Touriste de bananes ou Les dimanches de Tahiti, Gallimard, 1938/7/29(1936秋-1937/6/8執筆)[原題:バナナの旅行者またはタヒチの日曜日]
・予告タイトル:Tamatéa de Tahiti[タヒチのタマテア], « Paris-Soir » 19372/22-3/29号
Illustrations de Loustal, 同名, Vertige Graphic, 1998[伊]
Banana Tourist, Lost Moorings所収, translated by Stuart Gilbert, Penguin Books, 1960 reprint(Banana Tourist/Blind Path)[英]
Touriste de bananes, Tout Simenon t.21, 2003 Les romans durs 1937-1938 t.3, 2012 Romans du monde t.2, 2012

《レ島号》と呼ばれる客船がマルセイユを出発してから37日が経っていた。出港時は凍えそうな寒さで、乗客もジブラルタル海峡を越えるころにはふたりを除いて全員具合が悪かった。大西洋のうねりが単調になってようやく人々はグアドループ[カリブ海、インド諸島の一部]のドゥードゥーダンスホールへ飛び込み、二等船室の宣教師はニコウ家[後に示されるが、ニコウはフランス西部シェルジェールで勤務する刑事]に同行するため自らすすんで民族衣装を着込んだ。パナマでは、女性たちはどこよりも安い香水を買い求め、運河を渡る際は橋の上で昼食を摂るのが慣わしだった。対蹠地に近づき、ガラパゴス諸島を遠くから眺め、ペリカンや飛び魚の姿を写真に収めた。ハワイアンギターを弾く一等船室の会長ムセリ[スポーツ協会の会長]は、辛抱強く剪断された小さなインディアンの頭部を買った。絶えずボイラーの鈍いエンジン音が聞こえ、太平洋の水はあまりに滑らかで眩しく光り、人々はサングラスが必要だった。一等サロンに掲げられた海図の航行線は日々伸びてゆき、あと少しでマルケサス諸島の小さな点群に届こうとしており、世界のまだどこでもなかったが、それは船がフランスを出てから37日目のことで、そしてその日は日曜日だった! (瀬名の試訳)

 なんと冒頭から「37日目のことで」まで、とてつもなく息の長い一文が続く。ここまで原文ではすべて「;」(ポワン゠ヴィエーグル、セミコロンのこと)でつながり、マルセイユを出港してから客船《レ島号》の乗客が体験した出来事はすべて呼吸とともに語られ続け、ようやくマルケサス諸島が見えてきたもののまだ世界のどこでもない場所、そこまで辿り着いて物語が始まるようやくその瞬間に句点ポワンが打たれたかと思うと、直後あまりに短い一文が放り込まれる──「そしてその日は日曜日だった!」。これぞシムノンの呼吸、間合いである。まるで「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」と『平家物語』を朗読するかのようだ。
 今回の『バナナの旅行者Touriste de bananes』(1938)は、シムノン初期のキャリアを総括した大作『ドナデュの遺書』第58回)の続編である。日本でこの続編の存在はほとんどまったく知られていないが、主人公は前作『ドナデュの遺書』で生き残ったドナデュ家の末息子、オスカール・ドナデュであり、前作の出来事も回想シーンで語られるので歴とした続編小説だ。シムノンが自作の続きを出したのは生涯でこの一冊のみ。当初タイトルには「あるいはタヒチの日曜日」と入っており、これも『ドナデュの遺書』のスタイルを踏襲していた。『ドナデュの遺書』は「ラ・ロシェルの日曜日」「サン・ラファエルの日曜日」「パリの日曜日」の全三部で構成されていたが、本書はその次、すなわち第四部に位置づけられるものだ。
 執筆時期や場所のデータを見ると、どうやらシムノンは1936年、『ドナデュの遺書』を第三部まで書き上げた後、それまで滞在していた南仏ポルクロール島で、すぐに続編の本作へ取りかかったらしい。だがおそらくは途中で筆が進まなくなり原稿は中断した。そこでポルクロール島から引き上げた後、10月にシムノンはメグレものの短篇9作を一気に書き上げる。本連載第61回で取り上げた「首吊り船」から「メグレの失敗」までの9作である。つまりシムノンが再びメグレものの世界に遊んだのは、本作が行き詰まったためのリフレッシュ行為だったのかもしれないのだ。そして1年近く放置された後、シムノンはポルクロール島に戻り、1937年6月に本作を仕上げた──という経緯であるように思われる。
 最初にはっきりと述べておくが、本書は凡作だと思う。ふつうの人はあえて読む必要はない。ところが作家シムノンを知るにあたっては、絶対に読み逃すことのできない一冊なのである。以前に取り上げた『わが友らの三つの犯罪』第78回)と同じで、シムノンの作家人生──今回の場合はあちこちへ旅行して人間観を深めた“世界作家”としてのシムノン──が如実に表れた作品であり、いうなればのままのシムノンが書かれた一冊だからである。小説としてはつまらないが、作家性を知るには欠かせない。そんな点も『わが友らの三つの犯罪』に似ている。

