みなさま、カリメーラ(こんにちは)!
ギリシャ語で「ミステリ小説」、特に「長編」は「アスティノミコ(ミシストリマ)αστυνομικό (μυθιστόρημα)」といいます。もともと「警察(長編小説)」の意味で、たぶんフランス語Roman policierからの翻訳ですが、別に警察捜査物だけではなく、謎解きからハードボイルド、心理サスペンス、クライムストーリーまで広く含んだジャンル名として使われます。もちろんこれがそのまま題名につくことはほとんどありません。作品タイトルとしては欧米作品によくある「~の殺人」(フォノスφόνος)よりも、「~の犯罪」(エングリマέγκλημα)の方が多い気がします。もっとも、そういうあからさまなものよりやはり「記憶のたわむれ」「第四の女」「盲目の魚」「死者たちのダンス」「昔、はるかな昔」といった謎めくものの方が目を引きます。
これら以外に、特に短編アンソロジーでよく見かけるのですが、書名に「〇〇ノワール」(Νουάρ)が付くものがいろいろとあります。例えば、『テサロニキ・ノワール』(エッセイ第30回)、『バルカン・ノワール』、アポストリディス編『ラテン・ノワール』、翻訳物として『コンスタンチヌポリ・ノワール』(Κωνσταντινούπολη Νουάρ, 2018)、『ブルックリン・ノワール』(Μπρούκλιν νουάρ, 2019)、『ハバナ・ノワール』(Αβάνα Νουάρ, 2021)、なんてのもあります(いずれもΧριστόδουλος Λιθαρής訳)。必ずしも暗黒街物やハードボイルドだけではなく、パズラー派やホラーっぽいのまで入っていて、ごく広義の「アスティノミコ」=「ミステリ小説」の意味で使われているようです。《黒い闇の物語》といったところでしょうか。
今回ご紹介するのは、そんなノワール物の一冊、『マニ・ノワール』です。
◆ マニ地方の光と影
ペロポネソス半島の南には三本の岬が突き出ていますが、その真ん中がマニ地方です。
不羈独立の風土に富んでおり、オスマン支配期にはヴェネチアと手を組んで抵抗し、独立戦争で大きな貢献を果たした地方です。ギリシャ独立後、中央集権を強力に進める初代大統領カポディストリアスを暗殺したのはこの地方の覇者マヴロミハリス一族でした。
![]() https://el.wikipedia.org/wiki/%CE%9C%CE%AC%CE%BD%CE%B7#/media/%CE%91%CF%81%CF%87%CE%B5%CE%AF%CE%BF:Bathia’s_Towers.jpg ◆マニ地方のヴァシア村に残る館と塔◆ |
このマニ地方の西部、ストゥパ村出身のミステリ作家がいます。パナイヨティス・ヤヌレアスΠαναγιώτης Γιαννουλέαςです。デビュー作『
![]() 『マニ・ノワール』 ドロモン出版社、2022年。 |
本書にはマニ地方、特にストゥパ村を舞台にした短編15作が収められています(つまりこの期間中、地域の犯罪件数が急増したわけですね)。
今まで本エッセイに登場してもらった《ギリシャ・ミステリ作家クラブ》の常連たちももちろん名を連ねます。
ちょっとご紹介しておきましょう。
まずは六歌仙No. 3《愛欲ひとすじ》フィリポス・フィリプ「犬を連れた女」(Φίλιππος Φιλίππου, “Η κυριά με το σκυλάκι”) はチェーホフ作品のように始まるかと思わせておいて、それを越えてお得意の男女愛欲まみれの犯罪に突き進みます。《ギリシャ・ミステリ随一のトリック派》ネオクリス・ガラノプロス「悲惨な特権」(Νεοκλής Γαλανόπουλος, “Θλιβερό προνόμιο”) はこの作家らしく、連続殺人とストレートなフーダニット。鼻息荒く捜査に突進する警察助手の姿が笑えます(こういうユーモアも持ち味)。《文学派》の故セルギオス・ガカス「テルマとルイーズ」(Σέργιος Γκάκας, “Θέλμα και Λουίζ”) は麻薬がらみで前科のある若い娘が、愛するフィンランド人女諜報員と手を取り合って、大富豪の夫や悪徳警官どもから逃れようとする話。米映画「テルマ&ルイーズ」を下敷きにしています。アンドニス・ゴルツォス「狼さん狼さん、ここにいるの?」(Αντώνης Γκόλτσος, “Λύκε, Λύκε, είσαι εδώ; ”) はストゥパ村で立て続けに狼に食い殺された兄弟の謎が、半世紀を経て明かされます。調査するのはいまや89歳となった(!)シリーズ探偵の作家アルキスです(エッセイ第16回)。
《リアリズムの極北》アンドレアス・アポストリディス「ウィンダミア卿夫人の秘密」(Ανδρέας Αποστολίδης, “Το μυστικό της λαίδης Ουίντερμιερ”) は、マニ在住の英国人女性の失踪とその過去に《マニの女毒殺者》を絡めています。現実の事件とフィクションをない交ぜにして不思議な世界を創り出すのはこの作家お得意の作風です。ある人物の書棚にはオスカー・ワイルドの本が並び(なのでこの題名)、別の人物はクリスティーの熱狂的ファン(失踪した女性の愛人はアンバリオティス……『愛国殺人』に登場する謎のギリシャ人と同姓)というふうに、楽屋落ちのいたずらで楽しませてくれます。
ついでながら、この《マニの女毒殺者》事件は、1962年に当地で起きた実際の事件です。
半身不随で家族から疎んじられていたカテリナ・ディミトレアという女性が精神的に追い詰められ、パラチンを含む殺虫剤で母親、従姉、兄を殺害します。さらに四十日間の喪が明けた後、村人を無差別に殺害しようとして逮捕、1965年に処刑されました。ギリシャでは法律上1994年に死刑が廃止されますが、女性として最後に執行されたのが彼女でした。
『マニ・ノワール』発案者のヤヌレアスはこの事件を『四度、死へ! マニの女毒殺者』(Τετράκις εις θάνατον! Η δηλητηριάστρια της Μάνης, 2022)として小説化しています。
![]() パナイヨティス・ヤヌレアス『四度、死へ! マニの女毒殺者』 キファンダ出版社、2018年。 |
それ以外に、本エッセイ初登場の作家たちも力作を寄せています。
