Menaces de mort, Tout Simenon T25, Presses de la Cité, 1992 [原題:死の脅威]
・« Révolution Nationale » 1942/3/4-4/12号(全6回)(1941-1942冬 執筆)
「死の脅迫状」長島良三訳、《EQ》1998/11(No.126, 21巻6号)pp.289-312*
Illustrées par Loustal, Menaces de mort, Omnibus, 2001
Illustrées par Loustal, 6 enquêtes de Maigret, Omnibus, 2014 他に「誰も哀れな男を殺しはしない」「世界一ねばった客」「メグレとグラン・カフェの常連」「メグレと無愛想な刑事」「児童聖歌隊員の証言」収載
Sämtliche Maigret-Geschichten, 翻訳者複数名, Diogenes, 2009[独] [メグレ全短編]
Tout Simenon T25, 2003 Tout Maigret T10, 2008

 今回取り上げるのは、メグレ第二期最後の中編作品である。戦時中の1942年、《国民革命Révolution Nationale》という媒体に連載された。
 フランス国立図書館の電子図書館ガリカに登録がないようなので、私はこの媒体がどういうものだったのかわからない。だがフランス現代史を知る人は「国民革命」と聞いてぎょっとするはずだ。
 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。フランスは9月3日、ドイツに宣戦布告。最初のうちフランスはさほど戦火に見舞われなかったが、次第にドイツ軍の侵攻が進み、1940年6月14日、ついにドイツ軍はパリに入城。ここでフランスは戦争を続けるか、休戦するかの決断を迫られることとなった。
 このときフランス議会はボルドーに避難していたのだが、6月17日、議会は当時の副首相ペタン元帥に全権を委ねる決断を下した。フランスはドイツと休戦条約を締結。以後フランスは国土のかなりの部分がドイツに占領されることとなる。そうした一方で中部や南部には自由地帯があり、ペタンは政権の本拠地をボルドーから自由地帯のヴィシーに移した。こうして1940年7月11日から1944年8月25日まで、戦時中に続いた政府がヴィシー政権である。
 そして「国民革命」とは、このペタン元帥率いるヴィシー政権が、初期のころ国民の意識をひとつにするため盛んに掲げたスローガンなのだ。もともとこの言葉は第一次大戦後からあったらしいが、ヴィシー政権は巧みにプロパガンダとして利用した。
 フランスの国旗は青、白、赤のトリコロール(三色旗)で、フランス共和政の精神は「自由、平等、友愛」だ。私はてっきりそれぞれの色が「自由、平等、友愛」を意味するのかと思っていたが、フランス人に聞くとそれは間違いで、実際は君主と市民が互いに結びついているさまを表しているのだそうだ。といった確認は別として、ヴィシー政権では「国民革命」の名のもとに、この3つの色がそれぞれ「勤労、家族、祖国」と置き換えられた。フランス革命以来の基本的精神性が否定された、フランス現代史上極めて特異な時期だったのである。
 シムノンは戦争前から戦時中にかけて何度か居場所を変えたが、直接的には戦争に参加することなく執筆生活を続けた。彼の人生に大きな転機がふたつ訪れる。今後も紹介してゆくが、まず妻ティジーとの間に、初めての息子マルクMarcが生まれた。1939年4月19日のことである(ただし、晩年の自伝『私的な回想』(1981)では、なぜか4月18日とある)。マルク・シムノンは大人になって映像監督となり、女優ミレーヌ・ドモンジョと結婚するが、それは後の話。
 シムノンは生まれてきた子をとてもかわいがったようだ。マルクはまずラ・ロシェル(および、すぐ近くのニュル゠シュル゠メール Nieul-sur-mer)で育った。戦争が始まると食糧も不足するようになり、シムノンは庭に野菜の種を蒔いたりもした。1940年5月にはドイツ軍がシムノンの母国ベルギーに達し、シムノンはパリのベルギー大使館を訪れた際、参事官から特命を受ける。船でラ・ロシェルの港へやって来るベルギー人難民を列車に乗せて、フランス国内のベルギー人避難受け入れ区へと誘導するのを手伝ってほしい、という指示だった。シムノンはこれを実行する。伝記を読む限り、シムノンが役務として戦争に関わったのはこれだけのようだ。
