こんにちは。

 先日ある翻訳ミステリーを読んでいたら「おれはいまペンを持っている」というセリフが出てきました。すかさず脳内のピコ太郎が英訳再生。油断も隙もありません。

 突然ですが、ここでクイズです。この翻訳ミステリーはなんという作品でしょう。残念ながら今回の読書日記では取りあげていませんが、ニュージーランドの若手作家による、アメリカを舞台にしたクライム・アクション・スリラーで、映画化も予定されている作品です。 ☞ 答えは読書日記の最後に!

 それでは、1月の読書日記です。

■1月×日

 ずっとAmazonさんに勧められていた本に、フォルカー・クルプフル&ミハイル・コブル『ミルク殺人と憂鬱な夏』がある。ほのぼの系のカバーデザインと「ミルク殺人」ということばから、なんとなくコージーミステリかなと思っていたが、〈中年警部クルフティンガー・シリーズ〉とあるから警察小説らしい。いや、帯に「不器用、迂闊、恐妻家!」とあるから、ユーモアミステリ寄りかな? 妄想をたくましくしつつ、さっそく読みはじめる。

 舞台は南ドイツのアルゴイ地方。初めて聞く地名だが、実在するらしい。酪農業がさかんで、エメンタールチーズの生産で有名。というわけで、シリーズ一作目の本書では、乳製品メーカーの食品開発部長が殺害され、クルフティンガー警部が食品業界の裏事情に迫ります。

 ドイツで人気のシリーズとのことで、テレビドラマ化もされていて、刑事コロンボかフロスト警部みたいな感じかと思いきや、それほど切れ者という感じでもないクルフティンガーさん。でも、短気でおっちょこちょいな彼を、部下たちは笑うことはあっても決してばかにしてはいません。無骨で無神経そうに見えるけど、実は部下の気持ちを思いやる気遣いの人であり、忘れたころに鋭い洞察力を発揮するから。それをことさらひけらかしたりしないところも慕われるポイントかも。人間的なのね。

 家庭では、恐妻家というよりむしろ愛妻家なのでは? 照れ屋なのか、憎まれ口をたたきつつ、結局妻の言いなりになっているけど、妻のことが好きでたまらないのが伝わってくるんですよね。妻がマヨルカに旅行に出かけるまえに、作り置き料理入りのタッパーウェアが冷凍庫に並んでいるのを見て感動するクルフティンガーなんて、「逃げ恥」でみくりが館山の実家に帰ったとき、冷蔵庫のなかのタッパーウェアを見て愕然とする平匡さんのよう(ちょっとちがうか)。でも、やっぱり妻の旅行中はなんかちょっとウキウキしてるのよね。だんだん「早く帰ってきてくれ〜」となっていくんですけど。妻は節約ということが理解できなくて、クルフティンガーは節約に小さな喜びを見いだすタイプというのはめずらしいパターンかも。

 しつこいほど何度も出てくるドイツ南部の伝統的なチーズパスタ、ケーゼシュペッツレが気になる。クルフティンガーの好物だけど、奥さんが留守なのをいいことに食べすぎて見るのもいやになる、というオチがまたなんとも……小学生男子かい! でもちょっとかわいい。崖から叫びたいほどではないけど。

■1月×日

 懐かしの「私設応援団・これを読め!」やこの連載でも以前とりあげたことがある(こちらこちら)クレオ・コイルの〈コクと深みの名推理〉シリーズ。コージーミステリはちょっと苦手、という人にもオススメのシリーズだと思うんですよね〜。その証拠に、これまた昔のコンテンツで恐縮ですが、「小財満の、俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」で、コージーには辛口だった小財満氏も絶賛しておられます。田舎が舞台のことが多いコージーのなかで、大都会ニューヨークを舞台にした都会派コージーということがポイントみたい。なお、10巻までは現在入手困難ですが、版元が変わって11巻からは原書房のコージーブックスで読めるようになりました。

 シリーズ14作目の『眠れる森の美女にコーヒーを』はおとぎ話にこだわった内容で、コーヒー好きはもちろん、ニューヨークという街が好きな人ならきっと楽しんでいただけるはず。例によってかなりシリーズは進んでいますが、登場人物の関係などについてはなんとなくわかるようになっているので、細かいことは気にしないで読むのが吉!