エリカ・アサナシウ「秘密」(Έρικα Αθανασίου, “Το μυστικό”) はかつてマニの旧家の男女がある秘密のために駆け落ちし、それぞれの家と縁を切ってアテネで生活。その子孫の青年がマニを訪れ秘密を探ります。旧家がひたすら守ろうとしてきたものが印象的。アンドレアス・リコス「数字の野心」(Ανδρέας Λύκος, “Αριθμητικές Φιλοδοξίες”) はエネルギー会社の顧問を務める数学者が殺され、ハンガリー数学協会からの不思議なメールが届いていました。エルデシュ数という数学概念が登場し、殺害の動機は実に風変りです。ヴァーソ・パパドプル「遺書」(Βάσω Παπαδοπούλου, “Η διαθήκη”) は、ストゥパからの移民の息子で、米国エリス島育ちの男がカード賭博の諍いから人を殺めてしまいます。密かにギリシャへ逃れ、両親の故地で土地に根ざして生き延びようとするのですが、外国人扱いされた挙句……。ゲオルギア・パパリベリ「メロピ」(Γεωργία Παπαλυμπέρη, “Μερόπη”) は女主人公がストゥパ対岸のメロピ島の海岸で、砂に埋もれたビール瓶の中に殺人告白書を見つけ、あの手この手で強引に調査、65年前の罪が暴かれます。しかし一番怖いのは(自分には無関係な)真相解明に異様なまでにこだわる捻じれた執心でした。
アンソロジー中で個人的にいちばん楽しめたのは、歴史物ニナ・クレタキ「スカルダムラのファベルジェ」(Νίνα Κουλετάκη, “Φαμπερζέ στη Σκαρδαμούλα”) です(すでにエッセイ第5回に人形アニメ「おばあちゃん」で登場)。物語は1917年のロシア革命で幕を開けます。ニコライ二世が王妃への贈り物として技師ファベルジェに造らせた世界的な宝物《インペリアル・イースター・エッグ》のひとつがギリシャ人豪商の手に渡り、スミルナ、アテネ、マニのスカルダムラの町、と場所を変えながら密かに継承されます。ところが、最後に手に入れた人物はギリシャのシリアルキラーの実話にとり憑かれており、異様な行動へと突き進むのでした。
なお、こちらのシリアルキラーは上の《マニの女毒殺者》より三十年前のこと、1936年にアテネ北のカログレザの森で少年と少女を殺害した《カログレザの竜》ダミアノス・マヴロマティスという人物です。犠牲者数では「シリアル」はいい過ぎなのかもしれませんが、未成年に対する凶悪犯罪という点でギリシャを震撼させた事件でした。
ところで、ストゥパは人口千人にも足りない小さな村ですが、かつてある有名作家が滞在したことで知られます。ニコス・カザンザキスです。第一次大戦も終わりに近づく1917年、カザンザキスはヨルゴス・ゾルバスという人物と組んで、ストゥパの鉱山開発に取り組みました。事業自体は失敗し二年ほどで当地を去りますが、この時の体験が三十年後に舞台をクレタに変えて『その男ゾルバ』(原題は『アレクシオス・ゾルバスの波乱万丈の生涯』1946年刊)として結実します。ストゥパ村にはカザンザキスが住んだ小さな家が今も保存されているそうです。
ということであれば、今の作家たちがこのネタを利用したくなるのは当然のことでしょう。『マニ・ノワール』は別にカザンザキス・トリビュートではありませんが、収録作のうち半分の8作が、何らかの形でカザンザキスに言及しています。
例えば単純なものとしては、容疑者の書斎にカザンザキスの作品が並んでいた(ゴルツォス「狼さん狼さん、ここにいるの?」)から始まり、腕利きの女諜報部員の愛読書がカザンザキスの哲学的主著『禁欲』だったというのもあります(ガカス「テルマとルイーズ」)。あるいは、殺し屋が車の中で本を読んでいて、突然相棒に「お前、自分の指が切れるかい?」と尋ねます(ヴァシリス・ダネリス「暗殺者の浜」Βασίλης Δανέλλης, “Του Φονέα”)。いきなり任侠物か?と読む方はビックリしますが、実はこれは『その男ゾルバ』の最初に出て来るシーンです(ゾルバは陶芸用の
現代のミステリ作家にとってもカザンザキスはアイドルなんでしょうね。
◆ 女性作家二人の合作
合作ミステリと聞けば、真っ先に浮かぶのはもちろんエラリー・クイーン。他に(私の世代なら)ロジャー・スカーレットやエマ・レイサンなどです。リレー・ミステリであれば各作家の持ち味の違いが溢れ出て、逆にそれが読みどころとなるのでしょうが、一つの作者名での合作となるとたいへんなはず。仲がいいのはもちろん大前提、作風が近いこともたぶんポイントになるでしょう。どちらがどの部分を担当し、結果としてそれぞれの持ち味がどう融合するのか。研究書でも読まないと、その辺はっきりとは分かりません。
ギリシャ・ミステリでも合作は珍しい。すぐ思い浮かぶのは《心理の検死解剖》ティティナ・ダネリの場合で、ミステリ・デビュー作『1プラス1はお好きなだけ』(Ένα και Ένα κάνουν όσο θες, 1981) など三作品で別々の作家と試みています(エッセイ第4回)。女性作家同士では、上記『マニ・ノワール』「メロピ」のゲオルギア・パパリベリが、ユーモア探偵パンデリアスで知られるコンスタンディナ・モスフ(Κωνσταντίνα Μόσχου, エッセイ第18回) と協力して、『私は自分の殺人者を愛した』(Αγάπησα τον δολοφόνο μου, 2011) など二作を発表しています。
今月の二冊目はそんな珍しい試みのひとつ、レーナ・マンダ&クレリ・セオドル『女の事件』(Λένα Μαντά & Κλαίρη Θεοδώρου, Γυναικεία υπόθεση, 2021) をご紹介します。
![]() レーナ・マンダ&クレリ・セオドル『女の事件』 プシホヨス出版社、2021年。 |
セオドルはドイツを舞台にした長編ミステリ『三つの問い』(Τρεις Ερωτήσεις, 2023) などで知られています(エッセイ第38回)。マンダの方はまだ読んだことがありませんが、2001年のデビュー作『あなたに出逢った日』(Τη μέρα που σε γνώρισα, 2001) 以来、『十二神とのワルツ』(Βαλς με δώδεκα θεούς, 2005)、『五つの鍵』(Τα πέντε κλειδιά, 2014) など恋愛や家庭をテーマにしたリアリズム作品を20点以上も発表している人気作家だそうです。すでに名を成す二人の女性作家――しかも作風が全く異なる――がタッグを組んだ場合、どんな作品が出来上がるのでしょうか?
