・Le petit docteur, Gallimard, 1943/1/31(1938/5執筆)[原題:ちび医者] ・『死体が空から降ってくる チビ医者の犯罪診療簿1』原千代海訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ414、1958*[1-6] ※背表紙の表記は「ジョルジェ・シムノン」 ・『上靴にほれた男 チビ医者の犯罪診療簿2』原千代海訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ438、1958*[7-13] ・Tout Simenon t.23, 2003 Nouvelles secrètes et policières t.1 1929-1938, 2014 ●書誌詳細については第90回参照。 |
引き続き『チビ医者の犯罪診療簿』(1943)の後半7篇を読んでゆこう。もともと本作はフランス本国では全13篇が厚い1冊にまとめられて出版されたのだが、偶然かどうか日本で2分冊となった際、後半部の『上靴にほれた男』に収められた今回紹介の作品群は、ちょうどチビ医者シリーズの発展篇ともいうべき内容になっている。しかも前半の6篇は《ポリス・ロマン》誌に掲載された順番通りに原著でも並んでいたのだが、7篇目からは順番が少しばかり初出と変わっているのが特徴だ。シムノンの企みによるものに違いない。初出の順番はこうだったのだ。
[1-6]→[11]→[8]→[9]→[10]→[7]→[12]→[13]
なぜ書籍化にあたって順番が変わったかというと、それはおそらく作者シムノンのちょっとしたサービス精神で、読者の私たちをあっといわせたかったからだと思う。順番が繰り上がって次に据えられた物語には、私たちにとって懐かしいあの“旧友”が、久しぶりに登場するのだ。
■7. 「オランダ人のぬれごと」1940■
リュカ警部[警視]commissaire Lucasは、毎朝パリ警視庁[パリ司法警察局]Quai des Orfevresで開かれる警視総監[司法警察局長]le directeur de la Police judiciareと各部長ces chefs de serviseたちの《報告会議》、つまり打ち合わせを終えて出てくると、一綴りの青い薄っぺらな書類を携えていた、──この書類だ、つつましやかに待っているチビ医者に遠くの方からウインクをして、彼が合図を送ったのは。(原千代海訳、カギカッコで一部改変表示)
第7話はこんなふうにして幕を開ける。そう、メグレ警視の部下だったリュカが、警視となって私たち読者の前に帰ってきたのだ。これ以降チビ医者は何度もパリのリュカ警視と協力し合って事件を解決してゆくことになる。片田舎のマルシリーに暮らすチビ医者ジャン・ドーランの名探偵ぶりは、パリの司法警察局にも知れ渡るようになっていた。
ここで原文と訳語を照会してみる。メグレ警視が所属していたのはノートルダム大聖堂向かいの「パリ警視庁」ではなく、その裏手に位置する「パリ司法警察局」(略称P. J.)であることは以前から指摘してきた。警視総監は警視庁におり、司法警察を指揮するのは司法警察局長である。どちらの組織もパリ警察に包含されるのだが、警視総監と司法警察局長はほぼ対等の立場にあり、式典などではふたりが揃って参列するようだ。このあたりの様子は以前に紹介した映画『あるいは裏切りという名の犬』(原題:36 Quai des ofrevres、2004)に詳しい。ジェラール・ドパルデューの演じている役がパリ司法警察局の警察局長、ダニエル・オートゥイユ扮する方がパリ警視庁の警視総監、ということになる。
この冒頭の描写を正確に解説すると、まずリュカはおそらくメグレの引退で後を継いで警視commissaireに昇進している。司法警察局は殺人事件や風紀取り締まりなどを担当し、おそらくいくつかのセクション(課)に分かれており、そのそれぞれに警視相当の部長chefがいる。彼らは毎朝、事務連絡や捜査の進捗状況を共有するため、司法警察局長directeurの部屋に集まって報告会議を開くわけだ。メグレも現役警視だったころは毎朝この会議に出席していたはずで、その様子は後の『メグレの回想録』(1951)にも書かれている。本作が翻訳された当時はパリ警察の組織形態が日本でよくわからなかったので、メグレは「パリ警視庁」所属の警部ないし警視だと翻訳されることが多かった。だが後任のリュカは道をまたいだ向こうの「パリ警視庁」まで出向いて「警視総監」との会議に出席しているわけではなく、パリ司法宮の一部を間借りしている「パリ司法警察局」(セーヌ川に面しているので「セーヌ河岸Quai des Orfevres」とも呼ばれる)の2階で、すなわちいつも働いている自分のオフィスと同じ建物の同じ階で、朝の連絡会議に出席していたわけである。ちなみにフランスの各県に司法警察局はあるので、チビ医者ドーランが住んでいるマルシリーを統括する警視もまた別にいるということになる。
時系列として本作『チビ医者』シリーズは、メグレが引退した後の物語、すなわち1938年にシムノンが執筆していた時点で現代の設定だと順当に考えることができる。
さて、時期は8月。ドーランは2週間の休暇を取ってパリへ上京しており、うまい具合に同郷のよしみで、仏西部シャラント出身のリュカ警視と面談することができた。ドーランは本職の刑事たちがどのように事件捜査をしているか知りたいと願っていたのだ。そこでリュカは毎朝9時に来て見学することを勧める。そしてある日ドーランは、司法警察局へ相談に来ているオランダ人のクレー・ヴァン・デル・ドンク氏から事件の話を聞くことができたのである。
ヴァン・デル・ドンク氏は3日前にパリへ仕事でやってきたが、かわいい娘たちの誘惑に堪え切れず、寄ったあげくリディアという娘についてゆき、彼女のホテルで1時間ほど過ごした。そして自分のホテルへ帰る途中、財布がないことに気づいて取って返すと、リディアがベッドで血を流して死んでいたのだ。財布は道端に落ちていた。
殺された娘はリディア・ニールセン、ハンガリー生まれの22歳、キャバレーの踊り子で、オランダの《ペンギン》というバーに出入りしており、前日にパリへ出てきたばかりだという。撲殺で頭蓋骨が砕かれていた。
リュカ警視とともに事情聴取に立ち会ったドーランだったが、その後リュカがてきぱきとオランダ警察への連絡などを指揮してゆく様子にいささか気圧されて、やはり自分のような素人探偵と本職は違うと感じ、自分がちっぽけな存在に思えてきた。だが、いつもの方法で自分もやってみようと考える。まずは何か所かに足を運んでみることだ。
とはいえ、やはり大都会パリでホテルのボーイにいきなり事件の質問するのは気後れする。結局バーでカクテルを一敗飲み、あれこれ思い悩んでいると、何とリュカ警視から電話があった。居場所を正確に推測するとはさすがだ。喚ばれて司法警察局に戻ると、リュカの部屋にブリュッセルの若い銀行員ルネ・ファブレー氏21歳の姿があった。新聞で恋人リディアの写真を見て飛んできたのだという。彼に拠れば、リディアは本当は良家の令嬢らしい。だがパリで泊まっていたのは街角に立つ女などが使う三流ホテルだ。
本作ではまだリュカは最初のうちドーランに対して少しよそよそしい。本当に評判通りの推理力の持ち主なのか測りかねて、丁寧に接しつつも一定の距離を置いている。ドーランにもそのことはわかるのだ。そこで彼は手柄を挙げるためひとり列車でブリュッセルに向かったのである。そして当地の高級ホテルにヴァン・デル・ドンク氏が滞在していたことを突き止めた。ここでリディアとすでに会っていたに違いない! 急いでパリに戻る列車に飛び乗り、新聞を広げてドーランは驚いた。ベルギー青年がオランダ人ヴァン・デル・ドンク氏を銃で撃ったというのだ、しかもトランス刑事inspecteur Torrenceが張り込み監視をしているその目の前で!
