「しかも、それぞれの関係は、殺人の二大動機にからんできます。二大動機とは、フロイト的動機とマルクス的動機、すなわち愛と金です。」(142p)

 小説中の社会人類学者の台詞だ。学者的な戯言に聴こえなくもないが、人間の最大の犯罪の動機と20世紀に多大な影響を与えた二人の巨人の思想とが、さながら妙技のように組み合わされている。これぞ、知的操作の粋というものではあるまいか。

■ヘレン・マクロイ『月明かりの男』


 冒頭の台詞は、ヘレン・マクロイの第二長編『月明かりの男』(1940) の中のもの。「それぞれの関係」で容疑者として挙げられる人物の一人は、以降のベイジル・ウィリング博士サーガで重要な役割を果たす人物だ。この人物は、本書で重要な容疑者として初登場するわけだが、その意外な出自は、これまでのマクロイの読者を驚かせるだろし、ウィリング博士との関わりあいは、本書の見どころの一つ。
 ヨークヴィル大学を訪れたフォイル次長警視正は、”殺人計画”が書かれた紙片を拾う。予定の時刻に”犯行現場”を訪れたフォイルは、亡命者コンラディ博士の死体を発見する。月明かりの中を逃走する不審人物が三人の人物に目撃されていたが、彼らの証言する外見はすべて異なっていた……。
 舞台はニューヨークの私立大学、癖のある大学人が登場する大学ミステリであるのだが、とにかく冒頭から繰り出される謎尽くしには圧倒される。“殺人計画”の謎、月明かりの男の謎もそうだが、話が進むに連れ、学生の奇妙な行動、犯行現場に出入りする姿なきタイピスト、丸十字形の謎、なぜ嘘発見器にかけられることを承諾した男たちたちが次々と翻意するのか……といった謎が連発される。
 本書に明確に見いだせるモチーフは、「実験」。冒頭に出てくる実験心理学者のプリケット教授は、赤ん坊の耳元で空砲をぶっ放して反応を調べる実験を行っており、殺されたコンラディ博士も秘密の実験に携わっていた。犯行現場の奇妙な道具立ても、ある実験に関わっているし、後半では、乱歩「心理試験」を思わせるような嘘発見器の実験も出てくる。本書だけではなく、実験ないし新発明は、マクロイの初期作の重要なモチーフであり、デビュー作『死の舞踏』では新型のダイエット薬が登場するし、第三作『ささやく真実』では、新発明の自白剤が登場する。既存の秩序や人間関係に新発明や実験を投げ入れることで、もたらされる人間たちの変化をシミュレートし、そこにオリジナルな謎と解決を見出すマクロイの初期作のアプローチは、それ自体が思考実験的、知的操作の産物であり、あまり類のない作風であることが本書で明瞭になる。
 第二、第三の事件が続き、盛りだくさんすぎるほど連打される謎は、ウィリング博士の捜査により、一枚一枚薄皮を剥がすように解かれていく。謎が多すぎて、推理というより絵解きに流れる部分もあるが、最後に残った謎が解かれる最終章は、「嘘はつねに真相の像を映しだす」という博士の言を裏付けるように、心理的手がかりが多く提示され、謎解きが冴えわたる。全編にわたって丹念に手がかりが仕込まれていることにも、脱帽だ。
 心理的実験に彩られたプロットは、後の作品では精神分析に距離を置いていく感のあるウィリング博士が精神分析医らしさを発揮している一編である。
 本書の出版時は、アメリカの二次大戦参戦前夜。主要登場人物のうち、三人は亡命者だ。中でも、ナチスのダッハウ強制収容所から逃れたオーストリア人科学者と日本の侵略から逃れた中国人科学者は好対照。マクロイの知性と広い視野は、閉じたアカデミズムの世界を世界大戦の縮図に仕立てあげているのだ。それだけに、新発明をめぐる関係者の思惑も、マルクス的でもありフロイト的でもある犯人の動機も、往時の世界のリアルを反映したものになっている。
 全体としては、盛り込み過ぎのきらいもあるが、作家としての成熟に向かう過程において独自の発想と時代精神を結びつけた作者渾身の野心作だ。

