シャッフルビートに乗って、上手から、ふぐり蒸太郎先生が登場。
 
りりす:なに、舞い上がってるの? ふぐり先生。
博士:今月は、クラシックに限らず、ワシ好みのミステリが押し寄せてきて小躍りしてるのじゃ。全部こなすのに、近所の女子高生の手も借りたいくらいなので、キミに再登場願ったというわけだ。
りりす:にゃん。2016年12月以来の登場となる永遠の女子高生のりりす、です。よろしくで~す。
博士:相変わらず子リスのような瞳をして実はAIでした、というオチじゃないじゃろな。
りりす:豊洲も私が決めたのよ。とノリツッコミしながら、永遠のハゲ爺さんとお送りする今月は、ジム・トンプスン、パット・マガー、ジョナサン・ラティマー、マイケル・イネスというクラシック好きには随喜の涙のラインナップです。
 

■ジム・トンプスン『綿畑の小屋』


りりす:一冊目は文遊社のジム・トンプスン。この初訳シリーズも5冊目。順調ですね。
博士:これまで未訳だっただけに、既に翻訳がある作品からみると相対的に落ちると思われそうだが、どれも読ませるのう。今回の一人称で語られる『綿畑の小屋』(1952) も、冒頭から読む者を引きずり込んでしまう。
 主人公は19歳のおれ(トミー・カーヴァー)。教師の代わりに採点をするような優秀な生徒。と、答案の一枚がすべり落ちてゴミ箱の中に落ちる。ゴミ箱のなかに食べのこしのサンドウィッチが見えて、ポケットに押し込んだところを守衛のエイブ・トゥーレイトに見られてしまう。
りりす:サンドウィッチを隠したのは、飢えていたから。強烈な出だしですね。トゥーレイトという姓も変わってるけど、これも意味があるんですよね。
博士:舞台は、東部オクラホマ。白人、黒人、インディアンが共存し、さらに血が混じっているがゆえに、複雑な対立がある。守衛はインディアンで、政府が行った土地の分配の後に、祖先が生まれて土地をもてなかったから、トゥーレイト(時間切れ)。
りりす:少年にはインディアンの血も混じる年上の恋人がいて、こちらの姓名は、ドナ・オンタイム。祖先が土地の割譲に間に合ったから、オンタイム(時間どおり)なんですね。
博士:背景にあるのは、土地を持つものと持たざるものの対立でもある。当地に移住してきた少年の家は白人の貧農で、生涯に買ってもらった靴は一足しかないくらい。その少年が富裕な地主のオンタイムの娘と恋をしているという図式だ。
りりす:何かロシア文学みたい。
博士:図式はそうなんだが、そういった構図から予想される物語を遥かに突き抜けていくのがトンプスンじゃ。1950年代オクラホマのリアルに根差してはいるが、普遍的でもある家族や人間関係のきしみをさりげなく描きながら、こちらの情動を波打たせる。回想される少年とドナとの出逢いのシーンからしてセクシャルで暴力に満ちている。少年は、父と、義姉で母親代わりのメアリと暮らしているが、メアリとも関係をもってしまう。石油発掘をめぐり、オンタイムと父が決定的に対立する中、殺人事件が発生。凶器に少年のナイフが使われていたことから、捜査の手は少年に及んでくる。
 これは、貧しい、だが知的には優れた少年の一種の地獄巡りの話といってもいい。地獄は、肉体的なものでもあるが、精神的なそれでもある。次第に明らかにされる事実から少年は魂を失いかけ、復讐のため手に斧をもつことだけに囚われていく。
りりす:この小説にも、『殺意』『犯罪者』にも出てきた、コスメイヤー弁護士が重要な役割で登場します。立て続けに読んだので、コスメイヤーさんが出てきたところで、このちびのユダヤ人弁護士に、「よっ、千両役者!!」と声をかけたくなるの。善人なのか悪人なのか、正気なのかクレイジーなのか、何が彼をつき動かしているのか分からないところが、また魅力的。
博士:この小説は、少年の冤罪事件を扱っている点で、後年の『犯罪者』(1953)を、少年と父との相克を扱っている点で『深夜のベルボーイ』(1954) を想起させる内容だが、これらの作品とは違う手触りももっている。それは、少年が、教師のミス・トランブルら信頼できると信じている人をもっているからでもある。果たして少年に「救い」はあるのか。地獄巡りの果てに、ベアトリーチェは待っているのか、確かめてほしい。
りりす:小説中最も不可解だった部分が結末で腑に落ち、全体の構図がくっきり立ち上がるところは、ミステリ的にもインパクトがありましたね。

