■クロード・ホートン『わが名はジョナサン・スクリブナー』


 ヒューゴー賞にノミネートされたランドル・ギャレットのコメディ・タッチの合作ミステリや、ウィトゲンシュタインが愛読したパルプ作家ノーバート・デイヴィスの作品…。ミステリを中心に、ジャンル小説の中から、目を瞠るような作品をkinde版で提供している林清俊氏の翻訳プロジェクト。刊行時点の関係から、本稿「玉手箱」では、以前、アーノルド・ベネット『グランド・バビロン・ホテル』を取り上げることができただけだが、ミステリジャンル類縁のメタ・フィクションの逸品が今年の7月にサルベージされていた。
 クロード・ホートンは英国の作家だが、ほぼ忘れられた作家で、我が国には長編の翻訳もないようだ。が、本書の訳者解説によれば、ホートンは、P・G・ウッドハウス、グレアム・グリーン、ヘンリー・ミラーといった錚々たる面々から称賛されていた作家だという。
 本書の原書の紹介文には、ヒュー・ウォルポール(『銀の仮面』『暗い広場の上で』) の「この小説が、なぜあまねく知られ、称賛されていないのか理解できない」という趣旨のことばが掲げられている。
 では、『わが名はジョナサン・スクリブナー』(1930) とはどのような小説なのか。 
 端的にまとめられたAMAZON掲載の紹介文をそのまま引用する。

 事務の仕事をしながら孤独な生活を送っていたジェイムズ・レクサムは、あるとき意を決して、裕福な紳士の秘書になる。それが不思議な冒険のはじまりだった。雇い主のジョナサン・スクリブナーはとうに外国へ出かけて姿をあらわさず、レクサムはほとんどなにもしていないのに高給をもらい、雇い主の高級フラットで、まるで自分がそこの主人ででもあるかのように生活することを要求される。レクサムは巧妙な犯罪計画にでも巻き込まれたのかと疑心暗鬼になる。そこへ雇い主の友人たちが訪れ、彼の人生は急に複雑な模様を描き出した。ジョナサン・スクリブナーとは誰なのか、何をもくろんでいるのか。一九三〇年に書かれた、知られざるメタ・フィクションの傑作。

 魅力的な登場人物、独自の省察に満ちた主人公の思考、適度なユーモアの味付けある語り口…本書の美点は多くあるが、最大の魅力は、ジョナサン・スクリブナーにまつわる謎だろう。ホートンは、ミステリ作家ではないし、本書は探偵小説というジャンルフィクションとして書かれたものではない。
 しかし、本書を探偵小説類縁の作品、ジャンル外から探偵小説の構造を照射するユニークな作品として受け取ることはおかしくないはずだ。
 なぜなら、第一にジョナサン・スクリブナーは何者か、なぜ主人公に奇妙な仕事を依頼したのかという謎は、一般的な探偵小説における謎同様、あるいはそれ以上に読者を惹きつけずにはおかない。加えて、それを「探偵する」という登場人物たちの自意識が明瞭だ。何より、本書には、この種の境界小説にありがちな曖昧な結末ではなく、主人公なりの納得度の高い「解決」が付けられている。その解決は、登場人物の奥行きをさらに深め、未踏の境地に読者を誘うものだ。
 しかも、お楽しみはさらに続く。「読者への挑戦状、あるいは後書き」と題された訳者による解説によって、本書は、類稀れなメタ・フィクションであることが示され、壮大な騙し絵として屹立してくるのだ。
 本書は、是非、訳者の解説とセットで味読したい逸品だ。

