Les nouvelles enquêtes de Maigret, Gallimard, 1944/3/30[原題:メグレの新たな事件簿]中短編集、メグレシリーズ17編収録[1-17]
『メグレ夫人の恋人』長島良三訳、角川文庫、1978[10, 6, 3, 1, 7, 9, 2, 5, 13]*
『メグレの退職旅行』長島良三訳、角川文庫、1981[4, 8, 11, 14, 16, 15]*
『世界の名探偵コレクション10 6 メグレ警視』長島良三訳、集英社文庫、1997[4, 1, 7, 12, 14, 19]* 他に「街中の男」収載
Œuvres completes Maigret IX, Éditions Rencontre, 1967[原題:全集 メグレ 第IX巻][1-19]
Illustré par Loustal, Ceux du Grand Café, Omnibus, 2001[19]
Illustrées par Loustal, 6 enquêtes de Maigret, Omnibus, 2014[19]
Tout Simenon T25, 2003[10-19]
Tout Maigret T10, 2008

※書誌詳細については第61回参照。

 メグレ第二期中短編における第1シーズンと第2シーズンの大きな違いは、まずその長さ(枚数)だ。第1シーズンはおおむね日本の原稿用紙換算で30枚の短い短編だが、第2シーズンはどれも100枚ほどの中編になっている。
 手元の角川文庫版2冊と集英社文庫版で、各編のページ数を確かめてみた。第1シーズン9作は16〜24ページに収まり、第2シーズン10作のうち文庫収録された8作は55〜62ページの長さだ。つまり第2シーズン作品はどれも、第1シーズン作品に比べて約3倍の長さがある。
 角川版『メグレ夫人の恋人』の訳者あとがきで長島良三氏は、第1シーズンの「死刑」を25枚、「蠟のしずく」を35枚と書いているから、おおむね30枚前後。一方、今回読む第2シーズン「メグレの退職旅行」は本邦初訳時の《EQ》掲載版扉ページに「100枚一挙掲載!」と謳われていた。やはり第1シーズンは約30枚、第2シーズンは約100枚と見てよさそうだ。
 この枚数をどう考えるべきか。ちなみに日本のエンターテインメント小説業界では、「短編」といえば400字詰め原稿用紙50枚を指す。《小説新潮》《小説現代》などの月刊中間小説誌から「短編を書いてください」と依頼されたら基本50枚と思ってよい。長編連載も掲載1回分は50枚単位となる。
 また日本では都筑道夫氏と星新一氏の合意によって、原稿用紙20枚までの小編を「ショート・ショート」と呼ぶことになっている(アイザック・アシモフ他編『ミニ・ミステリ100』全3冊、ハヤカワ・ミステリ文庫、1983収載の解説記事参照。ただし2005年の合本再刊版には都筑氏の解説が載っていないので注意)。
 純文学系や広告系の雑誌だと事情は異なるかもしれないが、つまり何をいいたいかというと、現代日本で30枚の短編や100枚の中編が新作として書かれ、読まれる機会はめったにないということだ。かなり特殊な枚数設定なのだ。

 英語圏だと小説の長さは「short story」「novella」「novel」に区分される。100枚程度の「ノヴェラ」は書き下ろしアンソロジーなどを中心に一定の需要がある。日本ではこのノヴェラを注文する媒体がほとんどないので、文化としてはほぼ死滅している。私自身は自分を小説家として評価した場合、100〜150枚くらいのノヴェラ(中編)がいちばん巧いし面白く書けると思っているのだが、いかんせん発表の場が少ない。私は海外モダンホラーが好きだったのでホラーの翻訳アンソロジーを若いころよく読んだが、そのなかに《ナイトヴィジョン》というシリーズがあって、作家ひとりに250枚を与えてその分量で自由に書かせるというまさに夢のような企画だった。その枚数でノヴェラ1編を書いてもいいし、短編数作を書いてもいい。こういう企画は作家側も燃える。
 話を少し戻すと、私は以前《日経「星新一賞」》の設立に関わったので、このとき募集枚数をどのくらいにすればよいか決めるに当たって、複数の編集者や評論家に意見を聞き、また地方主催短編文学賞の作品集をあれこれ読み漁って比較検討したことがある。20枚だといかにも短くて物語に広がりや膨らみが出ない。アイデアストーリーならともかく一般小説で20枚はきつい。40枚ならかなり細部も書き込めて豊穣な感じになる。「琉球新報短編小説賞」は、創設時の規定は20枚だったが、途中から40枚に増やしたことで応募作の質がぐんと上がったといわれる。実際に読んでみると20枚作品より40枚作品の方がはるかに面白い。
 こうした検討から、《日経「星新一賞」》も40枚、あるいは中編の100枚とするのが適切だと私は強く主張したのだが、「星新一といえば1001編のショート・ショートを書いた人。だから10000字というのが切りもよいし星新一っぽくてよい」というくだらない理由で10000字に決まってしまった。いまでもこれを決めた人の判断は大間違いだったと私は思っている。実際にチャレンジしてみればすぐわかるが10000字ではもともと主催側が求めていた豊かな現代理系小説はとても書けない(私自身の書き癖だと10000字は28枚程度に相当する)。10000字と最初に意見を出したのは、自分では小説を書いたことのない人だった。

