・Georges Sim, La fiancée aux mains de glace, Fayard, 出版年記載なし(1929)(1928/10/15契約)[氷の手を持つ婚約者]イーヴ・ジャリーYves Jarry
・フランシス・ラカサン編, Simenon avant Simenon: Yves Jarry, détective aventurier, France Loisirs, 2001[シムノン以前のシムノン:探偵冒険家イーヴ・ジャリー]
同名, Omnibus, 2005/5*

 いやあ、読んでよかった……! とても満足だ。
 イーヴ・ジャリーものがこんなふうに最終作を迎えるとは思ってもいなかった。感動した、といっていい。私は久しぶりにシムノンを読んで心を揺さぶられ、事務所から自宅へ帰る自動車のなかで、運転しながら歓びのあまり笑みをこぼしてしまったほどだった。
 書誌的な側面を改めて説明しておこう。1927年から1928年にかけて執筆された探偵冒険家イーヴ・ジャリーものの長篇4作は、シムノンがちょうど船でフランス内外の川や運河を旅して回り始めたころ、すなわちシムノンが見聞を広げて作家として大きな躍進を遂げつつあった時期の作品だ。最初の2作、『美の肉体』第23回)、『殺す女』第71回)は主人公ジャリーが30歳代の設定だが、3作目の『名もなき愛人』第72回)では25歳ころに若返り、青春時代のシムノンの若々しい想いが込められた1作となった。
 そして今回の第4作『氷の手を持つ婚約者』は、第3作よりも後、第1作よりおそらくは前、という時期を採用している。サン゠ルイ島の事務所(作中ではスタジオと記される)で従者アルベールと暮らしており、第1作と第2作の設定を踏襲している。ただし物語の冒頭で、ジャリーはまたもフリーの冒険家に戻っており、特定の恋人はいない。
 冒険家ジャリーは『美の肉体』でアフリカの地にまで足を伸ばし、『殺す女』ではその物語を継いで、オリエント急行で帰国する場面から始まった。時代を遡った『名もなき愛人』では、ジャリーがイギリス貴族の血を受け継いでいることが仄めかされ、オクスフォード大学出身であったことも明かされた。『美の肉体』『殺す女』では秘書志願のイヴェット・マレと、また『名もなき愛人』では不運のアメリカ娘ジェシー・デズモンドとそれぞれ恋に落ち、どちらもこれ以上ないであろうというほどの愛を確かめ合い、婚約し、田舎に隠居して残りの人生を暮らすと決意して終わる。
 最終作である『氷の手を持つ婚約者』には、そんな彼女たちの名は一度も出てこない。いったいこれまでの設定はどうしたんだ、と最初は読んでいて訝らずにいられないのだが、実はこれがミソなのである。すばらしい幕切れへの布石なのだ。
『美の肉体』『殺す女』『名もなき愛人』の3冊は、ファイヤール社のペーパーバック《一般小説叢書Le Livre Populaire》で刊行された。ところが今回の最終作だけは、同じファイヤール社ながら、ひと回り判型の大きい雑誌体裁の《傑作一般長篇小説叢書Les Maîtres du Roman Populaire》から出版された。「傑作Maîtres」と銘打たれてはいても、こちらは表紙も本文と同じ単色刷で、紙も印刷も粗悪な読み捨て大衆本だ。《一般小説叢書》と比べるとかなり質の落ちる叢書である。ウェブで写真を検索すると、裏表紙に当時記載されていた既刊一覧がやはり見つかるが、載っている作家名は誰ひとりとして私にはわからない。また本文の長さも明らかに違っていて、《一般小説叢書》はGoogle翻訳で英語に訳してA4判に印刷すると250ページ前後になるのだが、今回の『氷の手を持つ婚約者』は131ページ、すなわち約半分の量しかない(とはいえ後のメグレものもこのくらいの分量なので、《一般小説叢書》の方がむしろシムノン作品にしては長すぎるのだ)。
 使用されたペンネームも不可解ではある。『美の肉体』『殺す女』はジョルジュ・シムGeorges Sim名義だが、3作目の『名もなき愛人』ではクリスチャン・ブリュルChristian Brulls名義が使われた。同じ叢書から出版して、しかも同一の主人公なのに、なぜ名義を変える必要があったのか謎だ。しかも別叢書から出た今作『氷の手を持つ婚約者』はジョルジュ・シム名義に戻っている。まあ作者も出版社もたぶん何も考えておらず、いい加減な体制だったのだろう。
 これまで何冊かシムノンのペンネーム作品を読んで、いちおう作者シムノンは大雑把ながらペンネームを使い分けていたことがわかってきた。それなりに真面目に書いた作品は自分の本名に近いジョルジュ・シムGeorges Simを使い、冒険風味の強い娯楽作ではクリスチャン・ブリュルChristian Brullsを使っていた形跡が見られる。だがおそらく当時の読者には、両者が同一人物であることは明白だったろう。その他、短い艶笑コントではゴム・ギュGom Gut、やや踏み込んだ描写を含む性愛小説ならリュック・ドルサンLuc Dorsan、女性向けの類型的な悲恋ものではジャン・デュ・ペリーJean du Perry、端からやる気のない女性向け小冊子にはガストン・ヴィアリGaston Vialisやジョルジュ・マルタン゠ジョルジュGeorges Martin-Georgesを使う傾向があった。しかしGom GutはときにGom Guttと綴られておそらく発音も変わり(Guttなら「ギュ」ではなく「ギュット」となるはず)、Gaston VialisはGaston Viallisとlが増え、Georges Martin-GeorgesもGeorges-Martin GeorgesないしはGeorges-Martin-Georgesと、トレ・デュニオン〈-〉の位置がころころ変わった。Georges SimでさえGeorges Simmとmが増えたことがある。著作リストの作成者は頭を掻き毟りたくなるだろうが、こうしたペンネームで厳密に区別しても意味はない。作者も出版社もテキトーだったのだ。全体像を見るならむしろペンネームより、どの叢書で出たか、どのような順番で執筆されたのか、この2点に主眼を置くのが理に適っていると私は思う。
 今回の『氷の手を持つ婚約者』の出版契約が交わされたのは1928年10月。このときシムノンは自船《オストロゴート号》で近隣国を巡りながら、毎日一定時間、機関銃のようにタイプライターを叩いていた。連作『13の秘密』第28回)が書かれるのが直後の1928-1929年冬。メグレ前史第1作『マルセイユ特急』第27回)の契約が成立する1929年9月30日まで、ついに1年を切った! 