2010年代ギリシャ金融危機が続くなか、欧州委員会や欧州中央銀行から突き付けられた財政の緊縮条件に対し、ギリシャ政府は国民投票を呼びかけ、さらにはEUからの離脱か?と世間が揺れています。
事件はアテネ北部の自宅で殺された女性の死体で始まります。六年間ドバイの国際企業で勤務し、アテネ支社を任され帰国した有能なビジネスパーソンのようです。主役となるアテネ警察本部の女警部補ノーラが急行しますが、現場の状況になんだか既視感を覚えます。五年前扱ったカーニヴァルの女性殺害事件に酷似したセッティングで、女性が身につけたゴルゴンの仮装や、凶器に使われた仏陀の像(実際は布袋でしょうね)もその時の状況とそっくりなのです。しかも死体はノーラが父親から贈られたのと同じネックレースをつけていて……となると、犯人からの挑戦? なにかのメッセージ? 当然五年前の事件を再調査。その際有力な容疑者だった医師の夫が、今回の事件がきっかけとなって拘留されます。
模倣殺人はこれに終わらず、第二第三の惨劇が続きます。しかも、絞殺してヨットのマストに吊るしたり、椅子に縛りつけ拷問したりと、手口があまりにも残忍陰惨です。ギリシャ社会には馴染みの薄い《シリアルキラー》(と登場人物たちがいってるので同一犯なのでしょう、たぶん)の狙いはどこにあるのか。そもそもなぜ模倣するのかが問題です。 ある章のタイトルは「Copy cat」ですが、シガニー・ウィーバー主演のあの映画がヒントなのか、それとも目くらまし?
過去の模倣された事件の再調査も必要になって来るので、捜査の労力は二倍です(読者の集中力も)。
ときおり挿入される犯人(らしき人物)の禍々しいモノローグは徐々に過激になっていきます。やはり単一犯でしょうかね?
ド派手で大がかりな複数犯罪にもかかわらず、実際に捜査をおこなう(焦点があてられる)のはノーラ警部補と部下のニコラス、それに女私立探偵エルピニキのトリオです。第一の犯罪で模倣された過去の事件の際に、遅々として進まぬ警察捜査に苛立った被害者親族が独自に雇ったのがエルピニキ嬢で、三人のうちもっともキャラが立っている、というか現実離れしています。直感・推理・格闘術、探偵としての腕は申し分ないうえに、バービー人形のような目の覚める美女で、警察署内を悠然と闊歩しては男性職員の注目を浴びています。事件解決で名を挙げようとする若手ニコラス君は最初から反感を感じ、ことあるごとに彼女の言動に反発します。こんな凸凹トリオで大丈夫なのかと読む方は心配してしまいますが。
連続殺人と並行してこれまた濃く語られるのが、ノーラ警部補のかかえる家庭問題です。母サンディーは仕事第一で、国内に五店舗を抱えるアパレル実業家として成功し、娘のことなど構っていません。対して、父ソクラティスは大学の国文学科に所属する学者肌の穏やかで、しかし有り体にいえば優柔不断な人。登場早々夫婦が不仲であるのは性格のずれだけではなく、娘ノーラとその子のことも関係しているようです。ノーラは偶然知り合った売れない歌手オディセアスと恋に落ちますが、母親は猛反対。温厚な父がまあまあ、愛し合ってるんならいいじゃないか、と宥めるのも耳に入れません。ノーラは反対を押し切って結婚し子どもが生まれますが、アスペルガー症候群を患っています。しかも夫オディセアスは結婚直後に交通事故死。その弟も自閉症で施設に入所中。ノーラは幼い息子の世話をしながら、シリアルキラーを追うという超難題に直面しています。父ソクラティスは仕事をほったらかして娘の家に入り浸り、孫の面倒を見てくれますが、読者の方も疲れてしまいそう。
あまりに身勝手な母親といい、娘に甘すぎる父といい、正直なところ読者はどちらにもちょっと共感しにくいです。
作者の二人は当然仲が良いはずですが、それぞれが得意な部分を目いっぱい書き込んだのでしょう。家庭ドラマ部分はマンダ、ミステリはセオドルの担当というのがあきらかに透けて見えます。それだけに、ネタをちょっと盛り込みすぎで、消化するのが大変です。
ミステリ部分は『三つの問い』のセオドルらしく、凝りに凝ったプロットですが、コピーキャットでかつシリアルキラーなので、犯罪件数が二倍になって捜査も錯綜。読んでる方もメモして整理しておかないと、これどの事件の犠牲者?と迷ってしまうほど。しかもノーラ警部補が狙われているように見えるはなぜなのか、これも気になります。
ただ、これだけなら手の込んだミステリとして愉しめばいいのですが、加えてノーラの家庭面の問題がまた複雑です。両親の不和、母娘の対立、自閉症の息子と夫の弟の世話、と向かい合うべき課題が山盛りです。
こうして色合いの異なるこの二つの主軸が絡みあい大変なことになっています。
連続殺人が新たな展開を見せ、さあ次はどうなる?というところで、ノーラの両親の喧嘩が挿入され、これが延々と続きます。読者は頭の切り替えに挑戦されているかのよう。《相棒》シリーズと橋田寿賀子劇場が一つになった世界とでもいうか、お食事処「おかくら」の長女が警官となって特命課に配属され、猟奇事件を追う感じ……
……とは書きましたが、マンダ&セオドルはその後も『誤射』(Φίλια πυρά, 2022)、『書物は滅びず』(Scripta manent, 2023)、『ジョーカー』(Τζόκερ, 2024) とノーラ警部補シリーズを毎年発表し、すでに最新作『
![]() レーナ・マンダ&クレリ・セオドル『 プシホヨス出版社、2025年。 |
◆ 欧米ミステリ中のギリシャ人(41)―― ピーター・ディキンスンのギリシャ人――◆
二年連続CWAゴールド・ダガー受賞、設定がとにかく
問題の作品は『盃のなかのトカゲ』(1972年)、ピブル警視シリーズ第四作です。
