シムノンはその人生で、第二期メグレ、第三期メグレを書き始める直前に、それぞれそれまでの人生の総決算と呼べる大作に取り組んでいる。本連載では今回の『ドナデュの遺書』をシムノン第一期最後の作品と位置づけたい。つまりここでシムノンは人生のひと区切りをつけたということである。
1936年、シムノンは愛する楽園ポルクロール島に二度赴き、一度目の春先に『眼鏡の白人』(第57回)を書き、そして二度目の夏の滞在で本書『ドナデュの遺書』を書いた。後の自伝的作品『Pedigree』[血統書](1948)を除くと、これはシムノンの生涯で最長の小説である。本書には珍しく、本文の前に謝辞と断り書きがついている。そこにはこうある。
ドナデュ家の物語を書くのに、一九三六年七月はまだそれほど時期を失していない、とわたしは思う。(手塚伸一訳)
1936年夏は、欧州の政治情勢が不安を増してきていた時期だ。シムノンは隔絶したポルクロール島でそうした様子を無線ニュースで日々聴きながら過ごしていた。私たち現代日本人にはなじみの薄い時代背景だが、わかりやすい例をひとつ挙げると、手塚治虫の晩年の大作『アドルフに告ぐ』はアドルフ・ヒトラーの影響力が増してきた1936年8月のベルリンオリンピックから物語が始まる。
【写真】に掲げたのはTVドラマ化の広告帯がついた集英社シムノン選集版だ。本作は1972年10-12月、『日曜日にはバラを』のタイトルで、「ポーラ名作劇場」の1作として近藤正臣主演によりドラマ化された。残念ながら映像ソフトは発売されていない。
本作は三部に分かれている。「第一部 ラ・ロシェルの日曜日」「第二部 サン・ラファエルの日曜日」「第三部 パリの日曜日」だ。
これまでもシムノンという作家にとって日曜日は特別なモチーフであることを指摘してきた。ぽっかりと空いた、時間も空間も止まってしまったような陽だまりの安息日。それはいつも子供時代の記憶のなかにあり、そしていま、どうにもならないほど人生が追い詰められたとき、初めて目の前に現れる破滅直前のひとときでもある。本作は6年にわたる長い期間を描いた物語だが、3つの主要な舞台において、そこにはいつもシムノンの日曜日がある。そのため長い物語であるが激動の大河ドラマという感じはせず、日曜日の一瞬を3つ切り取った、永遠の陽だまりのような読み心地となっている。
9月の終わり。物語は仏南西部の港湾リゾート地ラ・ロシェルで船舶業を営み、資産を築いて大きな《城》に暮らしていたドナデュ家の当主オスカール・ドナデュ72歳が、不可解にも岸壁の泥のなかから死体で発見されたところから始まる。事故死なのか他殺なのかわからない。
彼の遺書が家族の前で確認されたが、その内容は意外なものだった。財産のすべては彼の4人の子供たち、長男ミシェル、長女マルト、次女マルチーヌ、そして次男のオスカール(愛称キキ)に贈られ、未亡人となったドナデュ夫人にはきちんとした配分が指定されていなかったのだ。このことをきっかけに、ドナデュ一族の絆は軋み始める。
物語を牽引するのは4人の子供とその家族たちだ。当主オスカールが亡くなったとき、長男ミシェル37歳と長女マルトはすでに大人で、それぞれ結婚相手のエヴァとオルセンがおり、子供も設けている。次女マルチーヌは彼らよりかなり若くて17歳。そして末のキキは15歳。キキは15歳だが少し発育が遅れており、まだ心は小さな少年のようだ。
次女マルチーヌはフィリップ・ダルジャン25歳という男とつきあっている。彼の父親フレデリック・ダルジャンは、生前の当主オスカールと最後にクラブで会っていた人物だ。とうぜんながら彼には当主殺害の嫌疑がかけられている。
これらの相関図が最初に頭に入っていれば、あとは物語を読み進めていっても混乱せずにすむ。とくに焦点が当たるのはフィリップ・ダルジャンとその恋人マルチーヌ、そしてドナデュ家の長男ミシェルの関係だ。
第一部でフレデリックとマルチーヌは駆け落ちをする。そして第二部では、南仏サン・ラファエルに居を構える長男ミシェルと、駆け落ちしてドナデュ家を離れパリに暮らす彼らとの間の葛藤が描かれることになる。長いスパンの物語だが、登場人物が重要な意思決断を下し実行に移すのは決まって日曜日だ。時間も空間も止まった日曜日が、結果的に彼らを動かしてゆくのである。この長くて短い独特な感覚が全編を支配している。これがまるで、これまでのシムノン作品のクライマックスを続けて読んでいるかのような気持ちにさせられる。
実際、私は読書中、読んでも読んでもまだページが残っている文庫本を手にしながら、「ああ、こんなにもたくさんシムノンが読めるのだ」と幸福感を覚えていた。自分自身が永遠の日曜日を生きているような気持ちになっていたのである。