■『氷の手を持つ婚約者』1929■

 これまでの3作『美の肉体』『殺す女』『名もなき愛人』の半分の長さ。

第一部

 すべての人種が肩を寄せ合う歓楽街、モンパルナス。その夜、冒険家イーヴ・ジャリーはキャバレーで、奇妙な若い娘と出会った。彼女の瞳は青く、髪は金髪というより白色に近く、ベリーショートで、まるで男のようだ。若い男たちと陽気に笑い合っている。
 翌朝の新聞に殺人事件の記事が載った。タクシーがある男性を拾い、目的地まで着いたとき、ひとりの魅力的な女性が窓を叩いて乗り込み、次の目的地を告げた。運転手がその場所まで届けると、女性は紙幣を払ってすぐにどこかへ歩き去ってしまった。しかしその後、運転手は後部座席を確認して、男がナイフで胸を刺され、床に倒れて血を流しているのを知って仰天したのである。パリ社交界でよく知られた、ヴィジエ゠ルヴォーという43歳の独身弁護士であることがわかったが、息を取り戻すことはなかった。女が刺して逃げたと思われるものの、暗くて運転手は顔をよく見ていなかった。
 その2日前、エルス・ファン・ヒューヴェルという金髪の若い娘が、同じキャバレーで、銀行家の父親ホラス・ファン・ヒューヴェルとともに、婚約者アンリ・ド・トラシー侯爵【註1】と顔を合わせていた。ド・トラシー侯爵は35歳、誠実な男であるようだ。侯爵は婚約者の手にキスをするが、その手は氷のように冷たく、侯爵は困惑気味だ。その様子をジャリーは近くの席から目撃していた。
 つまり奇妙なことだが、そのエルスという娘は、タクシー殺人のあった夜にジャリーが見かけた娘にそっくりなのだ。ただし侯爵の婚約者エルスは、2日後の若娘のようにけらけらと笑ってはいなかった。
【註1】ド・トラシー侯爵とは、シムノンが若いころ秘書を務めていた貴族の名である。『サン・フィアクル殺人事件』に登場する伯爵のモデルでもある(第13回参照)。

 事件後の夜、またもジャリーはキャバレーで若娘と出会う。今度の彼女はふたりの若いチェコ人とフランス人男性を引き連れている。ひとりはトヴィーニ、もうひとりはジェラールというらしい。ジャリーは彼女のもとへ行き、「躍りませんか?」と囁いた。「お望みなら!」と彼女は受諾する。「あなたは可愛らしいエルスさんですね」とジャリーが問うと、娘は「私の名はマルティヌで、エルスじゃないわ……。でも嬉しい!」とジャリーの誘いを喜び、ジャズの踊りが終わった後も自席に招いてシャンパンを空ける。ジャリーは彼女の手にキスをしたが、その手は氷のように冷たかった。いったい彼女はエルスと同一人物なのか、それとも別の女性なのだろうか? 
 ジャリーはサン゠ルイ島のアパルトマンに「スタジオ」を構える冒険家だ。ここ数年は従者のアルベールと暮らしている。ジャリーは一年のうち半分をアフリカやアジアで過ごし、民俗学的な研究をおこない、人種の進化や原始アートに関する考察を本にまとめて出版し、また各地の収集品をもとに古物商を開いて生計を立てている。ときには太平洋諸島に赴いたり、資料を漁ってイギリスやフランスの国立図書館に何日も詰めたりする。自分の興味・関心に忠実な「生活グルマン」だ。それゆえにこれまで何度か犯罪捜査にも関わってきた。
 昨夜遅く、ジャリーは陽気なエルス(マルティヌ?)とふたりの男とともにタクシーへ乗り込み、結局彼らの居住地オッシュ通りのアパルトマンへ送り届けたのだ。ジャリーはヴィジエ゠ルヴォー殺害のことを知っていたので、一瞬「このようにして彼女はタクシーに乗り込んだのだろうか?」と思う。しかし今日もまたレ・アールのキャバレーで彼女と会食している。この女性が殺人犯だとは思えないが、奇妙な演技をしているようにも見える。取り巻きのフランス人男性ジェラールは単純に彼女のことを愛しているようだが、チェコ人トヴィーニには裏がありそうだ。
 その後、ジャリーはオッシュ通りを再び訪れ、エルスの帰宅を待った。「タクシーのなかで落ちているのを見つけたんです。これをあなたにお返ししようと……」とジャリーがポケットに手を入れようとすると、彼女は「私、タクシーには乗っておりませんわ」と昨夜とまるで違った態度を取る。ところが一方で、彼女の笑い方はマルティヌと同じだ。ジャリーは拾遺品を渡しそびれた。モンパルナスのキャバレーでまた会いましょう、と彼女はいった。握手をしたその手は、やはり冷たい。
 今夜は《ラ・ロトンドLa Rotonde》【註2】で、どちらのエルスと会えるのだろう? 取り巻きのジェラールとトヴィーニは先に来ている。そして深夜1時に彼女は現れた! 「昨夜、ダンスの後、あなたは私をトヴィーニから守ってくれるといったわね。あなたの家に行きたいわ……」と彼女は囁いた。ジャリーは酔った彼女を連れてタクシーに乗り、サン゠ルイ島まで向かおうとしたが、途中でタクシーが停止したとき、不意に彼は肩を刺された。車の床に血が広がる。ジャリーは落ちていたナイフを取り上げた。彼女は車から降りて姿を消していた。彼女はヴィジエ゠ルヴォー弁護士のみならず、ジャリーさえも狙ったというのか?
【註2】《ラ・ロトンド》はモンパルナスで画家の卵たちが集った実在の著名店。既読作では「モンパルナス六態」第20回)、『あなただけを』第21回)にも登場。現在はふつうにテーブルが並ぶカフェレストランのようだが、昔は音楽の生演奏を聴かせるなどキャバレーcabaret(ナイトクラブ、レストランバー)の雰囲気があったのかもしれない。