 ちなみに主人公のクレアは、二十代の娘がいるけど、娘の彼氏とカップルにまちがわれるほどの美魔女。大人のヒロインが活躍する、ちょっぴり刺激的で都会的なコージーです。

 セントラル・パークでおとぎ話をテーマにしたフェスティバルが開かれ、プリンセスに扮した若い女性が「眠り姫」さながらの昏睡状態で発見される。薬物が関与しているとされ、プリンス役の元夫マテオが逮捕されたため、クレアは真犯人につながる手がかりをつかもうと奮闘することに。現恋人の連邦捜査官マイクとの関係においても、大きな決断を迫られます。

「ジャックと豆の木」に「赤ずきん」、クスリで眠らされる「眠り姫」……おとぎ話的要素をふんだんに盛り込んだ、楽しくてちょっぴり危険なストーリー。クレアってやっぱりできる人だわ、と感心した。

 コーヒーについての薀蓄もいつも楽しみのひとつだけど、今回フェスティバルの呼び物にもなった、エチオピアのシャーマンから調達したという『魔法のコーヒー豆』の効能はちょっとヤバイのでは……でも、事件解決には大きな役割を果たすんですけどね。

 食べ物もいつもながらバラエティに富んでいて、とくにユダヤ教徒の伝統菓子バブカが超おいしそう。ほかにも伝統的なホットドッグからボスニア風ハンバーガーまで、バラエティ豊かな食文化に触れられるのはさすがニューヨーク。

 なかでも、これは架空の店だろうけど、中世の城や騎士をテーマにした肉料理のレストラン〈肉の騎士団〉の趣向がすごい。馬上槍試合を見ながらごはんを食べるんだよ! しかもこの店の呼び物のショー、?ギャロウェイの難所?って、どう見てもSASUKEなんですけど……

 実在の店もときどき登場するので、お金と時間に余裕のある方は訪ねてみてはいかがでしょう。わたしはもっぱらネットでチェックするだけですが。ドバイの〈ブルームズベリー・カフェ〉の世界一高価なゴールデン・フェニックス・カップケーキとか、〈セレンディピティ〉のゴールデン・オピュレンス・サンデーとか、スイーツ界のセレブにも遭遇できて楽しい。

■1月×日

 ネレ・ノイハウスの『死体は笑みを招く』はオリヴァー&ピア・シリーズ二作目。ついにこれで翻訳が四作目まで揃いました。パチパチ。あの傑作『深い疵』の前日譚です。

 オペル動物園でバラバラ死体が発見され、ホーフハイム刑事警察署のオリヴァーとピアは現場に急行する。なるほど、ピアと動物園長のクリストフ・ザンダーはこのとき出会ったのね。死んでいたのは高校教師で環境保護活動家のパウリー。生徒たちから慕われる熱血教師だったが、道路建設に反対したり動物虐待で動物園を批判したりして、敵も多かった人物だ。

 サッカーワールドカップドイツ大会開催期間中の二〇〇六年六月。近所でパブリックビューイング用の巨大スクリーンが設置されたり、ピアが生まれた子馬にサッカー選手の名前をつけたりするなか、まったくサッカーに興味がない様子のオリヴァー。まあ、こんな事件が起きてしまってはワールドカップどころではないけどね。

 しかし、読めば読むほど被害者のパウリーは殺されて当然の人物に思えてくるなあ。悪い人だからというより、人の怒りを買いすぎ。人たらしのくせに人との距離感をつかむのが下手というか、不器用な人なんだなあと思った。そんなわけで、捜査が進むにつれて、パウリーに恨みを持っていた人物があとからあとから出てきて、人間関係がすてきに入り組んでいくのでわくわく。とくにラストにかけての怒涛の展開には翻弄されまくり。抜群のリーダビリティと読み応えで、いつものように楽しませてもらいました。さすが〈ドイツ・ミステリの女王〉。

