・Georges Sim, L’homme à la cigarette, Tallandier, 1931(1928-1929冬ないし1930-1931冬 執筆【註1】[煙草の男]
・Georges Sim, L’homme à la cigarette, Julliard, 1991 再刊《セカンド・チャンス叢書La Seconde Chance》【写真上】
・フランシス・ラカサン編, Simenon avant Simenon: Maigret entre en scène, Omnibus, 1999[シムノン以前のシムノン:メグレ舞台に立つ]
・同名, 新装版, Omnibus, 2009*

【註1】ミシェル・ルモアヌ『シムノンの別世界』(1991)に詳しい脚注があるが(p.265)、本作の正確な執筆時期はわかっていない。N.R.F.に原稿を送ったとき、シムノンの秘書は文書に1929年3月の日付を書き入れていた。しかし原稿は却下となり、さらにファイヤール社やタランディエ社に送られ、結果的に1931年3月26日にタランディエ社から刊行された。ところがここで疑問が生じる。作中でJ・K・シャルルが1930年1月2日か3日にワインの味を評価する場面があるが、通常シムノンは未来の出来事を書かない作家だったので、1929年執筆の作品に1930年の記述が出てくるのはおかしい、よって秘書の書き入れた日付は間違いで、実際は1930年以降に書かれたのではないか、それに作中にはブルターニュ地方の「灰色の石」の描写が出てくるが、1929年まだシムノンは当地に行っていなかったはずだ、という指摘である。もうひとつの説は、もともと本作は1929年に書かれていたが、何度かの没を経て最終的に刊行する際、シムノンは原稿に筆を入れ、ワインなどの記述が加えられた、ないしは書き換えられたのだというもの。1930年に加筆したのならブルターニュの描写が出てくるのも納得できる。以上のようなシムノン研究者らの意見もあり、評論家フランシス・ラカサン氏は『メグレ舞台に立つ』の解説文「メグレの変容Métamorphoses de Maigret」(後述)で、「もし1929年に書かれたのなら……」と推測の上で本作を論じている。

 今回読むジョルジュ・シム名義のペンネーム作品『煙草の男』は、最初のメグレ作品『死んだギャレ氏』第2回)、『サン・フォリアン寺院の首吊り人』第3回)よりも1ヵ月後の1931年3月に刊行された長篇である【註2】。だが、おそらく初稿はメグレ正典やメグレ前史より早く、シムノンが《オストロゴート号》で船旅をしていた時期に書かれたと考えられている。本稿もその説を採った。当初は出版社から没原稿として突き返されたので箪笥の肥やしになっていたのだが、後年若干手を加えての出版となったのだろう。そう、シムノンは本名のシムノン名義でメグレものを出版し始めてからも、しばらくはペンネームで出版を続けていたのである。本作の初稿はたぶんイーヴ・ジャリーものの最終作『氷の手を持つ婚約者』(1928/10契約)(第73回)、『花嫁衣装』(1928/12-1929/4連載)(第31回)よりも後、『13の秘密』(1928-1929冬執筆)(第28回)とほぼ同じころの1928-1929年冬に書かれた。
【註2】フランシス・ラカサン氏は《セカンド・チャンス叢書》版の「まえがき」で、最初のメグレの刊行時期を1931年1月としているが、1931年2月の勘違いである。『煙草の男』は2ヵ月後ではなく1ヵ月後の3月に刊行された。ラカサン氏が『シムノン以前のシムノン:メグレ舞台に立つ』に寄せた重要論文「メグレの変容」には、ちゃんと1ヵ月後の刊行だと記されている。
 メグレ前史の第一作『マルセイユ特急』(1929/9/30契約)(第27回)が書かれるまであと一歩だ。このころのシムノンは、ある程度の小説技法を会得して文章も格段に上達しつつあったが、作家として「肝心な何かが足りない」という時期を迎えていた。新人賞に応募すればコンスタントに三次予選くらいまで行くが、最終候補に残るまで何か一歩足りない感じだ。これまでもペンネーム時代のシムノンの悪い点はいくつか指摘してきたが、本作にはそれらが律儀にもほぼすべて見受けられる。ところが一方で前半はものすごく面白いのだから、読み終えてふうと溜息をついた。実に「シムノンらしい」一作だ。