 シムノンにとって30枚や100枚とはどのような意味を持つ長さだったのだろうか。
 忘れられがちだがシムノンはショートコントの書き手としてまず売り出した作家だった。シムノンはペンネーム時代に1150編以上のショートコントを書いたといわれる(第20回参照)。そして実際、シムノンは風俗誌に寄稿するような艶笑コントに才能があったと思う。この流れからシムノンはショートミステリーを書くようになり、シリーズキャラクターを用いた『ソンセット刑事の事件簿』第24回)や《13シリーズ》第28, 29, 30回)が作家としてのステップアップのきっかけとなった。もちろんここからメグレへと繋がるわけだが、メグレのルーツの一部にこうした大量の小編群の執筆経験があったことは見逃せない。
 つまり第1シーズンの30枚は、この系譜を継ぐパズル小説として最適の長さだった、と私は考える。
 では第2シーズンの100枚はどうかというと、やはり類似の枚数をシムノンはペンネーム時代によく書いていた。主にフェランツィ社Ferencziから出していた読み切り小冊子形式の通俗恋愛・心理小説である。本連載では第21回『亡命の愛』『あなただけを』『過去の女』の3作を読んでいる。
 片手サイズの小冊子であり(往年の学習誌付録を思い出していただければよい)、おおむね本文は32ページで収まる。ちゃんと日本語の分量への換算はできていないが、おそらくこれが中編100枚の原型だと私は思う。
 メグレものの長編は、どれもおおむね原稿用紙300枚。日本では短めの長編の部類に入る。30枚、100枚、300枚。これがメグレものの基本の枚数だった。
 そして100枚のシムノンは、わずかな数編を除いて、どれも実に素晴らしい。ペンネームを捨てた後のシムノンは中編の名手だったといってよいと思う。第2シーズンはそんなシムノンのうまさが見事に開花した傑作揃いの時期だ。
 100枚という日本では中途半端な長さなので、ミステリーアンソロジーに採られる機会は残念ながら少ない。だが30枚の第1シーズンより100枚の第2シーズンの方がはるかに出来映えの平均値は上だ。そしてこの第二期第2シーズンで私たちのよく知るメグレの基本的な雰囲気やパターンは確立されたといえる。
 この第2シーズンまで読んで初めて、中短編集『メグレの新たな事件簿』の面白さはわかるのである。

■10.「メグレ夫人の恋人」1939■

・TVドラマ『L’innamorato della signora Maigret』ジーノ・セルヴィ主演、マリオ・ランディMario Landi監督、1966(第8話)

