■ジム・トンプスン『バッドボーイ』


 順調に刊行を重ねる文遊社ジム・トンプスン未訳シリーズから、ジム・トンプスンの自伝長編『バッドボーイ』(1953) が出た。
 本作に限っては、ジム・トンプスンの長編を手に取るときの甘やかな慄きとは無縁だ。ただひたすら波乱万丈、抱腹のエピソードに身を委ねていけばいい。
 本作で語られるのは、おおむね作家の出生から20代前半まで。父の仕事の関係で、一家はアメリカ西部(ネブラスカ、オクラホマ、テキサス) を転々とする。
 テキサス流大ぼら (Texas brag)の要素はあるのかもしれないが、一人の半生にこれほどの豊富で途方もないエピソードが詰まっているとは驚くばかりだ。
 少し例を挙げれば――。
 従兄二人がそれぞれ自転車をプレゼントされた。爺は自転車を大切にしないと磔にすると身の毛もよだつ一席をぶつ。従兄とジム少年は、すぐさま自転車を数百あまりの部品に分解する。一週間経って、二台の自転車は、「自動車」に変身。大人たちの前で得意げに試走した先に食料所蔵庫があって……エンジンは吹っ飛び、三人は投げ出され、家族への食料の供給は絶たれる。
 ハイスクール時代、街のバーレスク劇場に通いつめ、「アマチュアショー」の賞金で小遣い稼ぎをしていたジム少年は、新興映画会社の監督に見染められ、喜劇映画に主演することに。言われるままに、窓に突っ込み、階段を落ち、泥だらけの穴にはまったその先に待ち受けていたのは……。
 少年を取り巻く家族の肖像も実に印象的だ。
 父。ほぼ独学で、保安官に二期連続当選、共和党の公認を得て連邦議員に立候補し完敗。保安官時代の帳簿に三万ドルの欠損が見つかり、メキシコに逃亡。その後も、個人事業の成功と挫折を繰り返す。あらゆる分野に通じ誰からの信頼も厚い。しかし、大事においては天才でも、俗事に関してはだらしがない。経歴の一部は、『ポップ1280』の主人公を思わせる。
 母。父が極端に走ろうとすれば家族の防波堤代わりに。入院中に雇われた女が子どもたちをほったらかして飢えさせ、家の中を豚小屋に変えてしまったのを見て、女の耳を殴りつけ、蹴りはじめるシーンは壮絶。
 爺 (母方の祖父) 。粗野で辛辣、がさつで情に厚い好漢。酒飲みで子どもたちにもトディ(ホットウィスキー)を振る舞う。13歳のとき、父の干渉に耐えかね、反抗するジム少年のもとにやってきた爺がトディと葉巻を差し出し、バーレスク劇場で一日過ごして、少年の心を落ち着かせるエピソードが痛快。
 貧乏暮らしが長く続いたこともあって、ジム少年は、配管工、ゴルフのキャディ、新聞社の使い走り、バーレスク劇場、ホテルのベルボーイなどを経験し、さらには、テキサスの油田での危険な仕事に就く。トンプソン読者なら、『犯罪者』『深夜のベルボーイ』『脱落者』『天国の南』など様々な作品にトンプソンの職業経験が反映されていることに気づかされるに違いない。
 12歳でハイスクールの一年生になった早熟の少年は、反抗的態度で6年間、1年生のまま。一方で、むさぼるように本を読み、パルプ雑誌に文章を売るなど才能のほとばしりもみせる。一言でいって、反抗的な青二才、それが十代のジム少年だ。
 長く続けたホテルのボーイの世界。無茶苦茶なルールと誘惑が幅をきかせ、様々なトラブルに巻き込まれる世界で生き延びていくためには、大いなる幸運と知性が必要といった後に作家はこう続ける。

「だが、それよりまず“ものにする能力”、つまり避け得ない異常なものに吸収されず、吸収する力が求められる。簡潔にいえば鋭いユーモア感覚が必要だった」

 本書のいたるところでみられる研ぎ澄まされたユーモア感覚、さらにいえばトンプスン作品の黒い笑いは、おそらくは職業経験で会得したものであり、この世界で生き延びていくことと表裏一体のものなのだ。
 トンプスン読者には、作品世界の背景を知る意味でも必読の作品だし、急速に進む資本主義の時代、20世紀前半を生きた一人のアメリカン・ボーイの成長を描いた小説としても大いに愉しめるだろう。こんなに面白い自伝小説は滅多にない。
 続編の Roughneck(1954)も是非翻訳を。

