【第4回札幌読書会(5月18日開催)告知文】

翻訳ミステリー札幌読書会判決文

主文

被告人ラスティ・サビッチを『推定無罪』において保護観察処分20年、処分明け寸前の『無罪』において累犯に及んだため有罪とする。

判決理由

被告は職場の女性との浮気により家族を苦しめ、かつ浮気相手の女性が何者かに殺害せられるに至り、刑事被告人となるという体験をした。殺人罪での審理及び判決は本書に委ねるものとし、当法廷では被告がダメ男であるか否か、被告に赦免を与えることが適当であるかについて審理した。

まずダメ男であるか否かについてであるが、ダメ男の定義が個人の価値観によって大きく変わるものであり、浮気の事実1点のみによって認定されるものではない。

ダメ男の諸条件としては、生活力がない、自己の欠点を認めない、現実に流される傾向があるなどといったものに加え、どこか滑稽であったり、可愛気があったりするものである。

被告はこれらの条件を充分に満たしているとはいえず、当法廷では被告に対する「ダメ男」の呼称が適切であるとは考えない。

ではダメ男でなければそれでいいのか。

何故被告は我慢に我慢を重ねた挙句、結局は不貞を働くに至ったのか。

そもそも職場内での不倫はご法度である。被告は自身の忍耐についてくどくどと述べ立てているが、潔く妻と離別し、後顧の憂いなく自由恋愛を楽しむべきではなかったか。

加えて被告は極めて恋愛経験が乏しいがゆえに幻想が強く、そのためにみっともないほど自己抑制を失った。俗にいう「痛い人」そのものである。

特に自宅において、妻の前で不倫相手を思い出しながらその関係が終わったことを嘆き悲しんで慟哭する様はただひたすらに自己憐憫と我儘以外の何ものでもなく、そこには妻に対する一片の謝罪の姿勢もなかったことから多くの女性読者を不愉快たらしめた。

全体を通して被告の言い訳がましさ、他人への悪意の正当化といった無意識の自己憐憫や自己弁護は実に見苦しいものであり、意図的で小賢しい「嫌なインテリ」であることは疑いようがない。

ハッキリ言って、ダメっていうよりバカである。

しかしながら、被告を擁護する陪審の意見は傾聴に値する。

職場内不倫に関しては「毎日顔を合わせているからこそ恋愛に発展するものであろう」との見解が示された。

また被告以外にも恥ずべき行為に及んでいる登場人物は少なくなく、被告のみが断罪されるのは公平を欠くといえる。

その中においてリップランザー刑事、ケンプ弁護士、デラ・ガーディア検事の存在が心和ませるものであったことをここに明記する。

しかし彼らといえども清廉潔白の士というわけではない。所謂「普通の男」がこれほどにも珍重されるほどに本書にはダメダメな登場人物が多いということであり、このような人物たちが法を司っているキンドル郡の住民には心からの同情を禁じ得ない。あの人たちに裁かれるのはなんと気の毒なことか。

被告の強い自己憐憫は厨二病の典型的症状であるという札幌読書会厨二病診断専門医の意見書を当法廷は支持する。

被告の年齢を考慮するといささか心もとない気はするが、厨二病は時間経過に伴う症状の緩和の可能性があること、そしてこの大人になりきれない、純粋といえば純粋、正直すぎるほど正直な被告の今後を陪審員が心から心配し、加えて長年の真面目な勤務態度や、妻のエキセントリックな性格による日常生活の陰鬱さ(しかし、妻が失調していく経緯は明らかにされておらず、そこに夫である被告の落ち度はなかったかという検証は不十分である)を考慮た上で、好ましくはないが「隣のサビッチ」程度の距離感であればコミュニティでの生活を持続することもやぶさかでないという判断をした女性陪審員にはその温情に対し、当法廷は心から敬意を表するものである。

よって当法廷は本件『推定無罪』において、被告を20年の保護観察処分が相当と判断した。

被告には陪審員の寛大さに心からの感謝をし、今後の日々を慎ましく、謙虚に生きていくことを望む。

同時に被告は冒頭で殺害されたために自己の生き方について弁明の機会を与えられることのなかったキャロリン・ポルヒーマスの無念を忘れてはならない。

ここまでが『推定無罪』における当法廷の司法判断である。

ところがご承知のように被告は20年後の『無罪』において、情けなくも累犯に及んだ。

せっかく家族の幸せを堅持していたのに、またもや若い女にフラフラっとなり、過去の痛みも忘れて性懲りもなく不貞に及んだ。

残念である。遺憾である。

弁護人からは「(被告は)『無罪』になっても変わっていなくて、いやむしろあまりにも変わらないことに感動すら覚える」との弁論がなされ、つまり保護観察期間中にサビッチ氏は肝心なことを学んでいなかったと判断せざるを得ない。

感動的なまでに懲りないラスティ・サビッチ氏は殊ここに至っては有罪とするのが相応である。

最後に当法廷よりこの問題が更に広く議論がなされることを祈って、本書より次の言葉を全ての読者に贈りたい。

—— 「真実の発見なくして、希望があり得るでしょうか?正義への希望が」

【後編(翻訳ミステリー新聞・札幌地方版)はこちら)】

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