 本作は『ドナデュの遺書』のラストシーンで読者に強い印象を与えたドナデュ家の末息子、かつてはキキと呼ばれたオスカール・ドナデュ(初登場時は15歳)が、《レ島号》という客船に乗って太平洋のタヒチへ向かう場面から始まる[《レ島》とはラ・ロシェル沖にある実在の島で、監獄島でもあった。シムノンのこれまでの作品にも登場している]。『ドナデュの遺書』のラストからさらに数年が過ぎ、彼はいま25歳の若者になっている。ラ・ロシェルで一代を築いた大船主のドナデュ家は主人を失ってから衰退し、船舶業も他者の手に渡り、生き残った末息子の彼は未婚のまま、ほとんど財産もない状態である。
 ドナデュは過去から逃れるようにタヒチ行きの客船に乗り込んだのだった。彼はいうなれば「バナナの旅行者」──文明に塗れ、文明社会で敗北したがために、素朴な大自然に満ちた南洋の島に勝手な憧憬や幻想を抱いて移住する、地元民にとってはしごく迷惑な人間のひとりなのだった。
 タヒチに到着する3日前、《レ島号》に別の船《オレロン島号》がやって来て横づけし、警官たちが乗客のなかからフェルディナン・ルグルという57歳の男を捕らえて、先にタヒチの首都パペーテへと連れていった。もともと《オレロン島号》の船長であるルグルはフランスに妻子がいるが、リリという渾名の25歳の役人アンリ・クラークを殺した容疑で逮捕され、パペーテで裁判を受けることになったのである。地元娘タマテアを巡って愛情関係のもつれがあったらしい。ドナデュは船上でいくらかルグルと顔見知りだったが、そんな事件があったことは知らなかった。
 2月8日、《レ島号》は雨季のタヒチに到着し、ドナデュはまるで別の惑星に来たかのようにひとりあてもなく町を彷徨い、《子午線宿》と名のついた外れの小さなホテルに辿り着いた。古びた木造建築の、赤いタイル屋根の宿場。宿主の男はマニエールといい、かつてはフランスに住んでいたこともあったそうで、ラ・ロシェルにドナデュ家があったことも知っていた。中国人少年が小間使いとして働いている。そしてこの宿にはタマテアや、他にもヒナ、アンジェルといった地元娘が頻繁に出入りしていた。ドナデュは宿から木を三つ隔てた向こうのバンガローに、タマテアがパペーテの植民クラブの一員であるイスナール判事の愛人として囲われていることも教えてもらった。
《レ島号》は乗客を置いて出港していった。村ともいえない小さな首都パペーデではあったが、これでもまだ植民地としての文明がある。ドナデュはもっと人里離れた場所にバンガローを借りて孤独に住みたいと思っていた。ドナデュの欲求は逃走であったからだ。しかし地元の老人パパ・ロウからこんな話を聞かされる。「ここは天国だが、その本当の意味をきみは1、2ヵ月後に知ることになるだろう。これまで多くの者が余所からやって来て野生の暮らしを始めたが、皆いつの間にか消えていった。だから私の忠告は“金があるうちに次の船で帰れ”だよ」
 この宿でドナデュは知事の筆頭秘書カンデや、ルグル船長の裁判を担当することになる若い弁護士ジョー・ブドワンらと知り合ったが、ドナデュは「さようなら」とフランス語で宿主に伝え、安い宿泊代を払って出て行った。パペーテの外れを目指してひとり歩きながら、過去のことを振り返る。自分は子どものころから精神が健全ではないと医者に診断され、15歳で家族から逃げた。だが、と25歳になったドナデュは思っていた。自分はただ逃げているのではない。いまは自分がどこへ行きたいかわかったのだ。他人は逃走者かもしれないが、自分は違うのだ、と。
 しかし望みの不動産物件は見つからない。正午にはパペーテ郊外のピュナオーイアPunaauiaという小村[画家ゴーギャンが住んでいた場所]まで辿り着き、村外れの中国人商店で鰯缶とパンを買い求め、海岸へ行ってナイフで缶を空けた。陽は暗くなり、珊瑚礁は輝き、どこかで鶏が啼いていた。車の行く音が聞こえる。ドナデュは浜辺に寝転び、目を瞑った。