■ジャック・フットレル『思考機械【完全版】第2巻』


 『思考機械【完全版】第1巻』に続き、間を置かず出た第2巻も500頁超2段組の大冊。著者生前の単行本未収録作品はすべて初出誌からの翻訳。初出紙誌と単行本の異同も詳細に注釈が施されている。世界にも例のない全集で、これで思考機械物をコンプリートできる日本の読者は幸せだ。本書には、思考機械物31編に、現実の事件に取材したホームズ・パスティーシュ「巨大なスーツケースの謎」が特別収録されている。
 思考機械と呼ばれるヴァン・デューセン博士の冷徹ぶりにも徐々に変化がみられ、女性心理を研究したり(「嫉妬する心」)、単身危険な現場に赴き、ハッチ記者を気遣ったり(「空き家の謎」)、自ら殺人者の標的になったり(「科学的殺人犯人」)する。
 「オペラボックス」(オペラボックスの殺人)、「失われたネックレス」(船上からの真珠の消失)、「幽霊自動車」(自動車の消失)、「盗まれたルーベンス」(絵画の消失)、「囚人九十七号」(消えた囚人) 、「消えた男」(社長の消失)などでは相変わらず、趣向を凝らした不可能犯罪を描いている。一方で、ひと味異なる面白い謎を提示しているのも眼につく。「完璧なアリバイ」(鉄壁のアリバイ)、「呪われた鉦」(鳴り響く日本の鉦)、「余分な指」(外科医に指を切ってほしいと頼む美女)、「オルガン弾きの謎」(殺された猿の謎)、「バツ印の謎」(俳優の異常な体験)、「銀の箱」(謎の通信方法)、「赤いバラの謎」「科学的殺人犯人」(外傷のない死)などなど。
 こうした創意ある謎の提示には怠りなかったが、短期間で数多く書かれただけに、作品のできばえという点では、謎解きというより単なる説明に終わっているもの、明らかに説明が不足しているものもある。
 そうした不出来の作でも、異形の風貌の思考機械が登場し、例の台詞「二たす二は常に四」を唱えると、待ってました!  となるのは、名探偵というスターシステムのもつ魔力だろう。
 作者フットレルは、思考機械物を数編残して、タイタニック号の悲劇で北大西洋に消えるが、訳者解説にあるように、死後発表の最初の短編「救命いかだの悲劇」には、船の遭難エピソードが登場し、タイタニック(巨大なる)という使用頻度が少ない言葉が出てくるのは、神秘的というしかない。