 本作はイーヴ・ジャリーものの大枠を継承し、登場人物の立ち位置などはそのままに、名前や性格を微妙に変えて書かれた物語である。シムノンはこういう作品を呆れるほどたくさん残したので、いま思いついたのだが池波正太郎風に「急ぎ働き」という表現を進呈したい。
 主役はジャリーの役目を継いだ「煙草の男」、J・K・シャルルなる謎の男と、やはりN.49を継いで彼を追うパリ保安部機動隊の刑事ジョゼフ・ブシュロンのふたり。いくつかの犯罪が起こるのだが、最初の犠牲者はウィリアム・ビグローというアメリカの慈善家だ。彼はベリー通り:いまベリー通りrue de Berryという通りは見当たらないが、昔は実在したらしい。どこだったのかは調査不足で不明]に自宅があり、ふだんから書斎として用いている1階の図書室で、銃で撃たれて殺されたのだ。死体は召使いによって翌朝発見された。
 どうやら強盗が押し入ったらしい。部屋を破られた跡があり、部屋には弾が5発残ったリボルバーが落ちており、中国製の文鎮などいくつかの貴重品が消えていた。そしてブランデーグラスに犯人のものと思われる指紋がついており、検察はそれが「ちびのルイ」という船員の指紋に一致することを突き止めたのである。パリの彼の宿場に行くとすでに姿はなかったが、盗品は発見された。ちびのルイは犯罪の翌日、北の港町フェカンからニューファンドランド行きの鱈漁船に乗って出港しており、船は途中どこにも寄港しないので、警察は《アトランティック号》が9ヵ月後に帰港するまで逮捕を待たねばならなかった。
 物語は《アトランティック号》がフェカンに戻った12月の夜から始まる。3人の船員が酔っ払いながら、雨降る河岸を歩いていた。地面はこの港町独特のコールタールのような黒い泥で、鰊や鱈の臭いが染みついている。3人はさらに飲もうと、馴染みのビストロ《レオンLéonの店》へ足を向けた。そのなかのひとりは「ちびのルイ P’tit Louis」で、いつも《レオンの店》で興に乗ると、主人のレオンからブロンズの2ペニー硬貨を借り受けて歯で噛み千切ったり、椅子の背もたれを歯で噛んで水平に持ち上げたりといった特技を見せるのだ。3人が店に入ったとき、すでに数名の船員客がいて賑わっていた。
 そこへ奇妙な男たちが相次いでやってきた。ひとりは黒いオーバーコートを着てソフトフェルト帽を被った中年の男。船員ではない。もうひとりは煙草を咥えたトレンチコートの男だ。金髪で灰色がかった青い瞳、エレガントで30歳か35歳くらいに見える。男の咥えている煙草は偽物で、火薬を巻いてあるという。つまり彼は爆弾を口に挟んでいるのだ。
 両者はいくらか距離を置きつつ、互いを見張っているかのようだ。オーバーコートの男はブシュロン刑事というらしい。煙草の男がちびのルイを挑発してきて、彼はガラスを食べるという芸当で応えてみせる。だが煙草の男は同じくガラスを食べて見せて、これにはビストロの皆も驚愕した。さらに煙草の男はブルトン人の船員から地方語で話しかけられても完璧に応えてみせた。
 真冬のフェカンは天候が悪い。ちびのルイを連れて店を出た煙草の男は、蒸気船《パシフィック号》がこの雨でSOS信号を出していることを告げ、ふたりでいますぐ船を出して助けに行こうと持ちかける。カッター船(短艇、手漕ぎボート)が一艘あるが、いったい嵐のなかをどれほどの速さで進めるというのだろう? せいぜい4、5ノットではないだろうか。だが煙草の男はちびのルイに賭けを申し入れるかたちで了承させた。「10ノットだ! そうでなければ100フランくれてやるぞ!」ふたりが海へと出て行く影を、追ってきたブシュロンは辛うじて認める。後でわかることだがこれは煙草の男の策略で、ちびのルイを警察の手から引き離すのが目的だったのだ。ブシュロン刑事は地元警察署へと駆けつけ、身分を明かし、カッター船の捜索を要請する。「殺人犯が船で逃げようとしているんだ!」警察署も近隣の港へ連絡したが、ついに捕らえることはできなかった。ふたりは雨が収まった後、密かに崖から上陸して車で消えたのだ。
 翻って9ヵ月前の3月、新聞に「極悪非道の犯罪」という見出しが躍った。アメリカの慈善家ウィリアム・ビグローが、パリの自宅の図書室で射殺体となって見つかったのだ。ビグローはオハイオの農場生まれだったが、不動産で成功して財を成し、美しいエレオノールを妻に娶り、多くのアメリカ富豪と同じくパリに憧れて移り住んでいた。2階に部屋があり、妻のエレオノール(40歳)、アメリカ人の若い姪ベティ・トラムゾンとともに暮らしていた。召使いは3階に寝泊まりしている。図書室には奥に2階と通じる螺線階段があり、ビグローはそれを降りて深夜に図書室で仕事をしていたところ強盗に襲われたようだが、誰も銃声を聞いたものはいなかった。
 事件を担当するのは保安部機動隊のジョゼフ・ブシュロン刑事と、その部下カイヨールである。グラスの指紋から船員「ちびのルイ」が容疑者として挙がったが、すでに漁船で外洋へ出ており、以来警察は逮捕の機会を失っていたのだ。
 さて、そうして9ヵ月の鱈漁を終えて戻ってきたちびのルイは、自分が殺人者として手配されていることなどまったく知らなかった。カッター船上で煙草の男から新聞の切り抜きを見せられて驚愕する。そして彼は思い出した。いま目の前にいる煙草の男、こいつはまさに3月の夜、自分がパリで飲んでいたとき横にやって来て、気軽に酒を酌み交わした男だ。酔いすぎて寝入ってしまい、目覚めたときはフェカンへ向かう列車のなかだった……。「知っているはずだ、おれは殺していない!」だが煙草の男は教え諭す。「重要なのはきみがビグロー殺しで告訴されていることだ。私がきみの飲んでいたグラスをこっそり拝借して、図書室に持ち込んだんだよ。オーバーコートの男はきみの逮捕状を持っていたはずだ。このまま戻ったらどうなるかわかるだろう?」そういって煙草の男は大きく舵を切り、全速力で崖へと向かい、混乱するちびのルイを連れて逃走した。フェカンに取り残されたブシュロン刑事は、翌朝、パリの部下カイヨールに電話し、ヴォージュ広場に住むJ・K・Cの動向を探れと命じた。ビストロで会った煙草の男がJ・K・シャルルと名乗る男であることを見抜いたのである。彼はエレオノール・ビグロー夫人の愛人であった。

