・Georges Sim, La femme rousse, Tallandier, 1933(1929終盤 執筆か)[赤毛の女]
・Georges Sim, La femme rousse, Julliard, 1992/4 再刊《セカンド・チャンス叢書La Seconde Chance》
・フランシス・ラカサン編, Simenon avant Simenon: Maigret entre en scene, Omnibus, 1999[シムノン以前のシムノン:メグレ舞台に立つ]
・同名, 新装版, Omnibus, 2009*

 今回読むのは、シムノンがペンネーム時代に書いた「メグレ前史」の3作目、『La femme rousse 赤毛の女』だ。刊行は1933年で、本家メグレが始まってからすでに2年が過ぎている。しかも今回はファイヤール社ではなくタランディエ社へと出版社も変更となった。筆名さえこれまでのクリスチャン・ブリュルではなく、ジョルジュ・シムとなっている。原著の書影を見ると、犯罪実録風の写真が表紙に採用されており、明らかにファイヤール社で刊行中だった本家メグレの装丁を意識していることがうかがえる。お蔵入りだった原稿が、便乗商品として出版されたということだろう。
 本連載ではすでに「メグレ前史」1作目のクリスチャン・ブリュル名義『マルセイユ特急』(ファイヤール社、1930、第27回)、2作目の同名義『真珠の若娘』(ファイヤール社、1932、第75回)、4作目のジョルジュ・シム名義『不安の家』(タランディエ社、1932、第27回)を読んで来たので、今回で前史4作すべてを読むことになる。書かれた順番は上記の通りだが、書籍としていちばん最後に世に出たのは今回の『赤毛の女』である。

 今回の大きな特徴は、メグレ警視がほとんど登場しない、ということだ。メグレはあくまで脇役として物語を支え、結末へと導く案内役を務めるに過ぎない。メグレでなく他の人物でも話は成立する。
 それでも「メグレ警視」というキャラクター形成の途中過程として、本作はそれなりに味わい深いものとなっている。
 全4作を読了して私見を述べるならば、このメグレ前史4作は、出版業界がとても潤って余裕のある時代を今後迎えたならば、まあ全国数百人の好事家のために上下巻のボリュームで翻訳商業出版してもよいのではないか、と思える程度には楽しめる作品群だ。きっと新聞や雑誌の書評欄でも取り上げられるだろう。海外ミステリーファンは手に取るだろうし、公共図書館も購入し蔵書とするだろう。ただし間違っても数万部売れるような作品ではない。