 7月のパリ。メグレ夫妻はヴォージュ広場に面した建物の3階に住んで数年になる。「きみの恋人に会ったかね?」と帰宅したメグレは窓の前に立って夫人にいう。少し前からメグレ夫人は、いつも広場をうろついている老けた身なりの男が気になっていたのである。その男のことをふたりして冗談で「メグレ夫人の恋人」と呼び合っていたのだ。男は近くで働く金髪メイドのことが気に入っているのかもしれない。だがあるとき、彼は広場のベンチで死んでいた。
 男は特殊な銃で長距離のところから撃たれたのだ。彼の身なりは変装で、実年齢は28歳ほどと思われた。メグレはヴォージュ広場に立ち、《犯罪の状況》に思考を巡らせてゆく。
 読み応えのある好編。先ほど述べたように1936年10月に書かれた9編の先行第1シーズン(第61回)より枚数が3倍に増えて、ただのパズルではなく、ぐっと小説っぽさが出てきた。
 メグレ夫人の可愛らしさが際立っている。メグレは警視として堅実に捜査を進めるのだが、夫人はその聡明さと行動力で直観的に夫と同じ方向へと疑いの目を向け、そして同じ結論に達してしまう。終盤ではあたかもメグレの方が夫人にしてやられた、先を越されたのか、というかたちになる。読んでいて思わず微笑んでしまうくだりだ。それでもちゃんと夫人は物語の最後に、「あなたはすべてをお見通しなのね!」(長島良三訳)と感嘆して夫を立てるのである。
 雑誌訳出時の解説記事によると、シムノンは後年の長編『メグレとベンチの男』(1953、未読)でも「(本作)とまったく同じシチュエーションを使っている」そうだ。
 イタリアのジーノ・セルヴィ版TVドラマを観るのは久しぶり。基本的にスタジオセット使用の会話劇で、シムノンの原作にほぼ忠実なつくりなのはいつもの通り。長編からのアダプトだとたいてい4回連続となるが、今回は短編が原作なので2回。それでも尺に余裕があったのか、トランス、ジャンヴィエ、ジェローム(オリジナルキャラクター?)、リュカの各刑事や、鑑識課ムルス、予審判事コメリオと、レギュラーキャラクター総出演である。
 メグレ夫人を演じる女優はアンドレイナ・パニーニ(発音はパニャーニか)Andreina Pagnani。年齢を相応に重ねてふくよかだが体型にめりはりがあり、顎のラインも引き締まっている。とくに全身が映っているときはとても愛らしく、家庭的で、かつ聡明な夫人に見えて、以前にも書いたがいちばん原作のメグレ夫人像に近いと思う。近年BBCが制作したローワン・アトキンソン版TVドラマではルーシー・コウがメグレ夫人を演じていたが、彼女の雰囲気はパニーニに近い。
 シムノン原作のリュカ刑事は『霧の港のメグレ』第16回)でキャラクター設定が変わり、いつも上司のメグレを尊敬するあまり身なりや服装を真似ているコミカルな役どころになったのだが、ジーノ・セルヴィ版ではこの設定をきちんと踏襲して、リュカ役の役者はまるでちびメグレのようである。
▼他の映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、Jean-Paul Sassy監督、1989(第84話)

■11.「バイユーの老婦人」1939■

・TVドラマ『Suspence: The Old Lady of Bayeux』ルイス・ヴァン・ロッテン(ルーテン)Luis van Rooten主演、ロバート・スティーヴンスRobert Stevens監督、1952[米]
・TVドラマ『La vecchia signora di Bayeux』ジーノ・セルヴィ主演、マリオ・ランディMario Landi監督、1966(第7話)
・TVドラマ『Maigret et la demoiselle de compagnie』ブリュノ・クレメール主演、Franck Apprederis監督、2005(第52話)[メグレと田舎の女]

 1960年の峯岸久翻訳版は、アメリカの本家《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》誌1952年8月号にアントニー・バウチャー訳で紹介された「The old lady of Bayeux」からの重訳と思われる。
 メグレは地方警察の編成替えのため、ノルマンディー地方カーンの町に派遣されていた。メグレは喪服姿の美しいメイド、セシル・ルドリュ28歳から事情聴取している。彼女は近隣の町バイユーに住むジョゼフィーヌ・クロワジェ老婦人のもとでずっと可愛がられながら働いてきたのだが、そのクロワジェ婦人がカーンで殺された、というのである。クロワジェ婦人は早いうちに夫を亡くし、その多額の保険金で暮らしてきたのだが、カーンに住む甥のフィリップ・ドリジャールはいつも金に困って、彼女に金を借り受けていた。彼がカーンを訪ねてきた婦人を遺産目当てで殺したのだ、とセシルは主張する。実際、婦人はカーンの甥の家で心臓発作で死んだのである。
 ところが翌日、メグレがフィリップの家へ弔問に行くと、彼から「実をいうと叔母はあのメイドの娘にうんざりして、何とか彼女を厄介払いしようとしていたところだったんだ」と打ち明けられた。「ところがセシルは叔母に自分のことを悪く印象づけようとしていたんだ」「セシルには家柄のよくないジャック・メルシエという恋人がいて、叔母の家で逢瀬を楽しんでいた」とまでいうのである。そして叔母は自然死だと主張して譲らない。いったい真相は? 
 本作も面白い。この後、関係者複数の証言と医師の診断した死亡時刻が合わない、婦人が亡くなったはずの部屋と医師が遺体を診た部屋が違う、という展開になって、ミステリー小説としてがぜん盛り上がってくる。