リュカはチビ医者ドーランが単身ブリュッセルへ乗り込むことも予測していた。そこで当地のベルギー警察に連絡して、ドーランを助ける手配までしていたのである。パリへ戻ってきたドーランに、リュカは笑いながらこう教え諭す。
「まあそれで、[警察当局の定まった捜査]方法なんてものはないということが、あんたにもわかったわけだ……。われわれは、だいたい、推理とか論理なんてものは信用しない……。辛抱強く、誠実な公務員なんだからね、その公務員として尋常のやり方で、いろんな情報を最大限に集めてそれを結びつける……」(原千代海訳)
リュカは決してドーランをからかっているのではない。それどころか彼のいう通りまさに誠実な態度で、村から出てきたこの高名な素人探偵にプロのやり方を説いているのだ。私は、ここで描かれるリュカはシムノンが最初期に創造したメグレの実直な部下、リュカ刑事の姿にとても近いと感じる。途中でリュカは尊敬する上司のメグレを真似てパイプを吸っているだとか、変装の名人を気取っているだとかいった妙な属性をまとわされてしまい、キャラクターがぶれてしまったが、本来は上司のメグレからおそらく実地で叩き込まれたであろう足を使っての寡黙な捜査を基本とする、まさに辛抱強くて誠実な公務員だったはずだ。ここに出てくるリュカはその最初期の性格をそのまま保ちつつ、さらに人生経験を積み重ねて穏やかさを備え、上司が持っていた包容力も備えて、しかしいざというときには年齢を感じさせずにすばやい判断と決断力で捜査を指揮する、地味だが信頼のおける立派な警視に育っている。パイプを嗜み、上司の習慣を受け継いで勤務中にもビールとサンドイッチの配達を頼む。だが彼の風貌や仕草は、メグレほど印象は強くない。
リュカはメグレの意志を受け継ぎつつもメグレとは違う警視になった。だからトランス刑事も彼についていっているのだろう。河沿いの田舎町に隠居した元上司の顔をときおり思い浮かべつつも、「なあに、
本事件は、ハンガリー、オランダ、ベルギーの若い男女がパリで交差したことで起きた。彼ら3人はみなパリで人生に失敗していた。たまたま事件はパリで起きたが、そこへ至るまでの運命は各隣国からすでに始まっていたのだ。パリは人々の人生の交差点に過ぎない。そこへ、やはりパリの部外者であるドーランがやってきて、パリの権威ある警視に対抗意識を燃やす。ドーランが自分宛の手紙のインクをうまく刷毛で消して他人宛に偽造する場面などちょっとした描写に過ぎないが興味深い。手紙を受け取るのに郵便税が80サンチーム、それに局留料が10スウとはふしぎな設定だ。そして事件はドーランの活躍で結末を迎える。
「僕はですね(中略)いろんな人間の立場に立って、その人間になり切ってしまうんですよ……。そこで、もし、僕がヴァン・デル・ドンク氏だったとしたら……」
「なるほどね!」(原千代海訳)
チビ医者ドーランはリュカ警視に対して自分の会得した探偵術を滔々と講釈する。だがその手法は実のところドーランが知らないだけでまったくのメグレ式捜査法なのであり、しかし聞き手側のリュカ警視はさらりと受け流して感心してみせる。このラストのやりとりが心憎い。
そして本作以降、ドーランとリュカは友情で結ばれるのである。
■8. 「船客とその黒人奴隷」1940■
9月。謎解き名人ドーランの噂はすでに全国へ広がり、今回ドーランは港町ボルドーから捜査依頼の電報を受け取って彼の地へと赴いた。波止場に停泊中の《マルチニック号》で事件が発生したという。この船はアフリカ西海岸を就航する定期便で、本来なら2日後に発たなければならないのだが、船客のひとりであった通称ポポールという赤道地帯ガボンの森林の伐採事業で成り上がった40男が、死体となって発見されたのである。彼はいつもこの定期便を使ってフランスとアフリカを行き来しており、ボルドーに戻ると波止場の酒場や劇場で派手に散財する。今回は黒人の護衛係兼付き人をひとり従えており、彼はその男のことをふざけて“ヴィクトル・ユゴー”と呼んでいた。
ボルドーに停泊中、ポポールは船室で暮らす。前夜も彼は一等サロンで他の船客と飲んでいたのだが、深夜1時ころにすぐ戻るといい残して自分の船室へと降りていった。そして偶然ボーイが扉の開いているのを不審に思ってなかを覗いたところ、船客のひとりラルディリエ嬢がピストルを持って茫然自失の状態で室内に立っており、そして浴室に血だらけのポポールの死体が転がっていたのだ。少し前から黒人“ヴィクトル・ユゴー”は行方不明になっていた。
ポポールの死因は胸に撃たれた一発の銃弾だが、ラルディリエ嬢の供述では、自分も扉が開いているのを見て部屋に入ったところピストルが転がっているので手に取っただけだという。彼女が当然第一容疑者となったものの、事件が解決しなければ出航できない。令嬢を拘束しているとなれば業界で顔の利く富裕の父親にも睨まれる。そこで船長は困り果てて、誉れ高いドーランに救援の電報を打ったのである。姿を消した黒人が主人を殺したのだろうか? 船長の話によると、ポポールはアフリカで大金を入手したそうで、今回の旅はそれを持っての凱旋だと周囲に吹聴していたらしい。だがそんな現金はどこにもないのだ。彼が所持していたワニ革の紙入れも薄くて、とても大金が入っているようには見えなかったとの目撃証言もある。