■メアリー・スチュアート『霧の島のかがり火』


 メアリー・スチュアートは、イギリスの女性作家。1955年デビュー以来、サスペンス小説で次々とベストセラーリストを賑わせた作家で、「ロマンチック・サスペンスの女王」という呼び方もされている。にもかかわらず、ジュヴナイルを除き、邦訳があるのは、世界ロマン文庫『この荒々しい魔術』(筑摩書房)一冊きり。だったのだが、スチュアートは、今年公開されたジブリ出身・米林宏昌監督の話題作『メアリと魔女の花』の原作者でもあり、原作の新訳 (角川文庫等) も出たことから、今後は、風向きが変わってくるかもしれない。
 若いファッションモデル、ジアネッタは、スコットランドのヘブリディーズ諸島にある霧に包まれた島・スカイ島に休暇に出かける。島のホテルでは旧知の人物や別れた夫に再会したりと意外事が続くが、さら二週間前に地元の少女が山中のかがり火台で儀式めいた方法で殺された事件があったことを知らされる。加えて、ホテル客の二人の女性が登山に出かけて行方不明になり、こちらも殺人が疑われる事態に。果たして、犯人は滞在客の中にいるのか。
 丸谷才一は『この荒々しい魔術』の解説で、同書について「女の夢を集大成したような小説だとほとほと感心した」と書いている(今日ではいかにも「男流」的な決めつけだといわれるかもしれない)が、そうした特質は本書でも十分見てとれる。
 主人公ジアネッタは、片田舎の牧師館で育った娘ながら、今は、美貌の一流モデルだし、両親との関係は良好で、リゾートホテルで二週間の休暇をとることもできる。毒舌家の小説家と結婚、離婚の経験があることまでも彼女のキャリアに華を添えているようでもある。まっすぐな性格で、人に優しく、タフで、勇気がある。そんな女性が果敢な冒険をし、最後には愛を射止める。やはり、これは一つの夢ではないですか。
 しかし、本書が凡百のロマンチック・サスペンスではないことは、その活気ある語り口や、多数の登場人物描写の的確さ、異教的雰囲気を湛えた荒涼たる島の描写をみればすぐに了解できる。
 特に素晴らしいのが、山で行方不明になった二人の女性をホテルの宿泊客らと捜索するシーン。頭上に怪物のようにそびえたつ岩壁、浸食されてできた岩溝の深淵、岩溝をほとばしる水流が、眼前に浮かんでくるような迫力ある描写が続き、危険と背中合わせで捜索する登山家たちの息遣いまで伝わってくるようだ。ジアネッタは、登山は素人ながら、必死で捜索に加わる。その素人の冒険のあやうさは、クライマックスの活劇を最高に盛り立てる。
 本書は、手がかりは限定的ではあるものの、フーダニット作品でもある。犯人像は異様で、その動機は、まず聞いたこともないようなものだが、島全体のこの世ならぬ雰囲気にマッチしているといえよう。
 古来からの伝説が息づく島の雰囲気、かがり火の儀式……本書を読んでいて思い出したのは、英国のカルト映画『ウィッカーマン』(1973) である。この映画も、ヘブリディーズ諸島の孤島を舞台にしたものだった。旅のエキゾチズムと異教的要素、荒々しい自然とくれば、サスペンスの醸成には、恰好の舞台なのかもしれない。

久野康彦編・訳『ホームズ、ロシアを駆ける』


 『上海のシャーロック・ホームズ』(中国篇)『ホームズ、ニッポンへ行く』(インド篇)に続く、ホームズ万国博覧会ロシア篇の登場だ(インド篇は現代作品のため、本欄では取り上げなかった)。
 編訳者の詳細な解説で紹介されているところによると、あるロシア文化研究者は、1872年に、ニコライ・アフシャルーモフ『手掛かりはなく』など三つの作品によって、ロシアに探偵小説が登場したという。以降、探偵小説は、歴史小説と並ぶ帝政末期の大衆文学の柱として、1917年のロシア革命まで大量に生産され消費された。この辺の事情については、我が国ではほとんど知られていないのではないだろうか。さすが、文学大国ロシアだけのことはある。20世紀初頭には、シャーロック・ホームズが紹介され、ロシアの読書公衆は、広くホームズ譚に親しむ。1907年には、アメリカのダイム・ノヴェルズに相当するような、廉価で薄い「分冊」形式の探偵小説が発刊され、外国の探偵が颯爽と活躍する内容は、熱狂的な大衆の支持を受けたという。
 こうした人気に便乗したのが、P・ニキーチンP・オルロヴェッツという二人の作家。ホームズとワトスンをロシアに招待し、ロシアで活躍させるという連作が書かれた。本書には、P・ニキーチン作から4編、P・オルロヴェツから3編が収録されている。
 ニキーチン作の冒頭の「恐るべき絞殺者」は、モスクワ近郊の、施錠され、窓枠に目張りがされた部屋で貴族の老人が絞殺されたという事件。窓にあるのは換気用の小窓だけ、とくれば、あれかと思われるかもしれないが、実は少し違う。イギリスへ帰れと脅迫状を受けたり、泊まった部屋で襲撃を受けたりするうちに、悪人が本性を剥き出しにし、原典を思わせる、ある展開が待っている。以降の3編は、このモリアーティ教授を思わせる大悪人とホームズの対決が続いていくことになる。推理や機知の要素は薄く、銃撃戦や爆弾炸裂などのアクション主体の紙芝居的物語ではあるものの、黒海周辺ほかのエキゾチズムや当時の大衆に熱く支持された要素は伝わってくる。「黒海とアゾフ海の密輸団」の奇抜な密輸手法などは、海野十三の小説でも読んでいるようだ。
 オルロヴェッツ作は、ニキーチン作に比べると、やや推理や機知の要素がある。「〈兄弟鉱山〉の秘密」の舞台は、なんとシベリアのイルクーツク近郊。シベリアにも、ホームズの名声が届いており、ホームズが行くところ、野次馬がわんさか押し寄せてくのが面白い。金鉱山から不可解な方法で盗まれる金の謎解きは、なかなかユニークだ。続く「フォンタンカ運河の秘密」は、衆人環視のもと消えたモーターボートと令嬢失踪をなかなか豪快なトリックで結びつけている。本編には、当時、ロシアでは、ホームズより人気があったというアメリカ人探偵アラン・ピンカートンと競演という趣向も盛り込まれており、この趣向は次の黒海周辺の女性誘拐団を扱った「女たちを売る市場」でも維持されている。