■アンソニー・アボット『サーカス・クイーンの死』


 米国本格ミステリ黄金期の主要プレイヤーの一人だったアンソニー・アボットの長編『サーカス・クイーンの死』(1936) が『世紀の犯罪』(1931) に続けての登場だ。本書は、ニューヨーク市警察本部長サッチャー・コルト物の第四作に当たる。『世紀の犯罪』は、現実の事件に材をとった一種ドキュメンタリータッチの迫力があったが、本作では、サーカスの世界の魅惑的な人工空間に遊んでいる。サーカスミステリでは、近年でも、クリフォード・ナイト『〈サーカス・クイーン号〉事件』やクレイトン・ロースン『首のない女』が紹介されているが、これらは巡業中の事件であったのに対し、本書は、NYのマディソン・スクエア・ガーデンという巨大イベント会場の興行に限定されている。舞台の設定をとっても、クイーンの国名シリーズやヴァン・ダインの作風を強く意識していた節がうかがえる。
 十三日の金曜日。サーカス団長から続発する不審な事件について相談を受けた、サーカスファンのコルトはMSGに出向くが、演技中のサーカス・クイーンが謎の転落死を目撃する。続けて起きる不可解な事件。サーカス尽くしの事件で、コルトが暴く「怪物」の正体とは。
 本書をユニークなものにしているのは、アフリカの原住民「ウバンギ族」の存在だ。見世物にされている彼らは、呪術師を長とするコミュニティを保っており、不思議な呪術を使う。マンハッタンのど真ん中で、アフリカの部族が死のダンスを踊るというシーンは、ミステリ史においても稀な光景だろう。そこで、文化の異質性や価値観の相対性を強く打ち出していればさらに興味深い作品になったと思われるが、作者の意識も、サーカス興行者と大きな差はなく、作品にオカルト的な彩りを与えるにとどまってしまったのは惜しまれる。
 『世紀の犯罪』が二日間で解決したよりも早く、本書は、一晩の捜査を濃密に描き、翌日にはコルトは真相に思い至る。犯人の意外性 (特に動機の意外性) は高く、殺人方法も凝ったもので、コルトの読唇術ならぬ「読筋術」が決め手になるなど、独自の創意も盛られている。サーカスミステリとして、まずは屈指の作品だろう。
 なお、本書は、『十三日の殺人』(原題The Circus Queen Murder)として映画化(戦前に日本公開)もされており、伊達男アドルフ・マンジューがサッチャー・コルトを演じている。英語版は、ユーチューブで観ることができるが、ストーリーは大幅に改変されている。

■サッパー『十二の奇妙な物語』


 『恐怖の島』や退役軍人である快傑ブルドック・ドラモンドの冒険小説シリーズで知られる英国の作家サッパーの短編集『十二の奇妙な物語』(1923) が論創海外ミステリから。
 12編すべてがミステリというわけでも、「奇妙な味」の小説というわけでもない。怪奇小説や恋愛小説などに類別される作品も収録されており、すべてをまとめていえば「奇譚」集ということになるだろうか。
 最初の6編は、俳優、弁護士、医者、一市民、軍人、作家の6名が発足させたクラブで、順番が来た会員がとびきり上等のディナーをふるまった後、自らの職業に応じた興味深い話を語るという形式。
 第一話は、家まで来てほしいと人妻に懇願された俳優の話。第二話弁護士の話は、貴族の夫を撃ち殺した容疑がかけられた妻にプラトニックな恋心を抱く裁判官の決断を描く。結末にピリッとした味が効いている。第三話医者の話は「死の宣告」にまつわる恋愛譚、第四話一市民の話(ここだけ市民というのも不思議だが)は、ビルマが舞台の怪奇譚。第五話軍人の話はクリケット競技を絡めた恋愛譚、第六話作家の話は、記者時代に巻き込まれた犯罪奇譚というように色合いを変えながら、話は続く。面白い話ができなかった場合は、慈善団体に10ポンドを寄付しなければならないルールだが、いずれも及第点だろう。
 残り6編は、それぞれ独立した話。
 「第七話 古びたダイニングルーム」は、歴史的な曰くのある部屋の怪異をストレートに描く。「第八話 曲者同士」は令嬢をめぐる曲者同士の対決の中で善玉の意外な正体が浮上する。最もミステリ色があるのは、「第十一話 ウイスキーのグラス」で、ささいな手がかりから殺人事件の犯人が描いた構図が崩れる。「第十二話 酔えない男」は、アフリカの地の果てのようなバーで過ごす世捨て人のような男を描いて、人物像としては最も印象が強い。
 おおむね、どの話も男女の恋愛模様が絡んでおり、いささか古風ながらロマンティックな香りが漂う短編集だ。