のっけから「いつでも彼を殺してみせますよ」と、穏やかならざるセリフで警視登場。何だかわからないまま話が進みます。そのうち、マフィアに命を狙われているギリシャ人富豪が腕利きの部下を集め、対抗策をシュミレーションしているようだとわかってきます。西インド諸島の島をマフィアと結びついた大手銀行が開発し、麻薬とギャンブル基地にする計画を立てていたところ、この富豪が割込んできて島の大統領とのコネで利権を奪ってしまい、怒り狂ったマフィアに狙われているようです。でもその部下にピブル警視がいるってどういうこと? 潜入捜査? 疑問符だらけですが、なぜか警察を退職し、私立探偵として雇われているらしい。件の富豪というのがギリシャ人タナトス。何て名前でしょう、「
ピブルはタナトス警護のため、山頂にある修道院にまで足を運び、狙撃は不可能であることを確かめます。そこで二人の修道士やイコン制作をしている英国人女性とも知り合いますが、彼らをマフィアが買収するのはちょっと無理だな、と安堵します。ピブル、まっとうに仕事はしてるようです。
ところがその後、タナトスが水上スキーを楽しんでいるとボートが突然爆音を立てて炎上。タナトスは間一髪で救われます。さらに英国内務省の切れ者が突如来島し、実はこの地には麻薬密売の噂があってだな、とピブルに明かします。ピブルはマフィアの暗殺者に加え麻薬取引の情報も得ようと、島の芸術家グループの怪しげなパーティーに参加するのですが……ただし、こう書いていても何が起きているのか、私もよく分かってません。いちおうマフィアに対抗するタナトス・ファミリー(feat. ピブル)の構図のようですが、これにヘロイン精製疑惑が絡み、おまけに島に潜伏するテロリストやら、世紀のイコン大発見、岩窟の修道院での夢幻めく礼拝といったエピソードが次々に登場して、どこに連れていかれるのやら秘境をさまよう気分です。しかもこの作家の特徴なのか、各部分がいずれも同じ密度で描写されており、そもそもピブルが何のために島内を走り回っているのか、読むうち忘れてしまいそうになります。
最後の最後になって、犯人を含めた人物たちの行動の真意をピブルが解いてくれますが、ひどく駆け足の説明ですぐには理解できませんでした。いちおう死者も出て、ミステリの範疇に何とか収まるのかもしれませんが、それにしても摩訶不思議な作品でした。
ただ嬉しいことに、ギリシャ人がゾロゾロ登場します。
まずは大富豪タナトス。部下の実業家パランガロスと妻ゾイ。ピブルを歓迎する長身のフリソストモス修道士とウーゾの盃を手放さない酔いどれポリドロス修道士。ピブルをオリーブ泥棒だと思い込み喧嘩を吹っかける農夫バンゲリス。地元のタゴーロス警部。この警部は慎重で優秀な警官として好意的に描かれます。それにエキストラ格の島の少年たち。革命前もオスマン朝ではなく西欧の影響下にあったイオニア海の島だけあって、少年たちはクリケットの試合に興じ、ピブルも誘われます(「
ギリシャ語が飛び交い、ピブルもコリンズ社の『ギリシャ語会話必携』片手に頑張っています。「この国を妻メアリーと同じくらいに愛していた」というくらいギリシャびいきで、もう六回もギリシャを訪れているとか(!)。会話がなかなか上達せず、簡単な飲み物を注文するくらいしかできなくて、来るたびに落ち込んでいるそうですが、オリーブの木に登って収穫を手伝ったり、僧衣を着せられて大聖堂で礼拝に参加したりと体を張って地元民との交流に励みます。外国人探偵の中では一番ギリシャ語を口にしているのではないでしょうか。エーゲ海の美女と知り合うのを夢見て会話練習帳まで買いながら、結局パスポートは抽斗に入れたままに終わったモース主任警部とは大違い(エッセイ第27回)。
| ■ピブル警視のギリシャ語講座■ |
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-Καλησπέρα σας ! (カリスぺラ・サス!)「こんばんは!」 -Ευχαριστώ. (エフハリスト)「ありがとう」 -Παρακαλώ. (パラカロ)「どういたしまして」 -Φωτιά;(フォティア?)「(タバコの)火、どうです?」 -Καλώς ήρθατε, κύριε.(カロス・イルサテ、キリエ)「ようこそ、ミスター」 -Εμπρός! Βιαζόμαστε, αργήσαμε.(エンブロス! ヴィアゾマステ、アルギサメ) -Είμαι αστυφύλακας. (イメ・アスティフィラカス)「私(ピブル)は警察官です」 |
ギリシャ語を学ぶ者にとって、ああそうそう、と思わせる箇所もありました。
英語では科学や技術の専門用語はギリシャ語かラテン語から借用して造るので、ピブルはその手の固い単語なら大丈夫だろうと、ホテルの支配人たちに「ヘリコプター」や「テレパシー」とかいうのですが、いっこうに通じません。確かに語源はギリシャ語なのですが、下のようにアクセントと発音が微妙に違っていて、英語式にしゃべっても伝わらない気がします。
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英 helicopter /héləkɔptə/ ギ ελικόπτερο /elikóptero/ 英 telepathy /təlépəθi/ ギ τηλεπάθεια /tilepáθia/ |
(あとどうでもいいことですが、「ヘリコプター」の最後の「ター」は《行為者》の意味――「ヘリコプトする者」――ではなく、ギリシャ語「プテロπτερό」“羽”から来ています。「ヘリコελικο-」は“旋回する”。私はギリシャ語を学んで初めて知りました)。