 ジャリーはそのタクシーですぐさま自宅に戻り、従者アルベールの介助を受けつつ応急処置をして眠り込む。翌朝、スタジオの電話が鳴った。相手はなんとエルスだった。車中で拾った証拠品のナイフを机に隠し、来訪者を迎えると、それはエルスの婚約者、ド・トラシー侯爵だった。彼女の要請を受けて急ぎやって来たのだという。彼と会話を重ねてジャリーは理解した。この侯爵もまた、エルスの行動の不可解さに以前から混乱していたのだ。「私は彼女を愛しているが、彼女は本当に私のことを愛しているのだろうか……」ふたりはともにオッシュ通りの彼女のアパルトマンへ向かうことにした。
 彼らはホラス・ファン・ヒューヴェル氏と娘のエルスから昼食の歓待を受ける。エルスは朗らかだが、「トヴィーニが恐い」とも漏らす。彼女はトヴィーニからつけ回されており、避難のためときおり市内のホテルにひとり宿泊することもあるのだった。この女性は二重生活者なのだろうか? ジャリーの疑惑は深まり、わざと皆の前で、襲われたときの銀のナイフを取り出して見せた。父親のホラスは動揺し、それとそっくりのものを持っていたという。
 だがその後、別室でエルスとふたりきりになったとき、ついにエルスは感情を露わにし、「そのナイフを返してください」と懇願してきた。ジャリーはこの女性に惹かれつつあった。だがどうすれば救えるのか。「返そう。だがその代わりに、きみの愛情のしるしとして、何か別のささやかなものがほしい……」彼女は自分の身につけていた小さな金のピンを差し出した。
 ジャリーはスタジオに戻って金のピンを見つめながら考える。銀行家ホラス・ファン・ヒューヴェルの態度の真意は? あのとき彼は、自分の娘が殺人者であることを悟ったのでは? その夜、侯爵から「ファン・ヒューヴェル親子が消えた」との報告が入る。もともとファン・ヒューヴェルは昨年、侯爵の故郷にほど近い狩猟地ベリーに邸宅を買い、それがきっかけでエルスとの交際が始まったのだという。彼らはそこに隠れたのに違いない。
 ジャリーは急いで旅支度をしてその地に赴く。だが親子はいない。ブールジェ湖畔のエクス゠レ゠バンだと召使いはいう。ムーラン、マコン経由でジャリーは自動車を駆る。翌朝、ついに当地のバンガローでジャリーはファン・ヒューヴェル氏と面会できた。しかしエルスはいないという。しかもこれから彼は南仏ニースへ行くという。
 まずは当地に宿泊したジャリーに、従者アルベールから電報が届いた。何と、マルティヌという名の若い娘が来訪し、その直後にド・トラシー侯爵もやって来たというのだ。ファン・ヒューヴェルはジャリーの行動を見張らせているようだが、ジャリーはパリへ取って返す決意をした。
 翌朝、スタジオに戻ったジャリーが見たのは、外で様子をうかがっているトヴィーニの姿だった。
「何があったんだ、アルベール?」
「しーっ、おふたりは上階でお休みです」
 そこには侯爵がおり、彼の前のカウチではマルティヌが寝ていたのだ。ジャリーもまずは風呂に入ってひと寝入りことにした。事情を聞き出すのはその後だ。

 以上が第一部までのあらすじ。この先は似たような展開の繰り返しとなる。
 自称マルティヌなるその女性は、これまでずっとジェラールの友人であるトヴィーニにつきまとわれ、恐怖を感じて、キャバレーで知り合ったジャリーに助けを求めてきたのだと訴える。絵画を学ぶためパリへ上京し、モンパルナスの書店で働き、生計を立ててきたという。ロシア人の母が4年前に亡くなり、天涯孤独の身となったのだそうだ。これを聞く限り、マルティヌとエルスはよく似た別人のように思える。ひとりは冷たい手を持つ婚約者エルス・ファン・ヒューヴェル、もうひとりは《ラ・ロトンド》でジャリーと陽気に踊り、トヴィーニから逃れるためジャリーに助けを求めてきたマルティヌ。
 侯爵は興奮していたが、いったん麻酔薬を嗅がせて眠らせ、落ち着かせた後、ジャリーは彼からも事情を聞いた。もちろん得意のジウジツjiu-jitsu(柔術)で痛めつけたりはしていない。彼はエルスがジャリーに金のピンを贈ったことを気に病み、「自分の婚約者のエルスがきみの愛人になろうとしているのがいたたまれずやって来たのだ」という。侯爵は自分の婚約相手が一人二役を演じているのかどうかわからずにいる。
 弁護士を殺し、ジャリーさえも殺そうとした冷酷なエルスと、ジャリーを愛したマルティヌのふたりが存在するのか? だが、なぜエルスは弁護士を殺した? なぜトヴィーニはマルティヌをつけ狙う? ジャリーは侯爵とマルティヌ(=エルス?)の世話を従者アルベールに任せ、再び黄色い自家用車をフルスピードで走らせ、エクス゠レ゠バンのバンガローへと向かう。途中でジャリーは銀行家ホラスの乗るリムジンと擦れ違う。だがジャリーはバンガローへ行くのを優先した。そこにエルスがいるかもしれないからだ。しかしバンガローに彼女の姿はなかった。
 パリに戻り、従者アルベールの心配も聞かず、急いで上階に駆け上がったジャリーは、ベッドが空であることを発見して「やっぱり!」と笑い出した。マルティヌ(=エルス?)は消え失せたのだ! 
「すべてもう一度やり直さないと!」ジャリーの論理的結論はこうだ。エルスとマルティヌは同一人物だ! だが自分はエルスへの恋に落ち、一方マルティヌに対してはその感情を持てなかった……。彼は再調査のため飛行機でロンドンに飛び、国立図書館やロンドン博物館で資料に向かい合った。
 アルベールから電報が届く。「エルスはカンヌのブーレ医師が経営する救急クリニックに」との報せだ。もしエルスが地中海沿いのクリニックにいるなら、サン゠ルイ島のスタジオの上階で眠っているマルティヌとは別人だ。ジャリーはすぐさまフランスへ取って帰り、汽車でニースへと向かった。
 ところがクリニックに到着して庭師に尋ねると、ブーレ医師はパリに出張して不在だという。建物内を捜索したが、看護婦がいるだけでエルスの姿はない。
 だが夜に再びその家へそっと忍び込んだとき、ついにジャリーは拘束されている痩せ細ったエルスを発見した。彼女は何も話せず、自分の意思で動けず、まるで自動人形(オートマトン)のようだ。ジャリーは密かに宿泊ホテルの自室へ彼女を抱えて戻り、ナイフの傷で大量出血している彼女に応急処置を施した。そして車に乗せてパリへと夜の道を走った。翌夕刻、ついにエッフェル塔が見えてくる。何も食べずにジャリーはひたすら車を駆っていたのだ。
 ──このように、ジャリーはあちこちを奔走するが、物語を牽引する謎といえば極めて単純で、はたしてエルスとマルティヌは同一人物なのか、別人なのか、という一点のみだ。ある場面でジャリーは、ふたりは別人だと確信するが、別の場面ではやはり同一人物ではないのかと思う。第二部はその謎を追い求めるジャリーの右往左往がひたすら続くのだと思えばよい。その間、なぜかジャリーは自分がエルスを愛していると自覚するようになってゆく。
 ようやくその無限ループから抜け出して結末へと向かう兆しが現れる。
 ジャリーはアルベールに助けられつつ、自宅のスタジオに戻り、彼女の容体を気遣う。命の危険はないが、頭部の傷を癒やすため包帯を巻く必要があった。翌朝、彼女は目を醒まし、「ここはどこ?」「どうして死なせてくれなかったの?」と混乱して泣き出す。彼女の唇は青ざめており、ジャリーはキスをしたい衝動に駆られたが、できなかった。
 状況を整理すると、エルスとマルティヌが同一人物なのかどうかまだわからないが、とりあえずここでひとりが救出されてジャリーの自宅に匿われた。頭に包帯を巻いているのが目印だ。
 その後、ジャリーは銀行家ホラス・ファン・ヒューヴェルを捜してパリを彷徨うが、ファン・ヒューヴェルのリムジンが近づいてきて不意に発砲を受け、銃弾で肩を負傷してしまう。何とか自宅へ帰還するが、意識を失ってしまった。このとき娘はまだ上階で寝ている。
 翌日、ジャリーのスタジオにチェコ人トヴィーニが現れる。「平和交渉に来た!」とかすかな笑みを浮かべ、ジャリーに取引を持ち掛ける。ふたりで協力関係を結び、エルス(=マルティヌ?)をタネにファン・ヒューヴェルを強請って大金を得ようというのだが、それは結局、エルス(=マルティヌ?)を引き渡せといっているに過ぎない。ジャリーが彼を追い出したそのとき、意識を取り戻したエルスが、階段を降りてくるのが見えた。「ジャリー、あなた、怪我をしているの? 私のためにこんなことに?」心配する彼女の手が、ジャリーの手に触れた。温かかった──もはや氷の手ではない。ついに彼女の氷は溶けたのだ! 
 一気にジャリーとエルスの情動が昂まるシーンである。このような場面がシムノンの初期ペンネーム作品では実に唐突に、不意撃ちのように起こる。えっ、きみたち、いつその愛を育んだの? と面食らうくらいの唐突さであり、藤子不二雄A氏なら「ドジャーン」とでも効果音を描きそうな勢いなのである。ジャリーもまた心のなかで何かが溶けるのを感じていた。ふたりは手を取り合いながら人生の意味を感じ合う。まるで彼らは他者を忘れ、この世界から離れ、すべての現実からも離れて飛翔している気持ちだった。むろん、冷静に考えれば滑稽な光景ではあるかもしれない。ジャリーはパジャマ姿だし、エルスは頭に包帯を巻き、何も着ていない身体に肩からコートを羽織っているだけだ。それでも彼らは互いに心を強く動かされ、唇を重ねていたのだった。すべてが燃えていた。「ぼくはきみといっしょだ、愛している、エルス!」「私も愛している!」
 第三部は関係者個々人の独白が長々と続く謎解き篇である。
 まずジャリーはトヴィーニを追い出した後、ファン・ヒューヴェルの銀行へ赴き、彼と対面して、トヴィーニが強請を計画していること、そして「無実の娘が、ぼく以外のもうひとりの“冒険家”であるトヴィーニの手中にあり、いま危険な状態にあること」を告げた。ここで初めて、ジャリーは娘のどちらが無実なのかを口にしたわけである。ファン・ヒューヴェルはすでにトヴィーニから脅迫されており、現金と引き換えに娘の身柄を渡すという条件も受け取っていた。彼はトヴィーニとジャリーが結託して自分を脅していると思い込み、一度は車中からジャリーを攻撃したのだが、それは間違っていたことを理解した。
 取引の指定時間は午後6時だという。ジャリーは急いでソセエ通りの保安部へ赴き、旧知の刑事の協力を得て、銀行家ファン・ヒューヴェルの来歴を調べた。彼は23年前、アムステルダムに暮らしており、そこでフリーダ・スタヴィスカヤ【註3】なるロシア人女性と愛人関係にあった。彼女との間に娘ができたらしい。数年後、彼は愛人と別れ、幼い娘のエルスとともにパリへ上京し、やがて投資家、銀行家として成功していったようだ。必要な情報は揃った。ジャリーが銀行へ戻ると、あのトヴィーニが悠々と銀行へ入ってゆくのが見えた。彼はファン・ヒューヴェルとふたりきりで面談したらしい。やがてふたりが出てきて同じ車に乗り込み、出発する。ジャリーは別の車で見張っており、運転手に後を尾けるよう指示した。
【註3】ミシェル・ルモアヌ氏に拠れば、シムノンの母親がリエージュで学生用の下宿を開いたとき、最初に受け入れたのがフリーダ・スタヴィスカヤという名のロシア人女性であったという。同名のキャラクターは他のペンネーム作品『見知らぬ女L’Inconnue』(1930)にも登場する。

