・Le petit docteur, Gallimard, 1943/1/31(1938/5執筆)[原題:ちび医者] ・『死体が空から降ってくる チビ医者の犯罪診療簿1』原千代海訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ414、1958*[1-6] ※背表紙の表記は「ジョルジェ・シムノン」 ・『上靴にほれた男 チビ医者の犯罪診療簿2』原千代海訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ438、1958*[7-13] ▼収録作 邦題はハヤカワ・ポケット・ミステリ版より |
今回と次回の2回にわたって取り上げる『チビ医者の犯罪診療簿』(1943)は、シムノンのファンに留まらず誰もが楽しく気軽に読める連作推理読みものだ。日本では『死体が空から降ってくる』『上靴にほれた男』の2分冊で刊行された。裏表紙の紹介文や都筑道夫の巻末解説文には全12篇と書かれているので一瞬混乱してしまうが、実際は13篇からなり、『死体が空から降ってくる』に前半6篇、『上靴にほれた男』に後半7篇が収められているので、ちゃんと原著収載の順番通り全篇訳出されている。
難しい解説などいらないのでさっそく読み始めよう。各篇は原稿用紙にして100枚ほどの中篇であり、読み応えも充分だ。今回は前半の6篇を紹介する。
■ 1. 「チビ医者の嗅覚」1939■
フランス西部の田舎町マルシリーで診療所を構えるジャン・ドーラン30歳は、小柄のため近隣の人たちから「チビ医者」と呼ばれている。この土地に開業してまだ2年。気さくで親切で評判もよいが、浮いた話はひとつもない。年輩のお手伝い女性アンナは医療助手だけでなく食事など身の回りの世話もしてくれる。ドーランは今日も5馬力の小型自動車(フェルブランティーヌFerblantineと愛称をつけている=ブリキやトタン仕立てのポンコツ車といったような意味か)を駆って往診に出かけてゆく。
最初の事件はこんなふうに始まった。冬の終わりの季節。ドーランが往診から戻ってくるなり一本の電話があった。切羽詰まった若い婦人の声で、すぐに来てほしいのだという。どうやら相手先はメゾン゠バッスMaison-Basseという辺鄙な沼地の奥で、借家が一軒あるだけだ。なんでも半年前にドルーアンとかいう芸術家が借りて、以来ときおり男女の姿があるのだとか。ドーランも一度その女性に会ったことがある。
訝りながらドーランは現地へ行ってみたものの、屋内には人気がない。庭に猫が一匹いるだけだ。なぜ呼び出しておきながら留守なのか。だが周囲を見回った後、ドーランはある予感を得て土を掘った。すると死体が出てきたのだ! なぜ電話の女は誰もいない家屋へドーランを呼び寄せたのか? そしてなぜ「この時間」でなくてはならなかったのか?
読み始めてすぐに「おおっ」と思ったのは、物語の舞台が前回読んだ『波濤』(第89回)と同じ、海岸にほど近いマルシリーの町だったことだ。いつだってシムノンが肩の力を抜いて書いた中篇のジャンルミステリーは足取り軽やかで読んでいて気持ちがいい。そのため同じ場所が舞台でありながら、本作ではまったく異なる穏やかで開放的な景色が物語から起ち上がる。『波濤』のマルシリーは湿り切って陰鬱だが、本作のマルシリーはまさにコージー・ミステリの舞台にうってつけで、すぐに私たちは作品のなかに飛び込んで行けるのである。