 その後、シムノン一家はラ・ロシェルより少し北のフォントネー゠ル゠コントFontenay-le-Comteという町の近くに引っ越す。1940年晩夏、シムノンはマルクと遊んでいるとき枝で胸を突かれ、痛みが残ったので町の放射線科医に診てもらったのだが、そのときあなたは心臓肥大症であと2年の命だと告げられたのである。これに驚いたシムノンは、息子マルクにシムノン家の歴史を書き残しておくべきだと考え、『Je me souviens…[私は思い出す…](1945)と、そして長大な『Pedigree[血統書](1948)を書き始める。息子と過ごす時間も大切にした。ときおり英国軍の飛行機が上空を飛び、爆弾の炸裂する音が聞こえてきたりした。
 そうして2年が過ぎたが、シムノンは死ななかった。1942年11月、一家はサン゠メマンSaint-Mesminというさらに少し北の、空気のよいところに転居。シムノンは野菜をつくって暮らしながら執筆活動を継続。新たな医師の口利きでパリの著名医師を訪ね、再診察してもらう。すでにパリはドイツに占領されていた。そして以前の放射線科医の見立てがまったくの誤診であったことを知るのである。
 ──というのが、自伝『私的な回想』に記述された有名なエピソード。だが作家・シムノン研究家のピエール・アスリーヌは、著書『シムノン伝』でこの話に異を唱えている。当時、妻ティジーと女中ブールがそれぞれ別々に医師へ電話して確かめたが(町に放射線医はひとりしかいなかった)、「彼は2週間もすれば通常の生活に戻れますよ」といわれたのだという。また当時、周りの者が気遣って、他の医師からセカンド・オピニオン、サード・オピニオンをもらってきたが、いずれも彼は健康であって2年で死ぬことはないとの答だった。シムノンは父デジレが心臓病で亡くなったことを思い出して神経過敏になっていただけではないか、ということだ。
 いずれにせよ、こうしてシムノン一家の戦争生活は終わり、いったんパリへ出るが、戦後すぐに新天地アメリカへと赴くのだ。
 戦争中、シムノンはヴァンデ県にいたことになる。地図で確認すると、自由地帯ではなく占領地帯であったようで、実際海岸近くのラ・ロシェルでは空爆の危険もあった。
 今回読む中編「死の脅迫状」は、フォントネー゠ル゠コント在住時期に書かれた。だが、なぜヴィシー政権のスローガン「国民革命」と同じ名前の媒体に連載、発表されたのだろう? 確かにヴィシー政権設立当初はペタン元帥に賛同する文化人も少なくなかった。シムノンもそうしたひとりだったのだろうか? 
 これが伝記を読んでも書かれていないのでわからない。少なくとも、現在私が信頼しているふたつの伝記、パトリック・マーナム『メグレでなかった男:シムノンの肖像』とピエール・アスリーヌ『シムノン伝』には記載がない。Michel Carly『Simenon: Les anées secretes Vendée 1940-1945[シムノン、知られざる年々 ヴァンデ県1940-1945]にもないようだ。自伝『私的な回想』にもない。
 ヴィシー政権と「国民革命」のスローガンがそれなりに国民に受け入れられていたのは1941年12月までのことで、それ以降は後退期であったらしい。このちょうど端境期に「死の脅迫状」は書かれたことになる。だが《国民革命》なる媒体がどのようなものだったのか、アンリ・ミシェル『ヴィシー政権』、川上勉『ヴィシー政府と「国民革命」』、宮川裕章『フランス現代史 隠された記憶』といくつか関連書を読んでみたものの、まったく言及がない。
 アスリーヌの『シムノン伝』に拠れば、シムノンは世間に渦巻く憎しみの感情には抵抗したが、それまでも右派系、左派系どちらの新聞にも小説を書いてきたし、戦時中は田舎で穏やかに暮らすことを望み、これといった政治的発言や活動はしなかったようだ。ただし彼は以前から新聞書評欄で自著への評論をよく読んでおり、そのなかには《国民革命》の書評者の記事もあったと1ヵ所だけ言及がある。そういう意味では親しみのある媒体ではあったのだろう。政治信条にかかわらずたんに依頼があったから連載しただけなのかもしれない。
 そして本作「死の脅迫状」は、その後一度もシムノンの著書に収録されることはなく、ほとんどの読者は存在を知らなかったはずだ。1992年、プレス・ド・ラ・シテ社の《シムノン全集》第25巻に初めて収録されて日の目を見た。ただしそれ以降も、全集でしか読めない状態がしばらく続いた。フランスの一般読者がふつうに買える単行本のかたちで出たのは、おそらく2001年刊行のオムニビュス社版が初めてだったと思う。イラストレーターのルスタルが統一挿絵を手がけた6冊のメグレ中編叢書の1冊である。
 なぜシムノンが生前に本作を著書に入れなかったのか、やはりわからない。研究書をくまなく当たればどこかに経緯が書いてあるのかもしれないが、私がこれまで見た限りの資料には書かれていない。今後も継続して調査したい。
 前置きが長くなった。さて、このようにして本作「死の脅迫状」はずっと幻の作品だったわけだが、その出来映えのほどは実際のところどうだろうか。