(前略)これはメグレの最も好む種類の事件だった。威厳のある堂々たる門構え、立派な礼儀正しい人物たち、態度動作の端々に表れる、退屈を覚えるまでに誇張された美徳の数々……。そしてそれからその門構えをぶちこわし、廃墟の中をかぎ回って、ついに虚飾をはがれた人間獣、悪徳のうちの最も許しがたいもの、私欲のための殺人者をつきとめるのが、メグレの役目だった。(峯岸久訳)

 医師が婦人の遺体を診たのは「黄色い部屋」。シムノンは先達ガストン・ルルーの小説に目配せを送りつつ、いきいきと筆を進める。枚数が多いので筆致にはゆとりもある。クライマックスの謎解き場面も、第1シーズンの短編なら性急に終わらせてしまっていたであろうところをじっくりと書いて、メグレの長台詞による追及をいっそう迫力あるものにしている。メグレはパイプを持ち、部屋を行ったり来たりしながら、長台詞を人々に聞かせる。メグレのキャラクターが立っているので、第1シーズンのようなパズルではなくしっかりとした中編小説として読むことができる。
 本作はTVドラマ化の回数が多い。最初のドラマはアメリカの《サスペンスSuspense》というシリーズの1作として製作された。
 この《サスペンス》は、IMDbによると1949年から1954年までアメリカのCBSで放送された30分1話完結式のTVドラマ。全260話のうち90話はアメリカでDVD-BOX化されているが、本エピソードは未収録。
 観てみると、クライマックス部分でサスペンスシーンが追加されているものの、ほぼ原作に忠実な手堅いアダプトでなかなかの出来映え。メグレ役のルイス・ヴァン・ロッテンはディズニー映画『シンデレラ』(1950)に声の出演を果たした人だそうだ。禿げ頭に口髭という出で立ちだが、敏腕警視役をしっかりこなしている。先に引用した原作中のメグレの心情は、ドラマでもナレーションで効果的に挿入される。なお余談だがこの番組、途中で挿入されるスポンサーのバッテリー会社Auto-Liteのコマーシャルがかわいくて面白かった。
 ジーノ・セルヴィ版のドラマは、舞台が地方ということもあってか、いつもより屋外ロケのシーンが多くて新鮮(といってもジーノ・セルヴィがたんに町を歩いているだけなのだが)。でも100分はさすがに長いよ……。この回の後、シリーズ監督のマリオ・ランディによりカラー映画で『Maigret a Pigalle』(原作『モンマルトルのメグレ』、1967)が製作されることになる。
 ブリュノ・クレメール版のドラマでは、舞台はバイユーではなく、メグレは司法警察局でもっぱら尋問をおこなう。予審判事(コメリオという名ではない)がドリジャールの知人なのでしばしば捜査の途上でメグレと対立する設定が追加され、かつ動機や証拠を補強するため人物関係は複雑化されている。
▼他の映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ『Maigret et la vieille dame de Bayeux』ジャン・リシャール主演、Philippe Laïk監督、1988(第75話)