翻訳文を読んでいると、アフリカから来た“ヴィクトル・ユゴー”のことをみなが平気で「土人」「黒ん坊」呼ばわりしているのでけっこうびっくりするのだが、そもそもタイトルからして「船客とその黒人奴隷」と原題にない「奴隷」という言葉が挿入されているので、これらはむしろ当時の訳者なりの心づかい、読者へわかりやすさを提供するサービス精神であったのだろう。ただ、本作執筆時ボルドーにまだアフリカ出身者が少なく、黒人が目立ったことも事実だったと思われる。アフリカから現地人を従者として連れて来るには1万フランという莫大な保証金が必要だったと書かれている。しかも「文明度の高い」他の黒人と、赤道直下から連れて来られたばかりでフランス語も話せない“ヴィクトル・ユゴー”の間には、やはり大きな差別の壁があっただろう。フランス人は統合l’integretionの精神を重んじ、相手が異邦人であってもフランスに来た者ならば同胞のように扱うことを誇りとするものだが、それは相手がフランス語を話し、フランス文化を理解しているとわかってこその共和精神であろう。
“ヴィクトル・ユゴー”はやがて見つかり、拘留されるが、彼は母国語で無実を訴える。ドーランは推理を働かせ、“ヴィクトル・ユゴー”は犯人でないと確信した上で、留置場に入れられている彼を釈放する策を現地の警部に提案する。きっと自由の身になったら彼は、今朝の拘留時に通訳を務めたもうひとりの黒人を頼って、似た境遇の仲間が集まる波止場の酒場に向かうはずだ。しかもドーランは彼の釈放を新聞記事にして公表させた。さあ、いまや誰もが“ヴィクトル・ユゴー”釈放の事実を知っている。真犯人は何か行動を起こすはずだ! ドーランと警察は密かに黒人を追跡する。
赤道地帯とフランスのボルドーを結ぶアフリカ西海岸廻りの定期航路といえば、まさにシムノン自身が1933年の旅行で帰還時に利用し、『摂氏45度の日陰』(第47回)で描かれたものであり、久しぶりにシムノンがアフリカを取り上げてくれたと嬉しくなる。そしてやはりシムノンのアフリカ人に対する眼差しは優しい。シムノンを読んできた人なら作中の“ヴィクトル・ユゴー”が殺人犯でないことは端からわかる。そして今回あっと思わされるのは、チビ医者ドーランが彼の釈放を真犯人特定の賭けに使うことで、このアイデアは『男の首』(第9回)と同じなのである。さらに「1回転半」のひねりの「半回転」分は、なぜポポールは大金を抱えていたにもかかわらずワニ革の紙入れが薄かったのか、すなわち大金を所持しているなら紙入れはぱんぱんに膨らんでいるはずなのになぜそうではなかったのか、という謎だ。この謎解き部分が私たち読者の感情を揺さぶる。簡潔ながらトリックと人間模様が巧みに融合した佳編である。
■9. 「赤毛男の足跡」1940■
診療所に慌てた様子で赤毛の大柄の青年が相談にやってきた。彼はジョルジュ・モット28歳、パリで保険会社の会計係を務めている。昨夜5時、仕事を終えていつものように大衆食堂へ寄ってサンドイッチを食べていると、まるで映画のヴァンプ(妖婦)女優のような美女が自分を見つめているのに気がついたのだという。いっしょにカフェを飲み、タクシーに乗ってブーローニュの森をひと回りしたあげく、「今夜8時きっかりにどこそこのアパルトマンへ来てほしい。門番に何か訊かれたらラビッス氏のところに行くといえばいい」と相手が誘ってきたので彼はのぼせ上がってしまった。家の妻に電話して帰りが遅くなることを告げ、いわれた住所のアパルトマンに行ってみたが、誰もいない。だが少し待っていると戸棚から呻き声が聞こえ、開けてみるとなかから血まみれの老人が転がり出てきた。たったいま死んだばかりの様子だ。吃驚して彼はアパルトマンから逃げ出したが、出入りするところを門番の女に目撃されてしまっている。途方に暮れたあげく、彼はチビ医者の名声に思い至り、ラ・ロシェル行きの列車に飛び乗ってここまで救いを求めに来たというわけだった。ドーランはひとまず彼を診療所に匿い、自らパリへ出向いてリュカ警視に相談することにした。
リュカ警視に拠ると、赤毛青年の赴いた住居には確かにラビッスという有名な美術品蒐集家が住んでいるという。彼らはさっそく現場へ行き、青年の証言した通り老人の死体、すなわちエチエンヌ・ラビッス氏を発見した。これによって美術品業界は大騒ぎとなり、ふたりの鑑定士が飛んできてラビッス氏の遺品の数々を調べ始める始末だった。だが彼らに拠れば最重要の品物がいくつか足りないという。そしてフランスの全警察が、いま血眼になって赤毛男の足跡を追いつつあった!