 とても快調な滑り出しだ。フェカンの描写で「あっ」と思われた方もいるだろう。『シムノンの別世界』のミシェル・ルモアヌ氏や、再編集復刊本『シムノン以前のシムノン:メグレ舞台に立つ』に力作の長篇論文「メグレの変容」を寄せたフランシス・ラカサン氏も指摘の通り、この一連のシーンは後のメグレシリーズの一篇『港の酒場で』第8回)で再利用されている。ほぼそっくりの文章が何度も出てくる。「ちびのルイ」という名のキャラクターもそのまま『港の酒場で』に残っており、強靭な歯で特技を見せてくれる。ちなみにこの冒頭部は1940年発表の短篇「聖アントワーヌの喜劇Le comique du Saint-Antoine」(未訳、短篇集『三羽の雛へと至る道La rue aux trois poussins』1963収載)とも似ているらしい。
『港の酒場で』におけるビストロ《ニューファウンドランドのつどい》が本作では《レオンの店》であるわけだが、ルモアヌ氏らの調査によると、当時フェカンの近くの町レ・ロッジュLes Logesには本当にLéon Gosselinという男が経営していた《レオンの店》があったそうだ(いまはGooglemapで探しても見当たらない)。「レオン」なる男はビストロの主人としてシムノン作品にしばしば登場する。本作ではちびのルイがエトルタ通りを抜けて河岸にぶつかった辺りで《レオンの店》を思い出すので、物語上の設定では現在のフェカン港の突き当たりか奥の辺りに店は位置していたことになる。
 北の港町フェカンの黒い泥がコールタールのようにブーツに粘りつき、どこかで腐って棄てられているわけでもないのに魚の臭いがするという描写も、その後の作品によく登場する独特のシムノンらしさだ。実際にフェカンへ足を運んだ際、シムノンが得た鮮烈な体験だったのだろう。本作ではこれを始めとして現場の「匂い」が何度も言及される。ブシュロン刑事はどこかの家に入ったとき、まず匂いを嗅いで手がかりを探ろうとする。残念ながら本作ではその意図があまり効果的に示されることがないのだが、しかし作者のシムノンがより小説的な向上を目指して、刑事と一体化する際に何とかそのシーンを少しでも鮮やかに想像しようとして、鼻を利かせている様子が目に浮かぶ。
 そして雨風が強まるなか、蒸気船を救助する名目で煙草の男とちびのルイがカッター船で海へ出て行くくだりは後の『ピタール家の人々』第48回)を想起させる迫力で、冒頭の摑みは完璧というところだろう。その後の展開もスピード感があり、しかもツイストが効いていて見事だ。
 パリに戻ったブシュロン刑事は、部下とともに保安部のドグロー部長に呼び出され、捜査の進捗状況を問い質される。J・K・シャルルは《ピクウィック・バー》『怪盗レトン』第1回)や『十三人の被告』第30回)にも登場した実在のバー]などに行ってパリの社交を愉しんでいるらしい。彼はアメリカ人で、ドイツ情報局の秘密エージェントかもしれないが、報告文書は偽造の可能性もあり、その正体は不明だ。ただしシャルルがちびのルイをまんまと逃走させたことは事実で、それは警察の失態でもある。保安部は1925年にハリー・ブリュスの事件『名もなき愛人』第72回)で殺されたアメリカ人富豪!]でも失策を犯しているのでこれ以上は許されない、だからきみたちは極秘に捜査を続行しろ、と部長からの通達であった。カイヨールはブシュロン刑事に「おやじmon vieux!」と呼びかけ、いっしょにJ・K・シャルルを捕まえましょうと勇気づける。この辺り、後のメグレとリュカの関係性を想起させるが、キャラクターはまだ固まっておらず発展途上だ。
 ふたりがヴォージュ広場23番地に着くと、J・K・シャルルがもうひとりの男を伴って自宅から出てきて、待機中の車に乗り込むのが見えた。もうひとりはちびのルイの変装だ。「タクシーだ、早く!」ブシュロンらも慌てて車で後を追う。だが相手の車はぐるぐるとパリ市内を回り、結局ヴォージュ広場に戻ってきただけだった。しかし降りたのはJ・K・シャルルひとりだ。ちびのルイは途中でまんまと降車して逃げおおせたのだ。堪りかねたブシュロンは、ついにシャルルの家のドアを叩いた。
 J・K・シャルルはアルベールという従者:イーヴ・ジャリーの従者の名と同じ]と暮らしていた。彼はブシュロンと対面しても、あくまでエレガントな姿勢を崩さない。それどころか、ちびのルイは無罪だ、それを証明するために賭けをしたいから、いますぐ証拠文書のある場所へ連れて行ってくれという。ブシュロンがオルフェーヴル河岸のパリ司法宮へ彼を連れて行き、冷たい廊下を進んで小部屋に入り、文書を広げたとき、驚愕の事実が明らかとなった。証拠の指紋は、なんとブシュロン自身のものだったのだ! どこかで文書がすり替えられたのだ。「さあ、食前酒をおごってもらおうか」と嘯くJ・K・シャルル。捜査は振り出しに戻ってしまった! 
 ここまでが第一部。いやあ、上等の出来映えではないか。本書には最後まで解かれない謎がいくつかあって、結局この司法宮での出来事もどうやって仕組まれたものなのかわからないのだが、とても痛快な一撃である。ちなみにJ・K・シャルルが住んでいるヴォージュ広場23番地とは、シムノンと妻ティジーが1924年から実際に住んでいたヴォージュ広場21番地1階の隣にあたる。フランス語圏の評論家らの指摘に拠ると、同じくベルギー出身の作家S・A・ステーマンはシムノンがそこに住んでいることを知っていて、ミステリー長篇『殺人者は21番地に住む』(1939)で番地名を拝借したと考えられるのだそうだ。日本でおそらく誰も指摘していない、まあどうでもいいトリビアである。
 だが、ここから物語は迷走・失速してしまう。以前、シムノンの小説には「起承転結」の「転」がない、と指摘した。あるいは主人公である刑事が守勢から攻勢へ転じる「ミッドポイント」がないのだと論じた。本作にはその特徴が顕著で、この時期のシムノンは作家的成長の途上にあり、主人公の行動や共感によって事件を解決させるのではなく、事件の当事者が延々と真相を説明することで物語を終わらせようとしてしまう。
 それでも本作のブシュロン刑事は彼なりの努力を見せる。指紋の一致という科学的証拠に全幅の信頼を寄せたため真犯人を見逃していたことに気づいた彼は、「いちから捜査のやり直しだ!」「自分は何もわかっていなかった!」と反省し、自らの足で新たな証拠を見つけ出そうと決意するのである。いくらかメグレに近づいた瞬間である。ただ、その後のシムノンの筆は、彼をメグレそのものへと昇華させるまでには至らなかった。というのも、彼や部下のカイヨールが地道な捜査を続けようとする前に新たな事件が起こって、しかも犯人自身から挑発の電話が届き、彼はその電話に従って動くほかに手がなくなってしまうからだ。
 J・K・シャルルは鼻やチョコレート菓子を買って、ヴィクトル・ユゴー通りの《星ホテルl’Hôtel de l’Etoile》:いまヴィクトル・ユゴー通りにこの名のホテルは実在しないようだが、エトワール凱旋門の近くには“エトワール”と名のつくホテルがいくつもある]に趣くことがあった。エレオノール・ビグロー未亡人と姪のベティ・トラムゾンはそちらのホテルに暮らしているので、愛人への贈りものだろうか。また大晦日の日にはパリ上流階級の人々とパーティに興じたりもしていた。いちから捜査をやり直すと決めたブシュロンは、美しいビグロー夫人に面会を申し込み、本当に皆は銃声を聞かなかったのかと探りを入れてみたりもした。