 夜が深まってくる。銀行家と脅迫者の車はパリ郊外北側のサン゠トゥアン方面へ向かっているようだ。セーヌ川沿いで、船の停泊場がある。村を数キロ過ぎたところで前方の車が止まり、ふたりが出てきた。ヘッドライトだけが辺りを照らす。ジャリーもそっと車を降り、リボルバーを手にしてふたりに近づく。そして咄嗟に危機を察知したジャリーは、脅迫者トヴィーニに向けて発砲した。銀行家ファン・ヒューヴェルもリボルバーを持って、敵に抵抗しようとしていたからだ。ジャリーは銀行家を守ったかたちとなった。
 チェコ人脅迫者に渡した現金を取り戻し、ふたりはヘッドライトの先に建つ未完成の家へと走った。これこそトヴィーニの隠れ家だ。ついにふたりはその2階で、縛られた娘を発見する。「エルス! わが娘よ!」銀行家は感極まって娘に呼びかけるが、しかし彼にとっては驚いたことに、その娘が飛び込んだのはジャリーの腕のなかだった。まるで父親のことなど知らないかのようにふるまうのだ。
 彼らは娘を救出し、車に乗せてオッシュ通りの親子のアパルトマンへと戻る。ジャリーにとっては、金のピンをエルスから受け取った場所だ。ジャリーは娘を落ち着かせるように優しく、初めてファーストネームでその名を呼んだ。「ここがきみの家だ、マルティヌ」
 銀行家も驚く。「マルティヌ……、私の……私の娘!」
 そしてジャリーは娘にいった。「この事件はひどく絡み合っていて、解読が難しかった……。なぜなら、きみには姉妹がいるからだ。エルスという、瓜ふたつのね」