ドーランは考える、ラビッス氏を殺したのはヴァンプ女で、モット青年に会う5時より前に致命傷を負わせていたのかもしれない、そして青年を犯人に仕立てるため現場に呼び出したのだろう。だがドーランは診療所のアンナに電話して驚いた。赤毛青年が逃げたというのだ。ラビッス氏の親族は妹がひとりと、甥に当たる彼女の息子のふたりだけだそうだが、もしかしてモット青年は自分の無実を証明するため、危険を冒して彼らに会いに行ったのでは? ドーランは不安を抑えつつ、あちこちへ足を運び、聞き込み捜査にのめり込んでゆく。
リュカ警視が再び登場し、ドーランは素人探偵の域を越えた活躍をする。それは相手側が「さっきもそのことは警察に話したのに……」と訝りながらも、おそらくはドーランの外見や人柄を見て、「警察の関係者だろうか? まあこの人にはしゃべっても大丈夫だろう、どうせさっきも話したのだから」という安心感でドーランに情報を提供するからだ。結果的にドーランはリュカの指揮する捜査陣のいわば一員として、いや、むしろ彼らよりも先回りするかたちで、貴重な供述を集めることができたのである。なにしろリュカ警視はまだ現場から去った赤毛男を特定できていない。18人のリストをつくり、ようやく19人目も見つかったところだが、そこでリュカはドーランに寂しく告げる。曰く、私はあなたのやり方に感心して、だからまるで自分の同僚のようにあなたを信用して自由に行動させていたし、こちらの手の内にある情報はみんなあなたに伝えたのだが、こうして隠しごとをされたのではあなたを見損なった。先ほどラ・ロシェルの憲兵から赤毛男の報告があった……。
「わかっています……。わかっています……」
とドーランはタクシーのなかで警視に謝る。だがリュカは「それだけが私に対する返事かね?」と心底がっかりしたように述べるのだ。実はこの話は発表順でいうとリュカ警視初登場の回なのだが、書籍版では第7話に続いて2度目の登場であり、おそらくはいくらか初稿から書き換えられて、リュカは前回の事件を受けてドーランに友情を感じ始めていたことがわかる。だからこのタクシーの会話は切ない。ドーランがリュカ警視の信頼を利用するかたちで、ついひとりで謎解きに夢中になっていたからだ。チビ医者ドーランはそれでもまだ謎解きという新しいゲームに魅せられ、司法警察局に戻った後もリュカに対して何々の手配をしてほしいなどと名探偵気取りで指示を出す。リュカはさすがに腹に据えかねるものがあっただろう。だがあまりに大胆なドーランの要求にリュカが吃驚して飛び上がったとき、ドーランは一転して辛抱強い口調でリュカを説得に当たるのである。実は自分はあなたを信頼しており、あなたをプロの職業人だとわかっていてこそいままで無礼なふるまいをしてきた、だからいまこそあなたの手腕を発揮してほしい、と頼むのだ。
ドーランは「心理学の効果」によって謎を解き明かし、犯人を捕まえる。そして物語の最後には、悠々とリュカのオフィスで寝入って疲れを癒やす。だがそうした若い田舎医者ドーランの態度を、もはやリュカ警視は責めない。はっきりとシムノンの文章に書かれているわけではないが、このときドーランとリュカの真の友情が生まれたのだとわかる。リュカにとってはとても奇妙なことだったろう、相手の若い田舎医者は、かつての彼の上司そっくりの捜査法で犯人を捕らえる。だが彼は大柄ではなくチビで、しかもいささか生意気な素振りさえ見せるのだ! リュカは自分もまた若いころに還ったような気がしたのではないだろうか。これは読者である私たちだけにわかる特別な感情だ。シムノンは本作でメグレの存在をいっさい仄めかしてはいない。だが私たち読者はリュカの眼差しの先にメグレの後ろ姿を見る。時代は移り、人々は着実に年齢を重ねて、人と人との関係も変わってゆくが、ここには変わらないものがある。そんな豊かで優しい思いが自然と湧き上がってくるのが本作の特徴なのだ。
犯人逮捕を待つ間、ふたりが司法警察局のオフィスでサンドイッチを食べているとわかるシーンは、読んでいるこちらも顔が綻ぶ。最後にドーランはリュカを飲みに誘う。まさしく変わらないものがここにある。
■10. 「提督失踪す」1940■
6月、南仏プロヴァンスの小さな町で、「提督」の名で知られていた68歳の老人マリウス・フィニォールが失踪した。その日、午後5時、いつも通り彼は国道沿いに建つレストラン《
ドーランがその小さな町を訪れたのは1か月後である。《鱈料理自慢亭》は2階が宿屋になっていて滞在できるのだ。この店はもともと提督のものだったが、6年前に姪アンジェールへ譲り、いまは彼女の夫ジャンとふたりで経営されている。ドーランは誘拐犯と思われる人物から、提督を見つけられるものなら見つけてみろと挑発的な手紙を受け取って、この町へやってきたのである。
提督は暮らしには困っていなかったようで、誰も失踪の原因がわからない。だがドーランが店主ジャンから聞いたところ、ここ1、2週間でマルセイユから強盗がやってきて、この店も被害に遭い、提督の古い持ちものもすっかり持って行かれてしまったらしい。地元警察は「あんたの伯父が戻って荷物を持って行ったんじゃないかね」といったそうだが、提督はまだ元気とはいえ体重が90キロあり、階段を上るのもひと苦労だった。2階の窓から忍び込めたはずはない。
実はドーランに挑戦状めいた手紙を偽装して送ったのは、この店主ジャンだった。彼は伯父がもう殺されていると考えていたが、素人探偵に謝金を渡すのが惜しくて苦肉の策を採ったらしい。だがまさにドーランと話しているそのとき、郵便配達夫の子どもが使い走りでやってきて、一通の手紙をジャンに届けた。開けるとなんとそれは提督からのもので、自分は田舎に帰っている、4、5日したら戻るとある。ポストに無造作に投げ込まれていたものらしい。ドーランはその手紙をアンジェールにも見せたが、確かに提督の筆跡だという。彼らの夫婦仲はさほどよいと思えなかった。妻のアンジェールは男癖が悪くて近所の薬屋の男とできていたようだし、一方で夫のジャンも店の若いメイドに粉をかけているらしい。そして提督もまた毎週、店の帳場から金を持ち出していたようなのだ。しかしそれらが原因で姪の夫婦が大胆な人殺しをするとは思えない。ならば老人はまだこの町のどこかで生きているのだ。強盗が持ち去ったという提督のトランクや衣類は川底から出てきた。失踪と強盗事件は何か関係があるのか? ドーランは自分の変化に気づいて大いに満足した。ほんの24時間前までこの家のことを何も知らなかったのに、いまや目の前でこの家がいきいきと動き始めている。隅から隅まで詮索して、どんな些細な秘密も見抜けるように思えるのだ! ドーランは推理を巡らせる。そもそもなぜ提督は、毎週きっかり百フランもの金を持ち出す必要があったのだろう? だが翌日、さらにもうひとつの失踪事件が起こったのだ。