■ジャック・ドゥルワール『いやいやながらルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝』


 特に我が国では、ホームズと並ぶ人気を誇る怪盗ルパンの作家モーリス・ルブラン。実は、ルブランの伝記は、このジャック・ドゥルワール『いやいやながらルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝』(1989年初版、2001年改訂版。邦訳は改訂版による)これ一冊だというから驚かされる。それだけ自らの創造したルパンの影にかき消されてしまった作家生活ということなのだろう。
 死後半世紀を経て、信頼に足る論考や資料が見つからない作家の伝記を書くことの困難さは、本書の訳者あとがきや、その中で紹介されている本書初版の「まえがき」で明らかにされている。そうした困難の中で、丹念に資料を博捜・渉猟して、ルブランの生涯を追った本書は、ルブラン、ルパン研究の第一人者であり、『ルパンの世界』の邦訳もある著者の執念の一冊といえる。
 ルブランの生涯で、まず興味深いのは、ルパンを生み出すまでの作家生活だ。裕福な家庭に生まれ、文学青年だったルブランは、梳毛機工場の仕事に飽き足らず、文学的成功を夢見て、ルーアンからパリに攻め上がる。
 面白いエピソードがある。ルーアンの実家のすぐ近くの庭園で郷土の大作家フロベールの記念碑の落成式があることを知り、実家にいたルブランは、式典に参加したゾラ、モーパッサン、ゴンクールといった「神人たち」を遠くから眺める。「神人たち」との会話を期待して駆け出しの作家は、同じパリ行の急行列車のコンパートメントに居座ったが、そこはすぐに神人たちの共同寝室になってしまい、すぐにいびきが聞こえてきた!
 意外だったのは、ルブランが初期に書いていた心理小説は、批評的には優れた作として認められていたことだ。
 しかし、小説は一向に売れず、1905年41歳のときに、ピエール・ラフィットが創刊した雑誌に彼の勧めで「ルパンの逮捕」を書き、ここにアルセーヌ・ルパンが誕生する。
 初期の心理小説が批評的な成功を収めていただけに、モーパッサンの弟子を自称していたルブランの悩みも深かったに違いない。ルブランは、「心理小説を諦めきれなかった」「堕落したという漠然とした気持を持った」と回想している。ある批評家は、「文学的な経歴からいって、ルパンの優秀な伝記作家は、犯罪や犯罪者の物語を書くべき人物ではなかった (……) モーリス・ルブランが現代の非常に優れた作家だということを忘れてはならない」と書いている。
 ルブランは、ルパンの人気に乗じてかつての心理小説を復刊しようとする試みるが出版社に却下される。
 「ほとんど僕の知らないうちに、あの恐ろしいアルセーヌ・ルパンが、僕のペンを奪ってしまった。……あの悪党は僕の人生を乗っ取ってしまった」「あいつが僕の影ではなくて、僕があいつの影なのだ」と時には人に語りもした。
 しかし、こうした葛藤があったとはいえ、「ルパンの園」と名付けたエトルタの自宅に住み、ルパン物を長く書き継いでいくうちに、次第に作家として満ち足りていった境地も窺える。例えば、ガストン・ルルーを悼み、その物語作家としての才能を称える手紙の内容は、ルブラン自身に宛てたものとしても不思議ではない。
 ルブラン像については、「謙虚」「気取りがない」という証言がいくつもあり、これが作家の実像に近かったと思われる。一方で、地元の本屋を全部見たが、自分の本が置いていないと出版社に何度も苦情を書き送ったり、実の妹に金を貸す際に借用書をとり、死後の財産は兄に譲ると書かせるなど、金銭には厳しい一面もみせている。
 実の妹、女優のジョルジェット・ルブランは、本書におけるもう一方の主人公とでもいうべき存在であり、文壇人や芸術家のスターだった彼女は、『青い鳥』の作者メーテルリンク(本書ではメーテルランクと表記) の長年の愛人でもあった。彼と別れた後には、二人の「女ともだち」と奇妙な三角関係を続け、二度にわたり渡米し、晩年は困窮するなど浮き沈みの激しい人生を送った、兄モーリスと好一対の人物だ。
 本書では、ベル・エポックの時代のパリ、綺羅星の如き人々との交友や、自転車狂だった若き日、一次大戦に従軍した作家に勲章を贈るために奔走するルブランの姿なども資料を駆使して描かれる。ルパンを生み出した作家を知る上で手放せない一冊なのは間違いない。
(なお、『ルパンの世界』で著者ドゥルワールは、物理学の教授とされており、本稿「玉手箱」の記述でもそれを踏襲していたが、本書あとがきによれば、同姓同名の別人がいたことから起こった誤りだという)