■12.「メグレと溺死人の宿」1938■

 雨の霧が続く、鬱陶しい秋の季節。メグレはイル゠ド゠フランス地域のヌムールに来ていた。ロワン川は濁流が渦を巻いている。
 朝6時にメグレは地元の警察署長から呼び出された。ヌムールとモンタルジの間でロワン川に橋が架かっている急カーブの場所があり、そこでトラックと乗用車の衝突事故があり、乗用車が川に落ちたというのだ。少し先に一軒の宿がある。ここでの事故が多いことから《溺死人の宿》と呼ばれている。
 トラックの運転手と、そのとき近くにいた船頭は、事故直後に誰かの叫び声を聞いた気がしたという。乗用車を川から引き揚げて驚くべき事実がわかった。トランクに金髪女性の死体が押し込められていたのである。《溺死人の宿》の主人は川に落ちた車に見憶えがあった。3日前に停まった若い男女カップルの車だった。しかしトランクの女性は40代後半と思われ、宿泊したカップルではない。ではふたりの男女は宿泊したとき、すでにトランクに女性の死体を乗せていたのだ。彼らはどこへ消えたのか? 
 メグレ第二期の中短編群は以前にひと通り読んだので、今回は何度目かの読書になるのだが、ディテールや犯人は忘れてしまってもふしぎと印象に残っている作品がいくつかある。本作もそのひとつで、急カーブの先にあって事故の絶えない橋、降りしきる雨のなかトラックに衝突されて濁流に落ちた乗用車、そばに建つ《溺死人の宿》という不気味な呼び名の一軒家──これらのイメージが鮮烈で、ずっと頭に残っていた。
 本作も中編小説としてじっくりと読み込める。メグレは事件当時の状況を明らかにするためトラックの運転手に願い出て、その夜どこからどこまでどうやって運転したかを再現してもらい、助手席に座ってすべてを見通してゆく。場所は変わったとしても、まさにメグレの捜査法だ。雨の降るなかでこの再現捜査がじりじりと進んでゆくのがクライマックスとなる。ここが心に残るのだ。
 事件の真相はやや弱いが、「バイユーの老婦人」から続いて地方の町で自分らしい捜査をおこなうメグレの無骨な姿勢が心に刻まれる一編だ。実は少しずつメグレは引退の時期へと近づいてきているのである。
映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、ジャン゠ポール・サシJean-Paul Sassy監督、1989(第85話)

■13.「殺し屋スタン」1938■

 リュカ刑事とジャンヴィエ刑事が登場。ジャンヴィエは「開いた窓」(第61回)以来、第二期中短編への登場は二回目。
 メグレたちはパリのヴォージュ広場とバスティーユ広場の中間にあるピラーグ通り沿いのレストランで6日も張り込みを続けている。殺し屋スタンを含むポーランドの盗賊団がパリに潜伏しているとの情報を得たためだ。彼らは覆面で行動するが、ひとりは〈片目〉で、別のひとりは〈ひげ〉があるらしい。そしてメグレのもとには「スタンはおとなしく捕まらない。これから誰彼構わず撃ち殺すだろう」と、スタン本人からと思われる脅迫文が届いていた。
 その日、張り込みをしているメグレに、ミッシェル・オゼップという男が接触してきた。3日前にも司法警察署に来て自殺願望を打ち明けたポーランド人だ。自分は貧乏人で死にたいと思っているが、一方で同国人のスタンとその一味が逮捕されるのを望んでいる、捜査に協力したい、としつこく提案するのである。
 ピラーグ通りのホテルには、〈片目〉と〈ひげ〉と思われる者を含む3名のポーランド人男性が宿泊している。監視の結果、彼らもとには数名の男が出入りしているのがわかった。だが決して尻尾を出さない。誰が首謀者の殺し屋スタンなのだろうか? ひょっとするとオゼップ自身がスタンなのかもしれない。しかしメグレは自分を「メグレット」と呼ぶオゼップの協力に賭けてみることにした……。
 日本では伝説のアンソロジー『世界ミステリ全集18 37の短篇』(1973)にも選ばれた有名作である。メグレ中短編のなかでもひときわ“ミステリー短編らしさ”に溢れ、こうしたアンソロジーに入れるには格好の一編となっている。
 メグレはポーランド人のオゼップに賭けて、彼に特命を託す。だがそれはメグレの完全な失策だったのではないか、というのっぴきならない状況が発生する。人が殺されるのだ。メグレは司法警察局長から強く責任を問われる。しかしメグレは怯まない。もちろんそこからの逆転劇が読みどころだ。
 以前に読んだはずなのにストーリーをすっかり忘れていたので、結末には驚かされた。スタンという名前はポーランド人というよりアメリカ人っぽい。それがひとつの手がかりなのだが、アメリカの刑務所が出てくる古い短編「シンシンまたは三段の家」(1931、第26回)からメグレ第三期の傑作長編でローワン・アトキンソン版TVドラマの原作にも選ばれた『メグレと殺人者たち』(1948)へと至る、シムノンのミステリー作家としての道のりが見えた気がした。
 そして終盤、メグレは自分が高齢になったことに言及する。ここは見逃せない場面だ。局長に対して「(前略)わたしは自分が年を取ったかどうかはわからない。が、解決に長い時間をかけすぎてしまった……」(長島良三訳)という。
 つまりこの第二期第2シーズンのメグレシリーズは、連作のなかで徐々に時間が進んでいることがわかるのだ。前作「メグレと溺死人の宿」よりは本作の方が後の事件だろう。少しずつメグレは引退に近づいている。そのことが初刊の『メグレの新たな事件簿』の収録順に読むとわかるようになっている。
 最後にメグレやリュカはビアホール《ドフィーヌ》のテーブルに就く。ちょっと記憶に自信がないが、《ドフィーヌ》が登場するのは本作が初めてだろうか?[:「ドフィーヌ広場のレストラン」ならペンネーム時代の『ソンセット刑事の事件簿』第4話「マッチの男」(1929)にも登場する。第24回参照]ここは今後メグレものに欠かせない馴染みの舞台となってゆく。
 本作は何度もTVドラマ化されているが、販売ソフトで観ることができない。それがとても残念でならない。
▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ『Stan the Killer』ハーバート・バーゴフHerbert Berghof主演、ジョー・デ・サンティスJ. De Santis監督、1950[米] バーゴフはTVで初めてメグレを演じた役者。
・TVドラマ『Stan the Killer』ロムニー・ブレントRomney Brent主演、ポール・ニッケルPaul Nickell監督、1952[米]
・TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、Philippe Laïk監督、1990(第87話)