 本作のストーリーは単純である。パリ郊外のフォンテーヌブローの森にほど近いセーヌ河岸のサモワ(サモワ゠シュル゠セーヌ)に邸宅を構える、引退したマルセル・ドゥボニエール氏53歳は、妻のソフィーや19歳のかわいらしい娘エレーヌと幸せな日々を過ごしていた。エレーヌには30歳のジョルジュ氏という実業家の婚約者ができて、その日曜もドゥボニエール一家は自宅に好青年ジョルジュ氏を招いてカヌーに興じ、昼食をともにしていたところだった。
 ところがそこへ、何者かが手紙を庭に投擲してきて、それを読んだドゥボニエール氏は驚いた。いまパリを騒がせている凶悪な連続殺人者、「殺し屋ジョジョJojo-le-Tueur」の正体はジョルジュ氏だ、と書かれてあったからだ。このジョジョなる殺し屋は、今年の3月から月ひとりくらいのペースで残虐な殺しをおこなっており、世間を騒がせている正体不明の人物である。どの被害者の遺体にも11ヵ所の残虐な刺し傷が残っていることが特徴で、3人目の殺害の際、彼は初めておのれの名を血に濡れた指先で「殺し屋ジョジョ」と書き残していたのだった。そして4人目は歓楽街モンマルトルの中心地で殺されたのだが、そのときは殺人の直前に正体不明の赤毛の女が被害者を追っていたとの目撃証言もあり、この赤毛の女と「殺し屋ジョジョ」の関係性も謎を呼んでいた。
 いったい誰がこんな告発を? ドゥボニエール氏は激しい不安に駆られる。昼食後、ジョルジュ氏はどこかから連絡を受けると急にそわそわした様子を見せ、パリの事務所へ戻るといい残し、車で去って行ってしまった。ドゥボニエール氏は真実を見極める必要があると判断し、妻や、とりわけ娘には事情を隠して、パリへ赴き婚約者の素性や動向を探ることにした。
 ところがジョルジュ氏のオフィスだと聞いていたオスマン大通りのアパルトマンを訪ねても、人がいない。雇用されているというタイピストふたりの姿すらない。
 ドゥボニエール氏はいったんサモワに戻り、そしていくらか日が過ぎた。ジョルジュ氏は何でもないという様子でいまなお週末に姿を見せ、朗らかに娘エレーヌとつき合っている。しかしその日、近くの馴染みのホテル、《エルミタージュ》に皆で赴いて昼食を摂っていると、ホテルの前にベージュ色の車が停まって、赤毛の女が入ってきたのだ。その髪は赤いというよりは赤褐色で、古い金製品のような深く豊かな輝きを放っていた。妻やエレーヌは気づかなかったが、確かに女はホテルの中庭でジョルジュ氏と会い、どこかへと去って行った! ジョルジュ氏はその後、明らかに青ざめ、狼狽して、そしてホテルの主人にレンタカーの手配を申しつけると、一家を置いてその車に乗り、急に出て行ってしまったのだ。ドゥボニエール氏は再び車でジョルジュ氏をパリまで追跡する。しかし今回も相手を見逃してしまった。
 そしてドゥボニエール氏は事態の急転を知る。娘のエレーヌが「私を捜さないで。警察には決して話さないで」との書き置きを残して、サモワから姿を消してしまったというのだ。まさか、ジョルジュ氏や赤毛の女が娘を脅迫して誘拐したか、あるいは娘自身がジョルジュ氏らを追って出て行ってしまったというのか。いずれにせよ事件に巻き込まれたに違いない。
 ドゥボニエール氏は《エルミタージュ》の主人や同じ連合会の会員プチジャン氏らと相談して、ジョルジュ氏の正体を確かめる体制を整える。ドゥボニエール氏はパリの《ドゥ・ルーヴル》ホテルに長期滞在して、娘の婚約者を捜すことにした。万が一の事態に備えてリボルバーも購入し、手元に置いておいた。そして赤毛の女がパリ市内のモンスリ公園通りにあるモダンな邸宅に住んでいるらしいことを、バーの主人から聞き出して突き止めた。
 夜、ドゥボニエール氏は単身その邸宅へ乗り込む。出てきた赤毛の女は、おそらくまだ25歳未満だろう、黒いイヴニングドレスを身につけていた。「娘をどこへやった? 返してくれ」と氏は懇願するが、ルイーズという名であるらしいその赤毛の女は取り合わない。それどころか氏の隙を衝いて邸宅から出て行ってしまった。仕方なしに氏はオスマン通り37番地のホテルに戻る。ちょうどそこはパリ司法宮の真正面なのだ……[註:現在の地図では警察・司法関係の施設は見当たらない]。
 ホテルに戻った氏に、声をかける者がいた。大きな肩と硬い体つきの男で、歳のころは50歳より少し若いくらいだろう。
「サモアにお帰りなさい! 娘さんは我々が見つけたらきっと連れ戻して差し上げます」
 それがメグレ警視だった。警視はパリでいちばんの刑事と知られた男だ。彼は右腕であるトランス巡査部長とコンビを組んで、一連の「殺し屋ジョジョ」事件の捜査に当たっていた。しかしそれでも赤毛の女やジョルジュ氏を捕らえることはできずにいたのだ。
 そして次の事件が起こった。ドゥボニエール氏は《ドゥ・ルーヴル》ホテルの57号室に宿泊していたのだが、あるときホテルのウェイターが何者かに声をかけられ、ドゥボニエール氏の部屋を訊かれて、うっかり59号室と隣の部屋を答えてしまった。その後、59号室の宿泊者が殺されているのが見つかったのである。殺人者はドゥボニエール氏を狙っていた可能性が高い。ついに氏の身にも危険が迫ってきたのである。
 新聞は事件の展開を書き立てる。それらの記事にはドゥボニエール氏の顔写真も掲載されており、町の売店にも彼の顔が並んでいるのだ。氏にとっては気が気ではなく、パリの街をゆっくり歩くこともできない。
 そしてその夜、不安を抱えたままホテルへ戻ってきたドゥボニエール氏は、自分の部屋でなんと娘のエレーヌと対面を果たす。そこへ警察がやって来たという報せがあった。娘が問題を抱えていることは様子からわかる。咄嗟に氏は娘とともに裏口から出て、タクシーを拾った。しかしパリに信頼できる友人はいない……、いや、ひとりだけ思い出した。ジョアンヴィーユ橋近くにある飲み屋《ボート遊びで逢おう》の主人、ジュール氏だ。ドゥボニエール氏は娘とともにジュール氏のもとへ転がり込み、匿ってもらうことにする。どうやら娘のエレーヌは自ら汽車に乗って上京していたらしい。だが娘は高熱を発し、意識不明となってしまい、とても話が聞ける状態ではなくなった。
 そのカフェバーに不気味な男が訪れてくる。金歯を見せつけ、スペインのアクセントを持つ背の高いその男は、突然店内にいたドゥボニエール氏へ向けて発砲し、逃走した。店内はいっときパニックに陥る。
 メグレ警視とトランス巡査部長の出番だ。メグレは一連の「殺し屋ジョジョ」事件の謎を解くことができるか。エレーヌの婚約者であるジョルジュ氏は、本当に殺し屋ジョジョなのか。そして赤毛の女や、襲撃してきた金歯の男の正体は? 