 陽光が燦々と降り注ぐ6月。メグレは局長に呼び出され、エミール・グロボワ氏53歳を紹介された。彼は数々の有力者と面識のある企業主なのだが、「おまえは日曜日の午後6時前に死ぬ」という差出人不明の脅迫状を受け取っていたのである。その週末、グロボワ氏はクードレイの別荘で家族と過ごすことになっていた。局長の願いは、クードレイだと司法警察局の管轄外ではあるが、個人的にメグレに同行してもらい、犯行を未然に防いでほしいということであった。グロボワ家には莫大な資産がある。
 メグレはクードレイの別荘に足を運んだ。エミール・グロボワには双子の弟、オスカール氏がいる。また彼らには姉のフランソワーズがおり、彼女は以前にある男と結婚し、一時期まで会社はその男と共同経営してきたのだが、男が亡くなり、フランソワーズとふたりの子供、20歳の兄アンリと18歳の妹エリアーヌが残された。また別荘には女中バベットがいる。
 メグレは彼らとともに週末を過ごすことになったのだが、くせ者ばかりだと気づいた。アンリは定職も持たず刹那的な遊びに溺れているようだし、エリアーヌはずっと露わな水着姿で川と家を往復し、奔放な性格を見せつけている。またメグレはオスカール氏が女中バベットと抱き合っているのも目撃してしまった。彼らのなかに脅迫状を送った者がいるのだろうか? 
 日曜の昼食後、人々の不安と猜疑心はついに頂点へと達し、脅迫状を受け取ったエミール氏は「これから6時まで誰も部屋から出るな」といい出した。
 そして脅迫状の指定した午後6時が近づいてくる。いったい何が起こるのだろうか? 