 というわけで、後述するように物語はもう少し続くものの、本作はつまり、エルスなる娘がマルティヌと同一人物で一人二役をやっているのか、あるいは互いに別人なのか、それともどこかで何度も入れ替わっているのか、という、フランスミステリーの王道「二重生活La double vie」の謎と興味で読者を終始翻弄して終わる、基本はそれだけの物語だ。しかしそのことはある意味感慨深い。他の作家との交流や影響が少ないように思えるシムノンという作家もまた、フランス大衆小説の歴史の上に生まれたのだと、改めて認識することができるからだ。
 現代にまで至るフランス大衆小説の歴史は、19世紀の新聞連載小説(ロマン・フィユトン)から始まった、と見るのが常道だ。扇情的な展開でその場の読者を惹きつけ、次号の新聞を買わせる、そのことだけを目的とした物語で、全体としての物語の構成を見れば矛盾だらけかもしれないが、毎号読んでいる分には面白い、というタイプの長篇小説だ。ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』がよく代表例に挙げられるが、日本ではいまだに完訳が出ておらず、私も実物は読んだことがない。だからイメージで語ることをお許しいただきたい。
 日本でこのフィユトン形式をもっともよく受け継いだ作家は、(私以外にこの説を唱える人はいないが)漫画家の横山光輝であったと私は思う。『鉄人28号』がその好例で、後に単行本化された修正版ではなく雑誌掲載のオリジナル版を読むと、敵味方入り乱れての騒ぎが延々と続き、読んでいるその瞬間は確かに面白くてわくわくするのだが、改めて振り返ると「あれっ、どういう話だっけ」とわけがわからなくなる。伏線の辻褄合わせなどお構いなしだが、いったんそのスピード感に乗ると、ページを繰らずにはいられない。同じ慢画家でも手塚治虫はちゃんと伏線を回収して長編物語としての結構をつけるタイプの作家で、その点ふたりの資質は大きく異なる。
 それで、このフィユトン形式の長編物語には、「二重生活」プロットがとても相性よいのである。ある人物が別の名前を騙って別の生活をしている。その生活の秘密を暴く──という展開は、他人の生活を覗き見するような興味を掻き立て、また物語に混乱と複雑さを与える機能がある。しかも「まったく違う別人になりない!」という私たち大衆の夢と欲望も叶えてくれる。そしてこの「二重生活」プロットは、フランスミステリーの源泉となる人物の経歴ともうまくマッチした。皆様ご存じのフランソワ・ヴィドック(1775-1857)である。
 ヴィドックは脱走兵として捕まり、牢獄と脱走を繰り返して裏社会にも身を投じたが、やがてパリ警察の密偵として働き、後のパリ警視庁となる国家警察犯罪捜査局の初代局長となった。また引退後は世界初の私立探偵事務所を開設した。
 彼の『ヴィドック回想録』(1827)は非常に多くの人に読まれたが、記述には創作部分も多いというのが一般的な評価である。だがオノレ・ド・バルザックはこのヴィドックをモデルとして、『ゴリオ爺さん』(1835)、『幻滅』(1837, 1843)、『娼婦の栄光と悲惨』(1847)に登場する悪漢ヴォートランを創造したといわれるし、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』(1862)における主人公ジャン・ヴァルジャンと宿敵ジャヴェール警部のキャラクターもヴィドックからのインスピレーションだとされる。
『娼婦の栄光と悲惨』で、ヴォートランは別の名前で登場する。『レ・ミゼラブル』でも主人公ジャン・ヴァルジャンはパンを盗んだ罪で囚人となり、さらに施しを受けた教会から銀食器を盗むという罪も犯してしまうのだが、司教の愛に触れて激しく心を動かされた彼はやがて別名を名乗り、良心的な市長へと出世する。その道徳的な市長に犯罪の過去があったことを、ジャベール警部が追い詰める。すなわち過去と現在にふたりのジャン・ヴァルジャンがおり、それは「二重生活」であるわけだ。モデルとなったヴィドックも変装の名人といわれていた。ヴィドック伝説のなかにはすでに「二重生活」テーマが含まれている。
 ルブランの創造したアルセーヌ・ルパンというキャラクターが、バルザックの悪党ヴォートランの血を引いている、という指摘はよく目にする。実際、バルザックの小説には「ルパン」という名の人物も登場しており、ルブランに霊感を与えた可能性は高いとされる。さて当初は意気軒昂たる若きアナーキストであった怪盗紳士ルパンも、やがてルブランの作家的成熟とともにアナーキストではなく愛国主義者となり、第一次大戦中は国家のために八面六臂の大活躍を繰り広げる。いわばルパン・サーガの第二期で、この先陣を切るのが1910年発表の大傑作『813』だが、この長篇は後年再刊される際、『アルセーヌ・ルパンの二重生活』『アルセーヌ・ルパンの三つの犯罪』というタイトルに分冊化された(日本では通例『813』『続813』となっている)。前半部のタイトルにご注目いただきたい。ここにも「二重生活La double vie」が組み込まれており、実はこれこそ『813』物語前半の最重要キーワードなのである。
 ルパン・サーガの第二期は『虎の牙』(1918年執筆終了、1920年フランス国内発表)の大団円で終わるのだが、その後も作者ルブランはルパン譚の新作を求められ続けた。よって、ルパン・サーガとは別の作品として書かれた小説も、「実はこれはルパンの別名でした」と辻褄を合わせてサーガのなかに組み入れる必要に駆られた。たとえば『バーネット探偵社』(1928)の探偵ジム・バーネットは、出版時にルパンの分身のひとりだということになった。こうした一連の経緯は、ルパン研究の第一人者、ジャック・ドゥルワールによる『いやいやながらルパンを生み出した作家──モーリス・ルブラン伝』(小林佐江子訳、国書刊行会、2019、原著2001)を読むとよくわかる。
 まとめると、サーガ第二期の大団円を経た後、ルパンは数々の変名によって「二重生活」者として余生を愉しんだことになる。これは作者ルブランにとってはどう足掻いてもルパンの影から逃れられない拷問であったかもしれないが、一方では熟達の域に達したルブランの筆によって、変名のルパンたちはベル・エポック時代よりも、第一次大戦時よりも、遥かに自由を謳歌できた。
 実はルブランは1930年代から人気も衰え、ほとんど忘れられた作家となっていたことがドゥルワールの伝記でわかる。シムノンが本名によって華々しく文壇に登場した1931年は、まさにフランス大衆小説の潮目が完全にルブランからシムノンに変わった年だった、といってよい。シムノンがメグレものの最初の2冊『死んだギャレ氏』第2回)と『サン・フォリアン寺院の首吊人』第3回)をファイヤール社から同時刊行したのが1931年2月20日。このときルブランはひとり息子も結婚して半隠居生活に入りつつあり、前年に『バール・イ・ヴァ荘』を出版し、オペレッタ『銀行家アルセーヌ・ルパン』が上演されたりしていたものの、映画化権を巡る難題に時間を取られ、ほとんど妻や息子夫婦らとの旅を愉しむことが唯一の心の支えとなっているかのような生活であった。
 翌1932年、ニースに滞在していたルブランは、初めてそのとき新聞の書評欄に惹かれてシムノンの小説を読んだ。その感想を綴った手紙が後に同紙に掲載され、ドゥルワールの伝記に引用されている(残念ながらフランス国立電子図書館ガリカにはこの新聞の収蔵がない)。ルブランとシムノンがついに歴史上で交わったのだ。

 カンヌでルブランは、[1932年]二月一日の《ニースの斥候兵(エクレルール・ド・ニース)L’Éclaireur de Nice》紙に、ジョルジュ・アヴリルがジョルジュ・シムノンについて書いた記事を読んだ。「推理」小説を賞賛する記事で、「気取った作家たち」や「それがどれほど退屈かで作品の価値を判断する歪んだ読者たち」を嘲弄していた。ジョルジュ・アヴリルにルブランが送った手紙を、同紙は、この月の四日に載せた。