 といわけで、本作の主役は、娘の捜索に身も心も捧げる純朴な父親、マルセル・ドゥボニエール氏というほかない。前作『真珠の若娘』とは大きく異なり、メグレ警視の出番はほとんどない。
 だがすでにメグレの名声はパリ市内に広まっている、という新設定が今回加わっている。そして本作のメグレは、言葉遣いも終始穏やかで、気さくな初老のベテラン警視として描かれている。むしろ若いトランス巡査部長の方が、「痩せて、皮肉っぽい」感じだと対比的に描写される(第2部第3章)。まだキャラクターが完全には定まっていない様子がうかがえる。
 本作のさらなる特徴は、ふだんなら作品中後半3分の1近くを占める、犯人や関係者による長々とした告白演説が、かなり抑えられていることだ。過去の因縁が語られる告白は、わずか終盤の1章分とコンパクトにまとまっている。実際、私は後半を読んでいて、「まだいつもの演説が始まらないが、本当に最後のページまでで事件は解決するのだろうか」と妙な不安に駆られたほどだ。
「殺し屋ジョジョJojo-le-Tueur」というネーミングは、すでに私たちには馴染みがある。後年、メグレものの中篇のひとつとして書かれた「殺し屋スタン」(Stan le Tueur、1937-1938冬 執筆か、第62回参照)を思い出す人は多いに違いない。
 だが今回の犯人は、ポーランド出身ではない。これまで私が読んできたペンネーム作品では初めてかもしれないが、珍しく本事件の発端はアメリカとの国境に近い峡谷、メキシコシティに設定されている。
 事件の関係者はもともと、メキシコシティでハシエンダ(大規模農場)を経営する移民一家の子供だった。しかしあるとき山賊に襲われ、父親は2時間の拷問の果てに殺され、娘も辱めを受けるという、凄惨な出来事に見舞われたのである。その人物は成長すると、復讐のために当時の山賊の構成員を捜し、長年かけてひとりひとり制裁を加えていたのだ。
 本当の悪者は誰なのか、という問題が最終的に物語の決着点となり、メグレはその観点から事件を解決へと導くのである。
 最後にドゥボニエール氏が勇気を振り絞ることで、真の悪者は報いを受ける。そしてその結果を受けて、メグレ警視は読者も納得する裁定を下し、物語はハッピーエンドとして終わるのである。
 なお、シムノンはいつもエピローグ部分が鮮烈で素晴らしいとこれまでも指摘してきた。本作も決して悪くないエピローグが最後に待っているが、前作『真珠の若娘』などと比べるとややキレが弱い。
 すなわち、ジョルジュ氏とエレーヌは、めでたく結婚へと至るのだ。その結婚式へ参列するために、父親のドゥボニエール氏は妻を伴い、自家用車を駆って、式場のある町へと向かう。
 その途中で彼らは、赤毛の女がハンドルを握る車と遭遇し、伴走するのである。赤毛の女はアクセルを踏み込み、ドゥボニエール氏の車の前へ出ていう、自分は式場までのルートを知っている、だから私の車についてきなさい! と。
 このあたり、なんだかアニメ『ルパン三世』で峰不二子の運転するスポーツカーが、最後にルパンと次元の小さなフィアットを追い越してゆくような感じで、爽快感に溢れて魅力的だ。
 しかし最後の最後に赤毛の女が発する言葉の意味が、私にはよくわからない。
 なので少しばかり、もやもやが残る読後感なのであった。