 ──“永遠の日曜日”のような夕暮れの浜辺で目を閉じて眠る。きっとドナデュはこのまま時が止まってくれればよいのにと思っていただろう。そうすればもう何も考えずにすむ……。ここまでが物語の3分の1だ。次の第4章で視点が変わる。カメラは《子午線宿》に集う人々の様子を追うのだ。ドナデュが出て行ってから数日経つが、誰もその行方はわからない。
 公共鉄道橋梁技術指揮官のラファエルという30代の男が、車で《子午線宿》に到着した。近日中に橋梁の修繕仕事があるのだ。しかし宿に人影は少ない。男たちは知事公館か植民クラブに、また女や若者は町から6マイル先のダンスホール《ラファイエット》にでも行っているのだろう。そこでは朝までランタンが灯り、人は酒と踊りで浮世を忘れて楽園に浸るのだ。地元娘を連れ帰ってベッドをともにする男もいるだろう。ドナデュがどこへ行ったのかと話題に上ることもあったが、たいていすぐに皆は関心を失って別の話題に移ってしまう。
 ここ数日、知事公館内の法廷ではルグル船長に対する取り調べが始まっており、判事イスナールや弁護士ジョーも立ち会っていた。ルグル船長は、自分がリボルバーで若者を撃って殺したのだろう、とは供述している。だがそれは事故であり、自分は妻子ある身で、もう一度人生をやり直せるとは思っていない、とも述べている。事件は地元娘タマテアを巡っての意図的な犯罪だったのかどうかが争点となりそうだ。しかし判事イスナールもタマテアと寝ているのだから事情は複雑である。彼は絵を描くのが趣味で、専用のバンガローを借りてアトリエとして使っており、そこにタマテアを呼んでモデルをしてもらっている。むろんそれが夫人に対する表面的ないい繕いに過ぎないことは、町の者なら皆知っている。タマテアは判事と情事を交わしながら、同時期に船長やリリとも愛し合い、さらには船長から金銭を受け取っていたことになる。タマテアも聴問を受けるが、さほど美人でもない彼女の返答は無邪気というかいつものらりくらりとしてつかみどころがない。タマテアやヒナたち地元娘は娼婦ではないが、文明社会に生きる人々とは価値観や道徳観が違うのである。
 その日の取り調べが終わると、パペーテの植民クラブで筆頭秘書カンデや弁護士ジョー、判事イスナールとその妻らの気怠い会話が始まる。彼らはグラスを傾けながらどうでもよい世間話で時間を潰し、互いにモーションをかけ合ったりする。
 そこでドナデュの話題が出た。なんでもラ・ロシェルで鳴らした一族の息子らしい。カンデがその話を知事にしたところ、知事は興味を持って、その男をパペーテの要職に取り立ててフランスとのパイプ役にできないかと考えているという。
 ドナデュを島の奥地の渓谷で見かけたとの足跡情報があり、知事の特命を受けた警察署長オギュスティン・ゴダール以下、ラファエル、ジョー、タマテアもいっしょに、車で南海岸パプアーリPapeariの滝壺付近まで捜索に出ることになった。美しい滝壺の上部にドナデュが立っているのを彼らは見つけた。彼は陽に焼け、野生動物のような目をした男へと変貌を遂げていた。近くの打ち棄てられたバンガローで寝泊まりしているらしい。彼らはドナデュと話すこともできた。そして彼がこうした野生生活に身を投じて世間を捨ててさえもなお、魚をうまく食べることはできず、食糧調達には町外れの中国人商店まで出向いており、文明からは逃れられず苦悩していることも知った。ドナデュは知事の誘いには興味を示さず、捜索隊は彼を置いて帰ることになったが、正直なところジョーたちはなぜドナデュが宿へ戻らないのか理解できない。これでは犬の生活だ。もともと人間は文明化された生きものなのだから、《子午線宿》で暮らそうが構わないではないか。ドナデュはこの問いにうまく答えることができなかった。自分は獣の暮らしで構わない、シンプルにカヌーでもつくって暮らしたいと述べるが、まさにそのカヌーをつくるにはナイフという文明の利器が必要なのだ。最後に彼はルグル船長の状況について訊いた。「来週、判決が降りる」との言葉を聞いて互いは別れた。