「ご助言に従い、ジョルジュ・シムノンの作品を知ったのは、賢明でした。今朝、またシムノンを薦められていましたね。私は、十分に味読することができませんでした。というのは、小説を仕上げるところで、こうした時は読書がまったくできないのです引用者註:年表と照らし合わせると、このときルブランが書いていたのは『二つの微笑をもつ女』か]。とはいえ、『プロヴィダンス号の馬曳き〔邦訳題「メグレと運河の殺人」〕』を読み、貴殿の賞賛は過大だとは思いませんでした。その逆です。これは真に素晴らしい作品です。とりわけ、雰囲気を編み出し、登場人物のキャラクターをこしらえ上げるという、冒険小説の作家にはきわめて稀なこの才能を強調なさったのは、どれほどもっともなことでしょうか。普通は、ぐずぐずしている時間がありません。プロットに追い立てられているのです。ちょっと脱線しただけで、話の展開にブレーキがかかってしまいます……。ところが、何か魔力の賜でしょうか、ジョルジュ・シムノンは、描写して、掘り下げて、立ち止まります。読者には気づかれずにです。もし彼にお会いになる機会がございましたら、私の心からの賞賛をお伝え下さい(後略)」。

 1932年2月1日の段階で、すでにメグレものの小説は第13作『サン・フィアクル殺人事件』まで出版されていた。『メグレと運河の殺人』第4回)は前年4月に刊行されていたはずであり、ルブランはいくらか世間に遅れを取っていたことになる。
 それでもルブランが当時書いたこの短評は、シムノン作品の本質をずばり的確に見抜き、これ以上ないくらい巧みに表現しきっており、いま読んでも見事と驚嘆するほかない。晩年のいかりや長介がベースを演奏するCMがあったが、あれに似た達人の渋味さえ感じさせるではないか。
 ルブランはもはや自分の時代は過ぎ去ったことを自覚していたはずだ。ルブランはルパン以外の作品をもっと世に送り出したいとつねに願っていたが、取引先のアシェット社はルパンものでなければ原稿を受け取ろうとしなかったし、その後もむりやりルブランが単発の恋愛小説を他社で発行すると「契約違反だ」と怒ったものの、さほどの売上が見込めないことを知るとあっさり単発ものの権利は放棄してしまった。1930年代前半には体力も衰えてゆき、タイプを打つのもままならず、執筆には息子の妻ドゥニーズの協力が必要となった。ドゥルワールの伝記にはこうある。

 ルブランは、『特捜班ヴィクトール』を書き上げた。「偉大なルブラン」の時代は過ぎ去っていた。一九三三年、《われらが古き学び舎》誌にこの小説の記事を書いたアンリ・ジェスビッツは、こう自問している。「ここ最近報道されているように、かの有名な怪盗紳士のキャリアは終わってしまうのだろうか? 我々には信じがたい、そうだとしたら何とも残念なことだ」。

 ドゥルワールの伝記に拠れば、翌1934年、かのフランスを揺るがしたスタヴィスキー事件(第60回参照)が起こったとき、ルブランは『青い芝のスキャンダル』(未訳、書籍化1935年)という単発作品と、『アルセーヌ・ルパンの数十億』(邦題『ルパン最後の事件』、1937年まで執筆、発表1939年、書籍化1941年)を書いていたという。そのため前者からは「政財界のスキャンダル」と30年代の「危機」が連想されるし、また後者には「当時スタヴィスキーに関して噂されていた「マフィア」」が描かれているのだと指摘している。
 そうなのだ。ルパン・サーガを読んでゆくと、最後のルパン譚と長く見なされていた『数十億』で、突然アメリカのマフィアが登場することに、実はかなりの違和感を覚える。ずっとフランス国内とその領地内でヒーローであり続けたルパンが、なぜ最後の晴れ舞台にアメリカのギャング連中と闘わなくてはならいのだろう、それほどルパンは落ちぶれてしまったのだろうか、と寂しくさえ思う。だがここにはフランスという国の時代性が明敏に刻まれていたのだ。
 ドゥルワールの伝記を読むと、当時のルブランがルパン・サーガの最終作のつもりで書いていた『数十億』は、おのれを流行作家へと押し上げたかつてのルパン第1作「アルセーヌ・ルパンの逮捕」(1905)へのセルフオマージュでもあったことがわかる。「逮捕」はちょうどニューヨーク行きの豪華船の乗客にルパンが潜んでいることをガニマール警部が聞きつけ、船内で捜査するものの謎は解かれず、ニューヨークに着いたときルパンの正体が判明する物語であり、ニューヨーク行き客船から始まったルパンの、そしてルブラン自身の人生を円環で終わらせるために、やはりニューヨークへ渡るルパンが描かれたというわけだ。
 だが30年の歳月のうちに、フランスとアメリカの関係性は劇的に変わった。パリジャンはアメリカからやって来たジャズに熱狂し、モンパルナスにはミュージシャンが溢れ、フランスは「狂乱の時代」を謳歌した。だが1929年以降の大恐慌も、やはりアメリカからもたらされた。国際都市パリは、同時にアメリカ・ギャング団の脅威にも晒された。フランスはアメリカに熱狂し、アメリカに憧れ、そしてアメリカに翻弄された。狂乱の時代にモンマルトルで青春を過ごしたシムノンが、アメリカへ限りない憧憬を抱いたのも無理はない。当時のフランスの若者は誰もが、たぶんアメリカに特別な感情を抱いていたのだ。そしてフランスにおける「自由」の意味は変わりつつあったのだと思う。アナーキストから愛国主義者の時代を生きたルパンは過去のヒーローとなった。そしてフランスの大衆小説界はルブランを棄てて、若きシムノンを選んでいったのである。
 だがカノン進行など王道の楽曲コードがいつまでも廃れないのと同じように、フランス大衆小説において「二重生活」テーマはやはり廃れなかった。精神分析という新しいかたちを纏って、「二重生活」はシムノン作品のなかでも繰り返し登場した。ペンネーム作品『軽業師カーチャ』第25回)の感想でも述べたように、1920年代終盤には『検察官アレーLe Procureur Hallers』という舞台劇が人気を博し、善良な人物が脳の疾患によって、ときどきまったくの別人格に変わってしまう、というタイプのスリラーが流行したらしい。「二重生活」テーマは科学の名のもとに刷新されつつあった。そして今回読んでいる『氷の手を持つ婚約者』にも、その流行は取り入れられている。