本作はその長さからしても、明らかにそれなりの文学的野心を持って書かれた小説だといえる。フランスで刊行された際にはバルザックを引き合いに出す書評がいくつかあったそうだが、やはりその長さに類似点を見出したのだろう。
邦訳の集英社文庫版「解説」では、訳者の手塚伸一氏がさらにロジェ・マルタン・デュ・ガールの名を挙げている。本連載を始めたとき、私はデュ・ガールの大河長編『チボー家の人々』(1922-1940)を読んでいなかった。だがいつかこの連載で『ドナデュの遺書』を取り上げるときが来る。そのときのためにと、私は数年前から『チボー家の人々』を少しずつ読み始めた。本当に本作が『チボー家の人々』と似ているのか確かめたかったからだ。
この原稿を書いている時点で、まだ『チボー家の人々』の邦訳全13冊を読み終えたわけではないのだが、シムノンをきっかけにこの大河長編を読めてよかったと心から思っている。なにしろ第1巻からめちゃくちゃ面白い小説なのである。「すみません、ノーベル文学賞を舐めていました」と全世界に向かって謝りたいくらいの気持ちだ。こんなに読みやすいとは予想だにしなかったし(翻訳が素晴らしいのだろう)、ここまで心をつかまれる物語だとは思っていなかった。何しろ長いので一気呵成に全冊読破というわけにはいかないが、少なくとも読んでいる間はまったく退屈することがない。真の名作だと思う。
本作『ドナデュの遺書』とどのくらい似ているだろうか? 実際は、大家族の人生模様を長いスパンにわたって描いていること、一家の当主が亡くなること、息子兄弟の成長と関係性に焦点が当てられていること(『ドナデュの遺書』の場合はミシェルとフィリップという義兄弟)、などの表面的な一部が似ているだけで、筆致も雰囲気もまったく別のものだ。『ドナデュの遺書』と『チボー家の人々』のどちらかひとつを強いて選べといわれたら、躊躇いなく私は『チボー家の人々』を読んでほしいと薦める。だが、それでは『ドナデュの遺書』は凡作で、読む価値がない小説なのか? いや、決してそうではない。まったく異なる評価軸に当てはめて、やはり本作『ドナデュの遺書』はシムノンにしか書けない傑作だと私は感じている。
これまでシムノンを読んできた読者なら、本作『ドナデュの遺書』を手に取ってすぐ、いくつかの過去の作品、とりわけ『第1号水門』(第18回)と『遠洋航海』(第54回)をすぐに思い浮かべることだろう。『第1号水門』も地元の有力者が運河で重傷を負っているのを発見されるところから物語は始まる。この構図は船長の死体が船の錨に引っかかっていたという『港の酒場で』(第8回)にも通じるし(ファイヤール社の表紙にはまさにその場面が描かれている)、また本作『ドナデュの遺書』には「グランメゾン家Grandmaison」という名前が一度だけ出てきて(文庫版p.440)、その名は『霧の港のメグレ』(第16回)を想起させる。そして「三部構成の大長編」という大枠は、シムノンが初めて通常の枚数を逸脱して長い作品に仕上げた『遠洋航海』と同じである。
ただ、本作はこれまでのシムノン作品の繰り返しや再生産ではない。本作『ドナデュの遺書』はこれまでのシムノンの“先”を、いままでシムノンがいくつも書いてきて終わらせてきた物語の“一歩向こう”を描いている。また描こうとする作者の意思を強く感じさせる作品になっている。読んでいる途中でいちばん私が感銘を受けたのはその部分だ。
たとえば、最初の「第一部 ラ・ロシェルの日曜日」は全10章で、これだけで通常のシムノン作品の長さがある。ここまででフィリップと次女マルチーヌが駆け落ちするさまが描かれる。フィリップは家族の息苦しさのなかで生きているマルチーヌを連れ出し、車でパリを目指すのだ。ふたりに金はない。モンパルナスのアパルトマンで慎ましく暮らしていかなくてはならない。都会に出て〝ままごと〟のような生活を始める若い男女、という構図は、たとえば『情死』(第43回)で見たように、シムノンでは定番のものだ。これまでのシムノンの小説は、そこで物語が終わっていた。つまり若さに駆られてふたりで上京したのはいいが、現実の厳しさに直面し、袋小路に陥って自滅して終わる。また日曜日の永遠性に誘われるかのように地元から逃亡し、そして破滅するという物語もこれまであった。『逃亡者』(第44回)がそうだ。しかし本作はそこで終わらない。さらに先へと物語は続いてゆくのだ。
フィリップは父フレデリックへ、またマルチーヌは未亡人となった母へ、それぞれ「いまの自分は幸福です」という手紙を書いて送る。ふたりは結婚する。フィリップは事業を興す。ラ・ロシェルに残された大人たちは若いふたりの将来を案じ、連れ戻したいと考えながらも、やはりそれぞれ生きてゆくのである。物語にはまだ〝先〟がある。
