最後の方に、◆2020年のクラシック・ミステリ◆という回顧を書いておりますので、ご覧いただければ幸いです。
■R・オースティン・フリーマン『ソーンダイク博士短篇全集Ⅱ 青いスカラベ』
ソ―ンダイク博士物の短篇総集を目論む国書刊行会の「全集」も順調に二巻目。本巻では、中篇2編、短篇9編、付録2作品を収録している。
「ニュー・イン三十一番地」(1911) は、一昨年『ニュー・イン三十一番地の謎』として紹介されたソーンダイク物第3長編の原型であり、『赤い拇指紋』より前に書かれたソーンダイク博士初登場作という。代診医をしているジャーヴィスは、夜の往診で奇妙な患者を診察する。患者の置かれた状況は不審で、その症状はモルヒネ中毒とも思われ、旧友のソーンダイク博士に相談する。一方、ソーンダイクは遺言書の書換えに伴う遺産相続事件を扱っていて…。プロットの骨格は長編とほぼ同じで、双方の事件が交錯することや犯人のトリックにはほぼ見当がつくのも同様だが、ソーンダイク博士の数学の証明問題を解くような推理と論証が冴える。
「死者の手」(1912) は、後に長編化されたため、作家の生前には単行本未収録の作品であり、『歌う白骨』所収の短篇に続く倒叙物。ヨットで殺人を犯し、死体を海に投棄するという犯行がドラマ性をもって進行し、発覚しない犯罪と思えたものを博士の知識と推理で打ち砕く。
この作品でいささか興味深いのは、科学的捜査法の優位を法律家の用いる手法と比較して関係者の弁護士に語っている点。
「(前略) そのときは、口頭証言で法律家の心を満足させたらいい。だが、まずは科学的方法にチャンスを与えてもらいたいね」と博士はいう。
「あなたのやり方は実務よりスポーツの本能に訴える」と弁護士は皮肉る。
博士が数々の物的証拠を適示した後、さきの弁護士である兄と医者の弟の反応は対照的だ。
「口頭証言や文書証拠を扱うのに慣れている」弁護士には、博士の説明は「あまりに突飛で、なにやら空想的な議論であり、技巧的で面白おかしく、まったく説得力のないものに」聞こえる。一方、弟の医者は、自身が観察した事実の推論に基づいて行動することに慣れており、博士の説明をすんなり諒解する。
ソーンダイク博士自身、医師であり弁護士でもあり、ここに登場する兄弟は、博士の人格を分割したものとも受け取れる。博士の中では、物的証拠を重視する科学的手法=スポーツの優位は、法的手法=実務を超えているということは揺るぎがない。
「パーシヴァル・ブランドの替え玉」と「消えた金貸し」は、『大いなる肖像画の謎』という短篇集からとられた倒叙物。オークションで人骨を買うという出だしの奇矯な犯罪が描かれる前者には、ユーモラスな面も。後者は不慮の事故に犯人の大胆な計略が加わる。犯人側のやるせない事情も書き込まれ、ドラマとしての厚みが増している。
残る7編は、『ソーンダイク博士の事件簿』(1923) から。ソーンダイク博士の綿密な調査、科学知識に基づく厳密な推理という基本型を軸に、様々なヴァリエーションを試しているようだ。
「白い足跡の事件」は、足の小指の欠損した足跡をめぐる事件。ジャーヴィス自身の事件といってもいいほど、ワトスン役のジャーヴィスがソーンダイク流の推理をみせるが、本家にはかなわない。「青いスカラベ」は、ヒエログリフを用いた暗号と宝探し物。Ⅰ収録の「モアブ語の暗号」は、一種のメタ暗号物だったが、本編もそうした趣もある。エジプト学者が「意味もつながりもない」と断言したところがミソ。
「ニュージャージー・スフィンクス」は、現場に残された帽子の手がかりから連続殺人を追う。追跡を断念させる犯人側のトリックが凶悪。「試金石」は、遺言書の消失事件。検死審問で博士が真犯人を指摘してみせる構成がドラマティック。「人間をとる漁師」は、逃走犯が置き忘れた鞄とステッキが、別な宝石盗難事件とクロスする。大きな「浮き」をはじめとするソーンダイクの謎の買い物という趣向も楽しい。「盗まれたインゴッド」は、輸入された金塊盗難事件。犯行現場より先に輸入の地点に向かう博士の行動にソーンダイク流がよく出ているし、船による追跡はなかなかのサスペンス。「火葬の積み薪」保険金を巡る焼かれた死体事件。これも検死審問で、ソーンダイクが「爆弾」を投げ込んでみせる。
謎解きの鍵は、現場に残された埃や紙片、生物の断片であったり、特異な病跡であったり、一般人が知り得ないものである点は、先にみた科学的手法優位のフリーマン流の特質であり、限界であるかもしれないが、シチュエーションや語りでは読者を飽きさせない工夫が凝らされていることは、7編の連作からも明らかだ。