『氷の手を持つ婚約者』の謎解き部分を示そう。いま私たち読者の前には、未完成のヴィラから救出しオッシュ通りに戻ってきたエルスと、頭を包帯で巻かれジャリーの自宅で眠っているエルスのふたりがいる。後者のエルスは、父親ファン・ヒューヴェルのことを知らないらしい。だが父親は「エルスと生き写しだ……! わが娘よ!」と感涙にむせぶ。銀行家ホラス・ファン・ヒューヴェルと、かつての愛人フリーダ・スタヴィスカヤの間には、双子の姉妹が生まれていたのだということがわかった。そして一方は父親によって育てられ、もう一方は母親が連れ去ったことが判明したわけである。
 いまジャリーたちがオッシュ通りのアパルトマンへ連れ帰った方が、母親フリーダの連れ去った「マルティヌ」であった。となれば、いまジャリーの自宅で休んでいる方が「エルス」である。そしていま父親ホラス・ファン・ヒューヴェルは、幻のわが子マルティヌと20年ぶりに再会し、彼女にも父親として愛を注ごうと懸命に努力していた。
 彼女らふたりの母親フリーダは、冗談のひとつさえいわない女だった。神経衰弱症状が数週間続くこともあった。彼女はニヒリストで、大学では政治経済学を学び、革命過激派グループの一員として、ロシアの敵と見なした人物の車両に爆弾を投げ入れるテロ事件を起こしたこともあった。ファン・ヒューヴェルは彼女の過激な二面性に惹かれたのだが、やがてその愛は過ちだったと気づいた。彼女の二面性は精神疾患による発作が原因だったからだ。医師の見立てによれば、フリーダはなすすべもない「殺人偏執狂者」だった。
 その母親の血が、エルスとマルティヌにも受け継がれていたのである。別々に育ったふたりだったが、どちらも幼少期のころから動物を殺したい衝動に駆られるなど、異常なおのれの精神性に悩んでいた。父親はエルスのそんな異常性、突如としてアマゾネスのような凶暴性を獲得してしまう娘の潜在的危険を見抜いて世間から隠そうとしてきたが、年ごろとなりド・ドラシー侯爵と婚約するに及んで、秘密を隠しきれなくなってきた。弁護士が殺されたことが公表され、父親は娘のエルスがついに罪を犯したのだろうかと恐れた。だが愛娘をどこかへ閉じ込めておくことなどできない。父親は娘をカンヌに連れて行き、旧知の医師のもとへ密かに匿わせた。ジャリーのことは、娘エルスの共犯者だと思い込んでいた。
 ところがトヴィーニなる男が現れ、娘を預かっているといって身代金を要求してきた。父親は混乱したが、ジャリーの説得を受けてもうひとりの娘を取り戻し、ようやく事の次第を理解したのだ。トヴィーニはモンパルナスで「マルティヌ」と出会い、彼女の素行ぶりを脅迫のタネにできると考え、彼女を「エルス」だと勘違いして誘拐し、父親を脅していたのである。
 いったん、ジャリーは自宅へ戻り、高熱で苦しんでいるエルスと向き合、優しい言葉をかける。そしてきみの姉妹を見つけてオッシュ通りに連れ戻した、明日きみを連れて行こうと告げる。エルスはずっと、自分のなかに危険な別人格、すなわち怪物がいることに悩んできた。「怪物は結婚などできない。だからド・トラシー侯爵が私の手を取ったときも、私は拒絶したわ。そんなとき弁護士ヴィジエ゠ルヴォーが私欲しさに現れたの」──眩暈の発作を生じ、エルスは気づくとナイフで弁護士を殺していた。「父にはこのことを知られたくない……」「大丈夫だ、お父さんは知らないよ。翌朝、彼はきみを迎えに来る。人生は続くんだ。新しい人生だよ。きみは治るのだから……」ジャリーは国立図書館で何時間もエルスの奇妙な病気について調べたのだ。そして愛がしばしば悪魔を追い払い、静穏が患者の精神的バランスを取り戻すことを知った。ジャリーとエルスの互いの愛は、彼女の病気を治癒する可能性があるのだ。すなわちジャリーの認識では、エルスは人を殺し、ジャリーにもナイフを向けて負傷させたものの無実──精神疾患による無意識下の悲劇であって罪には問われないというものであった。
 ──ここから先、ふたつの出来事が描かれる。私はここへ至ってシムノンの大いなる成長を感じ取った。
 新聞各紙はエルスとマルティヌ姉妹の事件を大々的に取り上げ、過去にも双子による類似の事件があったことを解説し報じた。朝10時、ジャリーは約束通り、エルスをオッシュ通りのアパルトマンへと連れて行った。娘の無事を知って父親は涙を流す。そのときド・トラシー侯爵がやって来た。双子の姿を見て彼は戸惑う。ジャリーは彼にいった。「あなたに婚約者をお返しします」
 そして、意外なことが起こったのである。ジャリーでさえ目を疑った。「エルス! きみを疑ったことを許してくれ!」とド・トラシー侯爵が手を取ったのは、「エルス」ではなく頭に包帯を巻いた「マルティヌ」の方だったのだ! 侯爵は以前、ジャリーのスタジオで、眠りに就く「マルティヌ」に愛の言葉を投げかけたことがある。侯爵自身は彼女のことを「エルス」だと思っているが、実際は「マルティヌ」だ。エルスは侯爵が自分ではなく双子のマルティヌを選んだことに驚いたが、すぐにジャリーとともに意味を理解した。彼は容姿ではなく個人の人格を見て婚約者を、すなわち本当の愛の対象を、無意識のうちに選び取ったのだ。いまエルスとマルティヌの違いは、頭に包帯を巻いているか否かに過ぎない。本来、侯爵が婚約したのはエルスの方だ。その点で彼は間違っていた! だが彼はいま初めて、おのれの本能で、真実のパートナーをつかんだのだ。
 その後、ジャリーたち4人はアパルトマンでささやかな夕食会を催した。テール部では、ジャリーの両隣に銀行家とエルス。向かいにマルティヌと侯爵。やや空気は重い。ジャリーはエルスと視線を交わし合い、そしてシャンパングラスを持って立ち上がった。
「皆様に放浪者の話をしましょう……。これは平凡な物語、寓話のように単純です。あるとき、ひとりの老いた放浪者がいました。彼は高速道路を走って人生を過ごしました。夢のなかには野菜と花が庭にたくさんの家が出てきて、彼はその夢をずっと抱えていました。そしてあるとき彼は溜息をついて考えました。『あの家が人生の終着点なんだ……』。そして彼は夢の家を、田舎の農家を購入するため金を貯め始めたのです。もう高速道路を走らずにすむ……。お金は少しずつ貯まっていきました。そして……」
 ジャリーの目から涙が溢れる。
「そして……、皆様がお分かりになるかどうか不明ですが、放浪者はずっと夢みてきた家を見て……、ああ、すべてが手に入った! と思いながらも……その彼を押し留めるものがあったのです。それは高速道路の眩暈、自由の眩暈……」
 ジャリーはすすり泣いていた。
「われらの放浪者はキャバレーに行って、貯めた金を散財しました。そしてまた地平線に向かっていきました……。放浪者の健康を祝して乾杯しましょう。ぼくの知る放浪者、愛の放浪者に!」
 彼は他人と同じようには人を愛せないのだった。彼は高速道路のために生まれてきた。路傍に止まることはできないのだ……。
「さあ、乾杯を!」
 マルティヌは唇を噛み、エルスはやや青ざめている。ふたりの男は場の空気に感動している。杯を鳴らし合った後、ジャリーは笑顔でいった。
「いとますることをお許しください」
 ジャリーはふたりの男と握手を交わし、そしてマルティヌには「ありがとう」と囁いてその手にキスした。あとはエルスにさよならを告げるだけだ。
 ジャリーは心のなかで自問した。いまここで彼女にキスをし、抱擁して、彼女を取り戻すべきではないだろうか? 彼女の身はかつて氷でできていた。自動人形(オートマトン)のようだった。しかしいまは歓びで震えている。
 ジャリーは頭を垂れてエルスに近寄り、その小さな手を取った。そしてその薄い肌に唇をつけた。
 そしてそれ以上は何も見ず、何も聞かずに、彼は去った。15分後、従者アルベールは主人から電話を受けるだろう。「ぼくのトランクを用意してくれ。6ヵ月、いや、2年の旅だ」「私はどうすればよろしいので?」「きみも行くんだよ、もちろんさ! 3時半に北駅で会おう!」そうしてジャリーは受話器を置いて、たくさんの人が行き交う街中を、北駅に通じるマゼンタ大通りへと向けて歩いて去った。
 3ヵ月後、パリでド・トラシー侯爵とマルティヌ・ファン・ヒューヴェルの結婚式が執りおこなわれた。エルスはひとり自室でジャリーからの手紙を読んでいた。「あと数ヵ月でぼくは帰る。ぼくの小さなエルス……、ぼくらが友人になるにはあと数ヵ月必要だ。放浪者に家はない……、けれどもときには帰る曲がり角があってもいいんじゃないか? ぼくらはどちらも人生に貪欲だ。何者にも邪魔されない自由をいつだって情熱的に求めている。ぼくらは互いに自分自身を追いかける必要があるんだよ。でも同時に互いの目を追い求めるんだ。そして交差点で出会ったときは、お互いどれほど旅してきたか、それぞれの道跡を測るんだ……。ぼくの小さなエルスへ。旅行者がいつか広大なる世界の魅惑から逃れるそのときまで……」
 エルスはここで目を留め、そして再読する。自分の知る愛の放浪者は、いつかすべてを見たいという彼自身の渇きを癒やして、戻ってくるときがあるのだろうか? 他の女も、エルスより以前に、やはり同じように彼の帰りを請い願ったのだろうか? 
 その女性の記憶がただの美しい思い出になるまで。自分の抱える夢が終わり、現実という名の箪笥にしまわれるそのときまで。