主人公のチビ医者ジャン・ドーランは若きシムノン自身だといえよう。シムノンも10代のときには医学を学んだのだから医者になる別の未来もあったはずだし、そしてこのドーランという人物は田舎町に引っ込みながらも好奇心旺盛で、広い世界への憧れを持っている。実際、読み始めるまで私はこの連作が小さな田舎町だけで閉じた世界なのかと思っていたが、話数が進むに連れて彼はパリへ、あるいは南仏へと飛び出し、謎解きの冒険を次々と体験してゆく。かつてシムノンが描いたヒーロー、G.7(ジェ・セット)に近いところがある。彼はこの第1話で初めて殺人事件と向き合ったわけだが、すぐさま素人探偵として天賦の才を発揮してゆく。そして話数を重ねるにつれて彼の名探偵ぶりはマルシリーの小さな町を越えてフランス国内で評判を呼び、ついには遠方から探偵として彼を招く者まで現れるようになってゆく。こうした成長過程がG.7のかつての連作中篇集『七分間』(第32回)と似ていて、メグレものでは味わうことのできないフレッシュな読み心地を楽しむことができるのだ。
興味深いのはこの「第1の事件」に遭遇したドーランが、会ったことないはずのメグレ警視の捜査法を取り入れようとすることだ。すなわち被害者や犯人の立場になってみる、というエンパシー能力の発揮を目指すのである。ドーランは隣町エスナンドの町長maireに報告し、事情を説明することで、地元の憲兵gendermerieや特別機動隊brigade spéciale、警視commissaireや検事substitutといった人々と出会い、図らずも事件捜査に関わってゆくことになるのだが、なぜそもそもドルーアンは彼を呼び出しておきながら自分は乗合バスで別の場所へ向かったのか、女とドルーアンはどのような関係なのか、という謎から始まって、実はパリからやって来ていたらしい別の男が事件に絡んでいるとわかり、もつれた糸がすっと解されるさまは、このところシムノンのロマン・デュール作品で久しくお目にかかれなかった爽快感があって嬉しくなる。チビ医者ジャン・ドーランの初々しさがとても好ましい第1作。
■2. 「薄水色の服の令嬢」1939■
ドーランが初手柄を立ててひと月後、ただし季節は暑苦しい夏の出来事。彼は隣町ロワイヤンに赴き、たまたまそのカジノで奇妙な掏摸の現場に出くわした。薄水色の服を来た少女が、老女の財布を盗み取ろうとしたのだ。しかしその手つきはあまりにつたなく、老女にすぐに見つかってしまう。その場でドーランは機転を利かせて少女をかばってやったが、騒ぎが収まると彼女はすでに姿を消していた。
しかし意外なことにその少女は、ドーランが向かったホテルにいたのである。少女の名はリーナ・グレゴワール、そして掏られた老女ミス・エステルは、彼女の家庭教師か何からしい。裕福な家庭なのか、パリからやって来てもうひと月も泊まっているという。一方、そのホテルには競艇の選手ベルナール・ヴィルタンも泊まっており、レースで勝利を続けていた。
翌朝、部屋を出てホテルの階下へ行くと、医学部同窓生の姿があった。事件があって呼ばれたという。なんと昨夜、ホテルのバーで酔っ払ったヴィルタンが、何を思ったのかバルコニー伝いにどこかへ行こうとして4階から転落し瀕死の重症を負ったというのだ。前夜、ドーランの部屋に奇妙な脅しの手紙があったのだが、彼が窓越しにやって来て密かに置いたのだろうか。しかしヴィルタンは靴も靴下も履かず裸足だったという。ドーランが少女リーナに横恋慕したと勘違いしたヴィルタンが、酔った勢いで脅しをかけようとして、途中で足を滑らせたとでもいうのか。それにしても気になるのは、少女リーナがあまりに完璧すぎる美女だということだ。
ドーランは心のなかで思う、〈例によって、その人間になりすますのだ〉……! 被害者になり切って心理を見通せ! バーのボーイを捕まえて質問を繰り出し、チビ医者ドーランのメグレ式捜査法が始まる。
競艇の優勝選手が夜中に酔って裸足でバルコニーから転落している……そのさまを思い浮かべると不謹慎ながら滑稽だが、何より冒頭のカジノで少女がまるでドーランに見つけてもらおうとするかのように掏摸を働くふしぎなシーンが鮮烈で惹きつけられる。シムノンの書く中短篇ミステリーは、このように冒頭の謎がしばしば非常に鮮やかで、1枚の絵や写真のように絵的に優れていることが特徴として挙げられる。マッチの燃えさしを次々と投げ棄ててゆく男(第24回「マッチの男」)などその最たるものだ。その点、島田荘司の書くミステリーと相通じるものがある。