■パット・マガー『死の実況放送をお茶の間へ』


りりす:続いてパット・マガーです。
博士:懐かしや、パット・マガー。被害者捜し、目撃者探し、探偵捜しなどの趣向で、ミステリ史に名を残した女性作家だ。最後の邦訳が1988年の『目撃者を捜せ!』(1950)だから、新たな邦訳としては、実に30年ぶりになるのか。謎解きとしては『七人のおば』、意外性とフィッツジェラルドを甘くしたようなセンチメンタリズムを併せもつ『四人の女』がお気に入りだった。
りりす:11月には、創元推理文庫で『不条理な殺人』も控えているそうですよ。
博士:狂い咲きじゃ。本書は、初期5作のアクロバティックな趣向を離れた、オーソドックスな謎解き物。とはいえ、生放送中のTV番組で出演者が怪死し、そのシーンがお茶の間にも流れるというのだから尋常な設定ではない。
りりす:ラジオ番組中の殺人では、ヴァル・ギールグッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』、マックス・アフォード『闇と静謐』がありましたね。
博士:それは、ワシのセリフじゃ。TVではマガーが初めてかどうかは不明だが、1951年の作品とTV草創期のことだし、おそらく一番乗りに近いじゃろ。
りりす:作品からは当時の番組づくりの様子がよく伝わってきます。殺人が起きる放送は、30分のコメディ番組。軽妙なコントがあって、歌があって、アナウンサーによる生CMがある。『シャボン玉ホリデー』みたいなものでしょうか。
博士:むむ、女子高生が仕掛けてきたな。
りりす:こりゃまた失礼いたしました~。リハーサルもスタジオが少なかったから、別なビルでやって、本番だけTV用に改装した劇場でやるんですね。
博士:本書のヒロイン、メリッサは雑誌記者。番組の舞台裏取材には、個人的な目的もあった。番組のCM担当アナウンサーが大学のジャーナリズム学部の同級生のデイヴ。メリッサはデイヴに熱をあげたが、冷たい態度をとられた意趣返しのつもりもあった。
りりす:女はコワい? でも、毎週水曜日、画面のデイヴを見つめるメリッサは、けなげ。
博士:メリッサはインタヴューをもちかけると、難なくデイヴのOKをもらい、リハーサルの見学へ。でも、番組関係者には深刻な対立があることを見聞きする。コメディアンのポッジ・オニールがお茶の間の人気者だったが、実は番組の真の権力者は、ポッジの相方で前妻のスコッティ。ポッジはコメディアンとしての実力に自信がなくスコッティの言いなりだ。その専横ぶりに、関係者の間ではスコッティ抜きで番組をつくろうとする動きがある。コメディアン、歌手、番組制作者、広告代理店らのマスコミ人士の生態がややコミカルに描かれていて、人物描写に力を入れたというマガーの面目躍如だ。
りりす:特に、女性歌手のマネージャーは、ジョークばかりいっている一方で、女性歌手をトップに押し上ようとする抜け目なさも人一倍で、いかにも業界人。ケガにもめげず番組をコントロールしようとするスコッティはド迫力でしたね。
博士:本番当日も、直前まで内容が固まらないのでリハーサルは大荒れ。そして、番組放映中の毒死に発展するわけだ。限られた人間にしか犯行はなしえず、その容疑者にはデイヴも入っている。犯人は誰なのか。華のある設定だが、数百万人が見守る中での殺人ということで、もう少しテレビ視聴者に与えたパニックや熱狂、社会への影響というのを見たかったような気もする。
りりす:作者の関心は、それよりも、ヒロインの味わうサスペンスと疑心暗鬼に向いている感じね。デイヴですら信じられない状況なんだから。
博士:謎解きは手がかり的には弱く、動機も少し変わっているが、一つの悲劇としてはすっと胸に落ちる。これは、小説全体がそこに焦点を合わせて書かれていたせいでもある。短めの長編ながら、当時のTV業界事情やロマンスも盛り込んだ謎解き小説の佳品じゃ。