 そして、人間的なオリヴァーとピアがやっぱり好きだ。

 ピアがやけにモテて、オリヴァーがプンスカするところとか(かわいい!)。

「オリヴァーの勘! よくはずれる」というピアの心の声とか(ぷぷぷ)。

 すごく仕事ができそうなのにちょっと抜けてるオリヴァーと、しっかり者だけどときおりメンタルの弱さを露呈するピア。ふたりが互いにフォローしあうのはもちろん、リスペクトしあっているのがいいのだ。ちょっとしたことを注意するにしても、恥をかかせないようにみんなのまえでは言わないとかね。そして何より、非常に近い間柄でありながら、決して恋愛関係にならないのがすばらしい。理想的な上司と部下の関係だと思う。

 本作では、ふたりの私生活にも大きな変化の兆しが現れ、『深い疵』へとつながる流れがよくわかって興味深かった。

 別居中の夫の家に行ったらテーブル上で部下の女性と……!とか、やば、結婚記念日だったっけ〜忘れてた!とか、ベタなシーンがシビアな事件捜査のアクセントになっているのも好き。ドイツで放映されたというドラマも見てみたい。

■1月×日

 もっと早く読めばよかったな〜、絶対去年のベストにくいこんでたわ、と思ったのは、エルヴェ・コメールの『その先は想像しろ』『悪意の波紋』もおもしろかったけど、今回も技ありの傑作だ。

 フランス北部の港町カレーでくすぶっている若きチンピラ、フレッドとカルル。

 ふたりのまえに現れた、サーカスの学校に通う美しい娘キャロル。

 バーのカラオケ担当の店員として働くミュージシャン志望のニノ。

 ある日ニノはカルルに命を助けられ、フレッドはある計画を思い立ち、キャロルはフレッドとカルルのまえから姿を消す。

 やがて彼らの運命が絡み合い、思いもよらない未来がフルスロットルで迫り来る。

「その先はてめえで想像しろ」

 これは登場人物のひとりのセリフだ。フラッシュフォワードでときおり「その先」を垣間見せられ、読者もその先を想像せずにいられなくなるが、読み進んでも衝撃は少しもそがれない。まったく予想のできない「その先」が待っているからだ。

 そして、奇跡的に後味の悪さがまったくない。これは驚きだった。やっぱりフレンチミステリーはおしゃれだなあ。

 クライムノヴェルに分類されるんだろうけど、人間の生き様をダイナミックかつ繊細に描いていて、純文学の香りさえする。ラストシーンのめまいがするような美しさはどうだ。それでいて伏線はきっちり回収していて、意外な展開にも説得力がある。

 刺激的なプロット、脇役にいたるまで求心力抜群のキャラクターたち、独特の文体、かぎりなく一人称に近い三人称。特殊な文字使いや文体から生まれるグルーヴ感は、どことなく町田康を思わせ、最初はちょっととっつきにくかったが、慣れるとやられる。癖になる。いつまでも読んでいたいほどに。

 魅力的なキャラクターが目白押しで、なかでも鯨みたいなアラ還のおじさんピアニスト、マルセルが好きすぎて、追っかけしたいくらい。美老人と思われる伝説の音楽プロデューサー、マイヤーリンクも捨てがたい。

● こちらの記事もあわせてどうぞ ☞「ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く」第32回

★クイズの答え

ベン・サンダースの『アメリカン・ブラッド』に出てくる連邦保安官補コーエンのセリフでした。主人公マーシャルのパンケーキの食べ方が好き。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。近刊訳書はバックレイ『そのお鍋、押収します!』、フルーク『ブラックベリー・パイは潜んでいる』

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