L’Âne rouge, Fayard, 1933/8/16(1932/秋 執筆)[原題:赤い驢馬]【註1】
『赤いロバ』松村喜雄訳《探偵倶楽部》1955/6-8(6巻6-8号)(全3回)抄訳* 1955/6の題名は「紅いロバ(ラアヌ・ルージュ)」。1955/8の奥付は「七月号」と誤記。
Tout Simenon T18, 2003 Les romans durs 1931-1934 T1, 2012
The Nightclub, translated by Jean Stewart, Harcourt Brace Jovanovich, 1979[米]*

「赤いロバ」とは、酒場の名だ。ふとそこになじんだ少年の生臭い愛情と悔恨を描く。おなじみの名探偵メグレの登場する探偵小説とは異質の文芸作品だが・巨匠の代表作の一つ

 上記は《探偵倶楽部》1955年6月号、邦訳連載初回の扉アオリ文である。
 本作『L’Âne rouge[赤いロバ](大文字の綴り字記号は省略してもよいらしいので、アクサン・シルコンフレックスを省いて『L’Ane rouge』と表記される場合もある)は、これまで紹介してきたシムノン新生第一期の『仕立て屋の恋』『赤道』『運河の家』と同時期に書かれ、しかし実際はそれらより早く執筆が終わった作品のようだ。
 そのためかどうかわからないが、ペンネーム時代の感傷小説の雰囲気が色濃く残っており、シムノン自身が過去を懐かしんでいる筆致が味わえる。上記3作よりも肩の力が抜けた、軽くて読みやすい小品に仕上がっている。
 邦訳アオリ文のように「巨匠の代表作の一つ」とはいえないかもしれないが、感傷的な気分の午後に手に取って読むにはふさわしい、シムノンらしい物語だ。
 
 物語の主要舞台はフランス西部、ロワール川河畔の都市ナント(松村訳では「ロアーヌ河」となっているが、Loireであるから表記の間違いであろう)。主人公はその地で《ガゼット・ド・ナント》の新聞記者として働く青年ジャン・ショレ19歳だ。11月、ジャンはひどい二日酔いで目が覚める。前日はナント新聞社の人々と飲みに行き、さらにひとりでトリアノン劇場へ行って踊り子たちに声を掛け、またナイトクラブ《赤いロバ》に行き、そして新聞社に戻って酔ったまま寝入り、深夜に家へ戻ったのである。ジャンは警察回りなどをして社会記事を書く若き記者だったが、大人の世界にも足を踏み入れつつあった。
 酔い覚ましにジャンは昨夜回った場所を訪れる。劇場では夜会服を着たスペールマンという興行師と会話を交わしたはずだが、彼はすでに昨夜ナントでの興業をすべて終え、町を出ていた。何となくジャンはこの男のことが頭から離れなかった。《赤いロバ》は歌手がピアノの伴奏と共に歌を披露するバーで、上階には歌い手たちが住み込んでいる。ジャンはリュリュという20代半ばの女性歌手にぎこちない想いを抱きつつあった。美人ではないが可愛らしくて内気で、ナントへ来てまだ3週間だ。コンスタンチノーブルでスペールマンと知り合い、興業の世界に勧誘されたのだという。ただし彼女はまだナントに残っていた。
 ジャンは両親や叔母と一緒に暮らしている。だが母親はこのところ帰宅が遅くなった息子を心配している。ジャンは毎日ナント新聞社に出向き、ドゥールソー主筆や少数の記者と共に新聞をつくっている。同僚のひとりであるベルト嬢28歳はまだ処女で、ジャンが夜な夜なナイトクラブに入り浸っていることを気にかけている。
 リュリュに会うためには金が必要だ。新聞社から前借し、父親からも金を無心してもらいながら、ジャンは《赤いロバ》に通う。リュリュとデートして、一緒にカフェにも入った。そんな折り、父が発作で倒れた。まさにリュリュとカフェにいたときのことで、自分が遊んでいたその時刻に父の病が悪化したことに対し、ジャンは罪悪感を覚える。
《赤いロバ》にスペールマンの親友だと名乗る男がやってきた。彼はスペールマンにきみのことを聞いたとジャンに話しかけ、記者としての顔を利用して、役所から出生証明書を盗ってきてくれないかともちかける。そして2000フラン支払うというのだ。《赤いロバ》の主人やリュリュらは男を警戒し、ジャンにあらかじめ忠告するが、ジャンは書類をさっと盗み、男から金を受け取った。ジャンには秘密ができたのだ。
 3月23日。リュリュがパリへ向かうその日、ジャンは一大決心をして彼女の後を追い、家族の想いを振り切ってリュリュと共に列車に乗る。パリで新しい生活を始めるのだ。しかし決して世間は甘くない。ジャンをすぐさま雇ってくれるパリの新聞社はなかった。むなしく日々が過ぎ、ジャンは自分が本当にリュリュを愛しているのかどうかさえわからなくなり始めていた。金はなく、父親に嘘の混じった手紙を書いて生活費を無心する。
 4月の終わり、ジャンは実家から電報を受け取った。〈チチシンダ シキユウカエレ〉……。
 