 本作は『メグレの新たな事件簿』後半の収載作品(第62回)と同じく中編の長さだ。ストーリーや雰囲気もそれら後半の、しかもいったんメグレが引退した後の終盤作品とよく似ており、つまり第2シーズンの延長と位置づけることができる。
 そして残念なことに、あまり面白くないことも、第2シーズンの終盤作品と似ている。
 奇妙な一家の災厄にメグレが巻き込まれる展開は「メグレと消えたミニアチュア」と似ている。陽光のもとメグレがパリを離れて事件に向かう展開は、その次の「メグレと消えたオーエン氏」に似ている。本来は長閑な別荘地で、しかし一家のねじれた関係性が浮かび上がってくる──という展開はすでにシムノンの定番だ。これらの人間関係を前にして、メグレはしきりに嫌悪感や怒りを覚える。こうした状況もメグレものの定番だ。つまり本作は既視感のある手すさびの物語だという印象を与える。第一期メグレでは、作者シムノン自身にやる気がないとき、決まって作中のメグレもわけもなく怒っていたのだが、そんな悪い書き癖が蘇ってしまったかのようでもある。
 最後はパリに戻ったメグレがばたばたと局長に真相を報告して終わる。作中ではメグレがかつて「ボノー事件l’affaire Bonnot」という実際にあった一連の強盗事件のとき局長といっしょに仕事をしていたことが明かされるのが目を惹かれるところだが、アナーキスト強盗のジュール・ボノーJules Bonnotが活動したのはベル・エポック時代で、彼は1912年に死んでいるので、メグレの時代とは合わない気がする。訳者の長島良三氏は訳注で「1930年代前後(の事件)」と書いているが、ちょっとわからない。別のボノー事件があったのだろうか。一方、やはり長島良三氏が訳注で書き入れている通り、本作でメグレは過去の短編「首吊り船」第61回)の事件に言及している。よく関連に気づいたものだと、長島氏の観察眼に驚いた。
 本作は書籍収載の時期も遅かったためだろう、一度も映像化されていない。
 そしてぜひとも読むべき作品かというと──「メグレ作品を全部読む」というメグレマラソンに挑戦している人以外は、とくに読まなくてもよいと思う。
 そういわれるとかえって気になって読みたくなる? マニア心がくすぐられる? その気持ちはよくわかる。実際に読むかどうかはあなたの判断に任せる。

   

 これでメグレ第二期の中短編はすべて読み終わったので、星取り表をつくった。★5つが満点である。

★星取り表

連載回 タイトル/原著刊行年月日(記事リンク) 星取り
メグレ中短編(第二期)第1シーズン(短編)
#61 「首吊り船」1944/3/30(1936) ★★
#61 「ボーマルシェ大通りの事件」同(1936) ★★
#61 「開いた窓」同(1936) ★☆
#61 「月曜日の男」同(1936) ★★☆
#61 「停車──五十一分間」同(未発表) ★★☆
#61 「死刑」同(1936) ★★★☆
#61 「蠟のしずく」同(1936) ★★★
#61 「ピガール通り」同(1936)
#61 「メグレの失敗」同(1937) ★★☆
第2シーズン(中編)
#62 「メグレ夫人の恋人」同(1939) ★★★☆
#62 「バイユーの老婦人」同(1939) ★★★☆
#62 「メグレと溺死人の宿」同(1938) ★★★
#62 「殺し屋スタン」同(1938) ★★★★
#62 「ホテル“北極星”」同(1938) ★★★★☆
#62 「メグレの退職旅行」同(1938) ★★★
#62 「マドモワゼル・ベルトとその恋人」同(1938) ★★★
#62 「メグレと消えたミニアチュア」同(1938) ★☆
#62 「メグレと消えたオーエン氏」1967(1938)
#62 「メグレとグラン・カフェの常連」同(1938)
第3シーズン(短編)
#63 「街を行く男」1950(1940) ★★☆
#63 「愚かな取引」同(1941) ★☆
特別編(中編)
#68 「死の脅迫状」1992(1942)