アガサ・クリスティーのミステリーは意外と1枚のスナップショットで物語の謎を象徴的に示すことが難しく、たとえば『ナイルに死す』にしても、霜月蒼氏が『アガサ・クリスティー完全攻略』で指摘した通り、トリックはああしてこうしてと縷々説明しなければならない。一方で「○○が犯人」と、ストーリーや人間関係をすべてすっ飛ばして、まるで算数の公式のようにひと言で全体を表現できるケースも少なくない。絵でなく公式で謎の形式を表現するのがクリスティーだとすると、シムノンはヴィジュアルで謎を表現するタイプの作家だといえようか。
島田荘司のよきミステリー作品はトリック自体も1枚のスナップショットのように鮮やかに思い出せるものだが、シムノンの謎解きは心の“状態”に絡むものが多いので、多くの場合それほど鮮烈にはなり得ない。しかし本連作のように肩の力がうまく抜けたミステリーになると、しばしばシムノンは絵として印象深いトリックを提示してくる。この第2作もそうで、よくよく考えるとその絵はかなり滑稽なのだが、その人工的な感じがシムノンの筆で書かれることによって、かえって妙味を生み出している。さてわれらが主人公のチビ医者ドーランも、謎解きの面白さに目覚めてきたようだ。
■3. 「女が叫んだ」1939■
田舎町の医者の役目は、まず出産に立ち会うことだ。なにしろ先月の10月だけでもドーランは23人のお産を診てきたのだ。そんな多忙の日々だったが、ある日お手伝いのアンナが配達されたばかりの新聞を手に取って目を剥いたので、ドーランはもう謎解きの才能を発揮したくてうずうずし始めた。マルシリーから200キロ離れたヌヴェールの町で大男が殺されたという。ドーランは愛車を駆って現地へ飛んだ。
事の次第はこうだ。1か月前、ヌヴェール近くの小村エコワンでガレージとガソリンスタンドを経営しているジェローム・エスパルドンは、一台の車が夜中の11時に車で乗りつけて給油したのを憶えていた。運転者以外に後部座席に男女ふたりの姿も見えた。しかし車がパリ方向へ走り去る直前、彼は後部座席の女が窓から手を出し「助けて!」と叫ぶのを聞いたのである。ジェロームは車のナンバーも憶えていたので、後日その車はあまり世評のよくないヌヴェールの弁護士ユンベールのものだとわかり、確かにその日、弁護士が知人宅へ行ってブリッジをしたこともわかったのだが、肝心の叫んだ女が誰なのかわからない。弁護士夫妻がブリッジに興じている間、何者かが車を盗んでガソリンを入れ、パリ方面へと走り、午前1時までにまたもとの場所へ戻したことになる。
今回沼地で見つかった死体は、5、6年前ヌヴェールに越してきたイジドール・ボルシェンという巨漢の男だった。死体のすぐ側に拳銃が落ちている。馴染みになった警視らと挨拶を交わしてドーランは遺体を検分するが、被害者の妻がまだ30歳ほどの若さで、しかもほっそりとした美女であることに驚いた。そして夫人は取り乱していた。夫は仕事でモントーバンに赴いているはずだという。そばに落ちていたピストルは義兄のものだと夫人は主張するのだが……。
ドーランが夫人を邸宅まで送って、召使いも含めて事情を聞いている間、事件現場では残った憲兵が偶然にも2つ目の死体を発見していた。イジドール・ボルシェンが死んでいた場所のすぐ近くだが、こちらは念入りに埋められた形跡がある。連絡を受けたドーランは邸宅に来る途中でガソリンスタンドの前を通ったことを思い出して閃いた。ジェローム・エスパルドンは、車にいたのは男2人に女ひとりだったといっていたではないか。そのうちのひとりはきっとボルシェンだ。ならば第2の死体は車に乗っていた2人目の男に違いない! では叫んだ女とは……?