 ここまでが3分の2で、この先どうなるのか、おそらくほとんどの読者はまったく見当もつかないだろう。パプアーリの滝壺の描写は美しい。タマテアはやはり無邪気に目の前の光景に喜び、湖面に飛び込み、「私は以前にアメリカの映画監督から女優にならないかって誘われたこともあるのよ」などという。『遠洋航海』第54回)でも登場人物らがタヒチの滝壺に行くくだりがあったが、きっと同じ滝だろう。ここまでで“世界作家”シムノンの問題意識はすべて開陳されている。文明に塗れた人間は南洋の楽園に勝手な夢を抱いて「バナナの旅行者」として流れ着くが、私たちはどこまで行っても「裸の人間」になり切ることはできない、いくら山奥にひとり籠もって野生生活を試みても、文明社会の恩恵をすっかり忘れることなどできない、という現実である。ただし主人公オスカール・ドナデュは自分自身もまた無責任な「バナナの旅行者」に過ぎない存在だということを自覚できている。ここは押さえておきたいところだ。前作『ドナデュの遺書』で彼の立ち位置は、むしろピュアで人間のしがらみや愛欲からいちばん離れた人物として描かれていた。その彼だからこそタヒチまで逃走してなお自分を見つめ、自分は「バナナの旅行者」だと理解できている。ひとつ上の客観的視点が持てているわけだ。
 ではこの先、物語はどうなるのか。結局彼は町へ向かい、その外れまで来て、単に通り過ぎることはできず、知事公館の法廷で開かれているルグル船長の裁判を傍聴することになる。つまり第7章以降の最後の3分の1は、なんと法廷小説になるのである。
 雨季も終わって暑いパペーテでの裁判だ。進行はいかにも鈍いし、その日は新しい客船がようやく着港してルグル船長の妻が降り立ち、法廷で変わり果てた夫の姿を見て愁嘆場を晒す。夫人があまりに取り乱すので午前の聴問は終了となり、これまで登場してきた関係者らは宿に移って長い長い昼食を摂る。なんと4時を回ってようやく午後の法廷が再開され、タマテア・アイオマヴァも証人として喚ばれ、作者シムノンは彼女が宣誓する場面も決して省略することなく書き記してゆく。判事はルグルのいる前でタマテアに訊く(タヒチには裁判官がいないので判事が執り仕切る)、あなたは長いこと囚人の愛人だったのか? あなたたちふたりは本当に愛し合う仲だったのか、それともたんなる衝動的な交わりに過ぎなかったのか? と。返答次第でルグル船長の罪の多寡は変わるわけだが、タマテアの返答ははっきりしない。夫人はこの娘が夫を誑かしたのだといわんばかりの形相をしている。そして傍聴席のドナデュは、自分と、ルグルと、タマテア3人の視線が互いに交差していることに気づくのだ。自分もまたタマテアとの三角関係のなかに入っていたひとりだったとようやく知るのだ。
 いちばん本作で緊張が高まる瞬間である。そして何が起きるか? なんと、何も起こらないのだ。最後の第10章でドナデュは皆とともに《子午線宿》へ戻り、上階の部屋でひとりになる。彼は自問する。自分はいったいどうすればよいのか? 文明から逃走したいと思ってここまで来たが、結局逃げることができなかった。ならばあとは死ぬほかないではないか? といっても自分は銃さえ持っていない。あるとすれば野生生活で使っていたナイフだけだ。彼は自分の身に刃を突き立てようとする。だができなかった。ナイフを床に落として彼はベッドに倒れ込む。
 そこはタマテアの部屋であり、すぐ近くにはヒナの部屋もあった。ヒナは《ラファイエット》から早めに戻って休んでいたが、タマテアは夜遅くにようやく戻ったのである。自室のベッドにドナデュが寝ていることに気づいたが、彼女はそのまま横へ入り込んですぐさま寝入った。
 そして翌朝、物語は終わる。どうなったのかは書かないが、オスカール・ドナデュは「バナナの旅行者」としての苦悩を解決することはできなかった。本作に出てくる人々は誰ひとりとしておのれの案件を解決できずに終わる。あるいは解決しようともせずに終わりを迎える。いったいルグル船長の裁判は物語に何の意味があるのか? それなりに作中で登場頻度の高いラファエルやジョー、カンデ、イスナールたちはこの後どうなるのか? タマテアはただの馬鹿なのか、それとも本当は奥底に何らかの真の魅力を湛えた女性だったのか? いっさい何もわからない。私が本作で「共感」できるのは、タマテアと同じく地元娘で比較的常識的なヒナただひとりだ。少なくとも彼女は朝が明けてタマテアが悲鳴を上げたとき、友人としていっしょに叫ぶだけの人間的な心を持っている。