 戦後の第三期にもいくつか中編作品はあり、決して数は多くない。ただし総じて質は高く、第三期ならではの読み応えを放っている。
 第二期の中短編を総括しよう。本連載では執筆時期によってこれらを4つに分類した。
 第1シーズンは30枚の短編群9作。おそらくは1日1作のハイペースで執筆されたと思われる。シムノンにとっては渾身作『ドナデュの遺書』第58回)後の肩慣らし程度のつもりで書いたものかもしれないが、いくつか非常に切れ味の鋭い傑作があり、ペンネーム時代にショートコントで鳴らしてきたシムノンの筆の冴えが味わえる。ベスト作品は「死刑」で、メグレ入門編としても最適であり、もしミステリーのアンソロジーピースに選ぶならこれしかない。通常、アンソロジーを編む際、50枚以上の作品は敬遠されるからだ。
 第2シーズンは100枚の中編。実はこの10作が、メグレものを読み解く最重要の鍵だと私は感じている。この10作を順番に読めばメグレものがなぜ魅力的なのか、また同時に、なぜ魅力が“ない”のか、はっきりとわかる。
 この第2シーズンで、メグレは現役警視から退職・引退へと進み、そして隠居後の生活へと至る。メグレ第一期の長編群で辿った道が繰り返されるのである。作者シムノンにとっては過去の自分を追体験する道のりであったわけだが、この過程をもう一度経ることが、作家シムノンにとっては非常に重要な体験だったのではないかと思われる。これは他の評論家がまったく指摘していないことで、私個人の見解だが、ここがキモだという直感は外れていないと思う。
 実際、現役時代の話「メグレ夫人の恋人」から老齢となった「殺し屋スタン」を経て作品の質は右肩上がりに伸び、引退直前のエピソード「ホテル“北極星”」で頂点に達する。これが第二期中短編群の最高傑作だと断言する。その緊密感、緊張を保ったまま引退直後の話「メグレの退職旅行」へと続き、ここでもシムノンの筆はまだ熱気を孕んでいる。そして、そこから先は隠居後の物語へとさらに続いてゆくのだが、この過程でシムノンの筆の熱は徐々に冷めて、作中の老いたメグレと一心同体となるかのように、陽だまりのゆったりとした時間に遊び、ジャンル小説の一種であるエンターテインメント・ミステリーの枠内でくつろぐようになるのである。
 これによって肩の力が抜けたシムノンは、その後エンターテインメントと割り切ってメグレ第二期の長編を書くようになる。結果としてそれらはどれも良質の娯楽作品に仕上がった。
 以上が私の見立てである。この第2シーズンがなければメグレものは決して現在まで多くの読者に愛されることはなかっただろう、とさえ思う。隠居後を扱った物語は右肩下がりに緊張を失い、凡作になってゆくが、作家シムノンにはこの過程が必要だったのだと私は思う。
 その証拠に第3シーズンの短編2作は、よい意味でくつろいで読めるジャンルミステリー短編になっている。ヘンに“文学”にしようとしていないところに好感が持てる。ものすごい傑作、というほどではないが、楽しめる作品だ。
 そして時期を置いて書かれた特別編「死の脅迫状」は、あくまで番外編であり、この世に存在してもしなくても誰にも迷惑のかからない、作家シムノン自身にとっても特に意味をなさない、はっきりいえばどうでもよい一作であろう。
 日本ではメグレ第二期は残念なことにあまり読まれていないが、こうして中短編群を振り返ると、やはりジョルジュ・シムノンという作家を評価するのに欠かせない重要な時期の作品群だったのだと改めてわかる。シムノン作品のなかに「緩急」が生まれた時期であり、それが作家シムノンの「呼吸」をさらに豊かなものにした。
 一方で、もしもこれらの中短編群を順番通りではなくばらばらに読んだらどうなるか。私たち読者は一貫したストーリーが組み立てられないので、個々の作品の読みどころがわからず、シムノンという作家を見失ってしまう。たとえば第1シーズンの短編なら、30枚というあまりの短さのなかで性急に物語が完結してしまうことに面食らい、どこに抒情を感じればよいのかわからなくなるだろう。また第2シーズン後半の隠居後の作品を読むとあまりにミステリーとして緩いので、いったいこれが本当に巨匠と呼ばれる作家の作品なのかと首をひねる羽目になるだろう。世評ではシムノンは大人の読書に耐えうる“運命の小説”だといわれているのに、実際に読んでみるとピンとこない。いったいどこが運命の小説だというのか。魅力がわからない、魅力が見つからない、ということになりかねない。私もかつてはこの陥穽に嵌まっていた。
 本当は日本でもメグレの中短編は原書の順番通りに並べ直して再刊されるのが望ましい。そうして初めてメグレは“発見”されるだろうと思うのだ。
 さて、メグレ第二期はさらにあと2作続く。それらの長編に期待が高まる。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。


 
■最新刊!■




















■最新刊!■













■瀬名秀明氏推薦!■


 

■瀬名秀明さんの本をAmazon Kindleストアでさがす■

【毎月更新】シムノンを読む(瀬名秀明)バックナンバー