ギリシャ語の単語ばかり並べりゃ英語の文章が作れるはずじゃないのか!とヤケになったピブルは「
さて、秘境冒険ミステリとでも呼ぶべきか、舞台は架空のヒオス島です。この名で思い出すのはエーゲ海
ファンタジーめく異界の島でストーリーが進みますが、現実世界に触れた箇所が急に出てきて、ドキッとしました。
登場人物たちがこんなことを言ってます。
「二年前に政府――あの軍人たちの政府よ――が法令を出して売ってない土地は全部、僧院へかえすことにしたの。それにヒオス島には人々が遺言で修道士たちにおくった小さな土地が方々にあるの」
「最近アテネの政府の決定で、もと僧院の所有だった土地がかえって来た。しかし、神父たち二人には僧院を修繕したり、大酒を飲んだりするほか収入の使い道がない」
本書が出版された1972年は、まさにギリシャ軍事独裁政権のさなかです。政府としては国教である正教会、修道院と良好な関係を築く必要があるのでしょうが、こんな政策があったとはまったく知りませんでした。現代ギリシャ史を研究しておられる佐藤良樹氏にお尋ねしたところ、特にそういう法令は確認できないが、戦前の1930年頃に国家が修道院の土地の一部を処分管理する制度が整えられ、1952年には農民に再分配されるので、その辺の事情を物語風に圧縮したのではないだろうか、とのことでした。
作家は奔放な空想力でもって歴史的事実を巧みにひねくりながら、架空の島の歴史を作り上げたということでしょうか。もっといえば、「あんなに酒浸りじゃ二か月とは持つまい」と噂される酔いどれ神父やお宝イコンの発掘場面へとただ繋ぎたいがために、こんな制度を編み出したのかと想像したくなります。
◆《盃のなかのトカゲ》を追って
ともかくも印象的な題名です。何かの比喩かと思いきや、実際にトカゲ、というかヤモリが登場します(タイトルとしてはThe Lizard in the Cupの方がThe Gecko in the Cupより響きが良いのかも)。
修道院で食べ物の器にきちんと蓋がされているのに気づいたピブルに、英国人ナンシーが説明します。「それはサミミチをよけるため」「サミミチって?」「トカゲの一種ね。ヤモリよ。小さくて桃色がかった色をしてる。指に肉趾がついてて壁をかけのぼるの」。
島ではこのヤモリが這いまわった食物や、中で溺れ死んだカップのミルクを口にすると、病気になったり命を落とすという伝説があり、誰もが用心しているのだそうです。ナンシーは「サミミチという名はどの本にものってなかったけど。ギリシャ本土では呼び名が違うのかもしれないわ。でも、ガイドブックにも出ていないのよ」といってますが、方言により発音のバリエーションがあるにしろ、「サミャミシσαμιαμίθι」“ヤモリ”は普通に辞書に載ってる語です(まあ、ガイドブックには出てないでしょうけど)。ちょっとギリシャ語っぽくない単語ですが、ヘブライ語shaemamitからの借用らしい(ちなみに“トカゲ”は「サヴラσαύρα」――“ザウルス”の語源ですね)。17世紀終わりに出版された中世ギリシャ語辞典でも「多くの人がヤモリ(トカゲ)を通常『サマミシ』と呼ぶ」とされています。
それよりも、ヤモリには毒があって不吉な存在だという伝説は知りませんでした。我が国では「家守」「守宮」の字から明らかなように、家を害虫から護ってくれる縁起のいい生き物とされているし、台湾の「
ギリシャではありませんが、同じ地中海のポルトガル人研究者の面白い論文に出会いました(LUIS M. P. CERÍACO, “Gecko’s Folklore in Portuguese Oral Tradition”, ORALITIES – International Conference on Oral Tradition – Oral and Cultural Heritage Oral communication paper 11th, 12th, 13th November of 2010)。ポルトガルでは地方によってヤモリ(特に、地中海イエヤモリMediterranean house gecko, Hemidactylus turcicus)が皮膚病を引き起こしたり、水を汚染するという言い伝えがあるそうです。そのため触るのは厳禁、たまたま入り込んだ食器類を使ってさえ中毒になると信じられているといい、このへんはヒオス島の伝説に通じます。こういう伝承は西アフリカ、北アフリカ、アラビア半島、南西アジアなどに広がっており、もともとアラビア文化の影響ではないかと論文の執筆者は推測しています。
幼年期をローデシア(ザンビア)で過ごしたディキンスン、こうしたエキゾチックなネタを作品に仕込んだのかもしれません。
ただ、肝心なのは『盃のなかのトカゲ』のテーマとどうつながるのかですが、正直なところ私にはよくわかりませんでした。先に書いたように、クリスティーのような毒殺事件は起きません。確かにトカゲ/ヤモリは出てきて、毒をもたらす伝承が語られ、クライマックスでは僧院にひとり立つピブルの傍らでヤモリが鳴き声をあげています。
「時計の中の骸骨」とか「列の中の男」なら明らかに具体的な対象を指しているし、「鳩のなかの猫」や「匣の中の失楽」は一種の比喩でしょう。この「盃の中に入っているヤモリ」っていったい何なのか? ピブルの心には「もし飲んでいたミルクのコップの中にサミミチがおぼれ死んでグニャグニャになり、皮膚の色があせ、金色の目が光っているのを見たら、震えあがるのは当然である。死体を隠していた、清潔でおいしそうなミルクに裏切られたのだ」との思いが浮かびますが、つまりは何かの象徴? 姿を見れば死が訪れる凶兆? 隠蔽された誰かの裏切り? 風光明媚な島の奥に潜む禍々しい毒?