各章の始めに添えられる口上文はすっかり板についてきて、本作ではなんと物語に先回りして私たち読者に手がかりを教えてくれる。その口上を読んでいるときは意味がわからないのだが、さらに読み進めて章末にその場面が出てきた瞬間に「ああ、なるほど!」とわかる仕掛けだ。にやりとしてしまう粋な演出であり、むしろ口上で先にネタをばらしてしまっているからこそ謎解きの効果が上がっている。作者シムノンが楽しんで小説を書いていることが伝わってきて嬉しくなる。
ちょっとふしぎだがいかにも田舎で起こりそうな、誰ひとりとして死なないかわいい事件だ。事件は無事に解決し、ドーランは診療所へ戻ってアンナに尋ねる。「重病人はなかったかね?」
「夜中のお産が二組ね……」と彼女は応え、ドーランは満足するのだ。「そいつはよかった! いあわせなくて!」
■11. 「非常ベル」1940■
10月。事件の発端は、瞼の弛んだ二重顎の冴えない蠟燭製造人エチエンヌ・シャピュ氏が、パリ‐マルセイユ間の急行列車で実に奇妙な体験をしたことであった。彼は二等車室でひとりの美しい婦人と向かい合って座っていたのだが、その金髪女が途中でいきなり立ち上がると非常ベルの紐を引っ張り、急いでやってきた車掌に「私はこの男に襲われた」と訴え出たのだ。彼にはまったく身に覚えのないことで、揉めごとのあいだ列車は停止しなければならなかった。女は次の駅で降りるというので列車は再び動き出したが、シャピュ氏もその駅で降ろされ事情聴取を受ける羽目になった。ところが後でわかったのは、女の供述した住所はまったくのでたらめだったということである。いったい何のために女はそんな狂言でシャピュ氏を陥れようとしたのか。どうも腑に落ちないので調べてほしいと、シャピュ氏はドーランのもとを訪ねてきたのであった。
ドーランはまず運輸局へ出向いて列車の時刻表を調べ、さらに係員に尋ねて、シャピュ氏の乗っていた19号列車は22時31分、セジイCezyという町の踏切の少し手前で緊急停止したことを突き止めた。ドーランはこの停止場所に何か深い意味があると直感していた。非常ベルの紐を引いた女はマルト・ドンヴィルと調書に記名していたが、当日の夜そんな名で町のホテルに泊まった女はいない。女は偽名を使ってまで、まさにその場所で列車を急停止させる必要があったのだ。ドーランは現地に赴き、林の向こうに小川が流れていること、さらにその向こうに一軒の休憩食堂があることを見出す。川で釣れた魚やザリガニを調理して出しているようだ。彼が《みごとな釣師たちのお休みどころ》というその店へ入って声をかけると、驚くほど美人のジェルメーヌという娘が出てきた。さらにレオンという店主が姿を見せる。ふたりは夫婦で、彼らに訊くといまは季節外れだが事件当日は確かに太った男が車でやってきて食事をしていったという。その男こそ踏切近くで車を待機させていた、事件の共犯者ではなかろうか? ドーランは自分の考えをメモに箇条書きで書きつけてゆく。だがどうもおかしい、この夫婦はまるでドーランの来訪を知っていて、あらかじめ何もかも答を用意していたように見受けられるのだ。ドーランは店主に強く引き留められ、その日は遅くまでいっしょにブロットをすることになったのだが……。
非常ベルの紐を引いて列車を急停車させる奇妙な美女、というつかみは充分の発端部から、流れるように物語は進行してゆく。古今東西たくさんの列車ミステリーが書かれてきたが、シムノンもその列に加わっていたわけで、読み始めるとすぐにアガサ・クリスティー『オリエント急行殺人事件』などの名作が脳裏に蘇ってわくわくしてくる。実際、本作はチビ医者シリーズのなかでいちばんの出来映えだろうと思う。ドーランは酒を勧められるままに飲んでブロット(シムノン作品によく出てくるカードゲーム)に興じるのだが、このまま店にいたのでは身が危険だと考える。そこで地元警察の警視宛に手紙を書き残し、リュカ警視の名も添えて、店からの脱出を試みる。ところが愛車フェルブランティーヌはなぜか故障で動かないのだ! ドーランは夜通し延々とブロットを続けなくてはならない。この夫婦が車に細工して、ドーランの逃亡をくい止めたに違いないのだ。午前3時、店主が次のカルヴァドス瓶を取りに立ち上がったとき、車の音が近づいてくる。助けを求めるドーランの手紙が警察に届いたのか? だがタクシーの窓の向こうに見えたのは意外な人物だった。
チビ医者ドーランのシリーズは「1回転半」のひねりがあると書いたが、今回は最後の「半ひねり」が実に見事に決まっている。つまりドーランに調査を依頼してきたエチエンヌ・シャピュ氏なる冴えない人物が、事件全体のなかでどのような立ち位置であるかという謎だ。読み進めてゆくと途中からシャピュ氏も怪しく思えてくるのだが、それならば彼がわざわざドーランに調査を依頼するはずがない。自分の身を滅ぼすことになるからだ。シャピュ氏の存在が事件を複雑なものにしている。そしてこの物語をたんなるパズル以上のストーリーに押し上げているのである。実は本作の最終章である5章には、いつもの口上書きがついていない。ここに口上がないのはついうっかりというよりおそらく作者シムノンの無意識の回避によるものだろうが、逆にいえば作者シムノンも本作の最後の流れを口上などで停滞させず一気に駆け抜けたかったのだと感じることができる。
物語の最後にドーランは戦勝品を手に入れて、後に彼は事件を解決する度にそうした物品を取り置いて蒐集するようになることが仄めかされるが、その設定が発展することはなかった。ただ、本作は『チビ医者』の書籍で終盤の11番目に据えられたが、連載時には半ばの7番目のエピソードだったのであって、まだ実際は司法警察局のリュカ警視とも顔見知りの間柄ではなかった。この順番の変更は、しかしよい効果を上げたといえる。この出来のよいエピソードが後ろへずらされたことによって、「いよいよこの連作もクライマックスだ」という昂揚感と期待感を、読者に与えることに成功しているからである。