これは後でわかるのだが、フィリップは事業でそれなりの成功を収める。彼らの間には息子も生まれる。これまでもシムノンの小説では主人公たちが愛の運命によって子供を授かる展開の物語があった。たとえば『黒人街』(第52回)や『遠洋航海』がそうだ。しかしいままでのシムノンでは、彼らは子供の存在を持て余していた。きちんと育てることができないまま物語は終焉を迎えていた。しかし本作は違う。子供が生まれてからも物語は続く。ふたりの結婚生活はすぐさま破綻するわけではない。“一歩向こう”が描かれる。
つまり本作で描かれるシチュエーションは、どれもこれまでのシムノン作品を彷彿させながらも、さらにその先へとつねに踏み出してゆくさまが見て取れるのである。これには胸が躍らされる。「まだシムノンが読めるのだ」とわくわくする理由はここにある。いままで一度も見たことのない方向へ、物語は進んでゆこうとするからである。
「第二部 サン・ラファエルの日曜日」ではサン・ラファエルで漁業会社を営む長男ミシェルにいったん物語のバトンが渡される。彼には秘書オデット・バイエ22歳という愛人がおり、彼女はかつて彼との子供を堕ろしたこともあった。いまミシェルは街で知り合ったロシア娘ニーヌとよい仲であり、いずれにせよ家庭はほとんど破綻している。
第一部で焦点が当たっていたフィリップは、ここではひとまず脇役・調整役に回り、ドナデュ家にまつわるさまざまな人々と会うことで、物語は深みと広がりを増してゆく。彼は義兄の愛人オデットとも接触し、彼女の人生を後押しすることにもなるのである。
ドナデュ家の面々はそれぞれ少しずつ人生の駒を進め、一家はやがて離散してゆく。第二部の後半になると一種の群像劇の様相を呈し、誰が主役とはっきりわかるような明快さは希薄になる。だが「第三部 パリの日曜日」で再び物語はフィリップとマルチーヌのふたりへ焦点を戻し、大きな悲劇へと向けてまっすぐに進んでゆくのだ。
物語の冒頭ではまだ何も社会を知らなかったマルチーヌが、第三部ではすでに22歳になっている。彼女は「パリのもっとも美しい女のひとり」になっている。夫のフィリップもいまや30歳の会社社長であり、社会の成功者だ。しかしふたりの間には亀裂が生じ始めている。
なぜなら、フィリップにも愛人ができていたからである。相手は夫や子供がいる女性であり、つまり不倫関係だった。妻のマルチーヌはそのことに気づいており、《踏み台にはなりたくない》と思っている。
この展開はこれまでのシムノンにはなかったものだ。本書に流れる6年という長い歳月が、これまでシムノンの描かなかった“その先”を宿命的に炙り出す。もちろん、あいかわらずシムノンの文章は簡潔で、乾いている。ことさらに登場人物の内面に入り込んだり情景を事細かに描いたりすることはない。いつものシムノンなのに、第三部まで読み進めると、物語から凄みが痛いほど伝わってくる。そして私は読みながら思った。そうだ、シムノンはいつだって、最後の数章になると飛躍的に面白さを増すという特徴があったではないか。いったい今回はどうなるのか? ここまで長い物語であっても、やはり最後の数章は一気に高みへと上りつめてゆくのだろうか? もう私には最高潮への期待しかなかった。ここまで来たからにさらに読み進めるだけだ。
クライマックスからラストにかけての展開は本当に素晴らしい。
ひねりがあり、畳みかけがある。
そして最終章で描かれる意外性に唸り、感銘を受けた。6年という歳月は確かにドナデュ家の人々を変え、成長させていたのだ。
なんということだろう、ドナデュ一族のすべての人々が愛おしくなる。最後に無垢の未来が起ち現れる。物語はドナデュ家の故郷ラ・ロシェルで幕を閉じる。すでに本連載で記した通り、ラ・ロシェルはシムノンが城を借りて一時期を過ごした場所だ。すなわち本作はまさしくシムノンの物語として円環を閉じる。
ひとつ余談を記しておこう。物語の終盤でリュカという警視が登場する。もちろんシムノン読者にはおなじみの、メグレ警視の腹心の部下であるリュカ巡査部長と同じ名前だが、ここでの役職は「司法警察警視 Commissaire divisionnaire à la Police judiciaire」であり、パラレルワールドのリュカであることがわかる。そして初めて彼は本作で「アンドレ・リュカ André Lucas」とファーストネームを明らかにする。リュカがときに「警視」でもあることは、シムノンのペンネーム時代の作品から読んできた私たちには周知のことだ(たとえば第30回、第32回参照)。