■14.「ホテル“北極星”」1938■

・TVドラマ『Maigret et l’Étoile du Nord』ブリュノ・クレメール主演、シャルル・ネムCharles Nemes監督、2005(第54話)

 この中編で、メグレは2日後に司法警察局を定年退職する老齢の刑事として登場する。第一期作品『第1号水門』第18回)はメグレが定年前に自主退職する直前の事件として書かれているが、ここではちゃんと定年退職することになっているのだ。すでに田舎のロワール川畔には隠居先の別荘が待っている。最愛の妻は一足先にそこへ行って、新生活の準備を整えつつある。
 そんな刑事人生の大詰めが近づいた寒い3月の雨の早朝、警察救助Police-Secoursのピエールから「ホテル《北極星》で奇妙な事件があった」と電話がかかってきた。モーブージュ通りのありふれた安手のホテルである。32号室で男がナイフで刺されて死んでいた。朝の列車に乗る客がチェックアウトするため発覚当時のホテル内はばたばたしていたようだ。ホテルの主人が男の叫びを聞いて駆けつけたのである。
 宿泊客をすべて足止めさせて、メグレは捜査を始める。ベッドの下に絹のストッキングが片方だけ落ちていた。そこで女性宿泊客を調べると、19歳無職セリーヌ・ジェルマンの部屋の排水管からもう片方が見つかった。メグレは彼女を司法警察局へ連行するが、彼女は容疑を強く否認して譲らない。
 彼女は客引きをやっていて、殺された男と知り合い、ホテルに入ったのだという。だがその後は別の部屋でひとりで寝たのだそうだ。朝になって事件を知ってから、男の部屋にストッキングを忘れてきたことに気づき、急いで証拠隠滅を図ったに過ぎない──これが彼女の主張である。彼女は頑固だ。しかし尋問を繰り返しているうちに、警視と若い娘の間にはふしぎな親しさが生まれ始める。メグレはこの娘が本当は良家出身のしっかり者だとわかってくる。ではなぜ彼女は街娼などと嘘をつくのか? 
 まさにメグレものの魅力が存分に堪能できる名作である。ついに時計の針は後戻りできないほどまで動き出し、メグレは本作で退職2日前を迎える。そんな間際、雨が降って寒い冬の朝に、メグレのもとへ一本の電話が届き、彼は殺人現場へと出向くことになる。殺しの場所はありふれた安ホテル。容疑者として浮かび上がるのは娼婦と思われる19歳の娘。
 この冒頭のシチュエーションはほとんど完璧といってよいのではないだろうか。匂い立つような“メグレらしさ”だ。その先の物語はほとんどが司法警察局のメグレのオフィスで展開する。主要登場人物はたったふたり。メグレと若い娘のやりとりが続く。そして作者が自ら書くように、次第にふたりの間には「ふしぎな親しさ」が生まれてくる。メグレはこの娘が犯人だとは思えない。だが娘は何かを隠したまま意地を張っている。この関係がどのように変化してゆくのか。緊迫の舞台劇を見ているかのようである。ずっと前に初めて読んだときも素晴らしい作品だと思ったが、今回再読して一行一行が心に沁み入ってくるかのようにさえ感じた。今後読み返すときもきっと傑作だと感じるだろう。