この第3作で、ついにチビ医者ドーランの活躍は新聞の大見出しに載るようになる。全体の謎かけがシムノンらしいもつれ方で読者に示されているのがわかるだろう。車内から「助けて!」と叫んだ女の行方はどこか、とまず読者に問いかけてから、まったく無関係そうな大男の殺人現場が現れる。そして第3章の始まりに置かれた口上はこうだ。
バラ色の手紙とミドリ色の手紙がそれぞれ任務を果すこと。ならびに、チビ医者、そこから結論を引き出すも、警部[警視]がすさまじい目つきで彼をにらむこと。(原千代海訳)
「えっ、手紙って?」と、ここで読者にさらなる意外性を抱かせる。邸宅に郵便物が届いたら最初にそれを確認するのは誰か。給仕頭である。聞くとボルシェン家の給仕頭は、あるとき緑色の封筒に1スウ切手が何枚もべたべたと貼られてある手紙が届いて驚いたことを記憶していた。これで確信を持ったドーランは、密かにある実験を遂行する。
たくさんの“シムノンらしい”モチーフが組み合わされている。ガソリンスタンドといえば『メグレと深夜の十字路』(第6回)であるし、切手への執着もこれまでの作品に出てきた。しかもこうしたそれぞれのモチーフの組み合わせ方が、やはり“シムノンらしい”ひねりを伴っているのである。チビ医者ドーランも素人探偵として貫禄がついてきた!
ところでこのころ「1スウ切手」というのは本当に使われていたのだろうか? いつもスウとサンチーム(小銭の単位)の関係がよくわからないのがシムノン小説の特徴でもある。いつかフランス文化の専門家にちゃんとうかがいたいと思っているのだが……。
■4. 「マルブ氏の幽霊」1940■
11月。チビ医者ドーランの名声は広まり、ヌヴェールで事件を解決したと聞き及んだ元植民地行政官エヴァリスト・マルブなる人物から調査依頼の手紙が舞い込んだ。紺碧海岸の町ゴルフ・ジュアンに住む彼は、近ごろ屋敷内で起こる奇妙な出来事に悩まされているという。今回は5千フラン小切手の報酬つきである!
引退した老マルブ氏の邸宅には、仕事先で得た南アフリカやタヒチなどのエキゾチックな民芸品が多数飾られていた。彼は妹のエロイーズと暮らしているのだが、3か月前から決まって週2回(水曜と土曜)、深夜に家の中で奇妙な足音がするようになったという。しかし盗まれたものは何もない。老マルブ氏はタヒチで現地民から聞いた「お前、いまに、トゥ・パパウゥ(魔人)が復讐しに来るぞ」という言葉を思い出して怖れているのである。だが一方で、同居する妹エロイーズは、変わり者の兄の頭がおかしくなっただけだと思っているようだ。ドーランは訝った。マルブ氏は本当は足音の主を知っているのではないか? その主はこの邸宅で何かを探していて、だがいまだに見つけていないのだ。マルブ氏はそのことを承知しながら、なぜわざわざドーランに調査依頼をしてきたのだろう?
事件そのものはたわいもないが、それより今回は「なぜドーランが探偵役に指名されたのか」が裏に隠された真の謎となっている。シムノンはときおり、こうした「なぜその人物が名探偵でなければならないのか」というメタ視点のミステリーを書くことがあって、まさに成長期の素人探偵が直面するに相応しい謎であり、かつてはG.7も『七分間』(第32回)でこの事態に直面した。探偵のアイデンティティ問題を衝くのはエラリー・クイーンだけの専売特許ではないのだ。
メグレものでこの手は使えない。だからG.7やチビ医者ドーランのような「成長してゆく探偵」物語でこそインパクトを持って用いられる。シムノンがこのような「あやつり」型のミステリーを自覚的に書いていたことはもっと注目されていいと思う。すなわちそれは取りも直さずシムノンが、連作ミステリーの形式でこそ若者の成長過程を描けることに自覚的であった証拠だからである。
そうした真の謎を抱えた中篇のなかに、南アフリカやタヒチといった、かつてシムノンが旅し、愛した異郷のアイテムが鏤められているのは、決して偶然ではないのだろう。