■スティーヴン・キング&べヴ・ヴィンセント編『死んだら飛べる』


 編者の一人スティーヴン・キングは、空の旅に関してこう言う。

「ホラーとサスペンスのアンソロジーの題材に、これ以上適切なものがあるだろうか。あるとは思えませんな、淑女紳士諸君。ここにはすべてがそろっている。-閉所恐怖症、高所恐怖症、そして自由意志の剥奪」

 かくして、おそらく世界初となる恐怖のフライトに関するアンソロジー『死んだら飛べる』(2018) が編まれた。初訳10編を含む17編を収録。
 クラシックファンも嬉しいのは、コナン・ドイルの空の透明怪物を扱った古典「大空の恐怖」をはじめ、リチャード・マシスン「高度二万フィートの悪夢」、レイ・ブラッドベリ「空飛ぶ機械」、ロアルド・ダール「彼らは歳を取るまい」らの名を見出せるからだ。
 さらにミステリファンに一押し、修道女フィディルマ物の作者ピーター・トレメインによる航空機のトイレでの密室殺人物まで含まれている。キングとジョー・ヒルの親子競演は、いずれも書下ろしというのも贅沢。
 筆者のベスト4は、時間遡行と空のフライトを組み合わせたE・C・タブ「ルシファー!」、拷問という古くて新しい主題を基に並外れた恐怖を現出させているトム・ビッセル「第五のカテゴリー」、特命のスチュワーデス集団がめちゃ恰好いいSFジョン・ヴァーリイ「誘拐作戦」、北朝鮮との核戦争というリアルなテーマを扱ったジョー・ヒル「解放」だが、収録作のレベルはいずれも高く、どの作品が挙げられて不思議ではない粒揃いのアンソロジーだ。

■チャールズ・L・ハーネス『パラドックス・メン』


 ついでにといってはなんだが、同じ竹書房文庫の新刊チャールズ・L・ハーネス『パラドックス・メン』にも触れておこう。幻の名作SFの初邦訳である。アルフレッド・べスターやバリントン・J・ベイリーのSFを言い表すのによく使われる「ワイドスクリーン・バロック」という語は、実は、本書の作風を示すために、ブライアン・オールディスが造り出したものだという。
 〈盗賊〉と呼ばれる男の時空を超えた冒険を描き、入り組んだプロットにも圧倒される本書だが、実は、記憶をなくした主人公はいったい何者なのかという謎が中核にある。真相は意外でありながら、十分に納得ができる精妙なものであり、きっとミステリファンもお気に召すのではないだろうか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita




 ルパンの世界
 出版社:水声社
 作者: ジャック・ドゥルワール
 訳者:大友 徳明
 発売日:2018/04/24
  価格:3,240円(税込)

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