ササっと一読して腑に落ちるというわけにはいきませんでした。
せっかくなので、というかこのままでは消化不良なので、もう少しディキンスンの世界に触れたいなと思い、他のピブル警視物も読んでみることに。ありがたいことに未訳1点を除いて5作品がすべて和訳されています。
デビュー作はいきなり1968年度CWAゴールド・ダガー賞の『ガラス箱の蟻』です。
ロンドンに集団で越してきたニューギニアのクー族の酋長が殺害され、退職まぢかのピブル警視が捜査するという、とんでもない設定です。ただし、最初に事件ありきで、死体が握る両面表のコインとか、左手による撲殺の迷信、そのほか真犯人を指す伏線がきちんと張られていて、『盃のなかのトカゲ』よりはミステリっぽく感じます。
題名がこれまた不思議ですが、ヒロインの文化人類学者が、ガラス箱に入れられたアリの巣を観察するようにクー族の面倒を見ている、という比喩のようです。あれこれ命令すると逆に彼らは何も覚えないため、ただ黙って見守っているのですが、それだけに密林内と変わらぬ慣習と言語が飛び交う別世界がここロンドンの館の中で続いています。
文体も特異で、ことばを磨き上げているというか、敢えて意味不明にしているようなところがあります。一番大事な(はずの)解決場面でも「○○が犯人であるのは確実だ。だから侵入しようしたんだろ! 畜生、私(ピブル)はなんてのろまだったんだ! ところで話は変わるが」でおわり。ピブル警視が説明を端折りすぎてて、ちょっとついて行けませんでした。
個人的にはミステリ部分よりも、ニューギニアでのクー族と文化人類学者との出会いとか、クーの少年僧による奇怪な太鼓の儀式の方が面白くて、そっちをもっと読みたかった。
翌1969年の『英雄の誇り』は二年連続CWAゴールド・ダガー賞という快挙です。
第二次大戦の英雄と謳われた将軍と提督の兄弟は、今では田舎の広大な屋敷に隠遁しています。将軍の娘婿は生活維持のため観光客を受け入れる邸内ツアーを企画、屋敷はテーマパークのようになり、かつての大英帝国の栄光にも傾きかけた影が差します。弟の提督は作家に転身し、ライオンの生態観察にハマった挙句、屋敷内にライオンの生態区を設置。そんな折老召使いが不可解な自殺を遂げますが、スキャンダルを避けるため、わざわざロンドン警視庁からピブル警視が事後処理に呼ばれて……
ピブル警視は決して
前作同様、内包する情報は多いのに説明は切り詰められ、しかもストーリー進行に重要な部分がそうでない部分と同じような調子で語られるので、気を抜くと読み飛ばしそうになります。確かに伏線は張られていますが、この人いつの間に殺された?とか読み返すことが何度もありました。
謳い文句は「正統派ミステリの傑作」。『世界ミステリ作家事典』でも「実はとっても真っ当な本格ミステリ」とあるのですが、作家はホントに謎解き小説が書きたかったのか?(そもそもディキンスンは『世界ミステリ作家事典 本格派篇』ではなく『ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇』に入ってます)。例えば、同時期CWA賞のジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』(1971年)やブレイク『秘められた傷』(1968年)を期待して読んでいくと、なんだか違う場所に飛ばされてしまいます。『オランダ靴の謎』や『ABC殺人事件』を読んで夢中になった人に、何か本格ミステリの面白いの教えてといわれて、お勧めするのはちょっと……
![]() ピーター・ディキンスン『英雄の誇り』 早川書房(ハヤカワポケットミステリ)、1971年。 |
続く『封印の島』(1970年) は『ガラス箱の蟻』とは逆で、ピブル警視の方が異世界に放り込まれます。
スコットランド沖合の島に隠遁するノーベル賞受賞の老科学者がピブルを招き、自身の回顧録を盗んだ相手を突き止めるように依頼します。もはや真っ当な凶悪事件の捜査ではなく、どうにも地味な任務ですが、島ではさる教団が怪しげな《永遠の町》を建設中。訪れたピブルの周囲には盗聴装置が張り巡らされます。何だか違うジャンルの作品になっていくようです。ピブルの父はかつて老科学者に仕えた職工だったことが明かされ、二人の間にあったらしい因縁にピブルは興味を持ちます。こうして異境の島で、盗まれた文書、教団の目的、警視の父親の秘密などがゴチャゴチャに絡み合って、またしても奇天烈な《ディキンスン節》が炸裂し、スペクタクルたっぷりの脱出劇へなだれ込みます。
窃盗犯の正体よりも、謎の教団のとんでもない計画が読みどころですが、正直なところそれよりも、岩の牢獄からの息詰まる脱出劇や、荒れ狂う嵐の中の渡海と敵との対決といった冒険シーンの方が強烈な印象を残します(作者も一番熱を込めて書いてる)。
大先輩マイケル・イネスにもアプルビイ警部が得体のしれない犯罪を追って南半球の島へ乗り込む『陰謀の島』(1941年) があって、読み比べると面白いです(田舎の馬車馬、魔女の子孫、幽霊屋敷丸ごとといったチグハグなものが盗まれ、謎が次第に収束していくイネス作品の方がストーリー的には惹かれますが)。