付録「探偵小説の技法」(1924) は、フリーマンの探偵小説観を伝える重要なエッセイ。「探偵小説に固有な質とは、読者に提供する満足が主に知的な満足であるということ」は黄金時代の同胞の理論的支柱になったと思われる。フェアプレイを重視する作家は読者に提供するデータの厳密性を重要視する。その理論的帰結として、偽の手がかりは一切使わないと(同時代作家に批判も込めて)自作を語っている点は、ここにも科学的手法重視の態度が現れていて、興味深い。
本書には、第1巻同様、当時の挿絵や図版も収録されているが、当時の読者になって、雑誌を紐解くような楽しみを与えてくれる。
■小森収編『短編ミステリの二百年 4』
こちらも快調、『短編ミステリの二百年』も早4巻目。本巻は、主に40年代から60年米国の警察小説、クライムストーリー、幻想と怪奇短編など13編から構成されている。
ロバート・ターナー「争いの夜」は、短いながらショッキングな一編。不意の暴力による死、ただそれだけを扱った作品だが、フィクションの中で親しんできた暴力が剥き出しに現前したような感覚がある。「ロバート・ターナーという作家は、同時代の短編ミステリの作家の中では、腕前が抜けてます」と書いている。編者の「発見」だろう。
ローレンス・トリート「
ヘンリイ・スレッサー、ジャック・リッチー、ジャック・リッチーといった名手は、何を採るのか難しいところだが、ヘンリイ・スレッサーは単行本未収録ながら単なるオチを超えた奥行きのある「正義の人」、ねじれた展開にヘンなペーソス漂うジャック・リッチー「トニーのために歌おう」が採られたのは嬉しい。
リチャード・マシスン「獲物」は、先住民の小さな人形が独身女性に襲いかかるというホラーだが、両者の命がけの戦いを描いて息もつかせず、さらに邪悪な結末が待ち構えている。
シャーリイ・ジャクスン「家じゅうが流感にかかった夜」は、『野蛮人との生活』からの特におかしみのある一編。
ジョン・チーヴァー「五時四十八分発」は、都会派作家のミステリといってもいい作品。かつて一夜を共にし翌日に解雇した女秘書が私を追ってくる。原因は男の欲望に根ざしているだけに、この罪と贖罪の物語は、生々しく迫ってくる。
最後の三つは、MWA賞短編賞受賞作。ウィリアム・オファレル「その向こうは――闇」は、有閑夫人の慢心が悲劇を生む。貧富の差が拡大する現代にも通じる物語。レスリー・アン・ブラウンリッグ「服従」は、本邦初訳。主人公は、アルジェリアの村を治める行政官であるフランス人の娘。父は、戦場に狩り出され、村で唯一の白人として残った娘は、たった一人のドイツ人中尉の「捕虜」となり、心ならずも対独協力するが…。敵同士の若い男女を描いて甘酸っぱい部分もあるだけに、結末は苛烈だ。大学生短編賞で二席をとった作であり、作者の知られる限り唯一の作という。
マージェリー・フィン・ブラウン「リガの森では、けものはひときわ荒々しい」は、作者自身を思わせる外交官夫人の内的独白が繰り広げられる。クォラジンという抗凝血剤のせいで、主人公の想念はかつて体験した時空を飛び廻り、頭の中の黒い森を意識する。一種のドラック小説だが、多くの人に出会い、様々な国での生を生きた主人公の直面する孤絶感は過酷すぎる。「わたしはわたしに出会ってしまったのだ。もうそこにはだれもいない」ここには、もう一般的なミステリの要素は何もない。人間という謎があるだけだ。このような作に、MWA賞(1971)を与えたのは英断だし、後のハーラン・エリスンの受賞を用意していたようにも思える。
編者解説は、今ではあまり読む者もないと思われる「マンハント」常連作家などにも多く筆を割いていて貴重。周辺領域の「幻想と怪奇」についても、ミステリマガジンの「幻想と怪奇」特集の歩みを跡付けるなど、あくまで、ミステリ読者の視点に立った評論となっている点がユニークだ。
◆2020年のクラシック・ミステリ◆
2020年。未曾有のコロナ禍でクラシック・ミステリなどという不要不急のジャンルを喋々していられるだけでありがたいと思うべき年だったろうか。
コロナのせいもあるのか、ここ数年に比べると昨年はクラシック・ミステリの供給が減っているようだ。
論創海外ミステリは順調だが、《奇想天外の本棚》(原書房)が出なかったのが残念。
扶桑社文庫が独自路線で粒よりの作を出しているのには、瞠目させられる。