 本作は、シムノンのペンネーム時代の作品として考えても、ごく平均的な出来映えの作品だろう。すなわち中の中、突出して素晴らしいという感じはしないし、これだけ読んでも高い満足感は得られないかもしれない。
 だが「メグレ前史」全4作の3番目に配置された小説という前提の上で読むならば、それなりに楽しめるものと思う。この次の『不安の家』第27回)では、まさにメグレ警視は主役を張り、後の『メグレ再出馬』(1934、第19回)に先駆けて、彼の勤務するオルフェーヴル河岸が多くの場面で登場する(ただし初稿が書かれたときはまだ保安部所属であったはず。シムノンは出版の際に改稿したと思われるが、修正は完璧ではなく、矛盾が生じてしまったのだろう。第19回参照)。そのことを考えると、3作目である本作は、全体のなかでかえってよいアクセントになっている。たまには変化球もいいじゃないか、と思えるのだ。
 だからもし今後邦訳される機会があるならば、「メグレ前史」は4作まとめて紹介するのがよいだろう。
 
   
 
 先日、私もようやく仏検3級に合格した。週1回のフランス語講座も、通い始めて5年経ち、中級B1レベルの教科書に入った。仏検3級とは「基礎の総まとめ」、すなわちヨーロッパ言語共通参照枠(CECRL)では「入門」に当たるA1レベルであり、「標準時間」200時間以上、「大学で、第一外国語としての授業なら1年間、第2外国語として週2回の授業なら2年間の学習に相当」するに過ぎない。それでも、語学学習者向けに易しくリライトされたシムノンの短篇小説のテキストが、なんとか読める程度になったのは純粋に嬉しい。
 もちろんGoogle翻訳やDeepLといった人工知能の方が、私よりずっと学習の進展度は速く、いまならフランス語の原文をOCRで取り込んでDeepLにぶち込む方がよっぽど楽だ。あと何年もしないうちに、すべてをAIで翻訳し、あとは編集者がゲラ校正するだけの翻訳小説が、中小出版社から発売されるようになるだろう。いや、私が知らないだけで、ひょっとするともう出始めているかもしれない。心配なら著名翻訳者が監修のかたちで名を貸せばよいだけだ。
 かつてウォルター・アイザックソン『アインシュタイン その生涯と宇宙』(全2冊、武田ランダムハウスジャパン、2011刊行)の邦訳下巻の一部が機械翻訳のまま世に出てしまい回収騒ぎになったことがあったが(その後第2刷修正版が発行された)、いまなら機械翻訳でも大丈夫なのではないか、と、最新のGoogle翻訳の出力文で比較・確認してみたい衝動に駆られることがときおりある。こうして人類がひとつずつ機械に負けてゆく時代を、私たちは生きている。
 それでも私は今後もフランス語の勉強を続けようと思っている。準2級を経て2級まで取得できれば、まあ翻訳に手を染めても叱られないのではないか。あと6、7年、つまり60歳になるころまでには、たぶんB2レベルも終了できるだろう。そこまで行けばきっと自分の力で翻訳できる。これが私の夢である。
 いま翻訳小説は発行部数があまりに少なく、たとえ数ヵ月かけて1冊訳しても翻訳者には数十万円しか入らない。大学教職員で別途の固定収入が見込める人でもなければ、とうていシムノンの商業翻訳を手がけることなどできないのが日本の現状だ。
 しかし私自身が翻訳するなら、他の人に迷惑をかけることもない。私自身は貧乏であったって構わない。それにそのころなら、自分で直接翻訳権を取って、電子書籍などのかたちで出版できる土壌も整っているかもしれない。可能性は広がっているはずだ。
 ならば私は生涯にわたって、本や物語と関わって生きてゆくことができるだろう。これ以上に嬉しい人生があるだろうか。

 そして、「メグレものは本当に日本の捕物帳と似ているのか」という課題を考えるため、私は昨年から意識して捕物帳や池波正太郎原作のテレビドラマを視聴するようになった。たくさんの再放送を録画して観た。こちらもそろそろ入門編を脱して、初級くらいまでは到達できたのではないか。

 まだ読み込んでおきたい初期ペンネーム作品は残っているが、次回からはシムノン第二期のノンシリーズ作品、ロマン・デュールへと立ち戻る。第二次大戦直前から戦時中にかけてのロマン・デュールは、日本でいちばん紹介が遅れている領域だ。どんな傑作が現れるのか、私は心を躍らせて期待している。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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