 これといった筋立てらしい筋立てもない物語だが、起伏がないことはさほど気にならない。大人へのとば口に立つ青年ジャン・ショレの繊細な心の動きが本作の読みどころだ。その点、《探偵倶楽部》版の邦訳は惜しい。
 松村訳は登場人物の行動のニュアンス部分を省略していることが多く、またときに文章を原文とまったく別の意味に置き換えたりしていて、残念ながら読者の正確な読解を妨げている。《探偵倶楽部》版だけ読んだのでは、主人公ジャンがなぜその場でそのような行動を取るのか、終始理解できないだろう。私は英訳で読んでようやく全体の流れが納得できた。【註2】
 これまで読んできたペンネーム時代の『美の肉体』(連載第23回)『運命』(連載第26回)『マルセイユ特急』(連載第27回)、さらには本名時代のメグレもの『ゲー・ムーランの踊子』(連載第10回)『紺碧海岸のメグレ』(連載第17回)を想起させる筆致である。シムノンは若いとき故郷のリエージュで《ガゼット・ド・リエージュ》の記者として働いていた。本作の《ガゼット・ド・ナント》の描写はきっと当時の体験が反映されているのだろう。少人数の新聞社で、人々が社内であれこれと動き、会話を交わし、船の事故の記事を書くため霧のなかを現地へ赴く。ビールとサンドイッチを注文して会社の皆で腹を満たす。メグレとその部下たちがパリ司法警察局でいつもビールとサンドイッチを注文しているのは、シムノンのかつての日常が元になっているのかもしれない。
 ナイトクラブの年上の女性に想いを寄せ、店に通い詰めるためにいつも金欠である、というのも、これまで読んできたシムノンらしさが出た設定だ。『ゲー・ムーランの踊子』はまさにそんな感じだった。相手の女性とデートしている最中に父親が倒れて罪悪感を覚えたり、パリへ上京している間に父が亡くなってしまって悔恨の念に駆られたりするのも、『美の肉体』の展開で見たようにシムノン節が顕れている。これらのことは作者シムノン自身の個人的な体験や想いが反映されているのだろう。読んでいて、いかにもシムノンだ、という懐かしさが去来してくる。
 そして読了後、シムノンの評伝を改めて確認してみて、やはりと納得した。シムノンの故郷リエージュには、本当に《赤いロバ》という名のバーがあったのだそうだ。町の西側にあるシュル=ラ=フォンテーヌ通り(Rue sur-la-Fontaine)である。シムノンは1919年1月から、15歳で地元紙《ガゼット・ド・リエージュ》の記者として働き始めたのだが、記者仲間に連れられて近くのカフェに出入りするようになり、まずは英国ビールを覚え、さらにナイトクラブにも行くようになった。《赤いロバ》はシムノンのお気に入りで、肩をはだけたりストッキングを直すためにスカートをめくったりする親しげな女性たちがいたと後に回顧したという。まだ当時は飲み方も知らず、酔い潰れて帰宅が遅くなることも多かったようだ。
 そして記者として働いていたころ、シムノンは実際に金欠になると歩いて15分のところにある父のオフィスに行って小遣いを無心していたという。
 もうひとつ情報がある。当時シムノンが若手画家たちの‘La Caque’[ニシン樽]という集まりに足を運んでおり、その思い出は『サン・フォリアン寺院の首吊人』(連載第3回)の描写にも反映されていることを以前に記したが、彼らはもともと2つの小集団だったのが、《赤いロバ》で互いに顔を合わせて知り合うようになったという。《赤いロバ》は美術学校や新聞社、大学からさほど遠くなかったのだ。《赤いロバ》はパリのモンマルトルのように、町の自由人や学生や若き芸術家たちが集まる場所だったと、本連載第37回で紹介したシムノンの評伝の著者パトリック・マーナムPatrick Marnhamは『The Man Who Wasn’t Maigret: A Portrait of Georges Simenon[メグレではなかった男:ジョルジュ・シムノンの肖像](2003)に書いている。〝ニシン樽〟の面々の溜まり場は《赤いロバ》と美術学校の中間にあった屋根裏部屋であった。【註3】
 私は本作がシムノンの自伝的要素のある作品で、タイトルが店の名前だということだけ事前情報として知っていたので、実はかつて自作の『大空のドロテ』に、《赤いロバ》という飲み屋を登場させておいた。『大空のドロテ』には記者時代のジョルジュ・シムノンが登場する。もちろん私の想像上の設定である。若きシムノンが取材先の町に佇む《赤いロバ》で年上の女と一夜限りのいい仲になるのを、どうぞこっそりとお楽しみいただきたい。
 