 本連載ではこれまでシムノン作品を読みながら、私たち人間が持つ情動、シンパシーとエンパシーの役割について、何度か私の考えるところを書き記してきた。シンパシーとエンパシーの違いについては2019年にブレイディみかこ『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』がヒットしたことで突然日本でも論じられるようになったかのように思われる方もいるかもしれないが、実際は発達心理学や認知神経科学、動物行動学、道徳哲学、ロボット学など多くの分野をまたいで数十年前から盛んに論じられてきたもので、私もずいぶん前からこれこそ「人間らしさとは何か」という大きな課題の本質に迫るために欠かせない論点だと感じ、自著でも繰り返し言及してきた。
 シムノンはめったに作中でシンパシーやエンパシーという言葉を使わない。だが作家のトマ・ナルスジャックは1950年刊行の評論書『シムノンの場合Le cas Simenon』でわざわざ「シンパシーLa sympathie」という一章を設け、この観点から作家シムノンの本質に迫ろうと試みた。ここでナルスジャックが論じているシンパシーは、実際には今日でいうところのエンパシー能力だと私は思う。本連載の第80回で紹介した「人間を嗅ぐ(感じる)」というシムノンの方法論、それは彼のあまりに鋭いエンパシー能力によって初めて為し得たものだったのだ、という私の直感は、しかしフランス語圏で「シンパシーsympathie」や「エンパシーempathie」がどのような意味合いで用いられてきたのかを知らずに検証することはできない。本作『バナナの旅行者』を英訳版で読んでみると何度かシンパシー、エンパシーという言葉が出てきたので、シムノンがどう考えてこれらの言葉を使っていたのかを知る絶好の機会だと思い、原文と照会した。そして衝撃の事実がわかった。以下、列挙しよう。