 だがその後、見張り役のカイヨールから電話を受けて、第2の犯罪が起こったことをブシュロンは知った。ホテルから車で夫人が出て行き、その15分後にJ・K・シャルルが車でホテルに入った。姪のベティの部屋に行ったという。そこでカイヨールがベティの部屋に踏み込んでみると、人の姿はもはやどこにもなく、カーペットには血溜まりができて、リボルバーが落ちていたのだ。裏口から一台の車が出て行ったという。J・K・シャルルがベティを殺害したか、あるいは重症を負わせて誘拐したのではないか。なぜこんなことが起こったのか。
 ブシュロンらは急いでヴォージュ広場23番地に向かうが、やはりJ・K・シャルルの姿はない。保安部と連絡を取り、同名のJ・K・シャルルという人物がフランス中央部のサンセールでワイン生産業を営んでいることがわかる。その直後、シャルルの自宅の電話が鳴った。ブシュロンが取るとそれは何とシャルル自身からで、「最初がビグロー、次がミス・トラムゾン……。何が起こっているかわかるな、ブシュロン? 3番目の犯罪が今夜おこなわれると私は信じる。そこへ行って阻止してくれ!」といって電話は切れた。ブシュロンは思う、すべては煙草の男、J・K・シャルルの計画通りだったのだ! ブシュロンは部下のカイヨールを念のためパリに置き、車を飛ばしてひとりサンセールへと向かった。そしてその地でワイン生産者J・K・シャルルと対面する。彼はパリやフェカンで会った煙草の男と同一人物だろうか? 相手は鷹揚な態度で刑事を迎え、大胆にもロワール河岸の自分の家へと招待するのだった。