本作ではそもそもの発端となった謎が最後まで解明されない。当主オスカール・ドナデュの死因は何だったのか、なぜ彼は自分の妻に遺産を分与しなかったのか、という冒頭の謎は、長い物語を読み終えても結局解消されない。いかにもシムノンらしいといえるのではないか。シムノンを読み慣れていない人にはこれが非常に不満に感じられるかもしれないが、逆にシムノンの小説とはこういうものだと知っている読者には、かえって「ああ、シムノンを読んだな」という充実感を与えるだろう。
私は、この物語は紛れもなくシムノン第一期の集大成だと思う。ただし、初めてシムノンを読もうとする人には薦めない。本作を読むには私たち読者自身にも作者シムノンと同様の時間の積み重ねが必要だと思うのだ。
それはもちろん、本作が「一見様お断り」の内輪向け小説になっているということではない。だがこの物語が本当に心に沁み入ってくるのを感じるためには、シムノンの他の本をいくつか読んでおいた方がよいと思うのだ。それは第一期メグレでもよいし、『仕立て屋の恋』(第35回)や『倫敦から来た男』(第41回)のような有名作でもよい。ただ私たちのなかでシムノンが生きた時間をいくらかでも体験・共有し、自分の人生の一部にしておいた方がよりよいと思うのだ。
逆にいえば、もしあなたがこれまでシムノンの本を何冊か読んできて、すでにシムノンという作家を好きになっていたとしたら、いつか必ず本書を手に取るはずだと、同じシムノン読者のひとりとして確信する。「こういう小説が読めるなんて、よい人生だな」という深い充足を、きっと共有できることと思う。
いや、ことさら私がこんなふうに書かずとも、シムノン読者のあなたならすでに本書を入手しているか、あるいはすでにお読みになっているかもしれない。
日本では知られていないことだが、本作には続編がある。シムノンが書いた唯一の続編小説であり、タイトルを『Touriste de bananes ou Les dimanches de Tahiti』[バナナの旅行者、またはタヒチの日曜日](1938)という。
本作『ドナデュの遺書』には1ヵ所だけタヒチの地名が登場する(文庫版p.291)。それが続編と関係しているかどうかは、今後読んでみなければわからない。
▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ『日曜日にはバラを』 ポーラ名作劇場 田中利一他演出、近藤正臣、宇津宮雅代出演、1972[日]
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これでシムノン第一期の攻略は完了したことになる。本作『ドナデュの遺書』を書き上げた後の1936年10月、シムノンは再びメグレ警視ものの執筆に取りかかる。今回は長編ではなく、短編だった。シムノンはなんと1ヵ月で9編ものメグレものを一気に書き下ろす。ここから先を本連載ではシムノン第二期と位置づけたい。
すでにシムノンは大衆小説主体のファイヤール社からマルセル・プルーストやアンドレ・ジッドなどを出していたガリマール社へと契約を移し、主流文壇により近い場所で仕事をするようになっていた。金持ちになり、権威筋の批評家から称賛も受けつつあった。もっとも最初のうちシムノンは、ガリマール社の文壇的雰囲気とはなじまなかったようである。
それでも1937年、本書『ドナデュの遺書』がガリマール社から発売されると、「リエージュ出身のフランス語作家」がゴンクール賞の最有力候補になったとの噂がまことしやかに広まり、ついにシムノンも著名な文学賞を受賞するのかと当時の関係者や読者は色めき立ったらしい。実際には同じくリエージュ出身でパリ在住の作家シャルル・プリニエが『偽旅券』(邦訳=板垣書店)という短編集で受賞した(皮肉にも出版元は同じガリマール社だった)。
さすがにこのときはシムノンも自分が受賞すると信じていたらしく、ひどい落ち込みようだったという。この時期、結局シムノンはひとつの文学賞も受賞していない。だが作家としてステータスが上がっていたことは確かだった。メグレ警視ものの『死んだギャレ氏』(第2回)『サン・フォリアン寺院の首吊人』(第3回)を本名名義で書き下ろし同時刊行したのは1931年2月。それから6年で、シムノンはゴンクール賞を囁かれるほどの文壇の星へと出世を遂げたわけである。すでにアンドレ・ジッドからも大きな称賛を受け、ふたりの間では文通も始まっていた。
本書『ドナデュの遺書』が刊行された1937年、シムノンは本書やそれまでの人生についての講演をおこなった。『冒険』と題されたその講演録を、第一期攻略の最後に読むことにしよう。この記録は1945年に当時シムノンが戦争を避けて暮らしていた地方都市の出版社から、(おそらくは)単行本形式の雑誌として刊行された(シムノンの他にもふたりの執筆者による記事が載った)。その後1967年に作家で評論家のジルベール・シゴーがシムノンの全集を編纂した際、『ドナデュの遺書』と同じ巻に再録されて、広くシムノン読者に知られるようになった。
