おもな登場人物

ヘンリー・ラスボーン:ロンドンの敏腕弁護士オリヴァー・ラスボーンの父。数学と発明が趣味。物事を筋道立てて考えるのが得意。

ジューダ・ドレグホーン:ヘンリーの旧友。湖水地方の町ペンリスにほど近い土地に家族と暮らす。ヴァイオリンの演奏会から戻った夜、地所内の川縁で死体で発見される。

アントニア:ジューダの妻。

ベンジャミン・ドレグホーン:ジューダの弟。パレスチナで聖書考古学の研究に打ち込んでいる。独身。

エフライム・ドレグホーン:2番目の弟。南アフリカで植物学の研究に打ち込んでいる。独身。

ナサニエル・ドレグホーン:末の弟。故人。アメリカで地質学の研究に打ち込んでいた。

ネイオーミ:ナサニエルの妻。

 クリスマスまであと10日という日に、ヘンリーは暗い気持ちで湖水地方の町ペンリスの駅に降り立ちます。旧友ジューダ・ドレグホーンが亡くなったとの知らせを受けたのです。主人のいなくなった屋敷でヘンリーを迎えたのは、ジューダの妻アントニアと息子のジョシュア(9歳)でした。アントニアの話によると、一家で夜から村のヴァイオリン演奏会に出かけたのち、ジューダが「外の空気を吸ってくる」と再び散歩に出たというのです。なかなか散歩から戻らない夫を案じた彼女が使用人を起こしてジューダを探させると、地所内の川縁に倒れて亡くなっているのが見つかりました。川の凍った飛び石を渡る途中で足を滑らせ、頭を打ち、意識不明のまま川の水に顔をつけていたせいで溺死したというのが、村の医師レイトンの見立てでした。

 クリスマス直前に夫を亡くしただけでも辛いというのに、アントニアはもうひとつ別の問題を抱えていました。アシュトン・ガウアーという男が、ドレグホーンの地所の正当な所有権を主張し、ジューダが自分から権利を騙し取ったと主張していたのです。ジューダは誠実かつ正直な性格で土地の人々からも信頼が厚く、判事を務めていました。そんな彼の担当した裁判のひとつが、アシュトンとピーター・コルグレイヴとの間の相続権争いでした。この裁判では、アシュトンの提示した相続証書が専門家により偽造と判定され、アシュトンは11年もの服役刑に処せられました。その後、ピーター・コルグレイヴに相続された地所は売りに出され、それを買い取ったのがドレグホーン家でした。ついひと月ほど前に刑期を終えたアシュトンは地元に戻り、「ジューダは正しくない裁きで自分を監獄においやり、その間に自分のものであるはずの地所を買い取った。自分の持っていた証書は間違いなく本物だったのに、地所ほしさにコルグレイヴとぐるになって自分をはめたのだ」と触れ回ったのです。ドレグホーン家はこの地所を手に入れたことで、土地からの上がりだけで生活できるようになり、兄弟たちはそれぞれが思うさま好きなことに没頭できるようになりました。しかも最近になって地所内にヴァイキングの遺跡が見つかり、ドレグホーン家はますます富む一方だったのです。

 クリスマスを過ごすためにジューダの屋敷に集まった兄弟たちは、当然のことながらアシュトンを疑います。兄は夜遅くにアシュトンに呼び出されて殺されたのではないかと。しかしジューダは犬も連れずに出かけていたので、誰かと待ち合わせをしていたのなら信頼していた相手のはず、という結論に至ります。ジューダは殺されたのか? それともただ散歩の途中に足を滑らせただけなのか? アシュトンの主張を封じてジューダの汚名をすすぐには? ヘンリーと兄弟たちは、一致団結して真相究明にあたります。

 クリスマス気分を盛り上げるためでしょうか、アン・ペリーにしては珍しく、土地の料理やエール(飲み物)、ベリー類の名前がふんだんに登場します。家政婦のミス・ハードキャッスルが用意するある日の朝食は「カンバーランド・ソーセージ(ぐるぐると渦を巻く魅惑のソーセージ!)とベーコン・エッグ、こんがり焼けた厚切りトースト、土地ではウェザスラックと呼ばれるスモモの一種でできた暗紫色の濃厚なジャム」で、このジャムはベンジャミンのお気に入りなのだそう。またある晩のメニューは「レイクランド・マトン、甘みがあって土のにおいがするジャガイモにハーブを混ぜ込んだもの、カンバーランド・ジンジャーブレッド(名物だそうです)」というように……。この土地の羊は寒冷地仕様で、そのご先祖さまはスカンジナビア半島からやってきたとのこと。雪の下で数週間は生き延びられるのだとか。湖水地方の自然描写にも心奪われ、澄んだ冷たい空気に触れているような気持ちになりました。

 中編の割には登場人物が多いのですが、きっちり性格付けされて書き込まれた人物描写の下、それぞれが活躍します。とりわけ冷静沈着に、淡々と、それでいて誰よりもアクティブに動くヘンリーがやはり魅力的です。これからの人生を孤独に過ごさなければならないアントニアに、夫を亡くした経験を持つネイオーミがそっと寄り添う描写には心を打たれます。ヘンリーの活躍で新たな視界が開け、相続証書をめぐる謎が解けていくのですが、それに伴いドレグホーン家の運命も変わっていくのでした……。

 本編10作目以降は、設定からしてネタバレになる部分があるということで、今回はスピンアウト作品のクリスマス・ストーリーを読んでみました。夫を亡くした直後であるにもかかわらず、屋敷にクリスマスの装飾を施すアントニアの「クリスマスはクリスマスよ。クリスマスをなくしたら、希望もなくなってしまう」という言葉に、聖なる日に込めたかの地の人々の思いが感じられます。訳書がレビューに追いつくまでは(早く追いついてほしい!!)、しばらくはこうしてスピンアウト作品を取り上げていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 最後に。

 去る6月21日に亡くなりました恩師、東江一紀先生の実質最後の仕事が刊行されます。先生は本当に最後の最後まで、この仕事に、そして翻訳という仕事に、熱い思いを込めて取り組まれておられました。ジャンルは異なりますが、ウィンズロウ、パタースン、キャンベルその他、東江先生が訳された骨太のミステリがお好きなみなさんの期待に必ずや応える作品だと思いますので、ぜひ書店でお手に取っていただければと思います。

遠藤裕子 (えんどうゆうこ)

出版翻訳者。建築、美術、インテリア、料理、ハワイ音楽まわりの翻訳を手がける。ヨーロッパ19世紀末の文学と芸術、とくに英国ヴィクトリア朝の作品が大好物。趣味はウクレレとスラック・キー・ギター。縁あってただいま文芸翻訳修行中。

◆当サイト掲載! 遠藤裕子さんによるアン・ペリー作品紹介の一覧◆

2014-03-25 第五十一回はアン・ペリーの巻(その7)

2013-04-30 第四十回はアン・ペリーの巻(その6)

2012-09-25 第三十三回はアン・ペリーの巻(その5)

2012-01-19 第二十五回はアン・ペリーの巻(その4)

2011-09-13 第二十回はアン・ペリーの巻(その3)

2010-10-19 第十回はアン・ペリーの巻(その2)

2010-01-28 第三回はアン・ペリーの巻

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【原書レビュー】え、こんな作品が未訳なの!? バックナンバー一覧