 ここでJ・K・シャルルはブシュロン刑事に「1930年ものは悪くない。最良の年に迫る……」などと白ワインを勧める場面があり、ラカサン氏やクロード・マンギー氏らシムノン研究家の指摘に拠ると、本当に1930年の白ワインは出来が良かったそうなので、シムノンはそのことを知った上で書いたのではないか、つまりシムノンは1930年以降の段階で本作に加筆する機会があったのではないか、といわれているわけだ。
 ただ、この後に起こるのは、ただひたすらJ・K・シャルルの独演会、すなわち事件の真相の説き語りである。つまり「転」が存在しない。守勢から攻勢への「ミッドポイント」が描けていない。ここが本当に残念なところだ。
 結局のところ、このワイン生産者はこれまでブシュロンが追っていた煙草の男、J・K・シャルルと同一人物であった。彼はいくつもの人生を生きる男だったのだ。そしてビグロー氏を銃で殺したのは姪のベティであり、J・K・シャルルはその事実を隠すため、自らが犯人役となって警察を翻弄し、捜査の目をベティから離していたのだった。ベティはホテルで自殺を図り、重傷を負った。そこへJ・K・シャルルが駆けつけ、重傷の彼女を連れて車で逃走し、このサンセールの田舎に匿ったのである。またパリから著名な医者も連れて来てベティを診させたが、治療後も彼女は高熱を発して意識が戻らない。そうしている間にJ・K・シャルルは事件の全貌を、ブシュロン刑事に長い時間をかけて説いたのである。
 なぜ彼はこのようなことをしたのか。彼はビグロー夫人の愛人だと皆から思われていたが、そのビグロー夫人は若い姪のベティにハラスメントを働いていた。それを知って彼はベティにも心を動かされるようになったのである。彼がホテルへ花や菓子を持っていったのは、ビグロー夫人に向けてではなく、ベティに送るためだったのだ。
 もともとビグローが被弾したのは、深夜にビグローが姪のベティの寝室へ忍び込もうとたからだった。螺線階段で2階に上がれば人知れずベティの部屋へ行ける。だがベティはその歪んだ愛情に耐えられず自己防衛した。脅かすだけのつもりだったが、弾が命中してしまったのだ。また後日に自殺を図ったのも、ビグロー夫人から嫉妬を受けておのれを苛んだためだった。
 ベティを助けようとしたJ・K・シャルルは、ビグローの死体を1階の図書室へ運び、強盗の仕業に見せかける細工を施し、急いでパリのバーから適当な身代わりの人物を捜し出し、その人物の指紋を拝借して現場に置いたのである。ちびのルイが翌日から漁船に乗るのは幸いだった。彼に金を持たせ、フェカン行きの列車に乗せて、ベティの不慮の罪を隠すことができた。
 本書には解かれない謎がいくつかあると先に書いたが、ビグロー夫人がその後どこへ行ってしまったのかという点もそのひとつだ。それに、なぜJ・K・シャルルは第3の犯罪をわざわざ仄めかしたのだろう? いずれにせよ、J・K・シャルルがすべて事件の真相を話してしまうので、ブシュロン刑事は自分で推理する暇さえない。彼は完全に聞き役に回り、結局なにひとつ刑事としての技能を発揮する機会がない。
 本作での見所は、イーヴ・ジャリー、あるいは先達アルセーヌ・ルパンの血を継いだJ・K・シャルルが、自分はいくつもの人生を生きたい人間なんだ、とはっきり告白するところであろう。この想いは船旅を続けていた当時のシムノン自身の願いでもあったろう。ここにおいて主人公のひとりJ・K・シャルルは作者シムノンと一体化する。後のメグレシリーズでは、主人公であるメグレが犯罪者の気持ちを読み解き、一体化することによって事件が解決する。本作はまだその図式が完成されていない。主人公が作者シムノンと一体化することで物語が終わる。だが、これでは読者は蚊帳の外だ。それでは本当の小説とはならない。この弱点を補正し、犯罪者の心と一体化する主人公メグレ、そしてそのメグレの心と一体化する読者、という図式を見出すことによって、シムノンは本当の作家となり得たわけである。本作はその一歩手前で足踏みをしている。
 しかしながら、J・K・シャルルが作者シムノンと一体化するくだりはやはり心を打たれるものだ。作者シムノンの文章は感傷度が一気に高まり、歌い上げるかのような筆致となる。実際、ここでのJ・K・シャルルの台詞回しは、まるでオペラを歌うかのようである。

「(前略)それに、きみは理解し始めなくてはならない。ただひとつの人生では満足できない人がいるのだということを……」

 彼はちびのルイと同じ船員だった。漁船の火夫もやった。サンフランシスコでは皿洗いを、シカゴでは缶詰工場の工員もやった。このサンセールではワイン生産者だ。たくさんの人生! それでも彼には足りないのだ!

「“夢”か? ああ、いいとも! 聞かせてやろう! 100人もの人生を、もっと多くの人生を、同時に生きられるほどの富と権力を持つことだ! (中略)パリの大邸宅を飛び出して、不意にブルトン海岸に行き、灰色の石でできた自分だけの小屋を見つける。釣り人用のごく簡素な小屋だ。船があって、網があって、そして魚がいる……。そんな男になるために……。(中略)世界のリズムで生きるために! 大地の鼓動を感じるために! すべての地球の! 何といえばいい? 世界になるために……」

 ブルターニュ地方は巨岩信仰があった地域で、家の屋根は独特な灰色の石でつくられている。シムノンは1929年春ころに初めてブルターニュ地方のコンカルノー付近を訪れ、その体験が『黄色い犬』第5回)や『コンカルノーの女たち』第53回)に反映されているが、1928-1929年冬の段階ではまだ訪れていない土地なので、ここも後年の加筆部分だとラカサン氏らは考えている。