ふだんは250ページの長編小説を12日から15日かけて書く、とシムノンは講演を始める。しかし1936年、自分はポルクロール島で600ページの小説を書こうと思った、と。それが『ドナデュの遺書』である。無線機は革命が大陸で進行していると告げていた[註:同年7月に始まったスペイン内戦のことかもしれない]。
シムノンは「冒険」や「夢」というキーワードを自分なりに定義づけてゆく。シムノンの話は過去へと遡る。ペンネーム時代、自分はパリのヴォージュ広場前のアパルトマンに住み、ラルース百科事典の項目を引いて、行ったこともない異郷の冒険譚を書き飛ばしていた。自分はいわば冒険中毒だったのだ。
百科事典で「ピグミー」や「コンゴ」「アフリカ」の項を引く。すると「アフリカ」の項には「バオバブ」のような当地ならではの植物名や、「ガゼル」「アンテロープ」などの動物名がずらりと並んでいる。自分がいるヴォージュ広場は雨ばかり降っているが、事典のなかには世界が開けているのだ。だから自分はそれらを頼りにたくさんの冒険譚を書いた。
そしてあるときマルセイユで、自分はふらりと帽子屋に入り、植民帽を見つけて被ってみた。鏡のなかの自分を見たとき、今度は百科事典ではなく実際に自分で異郷の地へ冒険の旅に出てみたいと思うようになった。
そうして自分はアフリカへ行き、さらには大型船に乗って世界一周旅行もした。ガラパゴス諸島やタヒチにも行った。
やがて自分は「旅に出たい」と願う人々から相談の手紙も受け取るようになった。「私は技師で、いまの生活を棄てて新しい世界に行って働きたいと思うのだが、どうだろうか?」──そうした手紙に接し、また自分も旅をしてわかったことがある。
客船に乗って世界一周すると、各国の港に着いたときダンスの出迎えがある。その地の伝統のダンスである。なるほど、それは確かに異国情緒たっぷりだ。しかしどこでも似たようなものなのである。
本を読んでいてバオバブと書かれていれば、なるほど異国情緒は掻き立てられるかもしれない。だがそのバオバブを「木」と置き換えたとき、魅力は失われる。旅に出るとはそのようなことがわかってくる。その地に着いたとき見えるものはバオバブではなく木であり、木といえばどこに行こうが同じだ。私たちが実際にそこへ近づくと「冒険」は逃げてゆく、ということなのである。
私たちはどこへ行っても同じような心配をして、同じような時間を過ごす。その地ならではの珍しい出来事だと思っていた話も、実際はそうではないとわかってくる。アフリカで豹が犬を食べた話は、フランス中部のソローニュで狐が雌鶏を食べた話となんら変わりがない。かつての征服者と現代のカメラマンはさほど変わらない。いまは飛行機で行けばどんなところにも同じ格好の人がいる。
確かに、「夢」や「冒険」という言葉は私を駆り立てる。阿片は夢を見させてくれる。だが人は行けるところまで行くと、阿片の夢が途切れると、もはや阿片はいらなくなる。だから長く続く夢こそが最良なのだ。それはあなたが決して辿り着けない夢であり、決して終わらない冒険なのだから……。
夢や冒険でのみ、私たちは生きられるのだ。その場所から離れているからこそ、私たちはそこへ行きたいと思う。夢や冒険は最初のイメージから始まるのである。
さあ、ようやく「冒険とは何か」が明らかになった──とシムノンは講演の終盤で告げる。そしてシムノンは自分の子供時代の思い出を語り始める。子供時代、実家の窓の前で、白髪の石工がいつも煉瓦ひとつの足場から空へと手を伸ばしていた。美しい光景だった。
冒険とは、運命と呼ばれるべきものだ。それは夢よりも明るいものではないし、色彩豊かなものでもなく、うきうきさせるものでもないだろう。なぜなら運命とはすでに過去のものだからだ。台所や街路にあるものだからだ。
運命とはすべて失敗した冒険であり、すべて破れ去った夢である。
だから私たちは冒険にしがみつくのだ。明日の可能性を信じて。
──この独特の諦観を伴った「冒険」感は、これまで『悪い星』(第49回)などにも書かれてきた、シムノンならではの思いであろう。シムノン第一期の終着点が、この講演に凝縮されている。ペンネーム時代からここまではシムノンにとって旅の時代だった。自分の世界を広げてゆく時代だった。初めて自分の船を購入し、まずはフランス国内の運河と川を巡った。さらに大きな船を買って、今度は欧州全体を3年かけて巡り、その途上でメグレというキャラクターを生み出した。アフリカの奥地へと分け入り、地中海の風に吹かれ、ルポライターとして欧州各国へと足を伸ばし、そしてついには155日間世界一周の旅に出て、アメリカ合衆国や南米や太平洋の島々を見た。