【原文】Donadieu ne méprisait personne, pas plus Nicou, qui était un ancien protégé de son père et dont la pitié respectueuse le fatiguait, que les deuz jeunes Américains, qui avaient juste de quoi payer leur passage et qui ne pouvaient jamais mettre les pieds au bar, ou que Gorlia, le Marseillais, ou… (p.848)
【英訳版】Not that Donadieu had any superiority to the others; he left no more superior to Nicou, whose respectful sympathy got on this nerves, than to the two American youths, who had just money enough for their passage and could never set foot in the bar; or to Gothic, a vulgar loud-voiced Marseilles. (p.14)
【試訳】ドナデュはニコウという人物を軽蔑してはいなかった。彼は父の元弟子であり、敬意の憐憫があの若いふたりのアメリカ人よりも彼を疲弊させたのだ。あのアメリカの若者たちはただ旅行するだけの金を持ち、決してバーに足を向けようとはせず、ゴーリアか、それともマルセイユ人になっているのか、あるいは……。[すみません、原文Gorliaの意味がわからず]
【原文】Oscar n’osa pas demander à son interlocuteur pourquoi il plaignait le meurtrier et il avala son eau avec satisfaction. (p.875)
【英訳版】Donadieu didn’t dare to ask him why he felt sympathy with the murderer. He drank the iced water greedily, and the headman filled his glass again. (p.46)
【試訳】オスカールは話し相手が人殺しを気の毒に思っている[plaindreの半過去形]理由をあえて訊くことはせず、満足に水を飲んだ。
【原文】─ Il n’y aura rien du tout ! trancha le chef de cabinet. (p.940)
【英訳版】‘There won’t be anything at all,’ riposted the Chief Secretary empathically. (p.125)
【試訳】「何も問題ありません!」と知事の筆頭秘書はいい渡した[trancher=決着をつける]
【原文】La journée finissait à la va-comme-je-te-pousse. Dans la cour de la caserne, Jo disait à Raphaël : (p.948)
【英訳版】The day ended in desultory wise. In the courtyard Joe yawned and turned to Raphael, who, too, yawned in sympathy. (p.135)
【試訳】そして一日は投げやりな感じで終わった。公館の法廷でジョーはラファエルにいった。

 なんとシムノンは一度も「シンパシー」や「エンパシー」という単語を使っておらず、すべては英訳者がつけ加えたものに過ぎなかった。最後の文章に至っては、原文ではふたりは欠伸さえしていない。
 だが英訳者のスチュアート・ギルバートは、誰かが欠伸をしたらつられて横の者もつい欠伸をしてしまう、そういう共感の“状態”がシンパシーであり、一方で法廷内の混乱を鎮めるため人々を慮って「何も問題ありません!」というとき、その者は忖度して行動に移していた、すなわちエンパシー能力を発揮していたのだと、そのように区別していたと推察できよう。
 だがこれだけではとうてい不充分だ。よって最後の手段に出ることにする。
 本作はたぶん翻訳されることもないだろうから、ラストシーンを紹介してしまおう。次の3行で本作は終わる。

【原文】
 ─ Où est Raphaël ? demanda Hina machinalement.
 ─ Il dort… Chez Angèle…
 Ce fut tout.

【英訳版】
 ‘By the way, where’s Raphael?’ asked Hina, but without much real interest.
 ‘Asleep, I expect. At Angèle’s.’
 And that was all.