■メアリ・ロバーツ・ラインハート『ミス・ピンカートン』

(http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/522/)
(画像上をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 『世界名作探偵小説選』『思考機械【完全版】』の刊行に加えて、平山雄一氏による精力的な刊行が続くヒラヤマ探偵文庫は早くも第4弾。
 H・I・B・K派 (知ってさえいたら派) の創始者とされるメアリ・ロバーツ・ラインハートは、作品にあまりシリーズ・キャラクターを用いなかったが、その数少ない例外が、既に紹介されているレティシア・カーベリー(『レティシア・カーベリーの事件簿』)と、本書の看護婦探偵ミス・ピンカートン。登場するのは、本書『ミス・ピンカートン』(1932) と『おびえる女』(1942/別冊宝石112号) 、3編の中短編だけではあるが、初出が1914年の短編というから、みずからの看護婦経験もある作者として、愛着のあるキャラクターだったと思われる。
 ミス・ピンカートン、といっても本名ではない。ミス・アダムスというのが本当の名前で、ミス・ピンカートンは、パットン警視との間での内輪の冗談での呼び名。有名なピンカートン探偵社にちなんだものだと思われる。
 アダムス看護婦は、パットン警視と殺人課との協力関係を結んでおり、家庭にプロの看護婦として入り込み、捜査に必要な事項を警察に報告する役割を担っている。
 アダムス看護婦は、今回もパットン警視の依頼で、今はおちぶれた名家の屋敷で、奇妙な状況で甥が死んだばかりの老女の世話をすることになる。
 屋敷の住人は、老女と召使いの夫婦者のみ。長編としては随分シンプルと思われるが、屋敷外の人物たちが甥の死に関わっていることが次第に明らかになり、事件は錯綜の度を深めていく。
 意外といってはなんだが、アダムス看護婦にまつわるロマンスは一切なし。彼女は、四晩、侵入者の恐怖におびえながらも、ほぼ不眠不休で事件の解決に打ち込むのだ。
 本書には、次第に複雑さを増していく構図の面白さがあり、余分な要素がなくひたすら事件の解明に費やされるのには好感がもてる。「もし知っていたら」もほとんど気にならない程度。が、最終的には、現場での遺留物から犯人が特定され、目立った伏線もなく警視により事件の構図の説明がされるなど謎解き物としてはあまり褒められない。
 やはり本書の読みどころは、事件の捜査に没頭する女探偵の肖像だろう。
 潜入捜査のプロとして看護婦探偵を選んだミス・アダムスだが、時に捜査に音をあげ、平和な日々を思ってため息をつき、時にはわっと泣きだしたり、半分ヒステリックに笑い出したりする。
 彼女と殺人課の関係はずっと曖昧だ。報酬があるわけでもない。うまく使われているだけだとも思う。「私は、やっぱり馬鹿なんだろうな」。でも再び立ち上がり、「結局これが、私の本能なのだ」と心に刻む。ずっと後にブームになる独立心旺盛な女性私立探偵物の祖先ともいえる存在だ。
 勇敢さと人間らしい素顔が同居している点が、読者の共感を呼ぶゆえんだろう。

■ロバート・ルイス・スティーヴンソン『眺海の館』


 本書は、『宝島』『ジキル博士とハイド氏』、ミステリでは『箱ちがい』などで知られるロバート・ルイス・スティーヴンソンの中短編26作を独自の視点で編纂した短編集。
 冒頭の4作は、『新アラビア夜話』第2巻所収の作品。光文社古典新訳文庫で第1巻に親しんだ読者にとっては、嬉しい企画だ。
 表題作の中編「眺海の館」は旧訳もあるが、掲載作は、初出誌版によるものという。本書では、最も長く読みごたえも十分。作者と同郷のコナン・ドイルが母親宛ての手紙で絶賛した作という。
 人嫌いで国内を放浪している若者が、かつてけんか別れをした友人の住む海辺の館を訪ねてみると、主はいない。若者が近くに野宿していると、船が着き、旧友ほかの男女が館にやってくるのがみえる。旧友に近づくと、若者は切り付けられる…。
 自らの子どもたちに母親との出逢いを語る体裁で進む物語は曲折に富み、旧友らの不審な行動の背景が明らかになる中で、恋と冒険がスリリングに進行する。個性的な登場人物たちと、人を呑み込む流砂などの荒々しい自然描写、抜群のストーリーテリングとで、一読忘れ難い作品になっている。館に立てこもる数人と周囲からの襲撃という構図は、後年の同種のサスペンス物の祖型の趣もある。
 ほかに、15世紀の盗賊詩人ヴィヨンに取材し、ヴィヨンと貴族が交わす善悪論争が面白い「一夜の宿り」、結婚か、さむなくば死かという究極の状況での一夜の愛の奇跡を描いた「マレトロワ邸の扉」、いずれも香り高い。「神慮はギターとともに」は、旅芸人(本人曰く「舞台芸術家」)の夫婦を主人公にした愉快な短編。演技のできない俳優を見守る妻の(つまり作者の)視線はどこでも心優しく、その人生肯定の精神に胸躍るような作品だ。
 その他「寓話」は、ごく短いショートショートのような短編が20編。ロマンティシズム溢れる作品とはひと味違う作者のモダンなセンスを感じさせる。中には、『宝島』の登場人物スモレット船長とシルヴァーが第32章の後で物語から抜け出てきて、創造主(作者)について、善悪について語り合うというメタフィクショナルな一編も。
 「宿なし女」は、アイスランドに船できた女が、強欲な女の家庭にもたらす災厄をいきいきと語る恐怖譚、「慈善市」は呼び込みの語りが経済の本質に迫るような切れ味をもつ本邦初訳の小品。
 ロマンの香り豊かな作品から恐怖譚、理知的で風刺の精神に富んだ作品まで、文豪の豊かな世界が堪能できる短編集。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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