 こういう瞬間のメグレはからだが大きくなり、肩幅もぐっと広くなったような感じになる。パイプをぷかぷか吹かし、ときどき若い娘に重々しい視線を投げる。(後略)(長島良三訳)

 途中でこのような短い描写が入る。メグレのキャラクター性を際立たせる役目の文章だが、第一期から順に読んできた者にとっては、これだけの描写でも心が満たされるのだ。ああ、メグレの輪郭がまたひとつくっきりした、という充実感である。
 そしてラストの余韻が実に見事だ。メグレにとって30年も勤め上げた刑事生活のなかでは、このような事件はごくありふれた日常の一件に過ぎないだろう。たまたまそれが退職2日前にも起こっただけだ。そんな地味な事件の顛末が書かれているだけなのに、人生の縮図のようなこの豊かさはどうだろう。

 本作はブリュノ・クレメール版ドラマシリーズの最終話に選ばれた。ただしメグレは引退直前ではなく、そして物語は雪の降り積もるクリスマスイヴの一夜だ。
 後年のクレメール版でよく見られるように、ひたすら容疑者の尋問が繰り返される単調な展開なのだが、今回はセリーヌ役である若い女優とのかけ合いがとてもいい。リジー・ブロシュレLizzie Brochereという女優で、なんと映画『ザ・リング リバース』(2017)にも出たそうだがまったく気がつかなかった。だが本作のリジー・ブロシュレは素晴らしい。1985年生まれだそうだから、このとき実年齢は20歳。
 19歳だという彼女は娼婦を自称しているが、メグレにはとてもそんなふうには見えない。彼女は何かを心に隠しており、メグレのオフィスで暴れてみせる。わざと不良っぽく煙草を吸って見せたりもする。窓の外は雪景色だ。彼女とメグレはずっと向かい合っている。
 次第にふたりが親子のように見えてくるのだ。口には出さないが、互いを尊重し合う空気が生まれてくる。途中で彼女は調書作成のために写真室へと連れて行かれる。彼女は撮影者がカメラのシャッターを押すたび、ころころと変顔をつくってみせる。このシーンがとてもキュートだ。観ているこちらの心も思わず和む。こうした温かさはクレメール版のドラマに久しくなかったものだ。
 メグレは引退直前ではないが、演じているブリュノ・クレメールは相応に歳を取り、滋味のある老齢の警視として窓辺に佇む。後期作品では中途半端に歳を取って疲れた感じになっていたのだが、本作では経験を重ねた老刑事としての存在感が出ている。10代の若い容疑者セリーヌと向かい合うことで、14年の長期にわたってメグレを演じ続けてきたクレメールもまた引き立っているのである。
 クレメール版のドラマは、原作が短編のとき無理矢理エピソードを増やして尺を保たせる場合が多い。だが今回に限っては間延びした感じがしない。原作の印象的なラストシーンこそ再現されなかったものの、クリスマスの一夜という設定変更がうまい方向に作用している。よい最終作だったと思う。
 最後に原作の記述についてひと言。本作には司法警察局で雑務を担当するギャルソンが登場する。原文はdu garçon de bureauだが、長島氏は「オフィス係のジョゼフ老人」と踏み込んで訳している。メグレは彼にコーヒーとクロワッサンふたり分を頼む。
 本来ギャルソンに老人の意味はないはずだ。このギャルソンが「老人」なのかどうか、原文の記述だけからではわからない。見習いの少年や青年と捉えてもおかしくはない。第一期メグレでも司法警察局内の雑務・給仕係としてのギャルソンは出てきた。だがその彼が老人なのかどうか、明確な記述はなかったはずだ。今後の作品で特定されるのかもしれない。念のため指摘しておく。