■5. 「十二月一日の夫婦」1940■
もうすぐクリスマスという寒い雨の日、ドーランは駅で医者仲間のフィリップ・ルールティを出迎えた。彼はドーランの2歳年下で、ブーローニュ゠シュル゠メールで早くも医者として成功している。しかも三週間前の12月1日には、以前から愛していた年下のマドレーヌという娘と結婚し、新婚旅行から帰ってきたばかりで、いま幸せの絶頂にあるはずだ。ところが列車から降りてきた彼の表情は冴えない。カフェで話を聞くと、婚約後からタイプライターで打たれた謎の脅迫状が何通も届くようになったのだという。貴殿の結婚相手は貴殿の考えているような女ではない、疑うのなら波止場近くの《銀の樽》というバーへ行ってみろ、彼女の姿があるはずだというのだ。しかも手紙にはバーで隠し撮りされたと思われるマドレーヌの写真も同封されていた。《銀の樽》は密輸業者などいかがわしい連中の集まる店で、そんな場所に彼女が出入りしているとは思えなかったが、いろいろ調べてみると、どうやら彼女が嘘をついてときおり行方を眩ましていることは事実らしい。
彼女は何かの事件に巻き込まれているのか、あるいはミステリー小説によくあるような二重人格者なのか? ドーランはフィリップに同行して彼の暮らす屋敷へ赴き、事の真相を探ることになった。夕食の場には一族が集まっていたが、妻マドレーヌの父は裕福な医者で、さらにフィリップの前任者として働いていた隠居男ももちろん医者だ。もうひとり別の医学研究者も……。医者が多すぎる! みんな気取って伊勢えびなんぞ食べているが、誰もが嘘をついているようだ! ドーランはひとりナイトクラブへ出向いて聞き込みをして回るが、屋敷へ戻ったところマドレーヌに呼び止められた。彼女はずっとドーランの動向を見張っていたのだろうか? その口ぶりでドーランは気づいた。この若妻は麻薬を使っている……。
上流階級の屋敷に探偵役が入り込み、彼らの虚飾が露わになってゆく──やはりシムノンがしばしば描き出すシチュエーションだ。しかし本作は『配達されない三通の手紙』とは違って、独特の面白い展開を見せる。実は妻のマドレーヌもまた、夫フィリップの裏の顔を仄めかす脅迫状を何者かから受け取っていた、とわかってくるのだ。シムノンは“自称”上流階級のホモソーシャルな閉鎖性に対してつねに嫌悪感を抱いているが、またそうしたサークルのなかに取り込まれてしまった人のなかにはサークルのいわば圏力に抗おうとして果たせず、哀れな末期を遂げてゆく人もいるのだという事実もちゃんと知っている。あるいはサークルを飛び出して自由を勝ち得た勇気ある者に対して、彼らの一部は心の底で実は羨み、そしてときにはそれが高じて恨みや憎しみとなってしまうことも。ましてやその相手が自分の愛するかけがえのない者だったら──? 本作のラスト一文にはそうした切なさが込められている。終章で記される通り、本作は生真面目な喜劇であって、こんな物語がごく自然に連作のなかに放り込まれていることが、実は密かに重要なのだと思う。
■6.「死体が空から降ってくる」1940■
4月。ドーランの診療所に、身なりのよい20代前半の令嬢がやって来た。マルシリーから40キロのところにあるディオンという町で1週間前に見つかったふしぎな死体について調べてほしいという。
発見者はコニィオという男で、その朝いつものように野菜畑へ出ていった。3方は白壁が巡っていて、残りの1方は大きな“
ドーランに調査を依頼してきたのは館主ロベールの姪マルチーヌだった。館にはこのほかマルチーヌの父で、植民地で一旗揚げようとしたが人生に敗北して戻ってきたマルセルがおり、あとは少し多すぎるほどの使用人だけだ。ドーランは現地へ赴いて聞き取り調査を始める。マルチーヌの伯父ロベールは朝から乗馬を嗜むような財産家である。幸福に包まれているかのように見える館も、本当は何かの闇を抱えているのだろうか?