四作目の『眠りと死は兄弟』は孤島ではなくロンドン南部が舞台であるにもかかわらず、これまで以上に風変わりで謎めく設定になっています。
ピブルが向かったのは「キャシプニー」なる奇病の子供たちを収容したクリニック。子供たちは虹彩のまわりが濃い緑色を帯び、ハムスターのようにぽっちゃり太って、動作はゆっくりフワフワ、突然睡魔にとらわれると二十時間眠り続ける、という実に不可解な病気です。しかも私服で現れたピブルを見ただけで「お巡りさんが来たよ。帽子をなくしたみたい」とつぶやくように、何か予知能力が発達するらしい。クリニックのシルヴァー博士はこの超能力を研究にのめり込んでいます。
で、ピブルがどうしてクリニックに来たかです。冒頭「いくら体よくうわべを飾ってみても、解雇は男に自信を失わせるものだ」とあるように、三十四年目にして警察を退職。上層部ともめたか(前回の『封印の島』事件の暴走で?)、組織のリストラがあったのか、はっきりとは語られません。訪問の理由も奥さんのメアリーから、よくわかんないけどクリニックが法律問題で困ってるらしいから相談に乗ってあげて、と送り出されたためです。これまでの作品以上に、話の行き先が想像し難い。
訳者工藤政司氏があとがきで書いておられますが、「キャシプニーcathypny」はディキンスンの造ったことばで架空の病気だそうです。ただし造語の元は明らかで、ギリシャ語「カタκατά-」“下へ”と「ヒュプノスὕπνος」“眠り”を組み合わせたもの。“眠り込み”の感じでしょうか。
ストーリーはクリニック経営に反対する環境保護団体やら、ホテル王による施設買収の野望、患者の関係者の脱獄などが混ざり合って、ごった煮の世界が広がります。ピブルも最初はおせっかいだと断られながらも、ちゃっかり相談役に納まった挙句、超能力がある(らしい)子供たちの「○○さんはかわいそう」の拙いことばを手掛かりに、ある人物の身に迫る危険を察知して、警視庁の元同僚から情報を得ようとするのですが……とかストーリーを書こうとしみたものの、やっぱり面白さがうまく伝えられません。この作家の作品は実際手に取って、奇想天外の世界を体験するしかなさそうです。
題名『眼りと死は兄弟』(Sleep and His Brother)はトカゲやアリの場合よりはっきりしています。罹患した子供たちはすぐ眠りこんでしまうんだと医師がいうと、秘書が「眠りはなんて美しいのでしょう。眠りとその兄弟の死は」と続けます。別の箇所では医師自身が「あの子たちは幸福だよ。孤独じゃないし、悩みごともない。死にしたって眠りにつくみたいに安らかなものだ」と吐露しています。
P・B・ シェリーの詩『マブ女王』からの引用だそうですが、面白いことに、もともとは「死はなんとすばらしいものか、死と兄弟にある眠りも!How wonderful is Death/ Death and his brother Sleep!」のように、「死」が「眠り」より先に来ています。ディキンスン作は、まずは子どもたちの眠り病がテーマだからでしょう。
(ちなみに、たまたま並行してバークリー『絹靴下殺人事件』を読んでいたら、連続自殺事件の死者が「なんと死はすばらしいのだろう……」と書き残すシーンが出てきてちょっとビックリ。こちらはシェリーの原典通りです、
さて、この作品で(私にとって)一番の衝撃だったのはアタナシオス・タナトス氏の登場でした。作品を順番通りに読んでいけば何のことはないのでしょうが。『盃のなかのトカゲ』以上に彼の背景が語られます(作者お気に入りのキャラなんでしょうね)。
自身が語るところでは、トルコ南部の町アダナの出身で、1909年オスマン朝によるアルメニア人の大虐殺があった時に襲われて穴倉に投げ込まれますが、ギリシャ人の僧によって奇跡的に救い出されます。それで「
一応ギリシャ人ですが、人によってはアルメニア人と呼んでいます。上のような生まれ育ちなので、結局本名も母語もよくわかりません。クリニックのシルヴァー博士が外国を流れ歩いていた際にイラクリオンのヨットハーバーで出会い、意気投合したそうです。一杯ひっかけほろ酔い気分で博士が口にした「ジート・オ・タナトス!(タナトスよ、永遠なれ)」が気に入ったようで、英国での仕事を世話してやったんだとか。
最後に読むことになったこの作品、異様な設定には魅かれたのですが、あいかわらず一読して分からないことだらけ、伏線らしきものを探しながら何度も読み返し、少しずつ全貌が見えてきたようです(たぶん)。それだけに逆に忘れられない印象を残す、ピブル・シリーズ中一番のお気に入り作品になりました。
こうして退職したピブルは、五作目『盃のなかのトカゲ』でタナトスのボディーガードになっていきます。
ピブル・シリーズ最終作One Foot in the Graveの翻訳は出ないんでしょうかね? 題名からして、いよいよピブルの最期のようにも見えますが……出たら買います。