■15.「メグレの退職旅行」1938■

 メグレは退職して3ヵ月。11月のある日、メグレ元警視は夫人とともに北の港町ディエップに来ていた。新婚旅行以来25年ぶりで夫婦水入らずの観光旅行に出かけようと思っていたのだが、思わぬ大嵐で英仏海峡のディエップ‐ニューヘイヴン間の船が欠航し、足止めを食ったのだ。ふたりはマドモワゼル・オタールの経営する波止場外れの下宿にひとまず屋根を借りていた。
 下宿の女中はジャンヌ・フェナールと若いイルマのふたり。ジャンヌには4歳の子がいる。他に4人の逗留客がいた。30歳ほどの《陰気な婦人》。40代前半の“新婦”エミリーと、30歳ほどの夫ジュール・モスレー。若いイギリス人ジョン・ミラー。だがジョンはようやく出航する船に乗るため出て行った。
 夜になってずぶ濡れの地元警視が駆けつけてきた。女中のジャンヌが夜道で撃たれて殺されたというのだ。最初のうちメグレは自分の素性を警察に明かさなかった。もう退職した身だからだ。しかし夫人はこういいたげに夫を眺める、「どうして名乗らないの?」──メグレはパイプに煙草を詰めて火を点けると、思わずお気に入りのポーズで──司法警察局おなじみのポーズでストーブの前に立つ。ばらばらの要素がメグレの心のなかで次第にひとつになり、真実の芽を形づくり始めてゆく。
 地元の警視はこれから下宿の人々をひとりずつ尋問しなければならないといった。もちろんそのなかにはメグレ自身も入っているのだ。地元警視はメグレの素性を知って、この有名な元警視に引けを取らない推理をしようと密かに決意する。各人の尋問が始まった。殺されたジャンヌには漁夫の恋人がいたらしい。ニューヘイヴンからも連絡が入り、乗客にジョン氏はいなかったという。
 雨はさらに激しさを増して土砂降りだ。嵐のなか、メグレは真実を求め下宿を出て波止場を歩き始める──。
 本作でついにメグレ退職後の物語へと時間は進む。
 英仏海峡に面する港町ディエップ、そしてニューヘイヴンへの連絡船といえば、第一期のロマン・デュール作品『倫敦から来た男』第41回)だ。
 今回のディエップは嵐の11月。前半の筆致がとてもいい。中編の分量なので描写に余裕ができて、たっぷりと世界に浸れるのが嬉しい。そうしたなかでふっと、メグレが現役時代の感覚に立ち返る。パイプを吸ってストーブの前で背を丸め、気がつくと思いを巡らせている。そんな何気ない描写が素晴らしい。メグレ夫人はいつも通り控えめだがちゃんと夫を見ている。表面的には地味に編み物をしているだけなのだが、夫の捜査に閃きを与える。この愛情の絆が簡潔ながらぴたりと嵌まって、読んでいて実に気持ちがいい。
 シムノン作品では、一見ストーリーとは何の関係もなさそうな妙なひと言に主人公が執着する、という描写がときおり見られる。たとえば『仕立て屋の恋』第35回)の「えっ!」というひと言が代表的だが、読者の心にもそれは否応なしに刻まれて忘れられなくなるのだ。作者シムノンの精神性と深く関わっている部分だと私は察するのだが、本作でもまさにそうした展開がある。その奇妙で小さな引っかかりが、後半で重要な意味を持ってくるのだ。
 ミステリー的な趣向についていうと、本作はさほど見るべきところはない。ここまで第二期メグレの中短編群はパズル的趣向のものから出発して、次第に人物内面描写との融合を見せ、小説としての完成度を高めてきたが、本作へ至ってミステリーの趣向が後退し、情景描写と人物描写が主たる読みどころとなった。バランスが変化したのである。これはかなり重要なことだと思う。メグレものがジャンルミステリーから他の何かへと変わってゆく端境に、いま私たちはいるのだ。それはメグレが退職することによって顕在化した。「殺し屋スタン」「ホテル“北極星”」から本作「メグレの退職旅行」への流れは実にドラマチックだ。第二期第2シーズン最大の読みどころではないかと思う。
 なお映像ソフトは出ていないが、本作のジャン・リシャール版TVドラマでは脚本にFrancis Lacassinという名がクレジットされている。オムニビュス社版『シムノン全集』の編纂にも携わったあの著名な大衆文学研究者フランシス・ラカサン氏なのだろうか? ぜひとも観てみたかった。
▼映像化作品(瀬名は未見)
TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、Edouard Logercau監督、1989(第83話)

【後編 へつづく】
*後編は明日12月4日(水)に掲載予定です。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。
《週刊新潮》2019年12月5日発売号より、AIを題材にした中編小説「ポロック生命体」を短期集中連載。
 
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