita











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