 熟年の未亡人と若いアメリカ娘のふたりを同時に愛してしまい、最終的にアメリカ娘を選ぶという構図は、イーヴ・ジャリーものの『名もなき愛人』そのままである。ただし対照的なふたりの女性という設定はシムノンの「急ぎ働き」ではいろいろなバリエーションがあり、今回のビグロー夫人はもともと植民地生まれでクレオールの女として蔑まれてきたが、ニューヨークに渡って高級娼婦となったのだという設定がなされている。そして25歳のときにビグローと結婚して金と名声を手に入れたのだ。しかし当のビグローは慈善家となり、金を浪費する妻に嫌気が差し、不倫に走った。そして妹が夫を早くに亡くして幼い娘ベティとともに苦しい生活を強いられるようになると生活費を送っていたが、ベティが19歳になったときパリにやって来ていっしょに暮らすようになると、妻よりも姪に心を奪われるようになったのだ。
 J・K・シャルルはビグロー夫人のことも気にかけていたことを告白する。2日後には旅に出ようと夫人に提案もしていた。エジプト、シリア、ペルシア、インド……。数ヵ月旅をして回ろうと話していた。だが夫人は最後までベティを自分の敵だと見なし、なじっていた。だからベティは再び銃を手にしなければならなかった……。
 J・K・シャルルが訴える旅への憧憬は、そのまま数年後に作者シムノン自身が叶えることとなる。シャルルが電話口で語った第3の犯罪の意味するところは正確には不明だが、シャルル自身が夫人を殺してしまうかもしれない、という告解であったのかもしれない。40度の熱で意識不明のベティは、まさにシャルルが刑事を招いているサンセールの自宅にいた。もうすぐ正午だ、あと少しでベティは目を醒ますか、あるいはそのまま息を引き取る……。そう述べるシャルルはコントラストの男だと、ずっと話に聴き入っていたブシュロン刑事は思った。シャルルは寝室へと刑事を連れて行き、彼にベティを託す。窓からロワール川の輝きが見える。シャルルは家を出て行き、車に乗った。ベティが目を醒ましかける。そのことを伝えようと刑事は窓からシャルルの車に合図した。シャルルはいったん戻りかけたが、やがて走り去っていった。彼はちゃんとベティ用の薬瓶を残していた。
 本作のエピローグ部分はやや意表を衝かれる。3ヵ月後、パリのムッシュー゠ル゠プランス通りに暮らすブシュロン刑事は、「煙草の男」と署名された国際はがきを受け取った。ただ一字、「?」と印があるだけで、送り人の住所はない。だからはがきに返事はできないが、ブシュロンはそのアパルトマンで、若娘ベティと幸せな暮らしを続けていた。刑事は娘を救い出し、愛情を覚えるようになったのだ。「小さなベティ、信用しろ、きっとよくなる。きみには別の人生がある。きみは私のことを兄のようだと思っているだろうね。少しずつ変わってゆくよ。私のことを……」愛というのはそうやって始まるものだと、いまはふたりとも互いにわかっていた。
 ブシュロンはポケットから小さな日記帳を取り出し、ページをめくった。そして吉日の6月17日に、こう書きつけた。「結婚」と。
 フェカンではいつものように《レオンの店》に船員たちが集っていた。ちびのルイはいう。「悔いはない。人生は一度きり!」そして《アトランティック号》の汽笛が鳴り、ちびのルイは遅れまいと立ち上がった。
 何と今回、若娘と結ばれるのはブシュロン刑事なのである。メグレに至る一歩前、まだ主人公の刑事には結婚によるハッピーエンドという人生の可能性が残されていたのだ。完璧な母性として描かれるメグレ夫人が私たちの前に現れるのは、まだ先だ。
 ラカサン氏やルモアヌ氏ら先達の研究家に敬意を表しつつ、さらにいくつかのトリビアをつけ加えておこう。まず火薬の煙草を咥えた男という本作の設定は、『ソンセット刑事の事件簿』第24回)第15話の「逮捕の王様L’as de l’arrestation」に似ているとの指摘がある。この小咄は1934年初出だが、実際はストック原稿だったと思われるので、本作『煙草の男』とどちらが先に書かれたのか興味深いところだとルモアヌ氏は述べている。
 サン゠テグジュペリの童話『星の王子さま』(1943)の原題が『Le petit Prince』(ル・プチ・プランス)であり、本来は『小さな王子』であることはよく知られている。『星の王子さま』の邦題は岩波書店版の訳者・内藤濯ないとうあろう氏の創案であって、だからこれを用いるときはそのことを附記してほしいという遺族側の意向が出ている。
 シムノンは子供のころ「Le petit Sim」(ル・プチ・シム)と呼ばれていた。だからシムノンの小説には「プチ・何とか」と呼ばれる人物がときおり出てくる。シムノンはそれらのキャラクターに多かれ少なかれ自分を重ね合わせていたと思われる。
 ではこの「プチ」は何と訳すべきか。やはりここは「小さなルイ」ではなくて「ちびのルイ」なのだと思う。翻訳家・長島良三氏はそのあたりのことがよくわかっていて、後年の作品『Le petit Saint』(1965)をちゃんと『ちびの聖者』と訳している。シムノンの数少ないジャンルミステリー連作『Le petit docteur』(1943)も、だから「小さな医者」ではなくて「チビ医者」でよいのだと思う。シムノンがpetitとかgrandと渾名でつけるとき、そこには笑いの要素が入っていると思うからだ。小さくて儚いという意味よりも、親しみを込めた「ちび」や「のっぽ」だと思うのだ。
 そして本書に出てくるJ・K・シャルルという名前だが、シムノンは自分のペンネームにも使ったことがあるらしい。同名のJ.-K. Charles刑事が登場する1929年のルポルタージュ風味の作品だそうで、『シムノンの別世界』には紹介があるが、詳細は不明である(フランス国立電子図書館ガリカに登録なし)。