一方、プライベートレーベルでは、〈ヒラヤマ探偵文庫〉は巻を重ねているし、年末には、注目すべき作品3冊が近接して発刊されるなど、目が離せない状況だ。
今年は、コロナも収束し、不安なく不要不急に浸れる年になることを祈りたい。
*掲載月の関係から、一部2019年刊行作を含む。タイトル後の数字は、掲載月。
■古典期■
古典期では、〈ヒラヤマ探偵文庫〉から、世界初の女性アマチュア探偵登場作というキャサリン・クロウ『スーザン・ホープリー』12、長らく忘れられていた歴史ロマンの珍品エミール・ガボリオ『バスティーユの悪魔』6の刊行があった。
■黄金期■
英国では、意表をつく真相と優れたミステリ・センスが窺われるベルトン・コッブ『悲しい毒』7、ヴィレッジミステリの佳品クリフォード・ウィッティング『知られたくなかった男』12、ドロシー・ボワーズ『謎解きのスケッチ』1 (2019.8.kindle化)があった。
米国では、M・R・ラインハート『憑りつかれた老婦人』3は、謎解きにも注力している看護師探偵ヒルダ・アダムス物の長編。『ヒルダ・アダムスの事件簿』5の二つ目の中編は常軌を逸した恐怖と謎が展開。ヴィンセント・スターレット『笑う仏』8は、戦火の直前の中国を舞台にした異色本格。P・A・テイラー『ヘル・ホローの惨劇』8は、「ふるさと祭り」という背景が良く、語り口も楽しい。
■ポスト黄金期■
エリザベス・フェラーズ『亀は死を招く』2は、この作家らしく人物造型が良く、生き生きとした謎とサスペンス。メアリー・スチュアート『踊る白馬の秘密』9は、印象的なシーンが多く別世界に遊ばせてくれるロマンティック・ミステリ。
■ノワール/ハードボイルド/警察小説■
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム『ナイトメア・アリー』10は、発掘された詐術/ノワールの異形の逸品。エリオット・チェイズ『天使は黒い翼をもつ』1は、王道のノワールながらそれを超えていく過剰さも持ち合わせた一作。ベルトン・コッブ『ある醜聞』1は、プロットが大いに練られた警察小説の収穫。
フランク・グルーバーのジョニー&サム物も順調に『ポンコツ競走馬の秘密』3『怪力男デクノボーの秘密』9が出た。
ジム・トンプスン『雷鳴に気をつけろ』10は、2作目の普通小説ながらトンプスンワールドがすでに息づいている。チャールズ・ウィルフォード『コックファイター』5は、闘鶏界を舞台にした無類に面白いアウトロー小説。
■短編集■
R・オースティン・フリーマン『ソーンダイク博士短篇全集:第1巻 歌う骨』10は、待望の企画の第1巻。
ドロシー・L・セイヤーズ『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』12は、ノンシリーズ作に秀作が多い。特に「ネブカドザル」は逸品。ヒュー・ペンティコースト『シャーロック伯父さん』5は、米国の小さな町を舞台にしたファニーな連作短編集。L・T・ミード『マダム・サラ ストランドの魔法使い』8は、古典期の女怪サラの造型もトリックも上々。
アンソロジーでは、小森収編『短編ミステリの二百年2』4、『同 3』9があった。延原謙訳/中西裕編『死の濃霧 延原謙翻訳セレクション』4は、往時の翻訳短篇セレクト。古雅な雰囲気が味わえる。
理論社〈ショートセレクション〉では、マルセル・エーメ『壁抜け男』1が楽しめた。
文庫化・新訳では、ヒュー・ウォルポール『銀の仮面』1、ロバート・バー『ヴァルモンの功績』などがあった。
■評論その他■
キャラクターの創造と発展と受容を本格的に俯瞰したマティアス・ボーストレム『〈ホームズ〉から〈シャーロック〉へ』2、古典探偵小説の愉しみを語って当代最高の書き手の一人である真田啓介『フェアプレイの文学』『悪人たちの肖像』6などがあった。野崎六助『北米探偵小説論21』8は、書下ろし3500枚という、さながらミステリ評論の大迷宮。
新保博久『シンポ教授の生活とミステリー』9は、古今東西のミステリに触れたもてなしのよいエッセイ集。
伝記小説としてヴァルター・ハンゼン『脱獄王ヴィドックの華麗なる転身』12、高木彬光翻訳セレクションとして、ジョン・ディクスン・カーほか『帽子蒐集狂事件』11の刊行があった。
■2020年極私的ベスト8+α■
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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