 このラストを読み切った瞬間、物語中の細かい矛盾や疑問はすべて吹き飛んで、どうでもよくなってしまった。この寓話の放浪者とはすなわち当時のシムノン自身だ。船旅を続けている若きシムノンそのものだ。彼自身が冒険家──アヴァンチュリエなのだ。前作『名もなき愛人』で主人公ジャリーは、ひたすら自分探しを続けていた。しかしいまジャリーは冒険を経て、自己を外側から見つめている。世界のすべてを見たいという衝動を自覚し、だからこそひとつの安寧の家には住めないのだと理解しつつ、それでもときには帰るべき場所があってもよいのではないかと考えている。まさに世界へ飛び出してゆこうとしている若者の情熱だ。これこそ若者が精いっぱいおのれを見つめて心に描く未来像だ。そしてすべてのアヴァンチュリエの未来でもある。
 本作でシムノンはようやく、誰のものでもなく「シムノンにしか書けない結末」を創作できた、といってよいのではないか。前作『名もなき愛人』までは、先達が書いてきた結末――ルブランがまさに『虎の牙』で描き切った結末をそのまま利用してきた。だが本作の結末はルブランが書かなかったものだ。
 それでいてルブランの持っていたアヴァンチュリエの精神を、確かにシムノンは引き継いだようにも思えるのだ。

 本作が発表された翌年、1930年7月7日、《シャーロック・ホームズ》シリーズの作家アーサー・コナン・ドイルが亡くなる。この1930年という時期も、改めて考えると意味深い。シムノンは前作『名もなき愛人』でシャーロック・ホームズの名をはっきりと出している箇所があるほどで、もはやホームズのキャラクターは誰もが知るアイコンであった。そしてドゥルワールの伝記は、その夏ルブランがドイルへの追悼記事を書いたことを紹介している。
(前略)シャーロック・ホームズは、「誰それとはっきり分かる著名人や、私たちの周囲に暮らす、その他大勢の身近な人びとの成す行列の一員なのだ」と書いた時、ルブランは、きっとルパンのことを考えていたのだろう。ルパンについて[作家のジョゼフ・]ケッセルが使った言葉を、ルブランは繰り返した。「たったひとつでもいいから、文学的類型を生み出すこと、それこそ、何らかの創造的霊感の印だとお思いになりませんか?」。
 これこそまさにシムノンとメグレの関係に受け継がれていった文学的創造性ではないだろうか。
 ルブランは作家コレットにたびたび自著を謹呈していた。上記のようにジョゼフ・ケッセルとも親交があった。いずれも若き日のシムノンを育てたメンターである。
 シムノンのことを考えながらドゥルワールのルブラン伝を読み返すと、多くの再発見がある。たとえばルパン・サーガに登場するガニマールという警部の名が、大手出版社ガリマールの創業者ガストン・ガリマールの父、当時パリの名士であったポール・ガリマールにそっくりであることは皆が気づくところだが、1907年に新作舞台劇としてアテネ座でルパンの物語(『戯曲アルセーヌ・ルパン』『ルパンの冒険』)が上演されたとき、ルブランはポール・ガリマールに配慮して、ガニマール警部の名をゲルシャールと変更した。この名前が当時実在の名捜査官、グザヴィエ・ギシャールから採られていたという指摘にはあっと驚かされる。ギシャールはメグレの上司であるから(第60回参照)、つまりガニマールとメグレは物語世界のなかで直接の上司と部下の関係にあったのである。
 こうして文学は続いてゆくのだ。
 ルブランは第二次大戦中の1941年11月6日にひっそりと亡くなった。享年76歳。

 イーヴ・ジャリーの冒険譚は本作で終わりを告げるが、メグレ誕生にはまだ至らない。メグレへの途上でシムノンは再度、ジャリーと『名もなき愛人』に登場させたメグレの原型・エージェントN.49ふたりの発展型を、別の小説で書くことになる。次に読む長篇は『煙草の男L’homme à la cigarette』(1931)だ。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。
《日本ロボット学会誌》2020年1月号に寄稿した小説「鼓動」の無料PDF公開が始まる。中篇「ポロック生命体」の前日譚にあたる(https://doi.org/10.7210/jrsj.38.78)。




 
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