そして冒険とは何であるかという少年時代からの問いに答を見出し、シムノンは旅を終え、作家へと還ったのである。
1936年、シムノンはようやく33歳。シムノンの青春時代は終わったのである。まだ妻ティジーとの間に子供は生まれていない。
*
戦前のシムノン第一期におけるメグレ以外の作品の星取り表をつけた。ふだん私は読んだ本を★の数で評価することはしないが、これは「翻訳ミステリー大賞シンジケートブログ」で先行連載されていた霜月蒼氏の『アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕』(クリスティー文庫)の体裁を踏襲したものである。
ただ、ジャンルミステリー寄りの作品群と、より一般的な硬質長編小説(ロマン・デュール)に分類される心理小説、またノンフィクション作品では、それぞれ雰囲気も異なり同一基準で評価しにくい。そこで別々に星取り表をつくった。
10段階評価で、★5つが満点。★3つ半以上は現在も邦訳刊行する価値があると思われ、★4つ以上は海外ミステリーファンに自信を持ってお薦めできる。(第一期メグレシリーズ作品の星取り表は、本連載第19回を参照されたい)
連載回 | タイトル/原著刊行年月日(記事リンク) | 星取り |
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謎解き・探偵もの作品 | ||
#28 | 『13の秘密』1932/10 | ★★ |
#29 | 『十三の謎』1932/9 | ★★★ |
#30 | 『十三人の被告』1932/8 | ★★☆ |
#32 | 『イトヴィル村の狂女』1931 | ★★ |
#32 | 『七分間』1938/3/3 | ★★☆ |
硬質長編小説(ロマン・デュール) | ||
#33 | 『アルザスの宿』1931/10 | ★★★☆ |
#34 | 『北氷洋逃避行』1932/6 | ★★ |
#35 | 『仕立て屋の恋』1933/3 | ★★★★★ |
#36 | 『赤道』1933/4 | ★★★★ |
#37 | 『運河の家』1933/5 | ★★★★★ |
#38 | 『赤いロバ』1933/8 | ★★★ |
#39 | 『向かいの人々』1933/9 | ★★ |
#40 | 『てんかん』1933/10 | ★★★☆ |
#41 | 『倫敦から来た男』1933/12 | ★★☆ |
#42 | 『下宿人』1934 | ★★★ |
#43 | 『情死』1934 | ☆ |
#44 | 『逃亡者』1936 | ★★★☆ |
#45 | 『アヴルノスの顧客たち』1935/8/1 | ★★☆ |
#47 | 『摂氏45度の日陰』1936 | ★★☆ |
#48 | 『ピタール家の人々』1935 | ★★★☆ |
#50 | 『郊外』1937 | ★☆ |
#51 | 『渇いている者たち』1938 | ★ |
#52 | 『黒人街』1935/11/10 | ★★★ |
#53 | 『コンカルノーの女たち』1936 | ★★☆ |
#54 | 『遠洋航海』1936 | ★★ |
#55 | 『殺人者』1937 | ★★★★☆ |
#56 | 『袋小路』1938 | ★★★★ |
#57 | 『眼鏡の白人』1937 | ★★★ |
#58 | 『ドナデュの遺書』1937/4/7 | ★★★★★ |
ルポルタージュ・ノンフィクション作品 | ||
#46 | 『川と運河を巡る長い航程』1996/5(1931/1932/1937/1977) | ★★ |
#46 | 『スクーナー船の地中海、あるいは我らが海』1999/11(1934) | ★★☆ |
#49 | 『悪い星』1938/1967(1935) | ★★★ |
近年、★によって作品を評価することは難しくなってきている。Amazon.co.jpのレビュー欄や発売前にゲラが読めるNetGalley、またウェブ上の読書記録SNSなどでは、一般読者によるレビュー投稿がますます盛んになっているが、一部は純粋な作品評価・インプレッションとしての採点ではなく、「共感しました」「応援しています」「私はあなたの仲間であることを表明します」という“共感度”の指標として利用されており、その傾向はますます強まっているように思われるからである。そのためつるつると読みやすいもの、ぱっと半日くらいで読めて疑問が残らないもの、読後感が割り切れてすっきり「好きだ」といえるもの、自分の既存の価値観と合致するものに★が集まりやすい。