「きみは余人をもって代えがたい助手だよ。ワトスン」楽しげで人なつっこい視線を私に向けながら、彼は言った。私はそんな彼の眼差しが大好きだった」(「恐るべき絞殺者」)

 原典にはこんなベタな描写は出てこないだろうが、当時のロシア人がどこにホームズ譚の魅力を感じていたかを窺わせる文章でもある。ホームズ譚の大きな功績の一つは、相棒(バディ) 物という領域を切り開いた点にあるという気がしてくるのである。

日下三蔵編『鮎川哲也翻訳セレクション 鉄路のオべリスト』


 本格ミステリの巨匠が翻訳した長編C.デイリー・キング『鉄路のオべリスト』と、4編の短編を収録した一冊。
 いっときは、「幻の本格」ともいわれたキングも、最近では『いい加減な遺骸』『厚かましいアリバイ』が紹介され、未訳のミステリは、あと一冊( Bermuda Burial(1940)) を残すまでになっているが、『鉄路のオべリスト』は、鮎川訳で我が国に最初に紹介された長編。1983年にカッパ・ノベルスで刊行された作品は、古書でも入手難でファンには待望の復刊といえるだろう。もともと、ノベルス版は、ミステリ専門誌「EQ」に連載翻訳されたものを単行本化する際に、「冗漫と思われる部分をカットするなどして、口あたりをよくしたもの(カッパ・ノベルス版訳者あとがき)」になっており、EQ版をノーカット収録したというのも、本書のセールスポイント(仔細に比較したわけではないが、ノベルス版では、原注や心理学者とロード警部補の会話の一部などがカットされているようだ)。4編の短編は、昭和20年代に鮎川が翻訳雑誌「マスコット」に中河通名義で訳出したもの(鮎川哲也『翳ある墓標』(2002年・扶桑社文庫)にも収録)。
「オべリスト」シリーズ第二作に当たる本編の舞台は、アメリカ大陸横断列車。プール車に、ダンスホール、美容室に個室の犬舎まで備えた夢の豪華列車の処女旅行。ニューヨークからサンフランシスコまでをきっかり三日間で驀進する行程中、銀行家の死体がプールの中で発見され、さらに第二の事件が発生する。
 ほぼ全編が列車内に終始する純粋な鉄道ミステリだが、クリスティー『オリエント急行殺人事件』と同年の1934年に刊行されているのは、奇しき縁というべきか。
 捜査に当たるのは、例によって、偶然列車に乗り合わせたマイケル・ロード警部補と統合心理学者のポンズ博士。第一作『海のオべリスト』を踏襲したように、ポンズ博士を含めた四人の心理学者が自らの理論に基づいて、心理の面から各人各様に真相を推理するという趣向が凝らされている。キング自身、心理学者でもあったためか、各心理学流派のパロディを試みている節もあり、さらに、技術家が政治を主導すべきという論者あり、ロード警部補の口からも社会資産改革案(ノベルス版ではカット)が飛び出すなど、作者の社会への関心の広さからくる癖の強さも相当で、リニアな物語を求める読者はあっけにとられるかもしれない。
 それでも、本編は、どこまでもフェアな本格ミステリを志向していることは間違いなく、ロード警部補は、試行錯誤の末、論理的に犯人にたどり着く。キング作品で有名なギミック「手かがり索引」も末尾につけられ、自らのフェアネスを誇っている。舞台設定が異色、心理学者らの推理と蘊蓄の饗宴が異色、手がかり索引が異色。異色の三重奏にアメリカ流の華やかさが加わって、30年代屈指の、忘れられない米国本格ミステリだろう。
 鮎川哲也の連載終了時のコメントやあと書きは、まだ緒についたばかりのクラシック・ミステリの翻訳事情を物語って興味深い。「遠からぬ将来に翻訳が出る」とされている『海のオべリスト』にしても、そこから刊行までは、二十数年の歳月が必要だったのだ。

■レオ・ブルース『三人の名探偵のための事件』


 レオ・ブルース『三人の名探偵の事件』(1936) が扶桑社ミステリーで初文庫化。ウィムジー卿、ポアロ、ブラウン神父を彷彿させる探偵たちが登場するブルースのデビュー作だ。三人の名探偵とビーフ巡査と推理の饗宴を未読の方は是非。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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