 さて、メグレシリーズが始まる前後は、欧米ミステリー界の大物が相次いで世に出てきた時期でもあった。アガサ・クリスティーはひと足早く1920年に『スタイルズ荘の怪事件』でデビューしていたが、ミス・マープルの初登場作を含む『火曜クラブ』(別題『ミス・マープルと13の謎』)は1931年の刊行で、この原題は『The Thirteen Problems』だから、シムノンの『13の秘密(secret)』『十三の謎(enigma)』『十三人の被告(culprit)』と並べると語呂がいい。エラリー・クイーンの『ローマ帽子の秘密』は1929年で、ジョン・ディクスン・カーの『夜歩く』は1930年である。
 カーの『夜歩く』はパリが舞台で、探偵役はアンリ・バンコランという予審判事だ。この長篇には原型となった1929年の中篇小説「グラン・ギニョール」があったことが知られている(近年邦訳紹介された)。私はディクスン・カーの大げさな文章が好みではなく、その点申し訳ないのだが、「グラン・ギニョール」は終盤の謎解きで展開される暗闇のグラン・ギニョール劇がスリリングでとても面白かった。長篇版の『夜歩く』よりずっとよいと思ったが、まあこの犯人追及の方法はほぼ違法なので、商業出版する際には書き直さなくてはならなかったのだろう。
 ダグラス・G・グリーンによる伝記『ジョン・ディクスン・カー 奇跡を解く男』(1995)を見ると、カーはデビュー前の1927年、船に乗ってニューヨークからヨーロッパへ行き、パリを中心に5ヵ月間滞在したという。その体験が「グラン・ギニョール」には活かされているのだろう(ところでカーの原文を見ていないので誤った感想かもしれないが、邦訳「グラン・ギニョール」内のフランス語は何だか発音や文法がヘンではなかろうか?)。パリでカーがシムノンと会ったかどうかはわからない。グリーンの伝記には何も関連記述がなく、おそらく会ってはいないだろう。そもそもミステリーの気高い遊戯精神?を尊ぶカーにとって、シムノンの作風はまったく反りが合わなかっただろう。『グラン・ギニョール』に訳出されたカーの論考「地上最高のゲーム」(1946執筆)では、いかにもカーらしい“上から目線”でもってシムノンを否定している。

 まさにサンクレールが述べているように、この消失劇はすさまじい衝撃となって襲いかかってくる。読者は動転し、驚愕のあまり信じざるを得なくなる。とはいえ、そのすべてが論理的に解明しうるものなのだ。そして『黄色い部屋の秘密』におけるガストン・]ルルーは、このところあまりにも過大評価されているシムノンとは違い、証拠をまったくフェアに提示する。青年記者探偵のジョゼフ・ルールタビーユが、シャーロック・ホームズのひそみにならって、なぞめいた手がかりを入手するさまを、われわれはにこにこしながら心に留める。(後略)(森英俊訳)

 これはマニアなジャンル愛好家がよくやってしまう論調で、まず論者は「ミステリーとはこれこれこういうものだ」「SFとは……」と自分勝手な定義をつくり、そしてその定義に当て嵌まる(自分の愛する)作品を列挙して、いかにそのジャンルが素晴らしいものであるかを懇々と説く。自分で枠を決めて、そこに入る作品だけを褒め称えるのだから、まさに論理は完璧、一点の隙もない。
 ところが世のなかには、「ミステリー」や「SF」と呼ばれながら、論者のつくった俺様定義に当て嵌まらない作例がある。すると論者は困ってしまって、必要以上にその作品を貶し、(あたかも客観的にその作品が劣っているかのように演出しつつ)自分の定義から弾いてしまう。例外の消え去った俺様定義は安泰である。「よってミステリーは素晴らしいのだ!」と堂々と主張して終わることができる。実際にはその論者は、自分にとって都合の悪い作品を見えなくしているだけだ。個人のプライドはこうして社会的な差別を生み出す。
 こういうジャンル教条主義、おたく意識は微笑ましいものであり、何かにのめり込むタイプの人なら人生で一度は通る道でもあるから、責めはしない。ただ、今日の新型コロナ・パンデミックにおいて、このような自己愛による過剰な他者への人格攻撃が目につくのは残念なことであり、問題の根は近いと私は考えるので、私たちひとりひとりが充分に注意しなければならないところである。ここ数年、「自分は正義だ」「自分の意見は絶対に正しい」と信じて疑わない“困った人たち”“極端な人たち”の特徴を社会心理学的に検討し、対処法を説く書籍が相次いで出版されている。ジャンル愛好家を自認する人はこれらの本に目を通して、自分を振り返ることも大切だと私は思う。
 こんなふうにカーに否定されたシムノンが、後年アメリカ探偵作家クラブ(MWA)の会長を務め(1955年)、巨匠賞も受賞した(1966年)のは面白い運命の巡り合わせだ。戦後シムノンはガリマール社との契約を終えてアメリカに渡るのだが、メグレものの傑作の大半はこのアメリカ滞在期に書かれたとするのが多くの評論家の見方だ。ラカサン氏は「メグレの変容」で非常に興味深い指摘をしている。

 距離を置くことで──「去る者日々に疎し」という諺があるにもかかわらず──著者[シムノン]は距離を置いていたキャラクターへ近づきやすくなる。自分からもパリからも隔てられた著者は、パリへの郷愁を昇華させ、その感性を借りた[メグレ]警視を通してパリを味わうことができる。シムノンが最高のメグレを書くのはアメリカにおいてである。