それははたして本当に作品の評価といえるのだろうか、自分の知らない世界へ目を向け、長い時間をかけて熟考し、羽ばたいてゆくことの大切さが、こうした★の採点からこぼれ落ちるようになってしまったのではないか、との危惧を抱くが、時代の流れはもはや止まらないであろう。作家や翻訳者、出版人はそうした時代の流れと格闘し、悩みながら生きている。出版社は自社本のレビューがウェブに出ると「○○さんに本をご紹介いただきました!」とTwitterでお礼を述べ、リツイートするのがもはや慣例、マナーになっている。そうして仲間意識を強調することでコミュニティが形成され、★の評価が高まってゆく。出版社サイドもそうした現実をよく知って努力しているのだ。あるいは、そうして仲間意識をいちいち確認しないと、いまは作家も翻訳者も出版社も寂しいのかもしれない。それは★をつける読者側も同じであり、お互いに星を求め合って依存しているのであろう。
そのような時代に、シムノンは読まれにくくなっている。ますます★の数で評価しにくい作家になってきたといえる。アガサ・クリスティーの作品を★の数で評価するのと同じようには評価できないのである。そのことをどうか心に留めておいていただきたい。
たとえば私は『情死』に1点をつけたが、アンドレ・ジッドはこの作品を高く評価した。私は『ドナデュの遺書』に10点をつけたが、本文でも記した通り、いきなりこの本を手に取っても難しくてつまらない、視点もぶれまくりで「彼」や「彼女」といった代名詞ばかりが乱舞して誰が誰だかわからない、エンターテインメントの基本も押さえられていない愚作だと判断されるかもしれない。ここに掲げた星は単純な「オススメ度」とは違う。一作ずつシムノン作品を執筆順に読んできた上で、私の心に湧き上がってきた評価を示したものなのである。★5つの作品より★4つの作品のほうがむしろ強く心に残っている、ということもある。印象度と作品の完成度を秤にかけて、総合的に星の数にしている。
それでもある程度は読書ガイドとしての役目も果たせているはずだ。
*
第一期のまとめをしよう。いずれもこの連載を始めてようやく気がついたシムノンの読みどころである。
1) シムノンは執筆順に読もう。
私は本連載第0回「はじめに」で、「どこから読み始めてもよいし、どこで終わってもよいのである。そのくらい自由に、ただ生活の楽しみとして読んでみたい」と書いた。しかし読み進めるにつれて、シムノンは執筆順に読むのがいちばんいいと思うようになった。なぜならシムノンは自分の生活や人生を反映させながら小説を書いてきた作家だとわかったからだ。
とくにペンネーム時代から第一期にかけては、多くの旅を体験して、それらを作品に活かしていった時期である。旅行先が広がるごとに筆致もそれに合わせて豊かになった。だから私たちが読者としてその成長過程を存分に楽しむには、やはり執筆順に読むのがよいのである。「もうシムノンは何冊も読んでいるよ」という人でも、そうして読み直すと新しい発見がたくさんあるはずだ。
それでも一作ずつ順番に読んでゆくと、どうしても飽きてしまうこともあるだろう。メグレものだと『サン・フィアクル殺人事件』(第13回)から『紺碧海岸のメグレ』(第17回)までがつまらなくて、マンネリ感が増し、ここで読書意欲が削がれがちになる。シムノン自身も集中力が散漫になっていた時期だと思われる。だから私たちは義務感に縛られることなく、もしここでつまらないと感じたら一気に18作目の『第1号水門』(第18回)まで進んでしまう手もありだと思う。
2) シムノンは旅をするごとに大きくなった。
ペンネーム時代から第一期にかけてのシムノンは、旅の時代であった。彼は自分が実際に見聞きしたことを小説に書くようになった。そのため第一期の作品はとりわけシムノンの旅行体験が反映されており、彼は世界小説作家としての側面が強かったのである。「パリを舞台に同じような小説をいつも書いていた作家」という従来の日本でのイメージとは大きく異なるシムノン像が発見できた。
第一期をさらに細かく分けるなら、
・『紺碧海岸のメグレ』(第17回)まで、すなわち初の異郷冒険であるアフリカ旅行に出かける前までの早熟の作品。
・『仕立て屋の恋』(第35回)や『第1号水門』(第18回)などアフリカ旅行帰国後から、人生最大の旅となった155日間世界一周旅行の体験にひと区切りつける『遠洋航海』(第54回)までの作品。
・「冒険」の運命性と向き合った後、作家として帰還した『殺人者』(第55回)以降の作品。
とすることができるだろう。それぞれの時代で筆致や印象はずいぶん違う。
3)第一期はシムノンの青春文学である。
そうした3つのそれぞれの時期によさがある。だが一貫していえるのは、この第一期までがシムノンの青春時代だったということだと思う。
