Les suicidés, Gallimard, 1934(1932/夏-1933/12執筆)[原題:自殺者たち]
『情死』山崎草一訳、春秋社シメノン傑作集、1937/7/20*
One Way Out, Escape in Vain所収, translated by Stuart Gilbert, Penguin Books, 1952(The Lodger/One Way Out)[英]*[追い詰められて]
Tout Simenon T19, 2003 Les romans durs 1934-1937 T2, 2012

 
 うーん、これまで読んだロマン・デュール作品の中では、もっとも未熟な作品と感じた。シムノンがペンネーム時代にさんざん書いてきたお涙頂戴の通俗恋愛心理小説と雰囲気がよく似ている。しかも私がずっと思い出していたのは、シムノンの中編小説第2作で本連載でも取り上げた『亡命の愛』連載第21回)だった。そこまで遡って連想するほど、意外性のない定型の小説だと感じたのである。
 ガリマール社に移籍してこれが2作目だが、移籍してからの作品はパンチに欠けるような気がしている。こんなことで大丈夫なのか。今後の作品を読んでこの感覚が杞憂であることを願う。
 
 本作が発表された1934年は、シムノンがようやくペンネーム作品の出版を終えた年でもある。シムノンはメグレを本格的に書き出したことによってそれまでのペンネームの仕事を精算したわけだが、それでもストック原稿は少なからず残っていて、この時期までだらだらとペンネーム名義の本が出ていた。
 メグレ警視シリーズの刊行が始まった1931年にも、シムノンは十数冊のペンネーム書籍を出していた。1932年にも中編の小冊子を含め7冊、1933年にようやく減って3冊で、それらにはすでに紹介したジョルジュ・シム名義の『赤い砂の城』連載第23回)や、メグレ前史の1冊『赤毛の女』連載第27回参照)が含まれる。
 そしてこの1934年に、最後のペンネーム長編『L’Évasion[逃亡]をクリスチャン・ブリュル名義で出版し、ペンネーム時代は終わるのだ。正確にいえば後の1937年にも突然クリスチャン・ブリュル名義の中編小冊子が2冊出ているが、これらは1928年に書いた未発表作のお蔵出しだと考えられている。
 つまりペンネーム時代とさよならをしようとしていたこの時期に、まるでペンネーム時代のような作品を本名で出したのだ。
 そのためか、読みながら妙な懐かしさが込み上げてきた。
 まだGoogle翻訳も未熟だった時期、懸命に古書のページをスキャンして、まだ未熟だったOCRソフトにかけて一所懸命にフランス語も手入力で修正し(“11”をすべて“Il”=“彼(イル)”に直し)、1ページずつGoogle翻訳の枠内にコピー&ペーストしてその結果を文書ファイルに移し替えて印刷し、頭の痛くなるような英語で読んでいた2016年の夏の日々を思い出し、そのころの自分とシムノンの過去が重なり合って感じられた。
 本作は主人公たちもまた未熟である。人生経験が未熟であるがゆえに貧困から抜け出せず、最後に自殺に至るという単純な物語である。いま物語のタネをばらしてしまったと思われるかもしれないが、本作の原題は『Les suicidés[自殺者たち]だ。物語の結末がそこへ行き着くことは読者も想定の上で読むのである。
 未熟な若者たちが死んでゆく未熟な物語──何だかとても懐かしい。
 