『毒の神託』(1974年)や『生ける屍』(1975年)といったノンシリーズになると、ストーリーはさらにぶっ飛んでいます。不戦の誓いを結んだ砂漠の王国と沼の民族、あるいはカリブ海の独裁者一族の島(『盃のなかのトカゲ』の登場人物の親族らしい)、とここでも異境秘境のお話です。どちらも殺人らしきものが起きますが、『生ける屍』は本格ミステリとして読むと、それだけ?という感じ。クライマックスで族長たちを前に謎解きが行われる『毒の神託』の方がまだミステリ風の骨格を持っています。しかし正直なところ、どちらの作品ももはや誰がやったか?などより、主人公の英国人科学者(読者には理解しやすい側)が砂漠・沼・熱帯の島の民族(読者の常識が通じない側)の中に投げ込まれて、魔法や催眠術や精霊信仰が跳梁し、対立、暴動、戦争が吹き荒れる狂騒の異世界で、いかにして相手と折り合うのか(たぶん折り合えないでしょう)の物語にグイグイ引っ張られます。おまけに言語学者とチンパンジーのコミュニケーション(これは期待通り、謎解きにもリンクしてて面白い)、ネズミ相手の魔法、女ハイジャック犯などがカオスのように登場し、読者の目前で世界がぐらぐら揺れます。『封印の島』をパワーアップしたような、極彩色の世界に潜り込んでいくドキドキ感、異なる世界がぶつかって起きる衝撃に圧倒されました。
作家は結局こういうのを書きたかったんでしょうね。嬉々として筆を走らせています。
ピブル警視シリーズの後、1970年代からジュブナイル作品が書かれますが、実はこちらの方が私には楽しめました。ピブル本人が混乱したまま彷徨い続け、読者も引き回されっぱなしというのではなく、異境が舞台ながら主役の少年少女たちの目指す方向がはっきりしていて、読んでいて感情移入もしやすいです。
『エヴァが目ざめるとき』(1988年)は未来社会が舞台。事故で瀕死となった少女エヴァは記憶をチンパンジーに転移されて生き延びます。生物学者の娘で野性動物に馴れていたとはいえ、脳の中にはもともとのチンパンジーの意識が残っており、両者間でアイデンティティーが揺らぎ続けます。それ以上に問題なのは、野生動物が死滅しつつあり人類の生存すらも危険に直面する世界で、エヴァが身を置くチンパンジーの種族はどう未来と向き合うのか。無理にハッピーエンディングにすることなく、静かに迎える結末は読者の心に深く刻まれます。
最後の大作『ザ・ロープメイカー 伝説を継ぐ者』(2001年)は、これまで集落を守ってくれた森が魔法を失いかけ、北の蛮族と南の帝国の危険が迫るなか、いにしえの魔法使いの助けを求めて主人公の少女ティルヤが旅に出るファンタジー。同行するのはガンダルフやアラゴルンのような手練れの勇者とはいかず、目の不自由な老人、脚の悪い老婆、そそっかしい少年の三人です。彼らの使える魔術は強力な攻撃用ではなく、木や水の声が聞こえるという静謐な力。加えてティルヤ自身は母や妹のようには魔法が使えず、肩身の狭い思いをしています。こんな頼りない四人組で大役が果たせるのでしょうか? 心配しながらも物語の最後までつきあってしまいました。
『ザ・ロープメイカー』ほど長くはありませんが、私が特に気に入ったのは『青い鷹』(1976年)です(1977年度ガーディアン賞受賞)。神官たちに支配された古代エジプトを思わせる王国が舞台。老王の王権を譲渡する荘厳な儀式で、少年神官タロンは夢に神のお告げを聞き、勝手に青い鷹を連れ出して儀式を混乱させてしまいます。激怒した神官たちに罰を命じられますが、若き新王と偶然知り合い、神官たちから権力を取り戻すための助力を乞われます。疑問も持たず諾々と伝統に従う自分と、鷹を手に載せ自由に渓谷を歩む自分との間でアイデンティティーに悩む様子は、エヴァやティルヤと重なります。
クラーク・E・チチェスター氏の挿絵がチャーミングな『時計ネズミの謎』(1993年)も忘れられません。これまでに何度も出てきた動物との異種間コミュニケーションが楽しめます。町のからくり時計の中に住むネズミたちはテレパシーが使えて、語り手の老時計職人と何とか意思を通わせています(ここが一番の読みどころ)。それを知った若い心理学者がネズミの能力を解明しようと動物実験を試みるのですが…… 爽やかな結末が待っています。
『盃のなかのトカゲ』だけでは、なんじゃコレ? で終わりそうですが、『毒の神託』『青い鷹』『エヴァが目ざめるとき』などもあわせて読むと、ディキンスンの夢幻の物語世界にハマってしまいます(こっちから入る方がいいかも)。
| 橘 孝司(たちばな たかし) |
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| 広島在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっともっと紹介するのがライフワーク。現代ギリシャの幻想文学・純文学も好きです。 水滸伝思い出話の続きを。日本語を学ぶ台湾人学生に紹介したところ、「どうして日本人はここまで!」と大興奮されたのが、正子公也『絵巻水滸伝梁山豪傑壱百零八』でした。艶やかな装いから内面の人間性までが精緻に描かれた好漢百八人のうち、その学生が一番気に入ったのは地明星の |