これまで日本では、シムノンは大人の文学であるというイメージが広まっていた。誰がいい出したのかわからないが「30歳を過ぎたらシムノンだ!」というキャッチフレーズは何度も見たことがあるし、たとえば小山正氏のようにメグレものを池波正太郎の『鬼平犯科帳』と類似させることで読みどころをアピールする指摘もあった(https://honyakumystery.jp/1488929952)。「シムノンといえば、ある日、池波正太郎『鬼平犯科帳』じゃないかと思ったら、すっと読めるようになったんです。時代小説好きな人は、意外とメグレにフィットすると思いますよ」──はたして『鬼平犯科帳』とシムノンのメグレシリーズが本当に似ているのかどうかは、私にとっても今後の楽しみな課題として取っておきたい。捕物帖を愛読するのは人生の渋みを知っている熟年、壮年の大衆だというイメージがある(私はアニメ版『鬼平』は観たが、血がどばどばと飛び散り雪や川や花吹雪などの自然表現があまりにも記号的で相当に違和感があった。これは原作の雰囲気をちゃんと伝えているアダプトなのだろうか?)。同じようにメグレは成熟した大人がゆったりとした時間のなかで嗜むものだというイメージが日本では受け入れられている。
しかしシムノンが『怪盗レトン』(第1回)を書いたのは1930年、すなわち27歳のときだ。メグレものの刊行が始まったのは1931年2月、すなわちあと1ヵ月で28歳というときだ。『男の首』(第9回)や『黄色い犬』(第5回)はそうした時期に書かれており、つまりシムノン20代後半の作品なのである。
だから『男の首』を読んでもしあなたが「シムノンは大人の文学である」と感じたのならば、それは先入観や既存のイメージに囚われた結果ではないだろうか。まずそのことを振り返ってみてほしい。何か幻想を見てしまっているのかもしれないからだ。むしろ『男の首』『黄色い犬』ならばそこに込められた“若さ”を読み取ってほしい。背伸びをして精いっぱい成熟して見せようともがいている20代の若者が書いた青春文学なのだと思って読んでみてほしい。これもいままで日本で指摘されなかった新しいシムノン像である。
それでもあなたがこの時代のシムノンに「大人の文学」を感じるのならば、それはこれまで何度か本連載で書いてきたように、シムノンの“共感性”の書き方が独特であるためなのだと私は思う。わたしたち人間は子供時代から次第に成長して社会と接することによってエンパシーの能力を身につけてゆく。シンパシーだけでなくエンパシーでもって他者とコミュニケートできるようになる。シムノンの小説を読むにはシンパシーだけでなくエンパシーが必要なのだ。そのために私たちはシムノンの小説を「大人の文学」だと感じるのではないだろうか。「30歳を過ぎたらシムノンだ!」というキャッチフレーズは、私たちの多くが30歳くらいにならないとエンパシーでもって小説を読めない現実を、裏返しに表現したものではないだろうか。
だから私はむしろ若い時期にシムノンの第一期作品に接するべきだと思う。そしてシムノンといっしょに大人になってゆくのがよいと思う。
だが年齢上は大人になった読者も、いま第一期のシムノンを順に読み直すことで、もう一度大人になることができる。精神が澄んでゆくような感じになる。
私はこの連載を2014年末から始めた。当時私はSFおたくコミュニティの狭い世界のなかで激しく疲弊し、精神が硬直し、作家として、またひとりの人間としてこれ以上進めないと感じて、何もできない状態にあった。そんななかで唯一手に取って読めたのがシムノンの小説だった。
シムノンならあなたがどんなにぼろぼろになっていても読める。シムノンの文体と呼吸を合わせれば、あなたはどんなに疲弊していようと物語の呼吸を取り戻せる。そのことは他ならぬ私が保証しよう。もう一度物語が好きになれる。
いまでもSFおたくコミュニティはあのころと変わらないだろう。だがあなたは変わることができる。これまで支えてくださった方々に心から感謝したい。
シムノンを読み終えるまで、あと15年はかかるだろう。私は少なくともあと15年、小説を好きでいられるのだ。これ以上に幸せなことがあるだろうか。
次回は番外編「シムノンと旅する」をお届けする。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。 『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。 ■最新刊!■ ■解説:瀬名秀明氏!■ |
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