 いまフランスミステリーに関する評論を書いている人、あるいはこれから書こうとしている人は、どうかラカサン氏の「メグレの変容」に一度は目を通しておいてほしい。強く、強く、お薦めする。シムノンとメグレに関する日本国内での誤った俗説のほとんどは、これを読めば一掃される。本来ならどこかで邦訳されておくべき最重要論文だ。
 番外編3「メグレと鬼平」(前編後編)で、日本の捕物帳は江戸への郷愁から始まったという縄田一男氏の説を紹介した。初の捕物帳小説である『半七捕物帳』を書いた岡本綺堂は、大正になって急速に失われゆく江戸の風景を懐かしみ、その疑似郷愁を込めていたのだということだが、日本でメグレ警視ものが捕物帳の雰囲気を持つとしばしば指摘されるのは、シムノンがアメリカに渡ってパリを遠くから見つめるようになった第三期作品の印象が強いからだろう。すでに示したように第一期、第二期のメグレものは現在進行形の物語であり、そこに郷愁は含まれていない。メグレは犯罪者に“共感”するが、ほとんどの場合は大岡裁きのような人情ものの結構を取ることもなかった。しかし日本の読者は第三期のメグレの〝共感〟に大岡裁きを重ねる。日本の読者はメグレもので描かれたパリを懐かしい場所、郷愁の風景と認識する。作者シムノンは現在進行形の物語として書いていたにもかかわらず、である。シムノン作品において“共感”が犯罪解決と直結する構図は、逆にいえばカーが指摘した通り狭義のミステリーでは評価できない基軸なのである。シムノンにおける“共感”の奥深さを考えることは、すなわち小説そのものの持つ奥深さ、人間の感情が生み出す謎と秘密へ至る最善の道筋であろうと私は考える。
 本作『煙草の男』を読みながらふと思った。『男の首』第9回)でメグレと神経戦を繰り広げるチェコの医学生ジャン・ラデックは、ドストエフスキー『罪と罰』(1866)のラスコーリニコフとよく似ている、シムノンはドストエフスキーから影響を受けているのだ、という言説が、それこそ江戸川乱歩の時代から繰り返されてきた。しかし本作のJ・K・シャルルがラデックに発展したのだと考えると、まったく異なる景色が見えてくる。
『男の首』のラデックもまたアルセーヌ・ルパンの末裔のひとりだったのではないか。このことに思い当たったとき、私は新しいシムノン像がぱっと拓けたように感じて声を上げた。まだまだシムノンには探求の余地がある。とくに捕物帳を生んだ日本では、フランス語圏以上にシムノンを深く読める素地があるのだと、私は確信を深めている。
 
     
 
 最後にもうひとつ。つい先日、ジョージ・シムズという日本でほとんど知られていない英国作家の小説が、同人誌翻訳のかたちで出版された。『女探偵ドーカス・デーン』(2分冊、1897, 1898)(平山雄一訳、ヒラヤマ探偵文庫、2021)【註3】である。
 この連作小説は《クイーンの定員》第22番に選出されたことでミステリーファンには知られており、そのため今回の訳出となったと思われる。私はまったく別の方向から、この作者に興味を持っていた。というのは、その名前がシムノンのペンネームジョルジュ・シムGeorges Simと似ていて、海外古書サイトでシムノンを検索するときよく引っかかってくるからである。
『女探偵ドーカス・デーン』の著者名は正確に書くと「ジョージ・R・シムズGeorge R. Sims」(1847-1922)で、通常ミドルネームのR(ロバート)は省略されない。『女探偵ドーカス・デーン』の訳者解説には記されていないが、彼は今日、《クイーンの定員》に選ばれたことよりも詩人として有名で、またヴィクトリア朝時代の雰囲気をよく伝える日記の作者として知られている。
 そしておそらくミドルネームのRが省略されないのは、何ともうひとり、ジョージ・シムズGeorge Sims(1923-1999)という名前のミステリー作家が存在したからであろう! しかもシムノンとシムズはどちらもペンギンブックスで本を出していたので、ペンギンの背表紙にはGeorges SimenonとGeorge Simsのふたつが並んでいた。実に紛らわしいことである。
 よって翻訳者の平山雄一氏は、『女探偵ドーカス・デーン』の著者名を「ジョージ・R・シムズ」と記すのが妥当であった、と思う。今後も彼の著作が平山氏の訳で同人誌刊行されるようだが、その際はぜひRを入れてほしいものである。

【註3】本原稿を執筆する2021年5月現在、書肆盛林堂のウェブページから注文できる。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/741/

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。

「日本SFコミュニティについて考えること」(2015)や「「水素水はニセ科学か」についての私の見解」(2016)など、過去にウェブで発表した見解のうち、普遍性が高く、いまも重要と思われるものの一部は、下記URLに保存しており誰でも閲覧可能(ただしコメント書き込み設定は外してある)。新型コロナウイルス・パンデミックの長期化によって「歪んだ正義感や自己愛がもたらす過剰な他者攻撃」「共感シンパシー思いやりエンパシーのバランス」「道徳部族モラル・トライブズとしての私たち」などの問題が社会的に注目されるようになったので、いま理不尽な攻撃を受けて苦しんでいる人たちへのヒントとなれば幸いである。
http://hsena.sblo.jp




 
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