■12. 「砒素の城館」1940■
オルレアンの森の城館にドーランは赴いた。庭にたくさんの犬がいて吠えている。玄関扉の鐘を鳴らすと窓の向こうのカーテンが少し動いて、誰かが覗いている気配がする……。今回ドーランはこの城館で過去に起こった3つの毒殺事件に興味を抱き、自らの意志でやってきたのだった。彼は城主の老人モルドー氏と面会し、ずばりあなたが伯母と妻と姪を殺したのかと尋ねる。ところが老人は憤るどころか彼を丁重に迎え入れ、いつまでもご滞在なさってくださいと、召使いに食事や身の回りの世話を命じたのである。
この城館で3人の女が亡くなったことは事実だが、モルドー氏の語り始めたいきさつは奇妙なものだった。自分は生まれつき不運で、その不運が周りにも起こる、そのため伯母たちもみな病気で死んでいったというのだ。次は自分が死ぬ番だとさえいう。だが世間の人々はモルドー氏が保険金や財産目当てで密かに毒を盛って、徐々に3人を弱らせ殺したのだと考えていた。実際、3人の遺体からは砒素が発見されていたからだ。そのことをドーランはパリに出向いたときリュカ警視と会って聞いたのだ。しかしリュカ警視ははっきりとした証拠がないためホシは挙がらないのではないかとも述べていた。
城館に住んでいるのは老人の他に、かつて小児麻痺を患った22歳の息子エクトル、年輩の召使いエルネスチーヌ、その姪で小間使いローズの3人だ。ドーランは老人の診察という名目で城館に住み込むことになった。ローズはどこかにフィアンセがいるようだが、いつもエクトルにつきまとわれて迷惑しているらしい。ドーランは灰のなかから手紙を見つけ、ローズの相手がコート・ダジュールに駐留している植民地軍の男だと見当をつけた。そしてすぐさま次の事件が起こったのである。叫び声を聞いてドーランが納屋へ駆けつけると、息子のエクトルが倒れて死んでおり、そばにはラム酒の瓶が転がっている。すでに城館の住人はすべて集まっていた。そしてドーランはすぐにわかった、大量の砒素が盛られたのだ。
なんとチビ医者シリーズで「館もの」である。シムノンは連作を書くとき律儀に毎回シチュエーションを変えてくるので、私たち読者はミステリー黄金時代の雰囲気を思い出しながら、しかし軽妙なシムノンの筆致に誘われてページを繰ってゆくことになる。憲兵や地元の予審判事がやってくる。チビ医者は〈その人物になり切ってみるんだ……〉とお得意のメグレ式捜査法を発揮する。そしてまた彼は頭のなかで事件の謎を箇条書きに整理する。ごく初期のメグレは『サン・フォリアン寺院の首吊人』(第3回)で見たようにこまめに手帳に記入する男だった。そしてそのクセは、おそらく彼の“先輩”である『十三人の被告』のフロジェ判事(第30回)から引き継がれたのであって、第二次大戦開始直前のこの時代までシムノンの名探偵たちがちゃんと捜査の基本を引き継いできたことが確認できる。
今回の「半回転」のひねりは、誰が死んでいったかではなく、むしろ誰が生き残っていたか、である。エルネスチーヌもローズも健康そのもの。そしてモルドー氏の周りで次々に死んでいった者たちはみな生命保険に入っていたが、モルドー氏だけは入っていない。これはいったいどういうわけか? 筆致そのものの軽妙さで本作の事件もあっさりと解決してしまうから、拍子抜けする読者もいるかもしれないが、それでも森のなかに住む彼らのあまりに息の長い生命力にフランスミステリーの底力を見た気がする。ちょっとでも『スタイルズ荘の怪事件』や『Yの悲劇』を思い出させてくれただけで儲かりものということだ。
■13. 「上靴にほれた男」1941■
パリのオペラ座界隈のデパートに、この1週間ほど毎日、終業時間近くになるとつつましやかな退職者風の男が
そのギャビイがいま、チビ医者ドーランの前に涙を浮かべて座り、事の次第を語っている。一昨日“フィアンセ”が殺されたのだ。いつもスリッパをあれこれ履き替えて試す椅子に彼は座っていた。ギャビイが別のスリッパを探して戻ってみると、彼は俯いたままシャツに血が滲んで、銃で撃たれて死んでいた。衆人環視のなかでの殺人である。
ドーランはリュカ警視の捜査に協力するためパリに上京したのだ。そして彼と現場のデパートを見て回った。警視の指摘の通り、3階の玩具売場から問題の1階スリッパ売場が見下ろせて、一直線に的を狙える。玩具売場にはおもちゃの銃もあって怪しまれにくく、また終業ベルが鳴り響けば無音銃の発砲の気配など掻き消されてしまうだろう。犯人は午後6時15分、玩具売場から男を撃ったのだ。しかしなぜこんな場所で犯行に及んだのか? 事件によってデパートの名が新聞に躍り、かえってスリッパ売場には客が詰めかけるようになったが、デパート支配人はありがた迷惑の様子で、私立探偵でも何でも雇って一刻も早く事件を解決してほしいとせがむ。そこでリュカがドーランを呼び寄せたという次第だった。
2階宝石売場のアリスという店員から聞き出したところに拠ると、スリッパ男はギャビイのもとへ足繁く通う前には、彼女のもとへ毎日やってきたのだという。それでいて結局何ひとつ買わなかったというのだ。警察はすでに被害者の身元を特定していた。ジュスタン・ガルメ48歳、無職でここ20年来ノートル・ダム・ド・ロレット通りに住んでいた。ドーランはリュカに連れられてその通りにも赴く。驚くことにガルメはかつて刑事として4年間務めた履歴があるという。20年前に退職し、その後は金利生活者として暮らしていたらしい。ガルメの住居はいかにも独身の小市民が住むような典型的アパルトマンである。ふたりで室内を検分したところ、大量の購買品が見つかった。値札や包みが解かれていないものもある。デパートで買い求めた品々だろうが、彼の本当の目的は何だったのか。たんに店員に惚れていただけなのか。管理人もガルメの素性はよく知らず、訪問客もなかったという。