 フランス中央部の町ヌヴェールで役所に勤める若きエミール(ジュール)・バシュラン22歳は、17歳の素直な娘ジュリエット・グランヴァレと恋仲である。だが彼女の父親で地元銀行の出納長であるグランヴァレ氏はふたりの交際を快く思っておらず、ある日も彼女が帰宅した際には猟銃を取り出して、窓からバシュランを威嚇するのだった。
 その夜、バシュランはカフェで馴染みの客たちと飲んだ後、ジュリエットの自宅に放火するという暴挙に出る。その後しばらく彼はヌヴェールの町を離れて隠れていたが、2ヵ月後に戻り、ジュリエットを説き伏せてふたりでパリへと駆け落ちをした。12月28日のことだった。
 ジュリエットの父親グランヴァレ氏はパリへ上京し、元刑事の私立探偵エミール氏を雇ってふたりを捜す。時間をかけてでも娘を連れ戻したいという彼の願いは強く、彼は銀行に辞職願も出していた。エミール氏はパリ司法警察のジュッソーム刑事の協力を得て、リュカ刑事の支援も受け、バシュランの行方の手掛かりを得た。バシュランは堅気の行商の仕事がうまくいかず、商品詐取とその転売を生業とする男と知り合い、その仕事をジュリエットにも分担させようとしていた。
 グランヴァレ氏の妻が地元で急死し、彼は喪に服しながら娘を捜し続ける。一方、娘のジュリエットはそんな父の姿を見つけて悲嘆に暮れ、セーヌ川へ身投げしようかと気の迷いさえ起こす。バシュランは常に苛々してジュリエットに八つ当たりをするようになっていた。
「要するにおまえはおれを愛していないんだ!」
 そんな台詞さえ叫ぶようになったバシュランを前にして、素直な娘ジュリエットはどうしたらよいかわからない。ふたりの隠れ住まいに、父たちがやって来ようとしていた……。
 
 これがこの物語のほぼすべてだ。本作は全9章。これまで全11章が定型だったシムノンにとって初めての9章構成であり、物語の展開や広がりも大きくはない。
 作者のミスだろうが、主役のひとりバシュランの名が途中でエミールからジュールへ変わってしまっている。
 おやっと思われたところがあるに違いない。リュカLucasという刑事が登場する。メグレ警視シリーズに登場する腹心の部下、リュカと同じ名前だ。
 私立探偵エミール氏はパリ司法警察局にグランヴァレ氏を連れて行き、そこの風紀警察 police des mœurs のジュッソーム刑事 inspecteur Jusseaume と引き合わせる。ジュリエットは駆け落ちした行方不明者なので、殺人などを扱う部署ではなく風紀課の旧知の刑事に協力を乞うているわけだ。そのジュッソーム刑事が同僚のリュカ刑事 inspecteur Lucas を紹介し、リュカはその申し出を受けて足取りを追う。
 一度だけ作品中に「警視」commissaireという単語が出てくる。ジュリエットの動向をグランヴァレ氏と共に見張っている私立探偵エミール氏の姿を見て、ある人が「警視」commissaireだと考えた、という描写だ。エミール氏が本当に元「警視」だったかどうかはわからない。ジュッソームやリュカの本当の役職も文中からは特定できない。だがおそらくエミール氏もジュッソームもメグレと同じく警視だったのだろう。
 リュカのオフィスが「première」にあるという文章が出てくる。英訳版では「ground floor」、邦訳版では「地階」になっていて困惑させられるが、フランスで「第1階」première は日本の「2階」だから本作のリュカはオルフェーヴル河岸の2階にいるのだろう! 
 ちょうど本作の次に執筆が終わったと思われる『メグレ再出馬』連載第19回)に通じるところがあって興味深かった。『メグレ再出馬』では物語の途中でフェルナンドという商売女がパリ司法警察局の「風紀取締り課」(野中雁訳)le service des Mœurs に逮捕される展開がある。本作にも同じく風紀課が出てくる。作品を順番に読んでいると、このように前後の作品で緩やかな繋がりがあるように見えてくるのが面白い。
 本作に登場するリュカは、メグレ警視シリーズのリュカと同一人物だろうか? ここではあくまでシムノンが記号として、パリ司法警察局の刑事役としてリュカという名を登場人物に与えたと考えるのが現実的だろう。リュカの人となりを特徴づける描写はない。ペンネーム時代からシムノンにはそういうところがあったではないか。
 シムノンは後年にも『汽車を見送る男』(1938)や『判事への手紙』(1947)といったロマン・デュール作品で、メグレシリーズのレギュラーの名前を登場させている(前者はリュカ刑事、後者はコメリオ判事)。たまたま発売されたばかりの本格的な解説書、ミュリエール・ウェンジャー(?)Murielle Wenger, スティーヴン・トラッセル Stephen Trussel『Maigret’s World: A Reader’s Companion to Simenon’s Famous Detective[メグレの世界:シムノンが生んだ著名な探偵へのブックガイド](McFarland, 2017)を眺めていたら、リュカの項目にたくさんの番外的登場作のタイトルが並んでいた。本作以外にもまだまだある。日本では『汽車を見送る男』『判事への手紙』の2作がとりわけメグレの「番外編」として位置づけられ、ミステリー読者に知られているが、実際のところリュカという名の人物はさらにいくつものノンシリーズ作品に登場していたのだった。
 