印象的なタイトルだ。これだけで褒めてしまいたくなるし、これまでの流れからいって「これこそ1枚のスナップショットで謎を提示するシムノンの真骨頂!」と宣伝キャッチフレーズめいた一文でも書きたくなるが、正直にいうと本作はそれほど冒頭の謎が鮮烈に迫ってこない。たぶん「本当に空から死体が降ってきたかのように見える」感じがいささか足りないからだろう。しかしそれを埋め合わせるように、中盤で意外な小道具が魅力を発揮する。ドーランがその村の郵便夫と仲よくなり、彼が外国の切手を集め始めていること、それは館主であるロベール・ヴォクラン・ラド氏の蒐集趣味に感化されたからだと聞き及び、この事件が植民地での過去の出来事と何か関係があるとわかってきて視界が広がる。ダカール(セネガルの首都)やコナクリ(ギニアの首都)といった名前が出てきて一気に異国情緒が物語に立ち籠め始める。こんな小村で外国切手の蒐集趣味が芽生えるということは、館主ロベールが頻繁に海外と連絡しているということだ。まさに調べてみるとロベールは何度もアフリカへ電報為替を送っている。ではそれはいったい何のためか? と、このように謎が転がってゆく。そこへきてかつてマルチーヌの父が植民地へ大志を抱いて出て行きながら、結局は夢破れて現地で酒に溺れ、監獄か精神病院に入るしかない状況に追い込まれて伯父に助けられたという過去のエピソードが効いてくる。このサイドエピソードが別途膨らむようにして、物語は最終的に事件の解決へと至るのである。このひねりぶりが実にシムノンらしい。
死体の謎そのものはたわいもないものだが、裏で進む「異郷への憧れ」と「夢破れた者の末路」の物語が作品を支えている。そうした厳しい現実を、「死体が空から降ってくる」というおとぎ話のようなタイトルでまとめ上げるシムノンの作家的センスは、やはりさすがだと素直に称賛したくなる。
書誌を見るとシムノンは本連作の全13作品を、1938年5月のたった1か月間ですべて書き上げたらしい。どれもメグレものの中篇に相当する長さで、さすがに今回はシムノンの速筆ぶりに舌を巻く。しかもふだんならおおむね1章分が1日の執筆量だなと見当がつくのに、この連作に限ってはどういうペース配分で書かれたのか想像がつきにくい。というのも、次第に読んでゆくとわかるのだが、各章の長さが同じではないのだ。それでいて全体を俯瞰すると、各章の分量配分に明らかな特徴が見られるのである。
まず事件発生篇である第1章がいくらか長く、その後に2章、3章と続いた後、事件解決となる第4章ないし第5章が比較的短めに書き上げられて全体をぴしりと引き締める。こうしたスタイルが最初の2、3話で急速に確立されてゆき、それが本作『チビ医者』全体の呼吸となる。しかも各章の冒頭にはちょっとした口上が添えられて、これもメグレものとは違ったいい味を出している。そうした全体の構成がみるみるうちに出来上がってゆくさまもまた本作の読みどころのひとつだ。主人公のチビ医者ドーランと同時に物語のスタイルそのものもまた成長しおのれのアイデンティティを見出してゆくのである。
枚数が充分にあるため、謎のひねり方が複合的であるのもよい点だ。適切な表現かどうかわからないが私の感覚だとこのチビ医者シリーズは毎回「1回転半」くらいのひねりがある。充分な枚数があるからこそ、パズル小説をもう半回転ひねる余裕があるのだ。その余裕はシムノン第二期特有の“軽み”でもあって、しかつめらしい
本連作が《ポリス・ロマン》誌に発表された翌1939年は、メグレものの短篇「街を行く男」「愚かな取引」(第63回)が書かれた年でもある。この時期シムノンはミステリーという“古い友人”を再び発見したのだといえるだろう。このことは実は本連作の後半で嬉しいサプライズプレゼントのかたちを伴って私たちの前に現れてくるのだが、その種明かしはもう少し引き延ばそう。
後半の7篇は次回に取り上げる。ドイツで制作されたTVドラマ版にも言及しよう。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
---|
1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。 ■最新刊!■ |
■最新刊!■
■瀬名秀明氏推薦!■