ドーランはいつもの捜査法で推理を発揮する。まず被害者になり切って、同じ場所に座ってスリッパを履いてみるのだ。2階の宝石店の真上が3階の玩具売場。そして同じ1階の彼の前に、特売品売場が見渡せた。左側に89番のレジカウンターがある。なぜあそこだけあんなに込んでいるのだろう……? デパートを後にしたドーランにリュカから電話連絡があった。10日ほど前、ガルメが美女を伴って不動産事務所を訪れ、ロワール川沿いの隠居宅を物色していたと、いささかもったいぶった口調でいう。そして宝石売場のアリスを召喚して事情聴取するから明朝司法警察局へ様子を見に来るかと尋ねる。さてガルメが同伴していた美女とはいったい誰か? ドーランは司法警察局でアリスの意外な身の上話を聞くことになる。
ついに最終話。シムノン版『フランス白粉の秘密』といえようか、パリの巨大デパートでの殺人事件という派手な設定で、そこに素人探偵のドーランが入り、リュカ警視率いる司法警察局の刑事たちと事件解決へ向けて動くのである。
デパートの構造はTVドラマ版を観るとよくわかるが、つまりこのころの百貨店は吹き抜け天井であり、1階フロアは床全面が売り場で、その一角にスリッパ売場があるのだが、2階や3階はぐるりと壁を巡るかたちで売場が設けられており、3階の玩具売場から1階のスリッパ売場が銃の標的にできるのだ。
「上靴にほれた男」L’amoureux aux pantoufles」とは、なかなかよい題名である。シムノン特有の「絵になる冒頭の謎めいた光景」がとてもうまく表現されている。これをそのままパズルのように解いたら、いわゆる「バカミス」の類いになってしまうものだが、シムノンの筆は意外とそうしたばかばかしさを感じさせることがない。極端な話、「いつもスリッパ売場にやって来る男が銃殺された」という突拍子もない謎は、「あるとき『ガッツ石松、50円ください』と繰り返す声が聞こえた」と同じくらい滑稽な問題設定なのである。ところがどうだろう、読み進めてゆくうちに私たち読者は、いつの間にかその滑稽な被害者ガルメの内面に入り込み、人生の深みや愛の切なさを知り、作中でドーランがいうようについ同情さえしてしまうではないか。
そして最終的には何とドーランが捜査の指揮を執るかたちでリュカの協力を取りつけ、部下を10人デパートに配置させて、犯人を罠にかけようとするのである。さあ、土曜の午後6時15分に何が起きるか? 素人探偵がここまで出張るなど実際には無理だろうが、シムノンの筆なら大らかにこちらも許せてしまう。最後の最後、大ラストシーンは、ドーランが田舎へ帰る列車に乗る直前、駅の食堂で事件を振り返って被害者ガルメに思いを馳せる場面である。おそらくふたりは食事だけでなく少々酒も飲んだだろう。そしてリュカ警視はギャルソンを振り返って──。
「幾らだね?」
このチビ医者シリーズはよくできた連作読みものだ。個々の中編はミステリーとして弱いかもしれない。ここから一編を採ってわざわざミステリーアンソロジーに収録するような物好きもおそらくはいないだろう。全体としても決して高得点をつけて褒めそやすような本ではない。だがその全体の“軽み”がシムノンをまるで生き返らせたかのようである。この後フランスは第二次世界大戦の時代を迎え、世界は大きく変わってゆき、印刷物も気軽に出せない状態が続いて、シムノン自身も小説発表の機会が制限され、そのため一方で戦時中の大衆娯楽であった映画という世界に活路を見出そうともしたわけだが、そうした厳しい状況にいよいよ入り込んで行く直前のシムノンが、旧知の友であるリュカやトランスと再び出会えたことは、私たち読者にとっても幸運だった。
本作が書かれた1938年5月までを振り返ってみよう。まずメグレ引退作『メグレ再出馬』(第19回)が書かれたのは、『メグレ全集Tout Maigret』(オムニビュス社の新版)の最新書誌に拠ると1933年の6月と11月。第二期に入り、新たにメグレものの短篇9作(第61回)が書かれたのが1936年秋(10月)、中篇10作(第62回)が書かれたのが1937年から1938年の冬にかけて(つまり年末年始の時期)。これら計19作のうち17作が後に中短篇集『メグレの新たな事件簿』(1944)に収められる。次の2短篇「街を行く男」「愚かな取引」(第63回)は1939年に書かれたと見られており、そして1940年12月執筆の『メグレと超高級ホテルの地階』(第64回)でメグレは長篇に復帰する。本作《チビ医者》シリーズは、シムノン第二期のメグレ中短篇シーズン1、2とシーズン3(第68回)の間に書かれたことになる。
この間、メグレは表舞台から姿を消していたものの、リュカ警視は作者シムノンの心に残り、ときおり単発作品で、いわば「パリ司法警察局の警視」という役柄を担う代表的人物として、登場を続けていた。とりわけエンターテインメント色の強い『ねずみ氏』(第79回)では部下のジャンヴィエ刑事とともに、先輩のメグレに負けない大立ち回りを披露してくれた。
そして本作《チビ医者》シリーズではついにトランス刑事が姿を見せる。トランス刑事はメグレ前史のころからメグレのよき部下であり、第1作『怪盗レトン』(第1回)でも活躍するが、この作品で彼は凶弾に斃れてしまう。普通に読めば、ここでトランス刑事は死んだと考えられる。そのため、以降のメグレものに彼はいっさい登場しなかった。
ところが本作《チビ医者》シリーズでトランス刑事は蘇ったのである! それゆえに翌年書かれたメグレものの第二期シーズン3「街を行く男」において、彼はリュカ警視や同僚のジャンヴィエ刑事とともに、晴れて復帰を果たすことができたわけだ。《チビ医者》が書かれたからトランス刑事はさらなる活躍の場を得ることができた。熱心なシムノン愛好家の方はもうご存じだろうが、彼は本作《チビ医者》シリーズの次に書かれた《O探偵事務所》シリーズでも元気な姿を見せるのである。明らかにシムノンの意識の流れがここに確認できる。
私は本作のリュカはとてもリュカらしい人物造型だと思う。まだメグレが長篇で本格復帰する以前の、隠居した先輩の後を継いで地味ながら堅実に職務を果たしている“警視”としての彼の誇り、また同時に彼らしい奥ゆかしさと誠実さ、が読み取れるからである。私はここに出てくるリュカ警視がとても好きだ。本作は「大傑作!」と声を張り上げて宣伝するようなものではないが、それでも書店に行けば誰もがいつでもごくふつうに翻訳文庫を買って楽しめる、そんな庶民的な立ち位置の作品であるし、実際に近い将来そうなっていてほしいと願いたくなる作品である。