 バシュランがジュリエットにいますぐパリへ駆け落ちをしようと持ち掛ける。今日中にパリ行きの列車に乗ろう、と。
「でもコートがないわ」「私、ドアの鍵を閉め忘れてきたわ」
 そういってジュリエットが躊躇うところは微笑ましい。だが心に残るというほどではない。列車に乗る前、ふたりはそれぞれの親への短い手紙を書く。自分たちは幸せだから捜さないでくれ、と。その手紙を5フランでバーの店員に渡し、いますぐジュリエットの自宅のある番地へ届けてくれと願い出る。これも古き時代の青春物語のようでやはり微笑ましくなるが、よい描写だと感じるほどのものではない。
 初期感傷小説の一部には、筆致は未熟であってもまだ心をつかまれる場面があった。ぐっとこちらを惹きつける描写が一瞬でもあった。だから〝感傷〟があったのだ。今回のメロドラマに、シムノンでなければ書けないシーンはあるだろうか。
 ペンネーム時代の『運命』連載第26回)で窓辺から周りを見つめる迫力のシーンや、『マルセイユ特急』連載第27回)で故郷へ帰る際の急行列車のような筆致がどこか一ヵ所にでもあったなら──と残念に思う。最初期の中編『亡命の愛』で主人公の娘がセーヌ川を見下ろし、こんなに辛いなら死んでしまおうか、と思い悩むシーンにさえ届いていないように思われ、本作のジュリエットが習うショパンの調べもいまひとつこちらの心に届いてこないのは惜しまれた。
 
 本作の後、シムノンは『メグレ再出馬』の手直しを終え、完全にファイヤール社の仕事を終えたのだと考えられる。
 オムニビュス社のシムノン全集の表紙には、ちょっとしたデザイン上の仕掛けが施されている。ファイヤール社時代の第16巻から第18巻までは青色系統で「SIMENON」と大書されているが、次のガリマール社時代の第19巻から第25巻までのタイトルは黄色~緑色系統で、戦後のプレス・ド・ラ・シテ社時代である第1巻から第15巻までのタイトルは赤色系統になっている。
 作家トーマ・ナルスジャックはメグレ警視シリーズを大まかにファイヤール社時代の第一期、ガリマール社時代の第二期、プレス・ド・ラ・シテ社時代の第三期、と区分したわけだが、実は本連載もその分類に従うならすでにガリマール社時代へ入っている。
 だがシムノンが第二期のメグレを書き始めるのは1936年。まだ先のことなのだ。書誌を眺めていると、シムノンは新しいメグレ時代を開幕させる前に、それまでの作家人生の決算ともいえるような仕事に取り組んでいる。第二期メグレ開始の直前執筆作品は、シムノンのなかでも例外的に分厚い『ドナデュの遺書』(刊行は1937)だ。
 よってそこへ辿り着くまで、もうしばらく本連載では第一期の延長としてロマン・デュール作品を読み進めたい。
 本作『情死』の後、『ドナデュの遺書』まで未邦訳作品が続く。戦前におけるこの時期のシムノンは、まったく日本に紹介されていない空白の領域なのである。そしてこの時期のシムノンは、世界中へ旅をした旅行作家でもあった。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。


















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