中国のその一年の短編ミステリー小説をまとめた『中国懸疑小説精選』の2022年版が出ました。
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このシリーズ、編集者の華斯比が前年に中国の雑誌等で発表された短編作品を選りすぐって収録したもので、新人作家の発掘にも役立つので重宝しています。ただ昨年、サスペンス業界で有名な作家の蔡駿も『2022年中国年度懸疑小説』という短編集を出すという話を聞き、なんでこんな狭い業界でバッティングさせるんだ? と思いました。まだ具体的な話が出ていなくて、どんな作品が収録されるのかもわかりませんが、多分謎解きよりもストーリー性を重視した選考基準なんだろうなぁ予想しています。
さて今回は華斯比の『2022年中国懸疑小説精選』の収録作を紹介します。( )内の日本語タイトルは全て仮訳です。
1)「時空画師」(時空の絵師)・海漄
国宝級の文化財が揃い、万全の警備体制を誇る深夜の故宮で警備員から幽霊を見たという通報があった。荒唐無稽な話だが、場所が場所だけに無視するわけにもいかず、刑事の周寧は話を聞きに行く。すると警備員だけではなく、文化財修復技術者からも、絵の中から小人が出てきて消えたという不思議な話を聞く。彼ら2人がした奇妙な体験にはいくつかの共通点があり、周寧が故宮で状況を再現してみると、彼の前にも怪しい影が現れた。そして彼は上司の忠告を聞かず、ますます捜査にのめり込むようになる。
あの警備が厳重な故宮で幽霊騒ぎなんて、いったいどんなトリックを使ったんだ? とドキドキさせられたのですが……敢えてネタバレしますが、実はコレ(▼ここからは文字色を反転させてあります)トリックでも何でもなく本当の超常現象でした。初っ端にSFミステリーどころかファンタジーを持ってこられて(▲)ただただ困惑。ただ、時空を超えて過去の絵師に会いに行くという話自体は悪くなかったです。
2)「江雪」・扶鳥
編集者の柳宗元は、老刑事の魂を宿す子ども探偵が活躍する「名探偵寒江雪」シリーズの作者・簑笠翁から突如連絡を受け、人里離れた雪の中の別荘に招かれる。覆面作家の簑笠翁は売れっ子だがこれまで公の場に一切姿を現したことがなく、業界でもその正体を知る者はほぼいなかった。簑笠翁の遠い親戚で小説家の万径の案内のもと別荘に到着すると、そこにはまた簑笠翁の遠い親戚で氏の身の回りの世話をしている中年夫婦がいた。そしていよいよ会った簑笠翁は、その名の通り蓑と笠をかぶった、早老症の若者だった。だが彼は柳宗元に頼んでいた調べ物の結果を聞いた翌日、何者かに絞殺されてしまう。部屋の無線ルーター等は破壊され、外は豪雪、明らかに内部犯の仕業で、犯人は自然と絞られる。しかし柳宗元と万径は、簑笠翁の「名探偵寒江雪」シリーズの内容から、実は別荘には他にも人間がいるのではないかと推理する。
作品で紹介される「名探偵寒江雪」シリーズは、「寒」という名の老刑事が記憶そのままに子どもの「江雪」の体に転生するという内容で、その設定から「日本死神小学生」に似ていると揶揄されます。これは言うまでもありませんが、『名探偵コナン』のことです。こういった悪ふざけみたいなことを書きながら、雪で徐々に体が凍えて追い詰められる緊張感と「雪山の別荘」の閉塞感を再現していて引き込まれました。収録作の中で一番のお気に入りです。
3)「百万赢家」(クイズ・ミリオネア)・青稞
最高賞金100万元(約2億円)を手にできるクイズ番組への出演がなぜか決まった孫簡は、司会者から出される簡単な四択問題を次々に正解していく。出題内容が被害妄想、ギャンブル、防犯カメラ、生命保険等々、自分のプライベートや秘密に関係するものばかりなので、彼は違和感を覚えつつも偶然のラッキーだろうと思い込む。だが「血の汚れは何で落とせばいい?」という問題が出た瞬間、孫簡は自分が誰かにハメられてこの番組に引っ張り出されたのだと悟る。
孫簡、司会者、刑事のパートが時系列で進む作品。実は司会者も番組を進行するためだけにいるのではなく、孫簡と深い関わりがあることが後々明らかになりますので、この番組が悪いことをした奴をドッキリにかけるためだけに用意されたものではないと分かります。実際、自分しか知らない秘密をクイズとして出されたら怖いなんてもんじゃないでしょうね。
4)「牛頓與希波克拉底」(ニュートンとヒポクラテス)・弧杳
早朝、ラッシュ時の地下鉄のエスカレーターで男が首から血を流して倒れていた。当時現場にはたくさんの人がいたとはいえ、彼が刺された瞬間を誰も目撃していないこと、彼がメスを持っていたことなどから、自殺説が浮上する。またその男には、メンテナンス不備が原因で地下鉄のエスカレーターの死亡事故を起こして逮捕されていた過去があり、その意趣返しか何かでこの場所で自殺したのではないかと警察は考えた。だがその場に居合わせた高校生の項啓源は、男の所持品に乗客なら持っているはずのICカードがなく、逆にメスがあることを怪しみ(中国の地下鉄には手荷物検査のゲートがあるので、刃物などは持ち込めない)、正規の方法ではなく別の手段を使って駅に入ったのではないかと疑う。地下鉄という大きな密室に現れた死体はいったいどこから来たのだろうか?