【試訳】
「ラファエルはどこ?」とヒナは機械的に訊いた。
「寝てるよ。アンジェルの家で……」
 それで終わった。

 なんと強烈なラストであろうか。あまりにもあっけなくて、読んでいるこちらがびっくりするくらい、何かを感じ取る余地さえ与えてくれない突き放し方だ。英訳版はこれでも訳しすぎ、文字を使いすぎだ。このラストを読んでもあなたはシムノンを「共感の作家」などと甘ったるい言葉で呼ぶだろうか。「共感」の欠片もない冷酷さでシムノンは筆を措いている。もうオスカール・ドナデュの人生や彼にまつわるもろもろの事情に何の興味もなくなったといわんばかりの非情さである。「無情」なら「ああ無情レ・ミゼラブル」と感嘆するだけの心の余裕があるが、これは無情でさえなく「非情」、語義的にいっても「人間らしい思いやりの感情を持たない」痛烈な一撃ではないのか。
 あれだけ長々と続いてきたドナデュ家の物語は、このひと言で終わってしまうのである。『ドナデュの遺書』に対してロジェ・マルタン・デュ・ガールの《チボー家の人々》などフランスの大長篇ロマンの系譜を引き合いに出しシムノンを持ち上げた人はいったい「ブラボー!」と叫んで拍手を送ったおのれの口と両手をどうすればよいというのか。これはまるで作者自身による『ドナデュの遺書』への復讐ではないか。だがシムノンはカジュアルにこういっているのだ、「これがすなわち人間なのだよ」と。そして恐ろしいことにそれは真実なのである! 
 本作冒頭部の試訳に立ち戻って比べていただきたい。冒頭部はフランス語でいう半過去形が延々と使われている。過去の状態や習慣を表す用法である。だがラスト一行の「Ce fut tout.」、こちらは直説法単純過去と呼ばれる用法で、「現在とのつながりを持たない過去の行為や出来事を客観的に表す」「書き文字でのみ使われる」とされる、仏検3級にも出てこない、いささか高度な用法なのである。「つながりを持たない」「客観的に」というところがとりわけ重要だ。「That was all.」といった瞬間、もはや物語はいま読んでいるあなたと「つながりを持たない」「客観的な」過去になるのだ。こういう小説を書くのがシムノンという作家なのだ。
 ラストに提示されるこの底なしの虚無は、読者に「読書するとはどのような意味があるのか」という根源的な問いさえ突きつけるものだ。何度も書いているが、「主人公に共感しました!」「私はこの作家さんを応援します!」などといった昨今の超共感社会に対する強烈なアンチテーゼがここにある。もし仮にいまシムノンの新訳小説が出て、このシンジケートブログで書評に取り上げられたとして、版元の編集者が「○○様にご高評いただきました!」などと公式Twitterで書いて読者の共感を誘い、また同時に書評者への感謝の気持ち(おもねり)を呟いたなら、それこそシムノンの描いた世界観とはまったく相容れない欺瞞であり、シムノンのことがわかっていないと全世界に向けて版元が公表するに等しい行為になるのだ。あなたはこれを恐ろしいとは思わないだろうか? 私は心底恐ろしいと思う。
「分断」やら「連帯」などと叫ばれている現在にこそ、シムノンは読まれなくてはいけない。あなたのいっている「分断」や「連帯」は本当の「分断」や「連帯」ですか、たんなる口先だけの、聞き心地がよいだけのキャッチフレーズなのではありませんか、あなたにとって真の「分断」や「連帯」とは何ですか、とシムノンは過去から私たちに問うている。
 そしてもっと恐ろしいことに、シムノンはおのれが発した問いに対する答を書かなかった。本書は凡作として終わる。これが真に意味するところは何か。すなわち、私たち人間には、このシムノンが突きつけた問いに対して答えられるだけの知的能力がない、これは知能の限界を超えた問いであると項垂れるほかに対処法がない、ということかもしれないのである。
 本書でシムノンは“世界作家”としてのおのれの問いを総括した。だがそれに対する答を書けないまま終わった。よって本書は凡作である。しかしこの後シムノンは人生のどこかで、この問いに対する答を見つけるのだろうか? 少なくとも見つけようとする意思は今後の作品で示すのだろうか、それともそれすら過去として切り離してしまうのか? ここがもっとも注目されるところだ。

 本作の後ろの3分の1が裁判小説である、ということにも留意しておきたい。ここまで長々とシムノンが裁判シーンを書いたのは初めてであるような気がするからだ。そして本作の次に書かれた作品は『重罪裁判所Cour d’assises』(1941)というタイトルなのである。シムノンにいくつか裁判小説と呼べる作品があることは、愛読者の皆様ならご存じのことと思う。本作執筆の時期からシムノンは法廷という場所に関心を持ち始めたのではないか。法廷にこそ生のままの人間の姿が現れる、と思うようになったのではないか。そう直感した次第である。当たっているかどうかはわからない。だがこのことを頭に留めて、さらに作品を読んでゆこうと思う。
 本作は後にルスタルの豊富なイラストつきで刊行された。最後のベッドの見開き絵が胸を打つ。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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