■ジョナサン・ラティマー『サンダルウッドは死の香り』


りりす:お次は、ジョナサン・ラティマー。これも久しぶりですね。
博士:同じ論創海外ミステリの2008年のシリーズ最終作『赤き死の香り』以来、10年ぶりの刊行じゃな。しかも、『モルグの女』『処刑六日前』という秀作に続くビル・クレイン物第4作。
りりす:最後に謎を解くのは、ビル・クレインだけど、この小説では、同じ私立探偵社のトマス・オマリーとのバディ物みたい。オマリーのキャラクターも冴えてますね。で、この二人、サイコー。事件そっちのけで、お酒を飲んで、若い女の娘たちとダンスしたり海で泳いだり。二人の頼むクレインの頼む「スコッチのトリプルをダブルで」には眼をしばたたかせました。
博士:舞台は風光明媚なフロリダ。とにかく美女まみれ、酒まみれだ。事件はというと、若い資産家ベン・エセックスのもとに、〈ザ・アイ〉を名乗る者から、度々脅迫状が送りつけられる。それも、寝室の枕元や財布の中などあり得ないほど近い場所に。この事件の調査にクレインとオマリーがやってくる。瀟洒な邸宅には、ベンの妹カメリア(美女)、英国風の美女、水着がはちきれんばかりの美女、そして、サンダルウッド(白檀)の香りのエキゾティックな謎のダンサー、イマゴ・パラグアイ、その他怪しげな人たち。一行はキャバレーに繰り出し、殴り合いあり、クレインはルーレットで大儲けをしたりという乱痴気騒ぎを繰り広げるが、店の前で、カメリアが男たちに拉致されてしまう。そして、翌日、〈ザ・アイ〉から身代金の要求が。ここに至って、本作のメインテーマは、誘拐だと判るのじゃ。
りりす:途中まで事件の進行を忘れて、作者も酔っぱらっているのかと思っちゃった。
博士:でも、誘拐の発生の後でも、二人組は、砂浜で寝そべったり、酒を飲んだりしてるのじゃがな。誘拐事件の帰趨も見えないうちに、美女とベッドインしたクレインは、隣の美女が死んでいるのを発見する。しかも、現場には他人は誰も出入りできない密室だ。
りりす:誘拐事件は何処へ? って感じだけど。
博士:だが、ここからは、誘拐物の定番、身代金受渡しの緊迫したシーンとなっていく。その部分でも不可能犯罪的なひねりがある。その後は、謎解きがあり、アクションがあり。お話の進行は千鳥足めいているが、調子っぱずれがゆえに味があって陽気に誘うホンキートンクミュージックのようでもあり、しかも、クレインの謎解きは手厚く、ぬけぬけとした手がかりも散在している。密室トリックは、カーにも似たようなのがあったはず。登場人物を多く出しすぎたがゆえに、アバウトな処理に終った部分もなくはないがね。とにかく、リゾート気分の酒、美女、ジョークの応酬、入り乱れる個性の強すぎる人たちで楽しませながら、不可能犯罪や謎解きにも拘り続けるのには、ある種の感動すら覚えるね。
りりす:男のお楽しみ全部載せ。
博士:ラティマーは、ハリウッドのジョン・フォロー監督に重用され、シナリオライターとしても活躍していたわけだが、とにかく並外れたそのサービス精神には感服じゃ。唯一残った第1作も、近刊予定というから、わしは括目して待つぞ。ところで、ビル・クレインとわしは似たところがある。で、ワシはどうじゃ。
りりす:何がどうじゃじゃ。クリスマス用のガチョウの胃袋にでも詰めてもらったら。で、どこが似てるのよ。
博士:ビル・クレインはハードなアクションシーンでもケガなく助かる。ワシも毛がない。
りりす:どちらもケガなく良かったねって、ドンパン節かよ。