犯罪現場に偶然に合わせた高校生探偵がアリバイと密室トリックを解き明かすという、かなり正統派なミステリーだなと感じました。ただタイトルがいまいち分かりづらかったなと。
5)「婉秋的故事」(婉秋の物語)・許言
小説家の「私」は、書店で知り合った婉秋という女性から、人を殺したかもしれないという奇妙な告白を聞く。彼女の実家は海辺にあり、沖には霧女石という岩があるのだが、願掛けをしながら岸から霧女石まで泳いでまた岸に戻れば願いが叶うという言い伝えがあった。そして婉秋は憎い父親の死を霧女石に願い、実際に叶った過去があった。婉秋はさらに、言い伝えには続きがあり、願いが叶った後も再び霧女石まで泳がないといけないと言い、最近それをしたところ溺れて死にかけたと話す。「呪いは本当にあるのかも」と言って去った婉秋の話の何かが腑に落ちなかった私は、彼女の故郷にまで行ってみることにした。
言い伝えと時間経過による地形の変化を上手に利用したトリックで、安定した面白さがありました。読む人が読めば、都会に出た女と田舎に残った女のすれ違った友情が生んだ百合ミスと言えなくもない内容でした。
6)「你好,紙片人」(よお、折り紙人間)・銭一羽
近未来、「折り紙人間病」が突如としてまん延し、医学や物理学の常識が一夜にして引っくり返った。この病気にかかった人間は、体の一部が紙のようにペラペラになってしまうのだが、それが腕であろうが頭部であろうが本来の機能は失われることがない。つまり頭部が紙になっても死ぬことはないし、食事はできないにせよ喋れるし考えられる。この奇病を研究する科学者の林望舒は、とある研究結果を引っさげて定例の私的な学術界に参加すると、他のメンバーも腕やら頭やらが折り紙化していて驚く。だが会場で密室事件が発生。ペラペラの腕ならドアの隙間から中に侵入し鍵を開けられるだろうという推理が聞こえるが、果たしてその真相は……
奇病が発生した原因と治療方法を究明する作品ではなく、もし人間がこんな風になったらどんなトリックが可能だろうかという無邪気な内容。でも単なる思考実験で終わらず、各人の本性が明らかになる山場やダイナミックなどんでん返しも用意されています。
7)「驚艶一槍」(驚愕の一突き)・何慕
アマチュア劇団の舞台中、野球帽をかぶりマスクをつけて長槍を持った人物が乱入し、主役を刺し殺すと、大勢が混乱しているうちに舞台裏へ逃走した。舞台裏は窓以外の通り道がなく、窓から誰かが出た形跡もない。それどころか凶器の長槍もどこにも見つからない。探偵の林萌は、犯人は窓から逃げなかったのではなく何らかの理由で逃げられなかったのではないかと推理し、とりあえず団員から殺された主役の話を聞くと、女癖が悪いだけじゃなく運営資金を横領していたクズだということが分かる。ということは犯人は彼に恨みを持っていた団員の誰かなのだろうか。
主役がみんなから恨みを買っていたクズっていう設定は果たして必要だったのかなと思いながら読み終わった。作者こそアマチュア劇団に恨みでも持っていたんでしょうか。
8)「西瓜狂想曲」(スイカ狂想曲)・冷水砼
「ぼく」が経営するパッとしない古本屋に最近、女子高生の小米がお客さんとしてやって来る。今日、彼女は「死刑だ」と息巻きながら入店してきた。どうしたのかと尋ねると、毎晩、彼女のマンションの共同ゴミ箱のそばの地面にスイカの皮を捨てる人間がいて迷惑しているのだという。しかも今日はゴミとして出されていたバスタブの中にスイカが叩きつけてグシャグシャになっていた。ぼくと彼女はどうして毎晩スイカが直接ゴミとして捨てられているのか推理することに。するとそのとき、店内にいた主婦が急に話に入ってきて、自身の推理をいかにもそれっぽく語るのだが、ぼくの目には彼女の反応が怪しく映った。
パッとしない中年男と集団生活に適さない美少女というファンタジー的カップリングはちょっと苦笑いさせられましたが、スイカの皮が毎晩捨てられるというほのぼのとした日常の謎への推理が、ある可能性に思い至った瞬間一気に血生臭くなるという展開の切り替わりは見事でした。
9)「黒桃K的復仇」(スペードのキングの復讐)・軒弦
実の両親を殺し、自身を殺し屋として育て上げた師匠格の男を殺すため、断然は復讐を誓う。だがターゲットはスペードのキングと呼ばれる名うての殺し屋で、殺し屋組織に所属しているから、彼を殺せば組織から追われることになる。そこで病死に見せかけて殺すことに成功したのだが、スペードのキングの娘に見破られ、今度は彼女と生死をかけて闘うことになる。彼らの殺しのトリックや一連の因縁を全て知った探偵の慕容思炫は二人の決闘を見届けるが……
実はコイツはアイツで、このパートはアイツの過去話で、この名前はコイツの昔の名前で……としっちゃかめっちゃかな構成。全ての読者がメモ帳を用意しながら読んでいると思い込まないでほしい。名探偵・慕容思炫は軒弦の作品には欠かせない人物で、事件あるところに彼ありと言っても過言ではないぐらいどんなところにも現れます。それは探偵の宿命だから仕方ないとしても、慕容思炫の凄さを示すための警察サゲ描写がひどいなと思った作品でした。
■最後に
今回は最初に非ミステリー小説を持ってこられて面を食らいましたが、読み終わってみると秀作が多くて満足できました。「中国からミステリー専門雑誌が少なくなっている」と口では言っていますが、実際雑誌まで毎月チェックできていないので、いまどのような短編ミステリー作家がいるのか十分把握できていません。だからやはりこういう風にまとめた本はありがたいですね。
阿井幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。 ・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
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●現代華文推理系列 第一集●
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