なお、ウェブ検索すると一部のサイトで「1958年の『死体が空から降ってくる チビ医者の犯罪診療簿1』が最後のシメノン表記の日本語訳の著書」である、といった記述が見られるが、私が探した限り「シメノン」表記の『死体が空から降ってくる』は見つからない。たぶん、この情報は誤りだと思われる。
さて本作《チビ医者》シリーズは2度TVドラマ化されている。1度目は1973年、ドイツでの制作で、原作の13話すべてが映像化された(第90回参照)。そしてオリジナルな回は一度もなくすっぱりと終わった。現在はドイツでDVDが出ており容易に観賞できる。丁寧につくられた佳品である。
チビ医者を演じたのはペール・シュミットPeer Schmidtという俳優で、監督はシリーズ前半をヴォルフガング・ベッカーWolfgang Beckerが、後半をトマス・エンゲルThomas Engelがそれぞれ務めた。ドイツのDVD-BOXには各回の内容や成り立ちを説明するパンフレットが封入され、特典映像として1時間に及ぶトマス・エンゲル監督へのインタビューが収録されている。私はもはや大学教養課程で習ったドイツ語をすっかり忘れてしまったので、きっと貴重なエピソードがたくさん披露されているであろう特典インタビューの内容はさっぱりわからないが、どうやらこのドラマの企画は当初、ドイツ俳優のハインツ・リューマン(ルーマン)Heinz Ruhmannが進めていたものらしい。リューマンが1967年にシムノンと直接会って交渉したそうで、彼自身が主役を務める予定だった。リューマンは温和な顔つきの著名俳優で、『ゲー・ムーランの踊子』(第10回)を原作とする映画『Maigret und sein groster fall(Maigret fait mouche)』[メグレ最大の事件(メグレの快心打)](1966)でメグレを演じており、さらに本邦未訳のロマン・デュール長篇『そこにハシバミは残った Il y a encore des noisetiers』(1969)のTV映画『Es gibt noch Haselnusstraucher』(1983)でも主役を張っている。相当なシムノンファンだったのだろう。
ところがリューマンの妻が1970年に死去したこともあってか、リューマンはチビ医者の企画から手を引いてしまい、主役不在で制作陣は混乱したらしい。主役の俳優もなかなか決まらなかったようだが、最終的にペール・シュミットが受諾し、シナリオも彼の雰囲気に合わせて書き換えられたという。添付のパンフレットによるとペール・シュミットは身長168センチなので実際は「チビ医者」とはいえない。本編を見ても彼が小柄だという印象は受けない。しかしドイツ制作にもかかわらず物語はちゃんとフランスを舞台とし、ラ・ロシェル付近を含むフランスの各地でロケされ、出てくる立て看板や新聞もすべてフランス語で統一されて、フランスらしさを醸成できている。一話当たり50?60分。時代設定は戦前ではなく現代(1970年代)になっている。
そして“フランスらしさ”の一環であろうか、ときどきまさしく不意に女性のヌードが登場する。それが土曜ワイド劇場の明智小五郎シリーズ以上に脈絡なく出てくるので、監督の意図がわかりかねることさえある。ある回では若い女性がフルヌードでプールで泳ぎ、上がると完全にヘアまで映る。こんなにきれいにヘアが見える地上波ドラマや映画など観たことがないので呆気に取られるくらいだが、物語上その女性がプールで泳いでいる必然性など微塵も存在しないのだからいっそう驚く。なのでまったく画面から嫌らしさを感じない。ふしぎな演出としかいいようがない。
各話のストーリーは原作準拠だが、ところどころで大胆な変更が加えられているのが大きな特徴だ。たとえば「砒素の城」では殺される人物が異なる。「非常用ブレーキ」ではチビ医者ドーランをより直截的に事件へ関与させるためだろう、列車で暴漢扱いされるのがドーラン自身だということになっているが、小説を読んだ人はおわかりの通り、これではシムノンの原作にあったトリックが使えなくなってしまう。なので謎解きの行方も変更されている。
一方で主要キャラクターの配役はそれなりにうまく嵌まっていると思う。ドーランの診療所で働くお手伝いアンナは、ドラマ版だとマリアンヌという名に変わっているが、これを演じたErika Dannholfは出しゃばりすぎないがしっかりと印象に残るし(ドーランが愛車で出かけるときはいち早く道路へ出て一時停止の表札を掲げ、左右から来る車を止めるのである)、リュカ警視役のKlaus Hermがパイプをくゆらせるさまは格好がついているし、口髭を蓄えたトランス刑事役のPeter Partenも頼もしい。ふだんドーランが地元で事件に遭遇するときは、原作では名前が出てこないものの、Max Mairichが地元のマルセラン警視Kommissar Marcellin役を務めて、コージー・ミステリーらしさを引き立てている。最終回の「注目の姪っ子」は原作の“黒人奴隷”の代わりにお手伝いマリアンヌの姪が船でラ・ロシェルへやってきて、強い好奇心で事件に関わってゆくというストーリーに変更されているが、よいアダプトに仕上がっていた。
2度目のドラマ化はシムノンの息子マルクが監督を務めた。こちらは映像ソフトが販売されていない。
▼他の映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ『Le petit docteur』マルク・シムノンMarc Simenon他監督、アラン・サッシュAlain Sachs主演1986(全6話)[仏][ちび医者]
1. Le flair du Petit Docteur[1]
2. Le chateau de l’arsenic[12]
3. Une femme a crie[3]
4. La piste de l’homme roux[9]
5. La demoiselle en bleu pale[2]
6. L’amoureux aux pantoufles[13]
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。 ■最新刊!■ |
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