■マイケル・イネス『アリントン邸の怪事件』


りりす:イネスは、高尚すぎてよく分かんない、って友だちのハナが言ってたんですけど。
博士:まあ、友だちの話にするのはよくある話じゃ。ふおっふぉっ。『アリントン邸の怪事件』(1968)は、長崎出版の海外ミステリシリーズ〈Gem Collection〉の一冊の復刊。訳者あとがきには「ほぼ新訳に近い仕上がり」とあるが、218冊になんなんとする論創海外ミステリシリーズで初めての再刊ではなかろうか。作者が長編デビューして30年以上後の作品だけに、もはや枯淡の境地というか、ペダントリーを含めた往年の肉厚さはない。その分、イネスの謎解き物としては、大変すっきり、くっきりしていて、出来栄えも上位に入ると思う。
りりす:引用癖は相変わらずだけど、これは楽しめました。
博士:とはいえ、イネスらしさは健在。小説の題材になっているのは、大邸宅アリントン邸で毎年恒例行事となっている慈善目的の祝典。村人のみならず近隣からも人が押し寄せ、多彩な出し物で老若男女が大いに楽しむ。このアリントン邸は、直前までソン・エ・リュミエールという名所旧跡を夜間照明・音楽つきで物語る催しを開催するなど、地所の開放に積極的だ。祝典の前日に、アプルビイは不可解な死に直面する。
りりす:アプルビイは警視総監まで勤め上げ、この小説では、リタイアして悠々自適の身。先般の『盗まれたフェルメール』では幼子の母だった妻のジュディスは、好奇心旺盛で相変わらず活力に溢れています。渋るアプルビイを捜査に向かわせるのもジュディス。
博士:祝典では、悪ガキたちが池に飛び込んだりの悪さをするが、それをきっかけに、前夜、当主の甥が車中で死亡していることが判明する。さらにもう一つの死が。果たして、連続怪死事件をつなぐ線とは何か。宝さがしの要素があったり、原子エネルギーをめぐる陰謀説も浮上する中、アプルビイは、不審な死をつなぐ太い線を見出す。
 アプルビイの推理は短いものにすぎない。だが、祝典やソン・エ・リュミエールといった舞台、そこで起きる小事件、当主の愛犬まで含めた奇矯な面々が単に背景や添え物ではなく、事件に欠かせぬ要素として一点に収束していくところに構成の美があり、犯人の強烈な悪意にも目を瞠らされる。イネスの後半期のミステリはほぼ手つかずだが、このレベルの作品が残っているのか大いに期待したい。

博士:それにしても、まあうまく進行したわい。りりすちゃん、若いのに良く知っている。
りりす:まあ、近所の女子高生が今月のクラシックミステリ4冊読んできたという設定がフィクションですから。
博士:そういうワシもフィクション。フィクション大魔王よ。むむむ、待て待て。……にゃん(猫)……クレイジー……シャボン玉ホリデー……眼をしばたたかせる……ガチョウ……友人がハナ……。もしかして、あなたの正体は、谷啓さん。
りりすムヒョーッ

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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