みなさん、2月に出た『偽証裁判』はもうお読みいただけましたか? なかなか好評のようで、わたしも嬉しいです!

 たくさんの方にお読みいただけることが、次作の翻訳出版につながります。ロンドンとは一味も二味も違う、スコットランドの空気に満ちた本作を、ぜひぜひご堪能くださいませ。

 今回取り上げる《A Christmas Beginning》(2007年)の舞台はウェールズ。そして主人公は警視ランコーン——モンクの警察官時代の宿敵です。彼はクリスマスを前にして、スノードニアの峰々が見下ろすアングルジー島ボーマリスをひとり訪れます。「イギリスでいちばん寂しい場所」とみずから表現するほどの土地にやってきたのは、ある女性の面影を追ってのことのよう。メリザンド・エワートは、ロンドンで起きた事件の証人となってくれた女性で、ランコーンは彼女のことが忘れられないのでした。

 そう、今回のクリスマス・ミステリは、ランコーン(50歳、独身)の恋バナなのですよ!

 メリザンドを一目、遠くからでも見られればと日曜の礼拝に参列したランコーンは、ある娘に目を留めます。その娘オリヴィア・コステインは教区牧師アーサーの実妹で、若く美しく、でも少し風変わりで、浮世離れした雰囲気の持ち主。緑色のドレスがよく似合っているのですが、帽子は場違いなしろもので、適当に頭に載せましたという風情です。歩き方もどことなくふわふわとして、文字通り地に足がついていない様子。そしてランコーンは、オリヴィアを見つめる二人の男性の存在にも気がつきます。ひとりはメリザンドの実兄ジョン・バークレイ、もうひとりはニューブリッジ。とりわけ後者の、礼拝堂内にあるまじき厳しい視線が気になります。

 礼拝堂で再会したメリザンドは、果たしてランコーンを覚えていてくれました。しかし、階級差と年齢差ゆえにどうすることもできない彼は眠れぬ日々を過ごし、毎日疲れ切るまで散歩をしてまわります。そしてある日の朝早く、礼拝堂近くまで来たときに、若い女の屍体を見つけることになるのです。それは、腹部にひどい傷を負い、おびただしい量の血を流して死んでいるオリヴィアでした。逃げようとした形跡や、抗った際にできる傷がないことから、犯人は知り合いに違いありません。

 バンゴーから首席治安官サー・アラン・ファラデーが派遣されるものの、小競り合いや盗難程度の事件しか起きない土地柄ゆえに、地元の警察はお手上げ状態です。そこでランコーンに捜査への協力が求められるのですが、サー・アランは町の秩序を乱されたくないがためにいまひとつ非協力的で、ことあるごとにランコーンを見下します。そんなときに必ず励ましてくれるのが、憧れの女性メリザンドなのですが、なんと彼女はサー・アランと結婚する予定だというのです。自分のものにならないとはわかっていても、がっかりするランコーン。

 一方オリヴィアは若いといえども26歳で、結婚適齢期をとうに過ぎていました。求婚者はいくらでもいたのですが、本人がその気にならなかったらしいのです。そしてここ最近では、サー・アラン、バークレイ、ニューブリッジと立て続けに付き合っていたことが判明します。オリヴィアのほうから結婚を断った相手はニューブリッジだけで、あとの二人は彼らから断り、とりわけバークレイはある日突然、手のひらを返すような態度でオリヴィアとの関係を終わらせたという話でした。

 教区牧師の妻ネイオーミが何事かを隠している様子にランコーンが気づいたところから、捜査は一気に進展し、オリヴィアが殺されるに至る理由が明かされていきます。それがランコーンの尽力によるものだとは一部の者にしか知られず、世間はサー・アランを褒め称えます。しかし、ランコーンを深く理解してくれる人もいたのです・・・・・・。

 本編(『見知らぬ顔』『災いの黒衣』)ではひたすら憎々しく狭量で、能力も低いかに思えるランコーンですが、本作では至極まっとうで仕事も的確。捜査中は幾度となくモンクと自分を引き比べ、モンクと対立していたときの自分のあり方をサー・アランの中に見ては、苦々しい思いを味わいます。モンクが「いまの自分にないものを勝ち取ろう」と努力する姿を——北部出身の発音を矯正し、隙のない装いと身ごなしを身に着けるのを——自己顕示欲丸出しの愚かな上昇志向と馬鹿にしていたけれども、自分はなにもしないまま、ただすべてを諦めてしまっているだけではないか・・・・・・と。そこから一歩踏み出そうと奮闘するランコーンを、ついつい応援してしまいます。

 また、ウェールズの厳しくも美しい自然の描写がところどころにおり挟まれ、とても印象的です。コンパクトにまとまっていながら読み応えのある中編で、これはぜひ翻訳でも読んでみたいですね〜。モンク・シリーズのクリスマス・ストーリーのアンソロジー、出ないかしらん。米アマゾンのレヴューでも割に高い評価を得ているのがうなずける、いい作品でした。

遠藤裕子 (えんどうゆうこ)

出版翻訳者。建築、美術、インテリア、料理、ハワイ音楽まわりの翻訳を手がける。ヨーロッパ19世紀末の文学と芸術、とくに英国ヴィクトリア朝の作品が大好物。趣味はウクレレとスラック・キー・ギター。縁あってただいま文芸翻訳修行中。

◆当サイト掲載! 遠藤裕子さんによるアン・ペリー作品紹介の一覧◆

2014-09-24 第五十七回はアン・ペリーの巻(その8)

2014-03-25 第五十一回はアン・ペリーの巻(その7)

2013-04-30 第四十回はアン・ペリーの巻(その6)

2012-09-25 第三十三回はアン・ペリーの巻(その5)

2012-01-19 第二十五回はアン・ペリーの巻(その4)

2011-09-13 第二十回はアン・ペリーの巻(その3)

2010-10-19 第十回はアン・ペリーの巻(その2)

2010-01-28 第三回はアン・ペリーの巻

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