 物語は故郷における父親の葬儀へと進む。この葬儀の途中でジャンは、興業師スペールマンが一団を率いてナントに戻ってきていることを町のポスターで知る。スペールマンは物語のなかで、終始読者の前に直接姿を現さない人物である。物語が始まる前夜、酔ったジャンと劇場で話をした、という回想が書かれるだけだ。しかし彼はリュリュをジャンと巡り合わせた間接的な人物であり、自分に盗みを働かせた間接的な人物でもあり、リュリュにパリ行きを決意させて(しかし彼は興業でパリを離れており、会うことはできなかった)自分をナントから引き離した人物でもある。父への想いがスペールマンの人物像と複雑に絡み合い、最後にジャンはふがいない自分に苛立ち、その憤怒の矛先をスペールマンに向けるのである。
 ジャンはポケットにブローニングを隠し持って劇場へと向かう。ジャンはここで取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうのだろうか。もし衝動に駆られてスペールマンを殺してしまったら、ジャンの一生は破滅する。本作の最終章はそのような緊迫の元に進む。
 傑作、意欲作と称賛する類いの作品ではないが、好きな小説だ。ロマン・デュールの力作が続いたなかで、いっときの箸休めのような愛らしい物語でもある。不思議なことに、『赤道』『運河の家』の英訳版は休憩を挟みつつ数日かけて読んだのに、本作の英訳版は日曜の午後いっぱいで最初から最後まで読み終えてしまった。それだけ心地よかったということなのだ。
 
【註1】
 箱のなかのタイルを動かして「娘」と書かれたタイルを取り出す「箱入り娘」というパズルゲームがあるが、フランスではこれを「L’Âne rouge」[赤い驢馬]というのだそうだ( https://www.amazon.fr/dp/B0088QHX44 )。「娘」のかわりに赤いタイルを取り出すのだという。もっとも、このゲームが一般に流布するのは本書刊行後のことのようだ。
 
【註2】
 この松村訳では、極めて初歩的な数字の訳し間違いがある。30を20と書く類いの間違いである。連載第17回でも紹介したように、稀覯本となった戦前の『自由酒場』[紺碧海岸のメグレ]でも同様の数字のケアレスミスが散見され、間違い方が似ている。
 非常に大胆な仮説で恐縮だが、ひょっとすると戦前のサイレン社版やアドア社版に訳出された『自由酒場』は、松村氏がフランス語の原文から直接下訳をしたのではないだろうか。だから(ドイツ語からの重訳であることが推測される『倫敦から来た男』とは違って)ドイツ文学者の伊東鋭太郎訳としてはその後一度も再刊されなかったのではないか。
 これは完全に私の想像であり、ここに書いた以上の根拠はない。
 
【註3】
 話はずれるが、マーナムの評伝『メグレではなかった男』に「へえ」と驚くような記述があった。シムノンは《ガゼット・ド・リエージュ》記者時代の1920年3月、日本の裕仁親王(後の昭和天皇)にインタビューしたことがあるそうだ。
 しかしマーナムの評伝にも「インタビュアーとしてもっとも光栄な瞬間だった」とはあるが、記事がいつ出たとは書かれていない(困ったことにマーナムの評伝には個別の記述について参考文献表記がなく、記述の根拠がわからない)。ざっと見たところ、研究書のJean-Christophe Camus『Simenon avant Simenon: Les années du journalisme 1919-1922[シムノン以前のシムノン:ジャーナリズムの時代1919-1922](Didier Hatier, 1989)や図録のLily Portugaels, Frédéric Van Vlodorp『Les scoops de Simenon: Georges Sim, journaliste à la Gazette de Liège[シムノンのスクープ:ジョルジュ・シム、《ガゼット・ド・リエージュ》の記者](Editions Luc Pire, 2003)にも収録・紹介されていないと思われる。よって取材の詳細は私には不明である。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。




















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